不死殺しのイドラ

彗星無視

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第2部1章 躍る大王たち

第100話 『王冠狩りの戦場』

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——ひょっとしてソニアの身体能力の低下は、自分の想像以上の速度で進んでいるのでは。
 イドラはそんな疑念を抱く。そして本来、それは喜ぶべきことだった。
 なによりも、言祝ことほぐべきことのはず。つまりは、不死の力に侵されていたソニアの体が、正常な状態に近づいている証なのだから。
 だがその変化が、戦場では危険を招き入れてしまう。
 ゆえにこそ以前、自分こそが守らねばと、イドラは誰に言うでもなく誓った。
 過酷な旅を助けてくれた大切な少女のことを、今度は自分が守るのだと。
 しかし——

『すぐ近くに反応有り! これは……』
「油断するな、二体目が来るぞ!」
『……いや、三体目を確認——頭上! ニジフクだ!』
「——ッ!」

 カナヒトの怒号とウラシマの警告。そしてすぐ、アンゴルモアの不快な鳴き声が辺りに響き渡る。
 既に、あちこちで戦端が開かれていた。周囲のそこかしこで土埃やコピーギフトによる炎が上がる。
 少し先の台地が、ニジフク——飛行するアンゴルモアの落とす爆発性の結晶により爆破され、轟音を上げると黒煙とともに崩れた。
 イモータルとアンゴルモアに類似点はあるが、相違点も数多い。
 違いの一つとして。単独で発生し単独で行動するイモータルと異なり、アンゴルモアは徒党を組んだ。

(僕は……)

 二体目のハウンドを倒し、三体目のニジフクをトウヤや他のチームの人員がギフトで撃墜する。
 その頃には、四体目と五体目が間近に迫っていた。
 陣形を維持しながらコンペンセイターを振るう。戦闘のさなか、無理にソニアのサポートに回ろうとすれば、逆に陣形に穴を作ってしまう。
 ちくちくと刺すような不安が背中から離れない。
 この多忙な戦場で、自分は本当に——

(ソニアを守りきれるのか……!?)

 六体目をイドラが刺し殺し、七体目をカナヒトが斬り伏せる。
 自身も肩で息をしながら、イドラは戦闘と戦闘のかすかな合間に、ソニアの様子を確認する。

「ぁ……大丈夫、です。まだ、やれますっ」

 膝に手をついて必死に息を整えていたソニアは、イドラの視線に気づくと顔を上げ、無理やりにだとすぐにでもわかる笑顔を作った。

「……ああ。ハードだが、がんばろう」

 ソニアの無理に気づかないふりをして、そう返す。
 敵の波が止み、一行は周囲のチームとともに前進。さらに北部を目指す。
 北部は二十七年前にも襲撃され、その折にもヒトは支配地域を失った。しかし今回の作戦はあくまで二か月前の襲撃の分のみを取り戻すためのもので、その旧ミンクツとの境界に建てられた防壁が目的地だった。
 その破られた防壁まであとどれくらいかとカナヒトに訊くと、既に半分は越えた、と返事を寄こす。
 まだ半分か、とイドラは思った。
——せめて、あの空間を斬る能力があれば、戦闘も少しは楽になるのに。
 つい、そんなないものねだりを思ってしまうのも、仕方のないことだろう。
 空間斬裂。レツェリとの戦闘で自らのギフトに見出し、あの悪魔の眼球への突破口ともなった能力。
 あの力は、青から赤——マイナスナイフからコンペンセイターへの順化の際、完全に失われた。
 せっかく練習して、空間の膨張による瞬間移動を使いこなせるようになったのに、だ。それを思うと少々やるせない。

(代わりに、今の僕にあるのは……)

 手の内の、赤い短剣に視線を下とす。
 補整器コンペンセイター。あらゆる欠損を補整する、奇跡を起こす短剣。
 ただし、奇跡には手痛い代償を伴う。
 対価を求める魔の刀身は、イドラが身を捧げるのを今か今かと待ちわびるように、赤々あかあかとした輝きを静かに湛えていた。

『全隊に告ぐ。前方にアンゴルモアの群れを確認しました、数は最低でも五十』

 それからも時折アンゴルモアとの戦闘をこなしながら進む。昼に差し掛かったころ、耳元のコミュニケーターが作戦指令室からの通信を受け取る。
 ウラシマの声ではない。チームの数が多いため、オペレーターも何人かいるのだ。
 防壁に近づいたからか、以前は周囲に点在していた家屋やその廃屋は見当たらず、いつの間にか道はひどく荒れ、地形も住むには適さない起伏の多いものになっている。

『旧ミンクツ北部とを隔てる防壁まで残り約一キロメートル、おそらく大規模な群れはこれで最後です。どうかご武運を!』
「山場、だな。お前ら、集中切らすなよ」

 緊張に声を硬くする女性オペレーターの激励と被せて、カナヒトが言いながら目を細める。
 目線の向こう、荒野の先で確かに、無数の黒い影が蠢いていた。

「……五十? あれ、七十か八十はいない? あんな数見たことないよ……ほんとにあれと戦うの?」
「最低で五十、という話だったろう。レーダーの精度も完璧じゃない。方舟からまだ近いだけ、これでもマシのはずだよ」
「うー……ニジフクがいたら灯也に任せるからね?」
「ああ。なら、僕もその時は芹香に背中を任せるとしよう」

 ん、とセリカは力強く、トウヤの目を見てうなずく。
 言葉少なでも、二人の間には信頼の糸が渡されていた。そしてきっと、同じものがイドラとソニアの間にもある。
 こちらも他の隊がいるとはいえ、それでも相手の数は多すぎた。
 記録にないほどの、異常とも呼べるアンゴルモアの大群。それはどこか、大地震の前触れにイルカやクジラが海岸に打ち上げられるかのような、言い知れない不吉さがあった。
 しかしやるしかないのだ。もとより、多くのアンゴルモアがたむろっていることを前提とした、大規模な編成での作戦なのだから。
 すべての分隊チームが、荒野の先へ突貫する。
 黒の戦線に身を投げる。

「よくて、八割ってとこか」
「え?」

 その刹那——風に消えるようなカナヒトのつぶやきに、イドラは彼を振り向く。
 カナヒトはどこか悲観的な眼差しで、それでも前を見据えていた。

 *

 そこからは、休む間もない戦闘の連続だった。
 ただひたすらに敵の攻撃をかわし、コンペンセイターを振るう。
 被弾はなにより避けなければならなかった。マイナスナイフがあった頃と違い、今は回復手段がない。
 正確には、コンペンセイターで傷口を『補整』することはできるのだろうが、代償が必要になる時点で選択肢には入れられない。ウラシマとの約束もある。
 殺したアンゴルモアの数は、既に両手の指を超えた。
 激しい戦闘のさなか、味方と連携し、敵の致命的な一撃を避け、ナイフを振るうのは、まるで神経をやすりで削りながら踊る舞踏だった。
 耳元のコミュニケーターから届くオペレーターの声と、戦いながらも俯瞰的に戦況を把握するカナヒトの指示がなければ、混戦の中イドラは簡単に味方とはぐれてしまっただろう。

「——正面の二体は俺が引き受ける! イドラとソニアは右、セリカは左! トウヤはセリカを援護しながら周囲を警戒!」

 四方から襲いかかる四足の怪物に対し、カナヒトは即座に対処する。
 イドラは舌を巻く思いだ。こうした、チームを率いてきた経験から成る高いリーダーシップは、とてもイドラには真似できない。
 一時的に陣形を崩し、イドラとソニアで一体のアンゴルモアに専念する。

「ふっ!」
「やぁ——!」

 二人なら、連携は一糸の乱れも生じない。
 イドラは自然と陽動の役目を買い、アンゴルモアを浅く斬りつける。そうして赤い眼の注意がイドラに向いたところで、ソニアが完璧なタイミングの一撃を見舞い、それによって生じたわずかな隙へ、イドラもコンペンセイターを順手に持ち替えた本命の刺突を繰り出す。
 言葉を交わす必要もない阿吽の呼吸に、アンゴルモアは成すすべなく消滅する。

「——伝熱ヒーティング!!」

 一方でカナヒトもまた、自身が引き受けた二体目のアンゴルモアを、白くまばゆい刀で両断していた。
 大局的な戦場への理解力のみならず、個人としての戦闘力もカナヒトは頭抜けている。それはもちろん傑作コピーギフトである12号・灼熱月輪に依るところもあったが、なにより使い手の技量が優れていることは言うまでもない。
 カナヒトやウラシマ——戦闘班のチームリーダーともなれば、死線をいくつも越えてきた者だ。

「あ……しまった、浅いっ! ごめん!」
徹甲ピアッシング——くっ、外した……!」

 セリカとトウヤの担う一体も、血が流れ出ないことからわかりづらいが、ほぼ瀕死の様相ではあった。
 しかしセリカの振るう双剣、61号・紅比翼の斬撃は終末の死者を殺しきるにはやや浅く、とどめを刺すべく放たれたトウヤの矢も、アンゴルモアの素早い動きに避けられてしまう。無血の怪物はイモータルと同じく、負傷して動きが鈍るようなものでもなかった。

「ああっ、あいつ逃げようとしてる! 絶対あとちょっとなのに……逃がすかっ!」
「——逃走? 待てッ、芹香! 戻れ!」

 負傷したハウンドは、不利を悟ったように尻尾を巻いて逃げ出した。
 行かすまいとそれを追うセリカ。それを焦って呼び止めるのはカナヒトだ。しかし戦闘続きだというのに健脚のセリカの背は遠のいていき、周囲の戦闘の音にかき消されてカナヒトの声は届かない。

「芹香のやつ——焦ると視野が狭くなるの直せって、いつも言ってんのに……!」

 カナヒトの焦燥にイドラは小首をかしげる。

「カナヒト? 確かに、陣形は少し崩れることになるが、そう焦るようなことでも」
「違う、そうじゃねえ。アンゴルモアは逃走なんかしねえんだよ、普通は!」
「え——」

 声を出したのはソニアで、しかし驚愕はイドラも同じだった。
 気が付いたのだ。カナヒトの言わんとすることに。

「本来、アンゴルモアにそんな知能はねえ。あいつらの頭ン中にあるのは、人を殺すってことだけだ」

 それが、逃げ出すような素振りを見せたということは。
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