不死殺しのイドラ

彗星無視

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第2章 鮮烈なるイモータル

第36話 ネバーダイ

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「ぁ————、あ?」

 自然と目が開く。意識の覚醒したイドラが真っ先に覚えたのは、『なぜ?』という疑問だった。
 意識は確かに闇に沈み、消えてしまった。それが再び浮上したことを喜ぶべきなのは間違いないのだが、マイナスナイフを持った腕を動かせなかった以上、そうはならないはずなのだ。
 気を失う前と、辻褄の合わない現実に対する困惑。
 それとも予想に反して傷は案外浅手で——完全に貫通していたのに浅手もなにもないはずだが——ローバルクによる救護が間に合ったのか。
 まだ鮮明とは言い難い知覚。無意識に手で触れた自身の腹部に、傷はまるでなかった。

「イドラ……あなたのギフトは、一体」

 すぐそばで聞こえた声に、イドラは倒れたまま目を向ける。そこにはミロウが呆然とした顔で地面に片膝をついていて、手にはイドラのマイナスナイフが握られていた。

(…………この、状況は。まさか……いやそれよりも)

 推論を巡らせるよりも先に、イドラは前方に視線を移した。
 作戦は終わっていない。命が助かったのであれば、果たすべき役割を果たさなくては。
 見ればそこにはまだ、白い大蛇の怪物と、数名の白い裾を翻す仲間と——それより格段に速く力強い動きで地を駆ける白い髪の少女がいた。

「ソニア?」

 一蓮托生。深い場所でつながった、互いにとってかけがえのない少女。彼女を置いていくことは、その関係への裏切りだ。
 ソニアの様子は遠目に見てもおかしかった。

「————はぁ、は、ぁ——っ、はぁ——!」

 心臓を爆発させるかのような息遣いが、確かに聞こえた気がした。
 眼下でちょこまかと走る蟻を潰すべく、ヴェートラルがその頭を振り回す。それをソニアは真っ向から迎え撃つべく、ワダツミを振り抜く。
 反射的にイドラは目を覆いたくなる感情に駆られる。
 あれでは本当に真っ向勝負になる。ただの力比べ。防ぐにしてもさっきのホルテルムのように、受け流す形にするべきだ。
 イモータルと、その中でもスケールの違いすぎるヴェートラルと正面衝突など、馬車に轢かれるよりも悲惨な結末が目に見えている——

 今度こそイドラの耳に、ドッ、と衝撃の音が届いた。そして今度は目を疑いたくもなる。 ヴェートラルが弾き飛ばされ、ぐるりと体をうねらせて体勢を直す。対するソニアは……ワダツミを振り抜いた姿勢のまま、すっと刀を下ろす。
 ソニアは打ち勝っていた。純粋な膂力で、力比べで、正面衝突で、ヴェートラルという生命としての規格が違うはずの怪物を上回っていた。
 あるいはそれは、不死を断つ天恵よりも恐ろしい異能。

「発作……とも違うのか? なんなんだ。ソニアに一体なにが起きて……」

 少女がふと、こちらを振り向く。

「あ」

 彼女は体を起こしたイドラを見て、目を見開いた。
 鮮烈なる黄金の双眸を。

「——」

 ソニアの目は橙色をしていたはずだ。綺麗で儚げな、落陽の色を。それが今や黄金の輝きに染まっている。
 発作の時と同じ。
 けれど、呑まれてはいない。イドラの無事を確認したソニアの安堵の表情には、普段と同じ理性の光が灯っている。発作の時のように我を失っているわけではないようだ。
 
「だったらやることはひとつ……か。ミロウ! いくぞ、マイナスナイフを渡してくれ。作戦を続けよう」
「ぇ——」
「本懐を思い出せ、ヴェートラルを殺すんだろ。ソニアやホルテルムたちが戦ってるっていうのに僕たちが呆けていていいわけがない」
「そう、ですね。……その通りです! 向こうも消耗はしているはず……あと一歩、決めきりますわ!」
「その意気だ」

 釈然としないことを後回しに。ミロウは青い負数を本来の持ち主へ渡し、戦場へ身を躍らせる。
 イドラもまた、落ち着いて考えたい事項はいくつもあった。ソニアの身に起きた現象もそうだし、自身のギフトと、ソニアの持つウラシマから受け継いだワダツミについてもそうだ。
 だがすべて後でいい。そう断じ、一度は手放してしまった己が天恵を強く握って駆けだす。すると走ってくるイドラを見て、ソニアの顔がぱっと綻んだ。

「よかったっ、無事なんですねイドラさん! あっ、そっか、マイナスナイフがあるから……わたし間抜けですね。イドラさんが倒れて頭が真っ白になっちゃって」
「なんとかな。それよりソニア、その目」
「え?」
「……金色になってる、夜でもないのに。体の調子、おかしくないか?」
「調子自体はとってもいいです。よすぎて不自然なくらいです。……納得できました。たぶんこれは暴走みたいなものなんだと思います。わたしにも、自分で今のこの力を抑える方法がわかりません。なので、その」

 暴走。より厳密に言うならば、リミッターの破壊。再現なく肉体はイモータルへ近づいていく。
 ただ幸いなことに、この場には壊れたリミッターを回復させられるナイフがある。それを行えば、変異した体もいくらか巻き戻せるだろう。

「あとで、夜のときみたいにしてもらっていいですか……? 同じようにすれば、たぶん止まると思うんです」
「発作に近い感じか。わかった」

——だが目の色まで変わっている以上、発作の時みたいに体への負担は大きいかもしれない。
 その懸念点だけ留意して、イドラは頷いた。

「わたし、今ならきっと役に立てます。ヴェートラルが相手でもイドラさんのための隙を作れます。作って、みせます」
「豪語するな。よし、ソニアがそこまで言うなら信じる」

 黄金の目には、集落の岩屋から連れ出した時にはなかった強い想いが籠っていた。疑念を挟む余地なくイドラはそれを信頼する。
 だが——

「……! まずい、またあの魔法です! 総員注意!」
「ァ——、ア、アァ————!」

 殺したはずの蟻が立ち上がり、蟻に力負けした。だからといって喚き散らすような人間味をイモータルが持つはずもないが、火力を惜しむべきではないという適切な判断を下す機能はあった。
 すなわち魔法。
 魔法器官が起動する。ヴェートラル頭部の暗黒の輪が、不死憑きの瞳と同じ輝きを湛え始める。

「くっ、二度目だと……!?」

 回避を許さぬ最速の魔法。マイナスナイフの特異性がなければ、間違いなくイドラを死の闇へと送っていただろう光芒。
 イドラの信頼を、ソニアの勇気を嘲弄するかのように、悪夢の二発目が放たれようとしていた。
 輪に光が充填されるわずかな猶予。ごく短い時間でイドラに許された動作は、たったの二つだけだった。
 一つ。近くにいるソニアを突き飛ばす。ヴェートラルの狙いは明白すぎるほどにイドラだけだった。殺し損ねたのが余程腹に据えかねたのか、金の三つ目はどれも一様にイドラを射抜いている。
 二つ。右手を少しだけ動かし、青い刃を胸の前に添える。

 それだけ。
 目で追うことさえ不可能なあの魔法に対処するには、回避ではなく防御しかない。それも、向かってくる位置を読みきる、決め打ちの防御。
 しかし咄嗟に盾代わりになるものなど、この細く小さな天恵のほかになく。胸を防御するのも、さっきの一撃は胸に撃たれたからというひどく安直な発想。
 もし狙いが頭だったら、首から上が吹き飛んで終わりだ。マイナスナイフで治すこともできない、決定的な即死。

 そもそも賭けに勝ってうまく魔法の光芒にマイナスナイフを当てられても、それで防ぎきれるとも思えなかった。
 要するに魔法を防ぐ、妥当な手立てなどなく。
 二つ目の動作は本当にただの気休めで、やらないよりはまし程度。イドラの意識は既に『魔法を防ぐ』ことよりも『魔法で出来た傷に即座にマイナスナイフを刺す』方にシフトしつつある。
 痛みに備える覚悟はできた。さっきのような失態はしない。受けた瞬間、一切の感情を置き去りにこのギフトを使う。
 だから願うのは。どうか、即死だけはしませんように。
 内臓が裏返りそうな緊張をよそに、光は放たれ——

「……?」

——自身のすぐ真横を過ぎ去り、イドラは遅れて振り向いた。
 外した。魔法はイドラを貫くわけでもなく、かといって隣のソニアにもミロウやホルテルムにも当たらず、ただ地面を穿っただけだ。
 衝撃で川の水が巻き上げられ、一瞬の雨のように降り注ぐ。

「なんだ……狙いを外したのか? なんにせよ助かったが」
「え——わ、わたしには、イドラさんが避けたように見えました。不自然に、引っ張られたみたいに」
「僕が?」

 まるで身に覚えのない話。
 ただ言われてみれば、イドラも自身の立つ位置が数十センチほど違う気がした。ソニアからも離れている。

「イドラ! さっきわたくしに言ったことを忘れたのですか」
「……! そうだったな、呆けてる場合じゃない。いけるかソニア」
「はっ、はい!」

 必殺の魔法を避けられたことに狼狽えるでもなく、ヴェートラルは追撃を繰り出そうと牙を剥く。だがそれが届くより先に、ソニアがヴェートラルの頭の下へと潜り込む。スライディング気味になりながらの一刀は、大蛇の顎に突き刺さった。

「——ァァ————ッ」

 それで不死の表皮が傷つくわけではなかったが、強烈なかち上げを受けてヴェートラルがのけぞる。約束通り、ソニアは隙を作ってみせた。
 駆け寄るイドラ。対し、ヴェートラルは後ろへ下がろうと身を引く。マイナスナイフが不死の肉体を傷つけると理解した上での行動。退避だ。

「逃がしませんわ、どこにも!」

 それを許さない十の糸。視認の難しい、けれど確かに張り巡らされた細い糸が、ヴェートラルの頭部に絡みついて縛り上げていた。

「あまり、長時間は保ちません。早く! イドラ——不死殺し!」
「了解!!」

 腕を伸ばし、手を広げるミロウ。そのしなやかな指の先からつながる糸——彼女の天恵である輝糸《レイ》は、彼女の手の震えがそのまま伝わって細かく揺れている。
 ヴェートラルを抑え込み続けるなど不可能だ。むしろ一時的に動きを制限できているだけでも脅威的だろう。リーダーとして作戦を手筈通り進められなかった失態の責を感じているのかもしれない。
 どうあれ、最後の力を振り絞った拘束だ。次はない。

「ここで終わらせる……!」

 輝糸レイによって押さえつけられ、ヴェートラルの頭部は下に向けられている。
 災厄を断つべくイドラが向かう。この一瞬、ヴェートラルは動けない——

「ァ————ァアァァアアッ!!」

 その動けないはずの怪物が、悪あがきとばかりに抵抗を見せた。
 長い尾を使ったのだ。ミロウの糸が及ぶのはあくまで頭部のみ、逆側の末端までは防げない。苦し紛れに振るわれた尾は真横の谷の岸壁に激突し、大きな崩落を引き起こす。
 崩れた岩々はイドラのそばにまで迫り、イドラの体長よりもさらに巨大な塊が雪崩のような勢いで目前にまで迫る。

「破砕しろ、ディサイダー」

 行く手を阻む岩塊。それを、突如現れた黒い大剣が一閃した。

「一年前の恩義、確かにここに」
「ああ、利子までついてバッチリだ!」

 ホルテルムの援護により岩は無残にも石くれになり、活路が開かれる。同時に周囲のエクソシストたちが、投げつける聖水やギフトらしき槍や刀剣でヴェートラルの気を引く。
 もはや阻むものはなかった。糸に抑えられた頭部まで、手が届くほどの距離になる。

「おおおおおおぉぉぉぉ————ッ!」

 逆手のナイフを振り抜く。黄金色の左眼を容赦なく貫き、潰した。

「ァァァァァァアアアア————ッ!」

 眼窩から白い砂が血液のように噴き出る。
 怪物はまだ足掻きをやめない。目を一つ潰されようとも、もとより三つ目、支障はないとばかりに大口を開く。
 これほどの至近距離ならば、逆手にとって噛みつこうという腹積もりらしかった。首であれば辛うじて動くのだ。

「——だったら」

 しかし反対に、イドラは自分から飛び込んだ。自ら口内に入り込む形で、閉じられようとする顎の動きに抵抗する。上から迫る鋭い牙は、左腕で強引に防いだ。服も肉も容易く貫通されたが、勢いはなんとか殺すことができた。

(またしても、ソニアに怒られそうな方途を取ってしまったな……!)

 激痛にうめきながらも苦笑する。一度くらいなら、許してほしい。
 それに——これが最後だ。貫かれた左腕は上げたまま、暗く狭い口腔内に目を向ける。
——イモータルは、口の中も白いらしい。
 妙な感慨を覚えながら、イドラは地面でも刺すように、その舌に青い水晶の刃を振り下ろした。

「——ァ、ア」

 予感した通り、それが決定打となった。
 掠れるような音を残し、見る見るうちに蛇の肉体が形を崩す。氷漬けになっていた大いなる災厄が数百年の時を経て、ついに殺された瞬間だった。
 後に残るのは物言わぬ砂だけだ。元々の質量からすればごく少ない、それでも並のイモータルが遺すそれに比べれば十倍はあろうかという砂。
 同時に谷の上まで響くほどの歓声が湧き上がる。無謀とも思われた目標の達成に、喜ばぬ者もいない。誰もが命を賭けていた。
 口内にいたせいで頭から被ってしまった白い砂を払いながらイドラは、仲間たちの歓喜を見て、作戦の完遂を覚えるのだった。
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