不死殺しのイドラ

彗星無視

文字の大きさ
90 / 163
第2部1章 躍る大王たち

第87話 『夢のごとくに』

しおりを挟む
「先生!」
「え? ええっ!?」

 急いでベッドに近寄るイドラ。それを見て、半信半疑でソニアもベッドを覗き込む。

「ウ……ウラシマさん、ですね。この人、本当に」
「どうしてここに……僕は確かに、先生の……ウラシマさんの死体を、この目で見た——」

——しかし、その死体は消失した。
 それを思い出し、イドラは二の句を継げなくなる。

「これでわかってもらえただろうか。彼女を見せるためにここへ案内した」
「あ、あの、総裁。この少年らは」
「浦島君と交流があった、現地の人間だ。はるばるこの世界へやってきてくれたのを、先ほど任務中のチーム『片月』が遭遇した」
「本当に……地底世界の……!?」

 先ほど、ヤナギにスドウと呼ばれた銀縁眼鏡の彼女は目をしばたたかせる。地底世界からの訪問者を、驚きを持って見つめていた。

「呼吸もして……ます、ね。生きてますっ! でも……それだと、こんなに騒いでも起きないなんて」
「植物状態だ。四年間、彼女はここで眠り続けている」
「どういうことだ!? 僕は確かに、オルファさんの家の庭で確かめたはずだ。先生の……死を!」

 確かに死体は消失したが、それでも死亡は確認したはずなのだ。
 曇天の庭で。
 目を閉じれば、今でもイドラはその手の冷たさを克明に思い出すことができる。
 血を失ってくすんだ肌の色も。肺が呼吸を手放し、ピクりとも動かなくなった胸も。青白くなって薄く開いたままなにも喋らない唇も。血に濡れた、形の戻らない指も。
 祈るように、彼女の胸元へと、何度も何度も何度も何度も何度も何度も青い天恵を振り下ろした感触も。
 この記憶は嘘ではない。絶対にあった出来事だ。ならばなぜ——

「アンダーワールドは実体のない世界だと言ったのを覚えているかね? 実体を持つ我々は、通常の手段でアンダーワールドに入ることはできない。物理的に侵入することは叶わない。だから——肉体を置いて、精神のみをダイブさせるのだ」

 そのため、地底世界において彼女が歳を取る速度は、現実世界の肉体に連動していた。
 地底世界が運営される時間の速度は現実の32倍。つまり、現地入りした人間の老化速度はその逆、32分の1になる。
 外乱イモータルを除く方法を模索するウラシマの旅は、百年を超えていた。

「肉体……精神? くそっ、今日はとんでもない話ばっかりだ……! 先生は生きてるのか!? 死んでるのか!?」
「呼吸もしているし、体温もある。生きている……と、言いたいが。意識が戻ることはおそらくない」
「……わたしたちの世界で、ウラシマさんが死んでしまったから、ですか?」
「そうだ、彼女の反応は喪失ロストした。第一次と違い、精神を現地に送る際、タグ付けすることである程度数値の上で彼女の動向を追えるようになっていた。それができなくなった今、彼女の精神こころがどこにあるのか、誰にもわからん」
「でも……体は生きてるじゃないか。なんとかならないのか!」
「なるならそうしている。手の施しようがないのだ。なにせ、体にはどこにも異常がない」
「く……」

 端的かつ明瞭なヤナギの返答に、イドラは歯噛みする。
 目をそらすように、ベッドを見た。
 ウラシマはただ、穏やかな表情でかすかな呼吸を続けている。すぐそばのイドラたちの騒乱など、別世界の出来事のように。
 肉体と精神を分離させなければ、非実体のアンダーワールドへ人間は送れない。
 そして彼女は、現地で死亡した。仮想の肉体が消え、そこに宿る精神は行方知れずになった。戻るべき本当の肉体を、この現実世界に残して。

「そんなことが……肉体は生きてるのに、精神だけがないなんて」

 彼女の精神は今どこにあるのか?
 アンダーワールドだろうか? この現実世界にあるものの、肉体とうまく結びついていないだけなのだろうか?
 それとも。アンダーワールドでの死亡に合わせ、そんなものは木端微塵に砕け散り、既にどの世界にも存在しなくなってしまったのだろうか?
 今や誰にもわからなかった。

「夢の中で死ぬと、本当に死ぬ」
「……え?」
「私たちの間でよく使われる表現よ。本当かどうかはわからないけれど、夢の中で死んでしまうと、脳が実際に死んだと勘違いして活動を止める——そんな話、聞いたことってある?」
「その話は……ある。幼い頃に、一度だけ」

——こんな話があるのさ。夢の中で死ぬと、本当に死ぬ。
——脳が……頭が、誤作動を起こすわけだね。実際には怪我ひとつないのに、夢の中で全身がバラバラになったりすると、本当にそうなったんじゃないかって勘違いして、自分から生きることをやめちゃうんだ。
 まさしくウラシマが、そうイドラに話してくれた。今となっては古い記憶だ。
 確か、村の外に出たいと願い、悪夢に苛まれていた時のことだったか。

「そう。それと似て、アンダーワールドで死んでしまうと、肉体は死んだと勘違いして意識を取り戻さない。……ま、実際のところはともかくとして、そういう風に考えるとわかりやすいわ」

 あの時のウラシマの話は、ひょっとすると夢に怯えるイドラを丸め込むだけではなく、いつかのために暗に自身の状況を示していたのかもしれない。

「イドラさんのギフトでも、どうにもできないんでしょうか」
「む? イドラ君のギフトとは?」
「えっと……」

 ソニアはちらりとイドラの方を見た。話してもよいか、ということだろう。
 渋る必要もないと判断し、頷きを返した。

「マイナスナイフ……イドラさんのギフトは怪我を治したりできるんです。ほかにも、空間を飛び越えたり、不死身のイモータルを倒したり……不思議な力があって」
「えっ? ちょ、ちょっと、なにそれ。もしかしてアンダーワールドのギフトってスキルが単一じゃないの?」

 意外にも食いついたのはスドウの方だった。興味を隠せないという風に、ソニアに迫る。

「スキルっていうのは、ギフトに備わった特殊な能力のことか?」
「そうよ。私たちは起動コードを設定して、それを引き出してる。劣化コピーじゃない本当のギフトは、色々と再調整されたコピーギフトとは若干性質が違うってわかってはいたけど、そんなことがあるなんて」
「待ってくれ、早合点しないでほしい。こっちもギフトの能力はひとつだけだ。……僕の場合はギフトのステータスがおかしくて、それで能力が複数みたいに見えてるんだよ」

 ATK:-65535/DEF:0/INT:0/RES:0/RARITY:1。
 幼少期。オルファにもらった天恵試験紙に血を垂らし、確かめた己のギフトの性能スペックだ。
 イドラのマイナスナイフの能力はただひとつ。『空間に刃を干渉させる』ことだけ。
 傷を治したり、イモータルを殺すのはマイナスのATKがもたらす効力だ。これは前提であり、ギフトとしてそこに備わる能力ではない。

 とはいえ、例外的なのは確か。
 レアリティ1がゆえの特異さだ。同じくレアリティ1のレツェリの天恵、あの赤い眼球も、動体の断裂に自身の老化の抑制と、傍から見れば複数能力を持っているのと変わらない力を有している。
 だがあれはどちらも、限られた空間の時間を遷延させるという単一の能力によるもの。干渉できる範囲が大きすぎて複数能力に見えてしまうだけで、あくまで大元は一つの能力でしかない。

「地底世界で試した時は……何度やっても、先生を助けることは叶わなかったが」
「ここなら、ウラシマさんの本当の体にイドラさんのギフトが使えます。もしかしたら……」
「でも問題はある。この世界に来て、僕のギフトは変わってしまった」
「あっ。そ、そうでした。ごめんなさい。わたしは今、自分のギフトを持ってないから……」

 イドラのマイナスナイフは、見た目と性質を変化させていた。地平世界から現実世界に来る際に起こる、言ってみれば順化だ。
 もとより現実世界からイドラたちの世界へ持ち込まれた複製天恵であるワダツミは、当然なんの変化も示していない。色々な話を聞きすぎたこともあり、イドラのギフトが変化したのをソニアは失念してしまっていたようだ。

「ギフトの性質が後から変質する……なんてことがあるの?」
「ふつうはない。僕も驚いたんだ、さっき外でアンゴルモアに襲われた時、マイナスナイフを抜いたら刀身が真っ赤になってた。能力も使えなかった」
「ふむ……。世界の壁を越えたことによる影響、と言ったところか?」
「所見ですが、その可能性が高そうです。物理法則一つとっても大きな違いが数値観測で認められていますから」

 今更ながら、イドラはスドウが何者なのか気になった。
 眠るウラシマばかり気にして、動かない彼女に寄り添っていたスドウのことを気にする暇がなかった、というのが正確なところだ。イドラの視線に気づいてか、スドウは方舟の職員であることを表す制服の襟を正すと、レンズ越しにイドラを見据える。

「自己紹介が遅れたわね。私は須藤夜組スドウヤクミ、コピーギフト開発部の部長よ。——そのギフト、もしよかったら解析させてくれないかしら」
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

白いもふもふ好きの僕が転生したらフェンリルになっていた!!

ろき
ファンタジー
ブラック企業で消耗する社畜・白瀬陸空(しらせりくう)の唯一の癒し。それは「白いもふもふ」だった。 ある日、白い子犬を助けて命を落とした彼は、異世界で目を覚ます。 ふと水面を覗き込むと、そこに映っていたのは―― 伝説の神獣【フェンリル】になった自分自身!? 「どうせ転生するなら、テイマーになって、もふもふパラダイスを作りたかった!」 「なんで俺自身がもふもふの神獣になってるんだよ!」 理想と真逆の姿に絶望する陸空。 だが、彼には規格外の魔力と、前世の異常なまでの「もふもふへの執着」が変化した、とある謎のスキルが備わっていた。 これは、最強の神獣になってしまった男が、ただひたすらに「もふもふ」を愛でようとした結果、周囲の人間(とくにエルフ)に崇拝され、勘違いが勘違いを呼んで国を動かしてしまう、予測不能な異世界もふもふライフ!

貧民街の元娼婦に育てられた孤児は前世の記憶が蘇り底辺から成り上がり世界の救世主になる。

黒ハット
ファンタジー
【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。 この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

異世界転生~チート魔法でスローライフ

玲央
ファンタジー
【あらすじ⠀】都会で産まれ育ち、学生時代を過ごし 社会人になって早20年。 43歳になった主人公。趣味はアニメや漫画、スポーツ等 多岐に渡る。 その中でも最近嵌ってるのは「ソロキャンプ」 大型連休を利用して、 穴場スポットへやってきた! テントを建て、BBQコンロに テーブル等用意して……。 近くの川まで散歩しに来たら、 何やら動物か?の気配が…… 木の影からこっそり覗くとそこには…… キラキラと光注ぐように発光した 「え!オオカミ!」 3メートルはありそうな巨大なオオカミが!! 急いでテントまで戻ってくると 「え!ここどこだ??」 都会の生活に疲れた主人公が、 異世界へ転生して 冒険者になって 魔物を倒したり、現代知識で商売したり…… 。 恋愛は多分ありません。 基本スローライフを目指してます(笑) ※挿絵有りますが、自作です。 無断転載はしてません。 イラストは、あくまで私のイメージです ※当初恋愛無しで進めようと書いていましたが 少し趣向を変えて、 若干ですが恋愛有りになります。 ※カクヨム、なろうでも公開しています

【完結】使えない令嬢として一家から追放されたけど、あまりにも領民からの信頼が厚かったので逆転してざまぁしちゃいます

腕押のれん
ファンタジー
アメリスはマハス公国の八大領主の一つであるロナデシア家の三姉妹の次女として生まれるが、頭脳明晰な長女と愛想の上手い三女と比較されて母親から疎まれており、ついに追放されてしまう。しかしアメリスは取り柄のない自分にもできることをしなければならないという一心で領民たちに対し援助を熱心に行っていたので、領民からは非常に好かれていた。そのため追放された後に他国に置き去りにされてしまうものの、偶然以前助けたマハス公国出身のヨーデルと出会い助けられる。ここから彼女の逆転人生が始まっていくのであった! 私が死ぬまでには完結させます。 追記:最後まで書き終わったので、ここからはペース上げて投稿します。 追記2:ひとまず完結しました!

【㊗️受賞!】神のミスで転生したけど、幼児化しちゃった!〜もふもふと一緒に、異世界ライフを楽しもう!〜

一ノ蔵(いちのくら)
ファンタジー
※第18回ファンタジー小説大賞にて、奨励賞を受賞しました!投票して頂いた皆様には、感謝申し上げますm(_ _)m ✩物語は、ゆっくり進みます。冒険より、日常に重きありの異世界ライフです。 【あらすじ】 神のミスにより、異世界転生が決まったミオ。調子に乗って、スキルを欲張り過ぎた結果、幼児化してしまった!   そんなハプニングがありつつも、ミオは、大好きな異世界で送る第二の人生に、希望いっぱい!  事故のお詫びに遣わされた、守護獣神のジョウとともに、ミオは異世界ライフを楽しみます! カクヨム(吉野 ひな)にて、先行投稿しています。

『ミッドナイトマート 〜異世界コンビニ、ただいま営業中〜』

KAORUwithAI
ファンタジー
深夜0時——街角の小さなコンビニ「ミッドナイトマート」は、異世界と繋がる扉を開く。 日中は普通の客でにぎわう店も、深夜を回ると鎧を着た騎士、魔族の姫、ドラゴンの化身、空飛ぶ商人など、“この世界の住人ではない者たち”が静かにレジへと並び始める。 アルバイト店員・斉藤レンは、バイト先が異世界と繋がっていることに戸惑いながらも、今日もレジに立つ。 「袋いりますか?」「ポイントカードお持ちですか?」——そう、それは異世界相手でも変わらない日常業務。 貯まるのは「ミッドナイトポイントカード(通称ナイポ)」。 集まるのは、どこか訳ありで、ちょっと不器用な異世界の住人たち。 そして、商品一つひとつに込められる、ささやかで温かな物語。 これは、世界の境界を越えて心を繋ぐ、コンビニ接客ファンタジー。 今夜は、どんなお客様が来店されるのでしょう? ※異世界食堂や異世界居酒屋「のぶ」とは 似て非なる物として見て下さい

処理中です...