不死殺しのイドラ

彗星無視

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第2部2章 堕落戦線

第119話 『道示す星明かり 1/2』

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 床に壁に天井、すべてが鋼鉄版に覆われた、異質な広い部屋にソニアはいた。
 壁の高所にくりぬかれた穴に、強化ガラスで保護された電灯がいくつも並べられ、閉塞感に反し暗くはない。また、壁にはひとつだけ、戦火に晒されることでも想定しているかのような、分厚い鉄扉があった。
 そんな部屋の中心で、ソニアはワダツミを手に、踊るように立ち回る。
 ダンスの相手はアンゴルモア、ハウンドの中型だ。頸動脈を食い破ろうと飛びかかってくるのを避け、逆にワダツミの白刃を叩きこむ。
 すると、ハウンドの姿は霧のようにかき消えた。
 だが反対方向から——なにもなかったはずの空間から、同じ形をしたもう一匹のハウンドが現れる。ソニアはワダツミを振り抜いたままの姿勢から、急いで得物を引き戻し、重心を移して横薙ぎの一刀を振るおうとする。

(遅い……!)

 関節がきしむような感覚。無理な動きに肉体がついていかず——ソニアの手足は、彼女の想像からワンテンポ遅れて駆動した。
 結果、渾身の斬撃は間に合わず、先にハウンドの鋭い爪がソニアの胸を貫く。

「うぅ……」

 黒い爪は、本当にソニアの体を貫通していた。
 が、痛みはない。血も出ない。服も破けない。汗ばんだソニアの肉体に一切の損傷はない。
 疲労と悔しさとやるせなさを圧縮したような大きなため息をひとつついて、ソニアは刀を下ろした。
 すると、臨戦態勢を解いたことを壁面に埋め込まれたセンサーが感知し、空間に投射されたアンゴルモアの幻影ホログラムが雲散する。
 そこは方舟の訓練室。一階にある、アンゴルモアのホログラムと模擬戦闘を行うなど、多目的に使用される部屋だ。
 壁や床が物々しいまでに頑丈な造りなのは、コピーギフトの威力に耐えられるようにするためだった。それでも顔を近づけてみれば、無数の傷やへこみが見て取れ、それらはそのままこの部屋の歴史を物語っている。
 もっとも正確にはここは五つあるうちの、第二訓練室だったが。朝早くからワダツミを抱えて訓練室にいそいそ通うソニアだったが、第一は誰かが使用中だったのだ。

「……もっと、もっとがんばらないと。そうしないと……」

 既に時刻は昼前といったところ。何時間も動き詰めで、ソニアの体力はとっくに底をついている。
 それでも、ソニアはぴくぴくと痙攣する細腕に力を込め、もう一度、ワダツミを構え直す。
 脳裏をよぎるのは、先日のこと。
 北部地域奪還作戦。チーム『片月』の一員として、戦場に身を投じ——
 アンゴルモアに膂力で上回れず、連戦で体は鉛のように重くなり、挙句の果てには片腕をクイーンのアンゴルモアに切断された。今、ソニアの腕がつながっているのは、イドラが身を削る補整器コンペンセイターのギフトを使用したおかげだ。
 情けなさに、ソニアは身が張り裂けそうだった。
 代償で昏睡したことがあるほど、コストの重いギフトの使用をイドラに強いてしまった。極めつけには、自分が不甲斐ないせいでトウヤは帰らぬ人となった。

「……イドラさんのそばに、いられなくなる」

 最大の恐怖とは——
 あるいは自身の死以上に、イドラの役に立てなくなることをこそ、ソニアは恐れた。
 不死憑きとして狭い岩室に閉じ込められてきた自分を連れ出し、苛まれる夜ごとの発作からも救ってくれた。そんなイドラの役に立ちたい。
 露を払う剣、苦難を防ぐ盾でありたい。それが今のソニアの願いだ。
 だが人生はままならないもので、身を侵す不死の力から解放されたソニアは、それゆえに願いを叶える手段を欠きつつあった。
 毎夜の発作は消え、味覚もほとんど戻った。その代わりに体力は減り、人並外れた怪力は徐々に平凡な少女の膂力に戻りつつある。
 当然と言えば当然だ。イモータルに近づくことで得る力は、イモータルに近づく痛苦なくして成立しない。この世で代償を伴わずに得られるのは、じつのない嘘くらいのものだ。

「はぁ——!」

 ホログラムのアンゴルモアに、ソニアは再びワダツミを振りかざす。
 悔しさと焦燥が、限界を迎えた体を無理やりに動かす。
 強くならなくては。強くならなくては!
 一心不乱に刀を振り回す。二度とイドラの重荷になるまいと。二度と誰かを失うまいと。
 けれど、意志の硬さはあくまで精神にのみ作用するもので、物理的な肉体の強度までは高めてはくれない。ソニアの気勢に反し、体の動きは精彩を欠いていく。
 それが自分でもわかってしまうのが、たまらなくソニアは口惜しかった。
 以前の自分であれば——
『不死憑き』だった頃の自分であれば、もっと速く動けた。スクレイピーの時も、ヴェートラルの時も——聖堂でレツェリと相対した時も。
 力、あの頃のような力。心の底から渇望する。
 あのクイーンのアンゴルモアも一瞬にして叩き伏せるような——それこそあの男レツェリがその眼窩に収める眼のような、強力無比な力!

「お、やってるね」
「わひゃあっ!?」

 背後の鉄扉が突然に開き、何者かが中に入ってくる。
 ロックを忘れていた。まだこうした電子的な仕組みには慣れない。

「ウ、ウラシマさん……!? どうしてここに——」
「うん、少しソニアちゃんと話したいことが……あ、ソニアちゃん、前」
「——えっ? 前、って……あっ」

 入ってきたのは車椅子姿の女性、ウラシマだった。入口には歩きだと気づかない程度の段差があり、がたんと揺れながら近づいてくる。
 突然の入室者に慌てふためいていると、ホログラムのアンゴルモアはプログラムに従ってその爪をソニアの顔に突き刺す。

「ううー……」

 痛みはないが、実態を伴わない3D映像とはいえ、顔を刺されるのは中々に気分が悪い。
 集中は完全にどこかへ行ってしまった。途端に誤魔化せない疲労が押し寄せ、ソニアはだらんと腕を垂らす。するとまたもやセンサーが戦闘終了を感知し、ホログラムを消し去る。

「その様子じゃあ、朝からやってたみたいだね。ずいぶん精が出るじゃないか」
「えと……ありがとうございます」

 ぺこりとお辞儀する。
 一体なんの用だろうかと、ソニアは内心で疑問を抱いた。今は正直、あまり人に見られたい状態ではない。

「でも、わたしも早起きしたんですけど、隣の部屋はもう使用中でした」
「ああ、どうせ奏人かなひと君だろう。もうお昼だからか、ワタシが来た時には空いてたみたいだけど」
「え?」

 ウラシマの妙に確信を持った言い方が、なんだか気にかかる。
 小首を傾げる姿に、ウラシマはぷっと小さく吹きだす。

「キミたちは本当にわかりやすいね、反応が」
「は、はぁ……たち?」
「いや、こっちの話さ。それで奏人君だけど、あれは昔から訓練バカ——失礼、訓練ジャンキーだからね。……それに、仲間を亡くした時は、特に打ち込むんだよ」

 トウヤとはソニアも同じ『片月』の仲間ではあるが、過ごしてきた時間はカナヒトに比べればごく短い。
 ソニアも、トウヤの死は悲しい。物静かな方ではあったが、出会った当初からイドラやソニアになにかと気をかけてくれていた。そんな彼が亡くなったことを思うと、心がきゅうと痛む。
 同時に、戦場での死があまりに呆気なく人の頭上に降りかかることを知り、恐ろしくも思う。ソニア自身、片腕ではなく首を刎ねられていた可能性は十分あった。そうなれば即死、イドラの『補整』も届きはしないだろう。
 だがカナヒトは、そんなソニアよりも何倍も、離別の苦しみ、戦場の恐怖を知悉ちしつしているはずだ。それでもなお、刀を手に戦おうと奮起する。
 その想いの源泉はどこからくるのか。
 迷いなき意志は、なにによってもたらされているのか?
 なんであれ、力を欲するソニアは、ふとそれが気になった。

「推測、と言うほどのものでもないが。ソニアちゃんも、力不足が悔しくてここに足を運んだんじゃないのかな?」

 そしてまさにそんなことを考えていただけに、ウラシマの的を射た指摘に驚く。

「は……はい。ウラシマさんの言う通りです」

 まさしく力不足だった。アンゴルモアに膂力で圧され、なすすべなく腕を斬り落とされた。
 何度目になるかわからない後悔に、ソニアは自然とワダツミの柄を強くにぎり込む。

「悔しくて……。イドラさんのことも、トウヤさんのことも、わたし、悔しくて。わたしが弱いばかりに、足を引っ張ってしまって」

 一度口を開けば、弱音は止まってくれなかった。

「不死憑きになって、もとの体に戻りたいって何度願ったかわかりません。イドラさんは、そんなわたしを助けてくれました。イドラさんがいたから、生きてていいんだって思えるようになれたんです——」

 目じりに涙が浮かぶ。胸に湧く感情は、自身への失望や悲しさ、悔しさ。
 そしてイドラへの申し訳なさだ。なぜなら、今やソニアは——

「——なのに、わたしは……! 今、不死憑きと蔑まれようと、化け物と罵られようと、あの頃の力が欲しくて仕方がない……!」

——もう一度、不死憑きになりたいとさえ思っていた。
 イドラのために。イドラに救われる前の、岩室に閉じ込められて人間扱いされていなかった頃の自分に戻りたいとまで、心の奥底では願っていたのだから。
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