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第2部1章 躍る大王たち
第78話 『方舟の使者』
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自身のギフトの変化に気を取られ、反応が遅れたイドラは、あっけなく喉笛を噛みちぎられて異世界の地で絶命する——
寸前、ワダツミの白刃が獣の肩を捉えた。
「はぁっ!」
黒い体表が斬り裂かれる。ワダツミの性能は変わりない。それは由来からして当然のことだ。
「ヤス、ヤスイ、ヨー。ヤスイ、ヤス、ヤス、ヤス」
「……浅い!?」
だが助けに入ったソニアの一撃は、黒獣を殺しきるにはやや不足。血を流すわけでもなく、右の前足を宙ぶらりんにしながらも、まったく痛がるそぶりを見せずイドラへ向かい続ける。
とはいえイドラもいつまでも呆けているわけではない。ソニアが作った一瞬の隙の間に、頭をすっかりと切り替え、逆手に握る赤く変じた刃を獣のこめかみへ突き刺した。そのまま振り抜きつつ前へ出て、すれ違いざまに背中を三度ほど串刺しにする。止めに横一文字に斬り抜いて蹴り飛ばした。
「やった、か。なんだったんだ、一体」
やはり血は流れ出なかったが、動かなくなったと思えば、塵も残さず唐突に消えていく。その形を残さない死に様に、イドラはまたしてもイモータルを思い出さずにはいられなかった。
「ごめんなさい、イドラさん。一撃で倒しきれると思ったんですが……」
ワダツミを背中に背負った鞘へと仕舞いながら、近くへ寄ってくるソニア。
「いや、敵を前に狼狽した僕が悪い。むしろ助かった」
「……以前までのわたしなら、きっと」
晴れない表情。肩から下げる、鞘に結びつけた紐をぎゅっと小さな手で握る。
状況の整理が必要だった。
襲ってきた黒い生物はなんだったのか。
どうして、イドラのギフトは姿を変えてしまったのか。
能力は変化したのか。
(空間斬裂は……できない。くそ、マジかよ)
試しに、赤い刀身で軽く空間を撫でてみる。なにも起こらず、刃は虚空へ届かない。
以前までのマイナスナイフであれば、空間を膨張させることができた。あの聖堂で、レツェリの天恵を見たからこそ気がつくことができた、マイナスナイフ固有の能力だ。
厳密には、『空間を斬る』ことが能力で、膨張に関してはその-65535という異常のATK値によるものだった。
今はできなかった。
(傷は治せるのか? イモータルは殺せるのか? ……さっきの生物に攻撃は通じた……あれはどうしてだ?)
マイナスのATKはいくつかの効果をもたらした。
瑕疵が反転することで、傷を治すこともできる。また同様の理屈で、死のゼロを越えた不死の怪物を、今一度死の起源へ叩き落とす力があった。
今でも、それらは健在なのだろうか。
さっきの黒い生物がイモータルではなく……魔物や、まさかとは思うがこの世界における一種の野生動物だったりしたならば。それに攻撃が通じたのであれば、イドラのギフトは単なるありふれたものに堕している。
「……皮肉だな」
幼い頃は、ザコギフトだなどと周囲に揶揄され、他者のギフトが羨ましくて仕方がなかった。
それが今や、ふつうの天恵になってくれるなと、心から願ってしまう。
今となっては長い旅をともにした相棒だ。それになにより——あの青い負数の短剣は、ウラシマが認めてくれたものでもある。
色が変わってしまっても、本質までは損なっていない。そのことを祈るしかない。
「わ……色が変わってます。ギフトがここまで変化することなんて、ないはずなのに」
イドラの手元を覗き込みながら、遅れてソニアも驚愕する。もうその表情に陰はない。少なくとも表向きには。
ギフトは地平世界において、十歳を迎えたあまねく人間に与えられる。
そして、それからずっと変わることがないのかと言えば、そうでもない。
持ち主とともに成長をする。例えばベルチャーナの指輪、ヒーリングリングであれば、彼女の成長に合わせ、指にちょうどフィットするよう若干ではあるが大きさが変化している。
わかりづらいところで言えば、レツェリの万物停滞もそうだ。人間の眼球のサイズもわずかにではあるが、成長につれ大きくなる。それに合わせる形だ。
もっともイドラのマイナスナイフに関しては、十歳の頃からなんら変わらなかったが。そういうギフトもある。懐かしき故郷の友人、イーオフが自慢げに振るっていた直剣ならばともかくとして、マイナスナイフのような短剣に大きさが変わる余地はなかった。
そして——今回イドラの天恵に起きた変化は、そういったものとはまったく異なった。
まず唐突すぎるし、大きさはそのままで色だけが変わるケースは一般的ではない。
そしてなにより、能力までは通常変化しない。
本質までは変じない。あくまで、外形が持ち主に合わせて大きくなる程度がギフトの変化の余地のはずだった。
「空間を跳ぶ力は使えなくなったみたいだ」
「え? それって、能力まで変わっちゃったってことですか?」
「おそらく。傷を治す力がまだ生きてるか、それだけでも試そうと思う」
黒い生物に攻撃が通じた以上、ステータスの変動もありうる。しかし天恵試験紙もない現状、確かめる方法もない。
イドラはマイナスナイフで指の端を切ろうとする。
以前までの、ATKがマイナスの状態であれば、傷にはならない。痛みだけ。
今の、赤い刃の状態ではどうか——
「——おーい! お前ら民間人か!? なにしてんだこんな場所で!」
「……え?」
試すより先に、遠くの方から何者かの声が届いた。
つられてイドラたちは顔を上げる。すると、向かっていた道の先から、横並びの三つの人影がこちらへ歩いてきていた。
真ん中の男性が手を降っている。呼びかけてきた男だ。
「誰……でしょう?」
「あんまり見たことのない格好だな。それに、武器らしきものも手にしてる。一応警戒しておこう」
マイナスナイフは持ったまま、三者を見据えるイドラ。実験はまた今度だ。
曇天の下、近づいてくるにつれ、男たちの細部が見て取れるようになってくる。
男が二人に、女が一人。
リーダーらしき雰囲気の真ん中の男は、腰に刀を佩いていた。
刀身の姿は窺えないが、鞘の形状からしてワダツミより少々反りの強い日本刀。
——ギフトだ。
根拠もなく直感する。
「なんだ、子どもじゃねーか。ミンクツから出てきたのか? この辺にゃあ大したモンは残ってねえぞ。なんにしろ幸運だ、ちょうどこの付近にアンゴルモアの反応があった」
互いの顔立ちを視認できるくらいになると、刀の男はイドラとソニアを見て、ぶっきらぼうに話しかけてくる。
三十路手前くらいだろうか。三者の中では最年長に見える。
背は高く、少し長めの黒髪。ジャケットの前を開け、全体的にどこか胡乱な印象だった。
「アンゴル……モア?」
「あ? なんだお前、アンゴルモアを知らないってか? そんなはず……ん?」
言葉を区切り、男は自らの片耳に軽く手を当てる。
彼の左耳には、黒い機械が着けられていた。イドラにはとんと見覚えのない小型のそれは通信機で、彼らが所属する『ノアの方舟』と連絡を取り合うためのガジェットだ。
「反応が消えた? 今さっき? おいおい嘘だろ、そいつぁ……」
刀の男はそばにいる仲間の二人の方を振り向く。男女両方に頷きを返された。受けた通信は間違いではない、ということだ。
寸前、ワダツミの白刃が獣の肩を捉えた。
「はぁっ!」
黒い体表が斬り裂かれる。ワダツミの性能は変わりない。それは由来からして当然のことだ。
「ヤス、ヤスイ、ヨー。ヤスイ、ヤス、ヤス、ヤス」
「……浅い!?」
だが助けに入ったソニアの一撃は、黒獣を殺しきるにはやや不足。血を流すわけでもなく、右の前足を宙ぶらりんにしながらも、まったく痛がるそぶりを見せずイドラへ向かい続ける。
とはいえイドラもいつまでも呆けているわけではない。ソニアが作った一瞬の隙の間に、頭をすっかりと切り替え、逆手に握る赤く変じた刃を獣のこめかみへ突き刺した。そのまま振り抜きつつ前へ出て、すれ違いざまに背中を三度ほど串刺しにする。止めに横一文字に斬り抜いて蹴り飛ばした。
「やった、か。なんだったんだ、一体」
やはり血は流れ出なかったが、動かなくなったと思えば、塵も残さず唐突に消えていく。その形を残さない死に様に、イドラはまたしてもイモータルを思い出さずにはいられなかった。
「ごめんなさい、イドラさん。一撃で倒しきれると思ったんですが……」
ワダツミを背中に背負った鞘へと仕舞いながら、近くへ寄ってくるソニア。
「いや、敵を前に狼狽した僕が悪い。むしろ助かった」
「……以前までのわたしなら、きっと」
晴れない表情。肩から下げる、鞘に結びつけた紐をぎゅっと小さな手で握る。
状況の整理が必要だった。
襲ってきた黒い生物はなんだったのか。
どうして、イドラのギフトは姿を変えてしまったのか。
能力は変化したのか。
(空間斬裂は……できない。くそ、マジかよ)
試しに、赤い刀身で軽く空間を撫でてみる。なにも起こらず、刃は虚空へ届かない。
以前までのマイナスナイフであれば、空間を膨張させることができた。あの聖堂で、レツェリの天恵を見たからこそ気がつくことができた、マイナスナイフ固有の能力だ。
厳密には、『空間を斬る』ことが能力で、膨張に関してはその-65535という異常のATK値によるものだった。
今はできなかった。
(傷は治せるのか? イモータルは殺せるのか? ……さっきの生物に攻撃は通じた……あれはどうしてだ?)
マイナスのATKはいくつかの効果をもたらした。
瑕疵が反転することで、傷を治すこともできる。また同様の理屈で、死のゼロを越えた不死の怪物を、今一度死の起源へ叩き落とす力があった。
今でも、それらは健在なのだろうか。
さっきの黒い生物がイモータルではなく……魔物や、まさかとは思うがこの世界における一種の野生動物だったりしたならば。それに攻撃が通じたのであれば、イドラのギフトは単なるありふれたものに堕している。
「……皮肉だな」
幼い頃は、ザコギフトだなどと周囲に揶揄され、他者のギフトが羨ましくて仕方がなかった。
それが今や、ふつうの天恵になってくれるなと、心から願ってしまう。
今となっては長い旅をともにした相棒だ。それになにより——あの青い負数の短剣は、ウラシマが認めてくれたものでもある。
色が変わってしまっても、本質までは損なっていない。そのことを祈るしかない。
「わ……色が変わってます。ギフトがここまで変化することなんて、ないはずなのに」
イドラの手元を覗き込みながら、遅れてソニアも驚愕する。もうその表情に陰はない。少なくとも表向きには。
ギフトは地平世界において、十歳を迎えたあまねく人間に与えられる。
そして、それからずっと変わることがないのかと言えば、そうでもない。
持ち主とともに成長をする。例えばベルチャーナの指輪、ヒーリングリングであれば、彼女の成長に合わせ、指にちょうどフィットするよう若干ではあるが大きさが変化している。
わかりづらいところで言えば、レツェリの万物停滞もそうだ。人間の眼球のサイズもわずかにではあるが、成長につれ大きくなる。それに合わせる形だ。
もっともイドラのマイナスナイフに関しては、十歳の頃からなんら変わらなかったが。そういうギフトもある。懐かしき故郷の友人、イーオフが自慢げに振るっていた直剣ならばともかくとして、マイナスナイフのような短剣に大きさが変わる余地はなかった。
そして——今回イドラの天恵に起きた変化は、そういったものとはまったく異なった。
まず唐突すぎるし、大きさはそのままで色だけが変わるケースは一般的ではない。
そしてなにより、能力までは通常変化しない。
本質までは変じない。あくまで、外形が持ち主に合わせて大きくなる程度がギフトの変化の余地のはずだった。
「空間を跳ぶ力は使えなくなったみたいだ」
「え? それって、能力まで変わっちゃったってことですか?」
「おそらく。傷を治す力がまだ生きてるか、それだけでも試そうと思う」
黒い生物に攻撃が通じた以上、ステータスの変動もありうる。しかし天恵試験紙もない現状、確かめる方法もない。
イドラはマイナスナイフで指の端を切ろうとする。
以前までの、ATKがマイナスの状態であれば、傷にはならない。痛みだけ。
今の、赤い刃の状態ではどうか——
「——おーい! お前ら民間人か!? なにしてんだこんな場所で!」
「……え?」
試すより先に、遠くの方から何者かの声が届いた。
つられてイドラたちは顔を上げる。すると、向かっていた道の先から、横並びの三つの人影がこちらへ歩いてきていた。
真ん中の男性が手を降っている。呼びかけてきた男だ。
「誰……でしょう?」
「あんまり見たことのない格好だな。それに、武器らしきものも手にしてる。一応警戒しておこう」
マイナスナイフは持ったまま、三者を見据えるイドラ。実験はまた今度だ。
曇天の下、近づいてくるにつれ、男たちの細部が見て取れるようになってくる。
男が二人に、女が一人。
リーダーらしき雰囲気の真ん中の男は、腰に刀を佩いていた。
刀身の姿は窺えないが、鞘の形状からしてワダツミより少々反りの強い日本刀。
——ギフトだ。
根拠もなく直感する。
「なんだ、子どもじゃねーか。ミンクツから出てきたのか? この辺にゃあ大したモンは残ってねえぞ。なんにしろ幸運だ、ちょうどこの付近にアンゴルモアの反応があった」
互いの顔立ちを視認できるくらいになると、刀の男はイドラとソニアを見て、ぶっきらぼうに話しかけてくる。
三十路手前くらいだろうか。三者の中では最年長に見える。
背は高く、少し長めの黒髪。ジャケットの前を開け、全体的にどこか胡乱な印象だった。
「アンゴル……モア?」
「あ? なんだお前、アンゴルモアを知らないってか? そんなはず……ん?」
言葉を区切り、男は自らの片耳に軽く手を当てる。
彼の左耳には、黒い機械が着けられていた。イドラにはとんと見覚えのない小型のそれは通信機で、彼らが所属する『ノアの方舟』と連絡を取り合うためのガジェットだ。
「反応が消えた? 今さっき? おいおい嘘だろ、そいつぁ……」
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