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第一章 黎明を喚ぶもの

第二十三話 『盲目なる正義』

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「あァ、笑った笑った。ハハ、キメラに来てこんなに笑ったのは初めてかもなァ。いやアレン、お前が悪いんだぜ?」
「なにが……なにがおかしいッ!」
「オレとしたことが見込み違いだったみたいだなァ、残念だよ。オレが欲しかったのは『鷹の眼』のアレンだ。くだらない偽善に浸かった、中途半端のプレイヤーキラーキラーじゃねえ」
「中途半端だと……!?」
「なんか幼女にもなってるしな」

 鋭い眼光が侮蔑をも帯びる。それはアレンを敵とみなした意思表示でもあり、ほかでもない決別の証でもあった。
 マグナはそもそもの話、現実世界への帰還を望んではいないのだ。
 そして、現実世界に煩わしさを覚える者、すねに傷のある者は一定数存在する。マグナはそうした者たちを集め、このキメラを牛耳るべくギルド<エカルラート>を立ち上げた。
 今のマグナにとって、このキメラは理想郷だった。

「この世界に法はない。強いて言えば力だけがルールだ。そして、オレたちFPSのトッププレイヤーには最上の力が備わっている。ここはオレたちにとってのユートピアだ!」
「なにがユートピアだ! 同じ人同士が殺し合う場所が、そんなもののはずがないだろうが……!」
「そいつァ意見の相違ってヤツだな。<エカルラート>に与さない以上、アレン。テメェの存在は野放しにするには危うすぎる」
「やる気か……!?」
「アレンさんっ、そんな……まださっきの疲れも取れてないのに」

 一触即発の緊張感が地下室に満ちる。マグナは既にアレンのことを、ともに<Determiデタミネnationーション>に所属した戦友ではなく、キメラを支配する上で障害になりかねない外敵として見なしていた。
 叩きつけられる目に見えぬ殺意に、アレンはキングスレイヤーのグリップを握る手に力を込める。
 対するマグナの手には、未だなにもない。
 ボーナスウェポンを取り出した瞬間、間違いなくそれが開戦の合図になる。緊張がアレンのこめかみに粒のような汗を浮かばせる。
 しかしマグナは自身が現れ出た壁の、オレンジの渦の方に振り向いた。

「ほかの有象無象はどうでもいいが……流石にこの閉所で本気のテメェを倒すのは骨が折れそうだ」
「待て! 逃げるのか……!?」
「オレも先々の準備で忙しくてね。なぁに、焦らずともすぐに機はやってくる。<エカルラート>がキメラを支配するための、巨大な機会がな」

 マグナは壁の渦へ歩こうとし、「そうだ」となにかを思い出して足を止めた。

「アレン、お前のプレイ動画を恣意的に抜粋してSNSにリークしたのはオレだ」
「…………は?」
「ハハッなんだその間抜けヅラは。スクリム中の観戦画面からの切り取りだったから、たぶんチームメイトだろうとは思ってたんだろ? 元とはいえチームメイトに疑いを持つのは嫌で考えることを避けてたか?」
「——」
「図星か。ハッ、そういうところがおかしくて笑ったんだよ。テメェは甘ったれたガキのままだ」

 アレンの凋落の原因——
 プレイ画面をあたかもチートを使っているかのように切り抜き、加工したものが広がった。その犯人が、目の前の男だと?
 伝えるべきことは伝えたと、今度こそ壁の渦へ向かうマグナ。
 アレンは怒り、驚愕、動揺、すべてがいっしょくたになり、頭が真っ白になる感覚に襲われながらも、なんとかその背を呼び止めるべく乾いた舌を動かした。

「ま……待て! マグナさん——マグナ! あれはあんたがやったのか!? 俺が、チームをクビになったのも……プロを辞めるハメになったのも! 全部!! あんたが!!」
「あァ、追って来ようとしても無駄だぞ。このポータルはすぐに破棄する。閉じちまうだろうよ」
「説明しろ! なんでだよ……みんなで昨年の雪辱を晴らそうって言ってたじゃないか! 大会前だったんだぞ!? それをどうして、全部台無しにするような真似をした!」
「心配せずとも、すぐにまた会えるだろうよ。オレが……<エカルラート>が単なるPKギルドの枠を超えて君臨する、その記念すべき日になァ! ハハッ、ハァアハハハハハ!!」
「答えろ!! 待てッ、マグナァ————!」

 アレンの叫びに応えず、マグナは哄笑のみを残し、現れたときと同じくオレンジ色の渦——ポータルの中へと消えていった。
 そしてすぐ、壁面に浮かぶその不自然な渦も消失する。
 壁にはなんの痕跡もない。突如として静まり返った地下は、まるでなにも起きなかったかのようだ。

「にいさん……ぅ、にい……さん」

 そんな中、すすり泣く声だけがか細く響いた。
 フラクチャだ。彼女の耳にはおそらく、マグナとアレンのやり取りも入っていまい。
 彼女の脳裏を埋め尽くすのは、親愛する兄の死のみ。
 そんなフラクチャの肩を……どうすればいいかわからない、と自身もとめどない困惑を顔に出しながらも、気遣うようにノマがそっと抱いていた。

「……っ」

 ゲームオーバーになった転移者プレイヤーが戻ることはない。
 なんと声をかけるればよいか、アレンもミカンもわかりかねた。
 そうしているうちに、ノマはそっと、静かに泣きじゃくるフラクチャを支えつつ、階段の方へ向かい始める。

「ノマさん……?」
「……とにかく宿に戻る。リーダーがいなくなって、ギルドも消えて……これから先のことも、考えなきゃだし」
「それなら、わたしも——」
「ううん」

 肩越しに振り向くノマの瞳には、深い絶望に濡れた、確かな拒絶が表れていた。

「これはアタシら、<アーミン>の問題だから」

 去っていく二人。その足取りは重く——前途は暗い。
 ギルドマスターがゲームオーバーになれば、そのギルドは解散になる。
 ただし、ギルドフラッグを強奪されたときの解散とはまた違い、団員のSPの半分が誰かのものになるといったことはない。
 それでも<アーミン>はシステム上は消失した。ジークがいない今、ノマとフラクチャの二人だけが、今はなきそのギルドのメンバーだ。
 アレンやミカンが入る余地などない。ジークと話していた展望は、彼の死に合わせ、無残に砕け散った。
 そのことを、去りゆく二つの背中を見つめながら、アレンは胃に鉛を詰め込まれたような気分で実感したのだった。



 翌日、アレンたちは<和平の会>のギルドハウスへ足を運んだ。
 大規模ギルドだけあり、ギルドハウスも街路に並ぶどんな建物よりも大きい西洋建築。張り出したバルコニーが特徴的なその城めいた建物の、古いギリシャ神殿を思わせる意匠の柱が立ち並ぶ広々としたエントランスを抜けた、一階のある一室にアレンたちは案内された。
 そしてやって来たレーヴンに、先日の顛末を説明する。

「なるほど。<エカルラート>ギルドマスターのマグナ……ユニークスキルはポータルなるものを設置し、遠距離間を移動する能力と見るべきか。距離や発動になんらかの制約はありそうだが……」

 結果として罠に嵌められたものの、<アーミン>自体は消えてなくなった。報酬であるSP自体はレーヴンから譲渡される。
 レーヴンは一連のやり取りを終えると、ソファに軽く身を預け、細い顎に手をやって考え込む。アンティーク調のローテーブルを挟み、向かいのソファに座するアレンとミカンは、その間重い沈黙のみを甘受した。
 チッ、チッ、と、壁の向こうから小さく柱時計の音がする。
 キメラにおいて時計などは無用の長物と言っていい。なぜならすべての転移者プレイヤーはユーティリティ機能によってデジタル表示された時刻をウィンドウ表示させることが可能で、その利便性に比べればわざわざ物としての時計、それも古風な柱時計を用意するなど、なにをか言わんや、だ。
 
 だから時計の音がするのは、このギルドハウスににじむ余裕の表れだな、とアレンはぼんやり思った。
 時計に限った話ではない。今まさに腰を沈める柔らかなソファやテーブルといった調度品、通ってきたエントランスの声を一つこぼせばよく響くであろう豪壮さ。
 そういった随所に、<和平の会>の規模の大きさが表れている。
 贅沢をする余裕。不必要な部分にSPを割くだけの余力が、このギルドにはあるのだ。

(……そのSPがないせいで、苦しむ人々もたくさんいるのに)

 自然と<アーミン>の三人の顔が頭に浮かび、奥歯を噛みしめる。
 ジークが死んだ時のことが脳裏に焼き付いて離れない。
 ミカンもきっと同様だ。アレンたちがこうして口数少なく、傍目からわかるほど意気消沈のていでいるのは、昨日の一件が尾を引いているからだった。
 あの後、ノマとフラクチャがどこへ向かったのか、アレンたちは知らない。知る方法がない。

 もしもアレンが、カズラから届いた依頼を断っていれば——
 あのギルドハウスに足を運ばなければ——
 ジークが消えてしまうことも、<アーミン>がバラバラになってしまうこともなかったのではないか。
 アレンが余計なことをしなければ。ジークは無事で、ミカンも<アーミン>に再び受け入れられ、なにもかもが円満に収まる道があったのではないか。
 そんな考えばかりが、一日中、アレンの頭の中を渦巻いていた。
 中途半端のプレイヤーキラーキラー——そうアレンを嘲笑する、宿敵と化したかつての戦友の声とともに。

「そう、気落ちすることはない。説得できた<アーミン>のリーダーが命を落としたのは悔やむべきことだが、その他ニ名の命は無事なんだろう? アレンにミカン、君たちは突然の依頼を立派にこなしてくれたと、私は称えたい」
「……レーヴン」

 通夜じみた雰囲気を感じてか、レーヴンは思索を止め、アレンたちの目を見て言う。
 レーヴンの黒い瞳には、嘘偽りない誠実さがあった。

「でも……結果的に、ジークは俺のせいで死んだようなものだ。それに生きているとはいえ、ノマとフラクチャも……。俺は<アーミン>を無茶苦茶にしてしまった……!」

 その純粋な労りが届かないほど、アレンの心も閉ざされてはいない。
 胸の痛みを吐き出すように、かすかな嗚咽混じりの言葉が漏れる。みっともなく涙を流すことだけは彼の矜持が許さず、その丸い瞳を潤ませる程度になんとか留めていたが。
 弱みを晒すアレンの姿を、ミカンもまた、慰めるような視線で見た。

「デタミネーション、だったかな。<エカルラート>のギルドマスターがアレンと同じプロチームのFPSプレイヤーだったというのには驚かされたが、それなら<エカルラート>の勃興にも合点がいく」

 アレンがPKプレイヤーキラーKキラーとして、容赦のないPKプレイヤーキラーたちを返り討ちにしてこれたのは、言うまでもなくその実力によるものだ。
 プロゲーマーとして培ってきた、圧倒的なまでのプレイヤースキル。
 それとタイプこそ違うものの、遜色ないものをマグナも有している。力ある者がギルドマスターとして人を集めるのは自然なことだ。

「マグナさんも……以前はあんな人じゃなかったはずなんだ。みんなを陰から支えてくれる、頼りがいのある……」
「そうか。以前のマグナの人格については、私には知る由もないが——アレン、君は胸を張るべきだ。無力感を覚える必要なんてない。なぜなら」

 一呼吸置いて、彼は、あくまで誠実な眼差しを崩さぬまま。

「君は、正義を果たしたのだから」

 誠実さのほかになんの感情も窺わせない黒ので、そう告げた。
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