不死殺しのイドラ

彗星無視

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第2部2章 堕落戦線

第129話 『片割れ月と鏑矢』

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 暗雲わだかまる夜空に明かりが灯る。
 空で燃え、ゆっくりと尾を引きながら落下する光の球。その不思議な光景を見ながら、イドラは出撃前の適度な緊張感に浸る。

(地底世界にいた時は、時折、空を見上げてると誰かの天恵が降ってくるのが目視できたが……なんだかあれを思い出すな。だけど、こっちはすごく明るい。大した技術だ)

 イドラの世界では、すべての人間は十歳になると天より天恵ギフトを賜る。その人間にしか扱えない、唯一無二の祝福だ。しかしここは現実で、生まれ出る者に与えられる加護などなにもない。
 夜の闇を払うような空の光球は、雲に隠れた星の類ではなく、臨時司令部のそばで車両から発射された照明弾だった。
 夜目の利くアンゴルモアどもと違い、明かりなしでは闇を見通せぬ人の子たちが迷わぬよう、夜に放たれた照明。マグネシウムと硝酸ナトリウムの燃焼反応が暗闇を暴く。
 もっとも照明弾の効果は一時的なもので、その持続時間はいいとこ三分程度だ。切れるたび、また新しいものを臨時司令部より発射してもらう段取りだった。 

「夜戦になると思いましたが、これならだいぶ助かりますね」
「最終決戦だ。柳の爺さんも打てる手はすべて打つ気らしい」

 緩やかに落ちていく閃光。横顔を照らされながら、ソニアが言う。すると少し離れたところでカナヒトが返した。

「普段からこのくらい物資を惜しまず使わせてほしいもんじゃなぁ。のお?」

 その隣で腕を組む大男——タカモト。チーム『鳴箭』のリーダーだ。
 タカモトの言葉に、違いない、とカナヒトは皮肉げな笑みを口元に浮かべる。
 先ほど『鳴箭』と合同で動くにあたり、どういった連携をするか話し合った。結果、作戦中は互いに独立しながらも、付かず離れずで援護し合う形に決まった。
 順当な落としどころだ、とイドラは思う。
 先日の北部地域の作戦で、『片月』と『鳴箭』はともにメンバーをひとり失っている。
 現在、『片月』は四人。『鳴箭』は三人だ。ここで、安直に合体して七人のチームとして行動しようとも、有機的な連携は望めまい。二日三日も合同で訓練をする時間が取れるなら別だが、ぶっつけ本番で元来のチームメイトと同じように連携を取るのはまず不可能だ。
 ならば、『片月』と『鳴箭』のチーム単位のままでいながら、合わせるところだけ合わせる。それが現実的な方針だろう。

(『鳴箭』のメンバーとは、北部の時に一度話したくらいだが……)

 話の輪に入らず、定刻を待つ『鳴箭』のふたりをイドラはそれとなく見た。
 年のやや離れた男女。コピーギフトらしい、赤い色の大鎌を手にした少女に、同じくコピーギフトの長槍を地面に刺して体重を預ける細身の男性。
 名をそれぞれ、ミナとタカヤと言うことは、先ほど紹介を受けていた。ふたりとも先日の北部地域での作戦にも参加していたはずだったが、イドラに見覚えがあったのは前者だけだ。

「——なんですかぁ?」
「あ、いや。悪い、なんでもない」

 ミナ。茶に染めた髪の彼女は北部作戦の時、イドラとソニアを見るなりからかってきた。まだ子どもなのに戦えるのか、と。
 おそらく年自体はミナもそう変わらないはずだ。そして直後、タカモトに拳骨をもらって涙目になっていた。しかし今のミナには、あの時のようなある種の侮りを含んだ明朗さ、活発さのようなものが抜け落ちているようだった。
 挨拶のときも言葉少なで、落ち着きがあると言えば聞こえはいいが、その実、過剰に研がれた刃のような危うさをイドラは覚えていた。

「用がないなら変態的な目でじろじろ見ないでください。訴えますよ」
「訴える!? は、方舟にか?」
「いえ、暴力に」
「直接的な報復だ……」

——そもそも誤解だ。
 イドラは苦い顔をする。ミナに誤解されたことだけでなく、なんだか隣のソニアからも妙に圧の籠った視線を向けられたためだ。

「そろそろ定刻ですよぉ。なのに、そっちのチームのひとはまだノンビリしてるみたいですね。もしかして臆病風に吹かれて方舟に帰っちゃったんでしょうか?」
「……セリカのことを言ってるのか? 時間を守れないやつじゃない、もう少し待てば来るはずだ」
「知らないですよ、名前なんて。覚えたって無駄になるかもしれないのに」

 ミナは言い捨てると、それ以上話したくないとばかりに少し先のところまで歩いていってしまった。
 当惑するイドラに、眉を下げながらタカヤが近づいて言う。

「ごめんなぁ、うちのんが感じ悪くって。美菜みなちゃん、北部の作戦以降ずっとああやねん」
「ああ。大丈夫だよ、気にしてない。作戦前に気が立つのは、大なり小なり誰にでも当てはまるはずだ」
「自分めっちゃええやつやなぁ。イドラクン、やったか? そう言ってもらえると助かるわ」

 タカヤは胸を撫で下ろし、あからさまに安堵した。
 気を悪くするようなことではない。だが、どうしてああも他人を拒絶するような態度を取っているのかはイドラも気になった。

「ところで妙な話し方だな。ミンクツにも場所によって方言とかあるのか?」
「え? ああ、ボクのこれはキャラ作りや。気にせんといてや」
「なんじゃそりゃ……」
「はは、アーカイブで昔のお笑い見るの好きでなぁ。ジャンルは違えど、灯也クンとも旧時代の話はよくしたもんや」

 へらへらとした、悪く言えば軽薄な表情にふと影が差し、その目を細める。

「数少ない他所よそのチームの友達やったのに、もう話せんのは……正直、寂しくてしゃあないわ」
「……タカヤ」
大町夢おおまちゆめ、って先輩がおってな。ボクら『鳴箭』じゃ、リーダーにも並ぶくらいの凄腕やった。その人を亡くして、美菜ちゃんは知り合いが死ぬことが怖くなってしもうたみたいや。ほんま、堪忍な」
「そんな話聞かされたら怒るに怒れないよ」
「はは。やっぱ優しいな、イドラクンは」

 あの北部で。トウヤを亡くした直後にも、ミナの姿を見ていたことをイドラは思い出した。どうしてもトウヤの死と関連付いてしまうため、記憶の底から引き揚げるのに苦労した事柄。
 空に天の窓ポータルが現れ、クイーンたちが投下される前。仲間の戦死に、荒野の皆が嘆いていた時だ。
 ミナは、誰かの杖を抱きながら呆然としていた。その姿をイドラは視界に捉えていたのだった。当時はトウヤのことで頭がいっぱいで、意識する余裕はなかったが。
 そしてアンゴルモアと交戦前、『鳴箭』と少し話したとき、杖を持った女性がタカモトと言葉を交わしているところも見た。

(……あれが今トウヤの言った、ユメって人か)

 もういないらしい。
——なるほど。ミナが『覚えても無駄になる』と口にするわけだ。
 隣人だった人間が屍になり、同じ時間を共有することはなくなる。だとすれば、他者と心を通わせることに一体どれだけの意味があるというのだろう?

「じゃが、そんな虚無を覚えるのも今日までじゃ——」

 いつの間にか近くに来ていたタカモトが、その大きな手でイドラとタカヤの肩を叩く。

「——星の意志を殺し、この地上に二度と終末の使者が遣わされんようにする! そうなれば、皆が待ち望む平和な世界じゃあ!」

 そう言って豪快に笑う。あるいは沈みかけた空気を変えるために、わざと大きい声を出し、イドラたちを励ましているのかもしれない。
 いや、きっとそうだ。イドラはうなずいて、「そうなるといいな」と返す。
 アンゴルモアとの長い戦いが終われば。トウヤやユメのような戦死者が出ることもなくなって、ミナが人との関わりに虚しさを感じることもなくなるはず。

「平和だとか黄金期の再来だとか、お前や総裁殿は多少の楽観があると思うがな。歴史上、アンゴルモアがなくたって、人は人同士で殺し合ってたんだろ?」
「なんじゃあ奏人ォ、しらけるようなことを言うのお」
「現実的な話だよ。アンゴルモアがいなくなって、それでいきなり世界が平和になりました——ってのは、そううまくいくもんかね」

 目下の外敵であるアンゴルモアが消えれば、方舟の統治に不満を抱く者も増えるかもしれない。侵略者を退けたのちに内ゲバで崩壊というのも、なんともさもしい末路だが、そうならないためにもその後のことは真剣に考えるべきだろう。
 とはいえそれも、ひとまずこの局面を乗り越えてからの話。

「後ろ向きなやつめ。じゃあなにか、お前はアンゴルモアがいたままでいいと? 共通の敵がいてこそ団結が保たれると言いたいわけかあ?」
「誰がそこまで言った、そうじゃない。俺たちはあいつらを撲滅するためにここまで来た。……まあいい、どうせ今から考えても皮算用だ」
「ま、それはそうじゃのお、気が早いのは確かじゃ。……しっかし奏人ォ、そろそろ出撃の時刻じゃが。お前んところのあの元気のいい娘っ子はまだ来んのか?」
「ああ? 芹香のやつ、まだ戻ってなかったのか?」

 周囲を見渡すカナヒト。釣られてイドラやソニアもきょろきょろする。
 メインストリートのカフェで話していた通り、セリカには新しいコピーギフトが貸与されていた。製造番号シリアルナンバーは73号、長物であることはイドラも聞いている。
 しかし最近はアンゴルモアの出現数が減っていたこともあって、セリカにとって新しい武器の初実戦が今日という大切な日だった。そのため出撃前に、念入りに使用感を確かめると言い残していた——のだが。
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