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第一章 黎明を喚ぶもの

第三十六話 『侵攻する威容』

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「ああ……そうだな。誰かがクリアしてくれるのを待つなんて、俺らしくないよな」

 返答は震え、視界はなぜか淡くにじんだ。
 目を擦ると、眼前の男の姿は水面の泡のように消えていた。
 届いただろうか? アレンの答えは。
 この悪辣な箱庭は、転移者プレイヤー同士が争い合うように出来ている。ただ生活を維持していくことさえ、すべての人間が行うのは困難を極める。
 こんなデスゲームは一刻も早く終わらなければならない。

「でもやっぱり、思っちまうよ。マグナさんがいてくれれば……仲間になってくれたなら、どれだけ心強かったかって」

 涙は止まってくれなかった。
——なんて自分勝手な人なんだ。
 思えばマグナはチームの頃から勝手だった。年上のくせに時間もろくに守らず、練習には遅刻するし、冷蔵庫に入れておいたプリンは無断で食べるし、ゲーム中にVCボイスチャットでの報告を怠る悪癖もあった。
 だが、マグナの正確無比な狙撃によって何度も窮地を救われた。プレイ面でもプライベート面でも、何度か相談にも乗ってもらった。
 頼りになる仲間だった。少なくとも、チームがあった頃は。

——レベルが19になりました。
——レベルが20になりました。

 無機質なアナウンスが耳に響く。
 マグナのレベルはよほど高かったのか、18から一気に飛び級で20。視界の端では彼が溜め込んだ、一般の転移者プレイヤーからすれば膨大とも呼べるSPが加算される。
 そのレベルとSPの変動が、かつて仲間だった男の死を否応なしに意識させ、アレンの目はまた強く潤んだ。
 涙は国内大会の優勝までとっておくつもりだったのに。
 アレンはなんとなく、現実の、男の体だった頃よりも泣くのを我慢できなくなった気がした。性別が変わったことによる影響で涙もろくなったのかもしれない。

「……?」

 無人になった廊下で、ぽろぽろと涙を流す。
 そんな中、にじむ視界の中に、赤いものが床に落ちていることに気が付き、アレンはもう一度目をこすって涙を拭う。
 そこはちょうどマグナが倒れていた位置。
 新たな主を求めるように、赤い狙撃銃がその身を横たえていた。

「これ……は」

 ゲームオーバーになった転移者プレイヤーは本来、その場になにも残さない。手に持っていた物も、インベントリの中身もすべて消えてしまう。
 だからこれは、マグナが意図して手放しておいたのだと思った。
 過酷な道を行こうとするアレンへの、せめてもの餞別として。

 肉体やその意志が、ゲームオーバーの闇へ呑まれ、消えてしまったのだとしても。確かに一つ、ここに遺されたものがある。
 アレンは手を伸ばし、その深紅の銃床にそっと触れた。



 いつまでもくよくよはしていられない。マグナとの戦いを終え、アレンはすぐに、階下で<エカルラート>のメンバーを抑えてくれていたミカンの援護に向かわねばならなかった。
 マグナの形見とも言えるその銃をインベントリにしまい、廊下を戻る。
 涙はもう止まっていた。

「ミカン!」

 エントランスの二階から、ホールのどこかにいるであろう姿を探す。
 目的の彼女は、すぐに見つかった。

「あっ、アレンさん! よかった……! 無事だったんですねっ」
「……。なにしてんだ?」

 手すりから身を乗り出すと、ほぼ真下の壁際で、ミカンはボーナスウェポンの盾を構えていた。さらにユニークスキルである『イージスプロトコル』の障壁を展開している。
 部屋の壁に向かって、半球状の大きなバリアを張っているのだ。
 もし一人にしたミカンの身になにかあれば、という危惧から急いで戻ってきたアレンだったが、謎の光景に思わず疑問符が頭に浮かぶ。
 だが、角度の関係でアレンからはよく見えないのだが、なにかイージスプロトコルのバリアと壁の間から、うめき声のようなものがいくつか聞こえてきた。

「た、助けてくれーッ」
「つぶされる……つぶされる~」
「ぐえっ、あ、脚が……おいっ、押すな! 痛いんだよさっきからっ」
「仕方ないだろ!? どうにもできねえよ、それにこっちだって——うぐぐ」

 どうやらそれは、<エカルラート>の構成員たちが挟まれているらしかった。
 エントランスホールの壁と、ミカンのバリアの間に。さながらサンドイッチみたく。

「どうですかアレンさんっ、わたし閃いたんです! こうすれば誰も傷つけず無力化できるって……! わ、わたし天才じゃないですか!?」
「ムチャクチャやってんなお前……」
「以前のモンスターにも怯えて縮こまってたわたしじゃできませんでした。これも全部、前に出る勇気のきっかけを与えてくれたアレンさんのおかげです! ありがとうございます、アレンさんっ!」
「ああそう……それはよかった。……ちょっと前に出過ぎな気はするけど……」

——キメラじゃなかったら、精肉加工のプレス機でぺちゃんこにされたお肉みたいになってるんじゃないか。
 押しつぶされてぎゅうぎゅうにされた彼らを哀れみ、満面の笑顔を浮かべるミカンにアレンは引きつった笑みしか返せなかった。
 ともかく心配は無用だったらしい。アレンは落ち着いて階段を下り、ミカンのそばへ近づく。改めて再会を喜び合うと、『イージスプロトコル』で拘束されたかわいそうな彼らを開放する。

「お前……っ」
「待て。マグナさんはもういない。<エカルラート>もな」

 自由になった彼らは疲弊の色を覗かせながらも、アレンたちに警戒する様子を見せた。そんな元<エカルラート>の者たちに、アレンは戦いは終わったのだと諭す。

「指示を出した人間がいないんだ。もう争う意味もない」
「え? マ、マグナ様が……!?」
「そんなはずがない、あの人が負けるもんか! あんなに強いのに——」
「おいっ、でも所属ギルドの表示が……それに通話機能の項目もグレーアウトしてるぞ!?」
「本当だ、これは……ギルドが——<エカルラート>がなくなってる!」

 しばらく混乱して言い合いになりかけるも、マグナの死は誰の目にも明らかだ。
 システムは嘘をつかない。そのため、彼らも次第に<エカルラート>が終わったことを受け入れざるを得なかった。
 もはや抗争の気力もなく、抜け殻のようになってしまった彼らは、<和平の会>のギルドハウスを散り散りに出ていく。居場所を失った元<エカルラート>のメンバーたちがこれからどうするかは、アレンにとっても気がかりではあったが、この先のことは彼ら自身で決めていくしかない。

「しかしまさか、一人で敵を制圧してるとは。本当に成長したな、ミカン。……やり方はアレだが」
「えへへ。アレンさんこそ平気ですか?」
「なんとかな……あ、そうだ。指輪、ありがとな。なんか、壊れちゃったみたいなんだけど……」
「あ……効力を発揮したんですね。気にしないでください。それより、わたしが平気かって聞いたのは体のことじゃなくて、むしろ心の方です。チームメイト、だったんですよね……?」

 キメラに外傷などないのだから、そもそも姿が見えた時点で体の心配をする意味はない。
 それよりも、かつての仲間をゲームオーバーの死へ追いやったことを気遣うミカンの優しさに、遅れてアレンは思い至った。

「まあ、な。でも……大丈夫だよ。むしろ、マグナさんの暴走を止めたのが俺でよかった。折り合いがついた、っていうか」
「そう、ですか。確かに、なんだか前向きな顔してます。ふふ、アレンさんもちょっぴり、出会った頃と比べると変わった気がしますよ」

 初めて会った時なんて本名でアルケーに登録したわたしで大笑いするし、態度もどこか素っ気なかったです、とミカン。

(……誰のせいだと)

 仲間なんて要らない。もう作らない。
 そう心を閉ざしていたアレンを変えたのはミカンだ。

「ふぁ……流石に今日は疲れた。窓の外も、もう明るくなる直前って感じじゃないか」
「わ、アレンさんのあくびかわいいです」
「うるさい。早く帰りたい……けど、そういえばイベントの方はどうなったんだ?」
「そ、そういえば。もう終わったんでしょうか? だとすればボスモンスターは誰が倒したんでしょう」
「終わったんなら、始まった時みたいにメッセージが送られてくるんじゃ——」

——パォォォォォォオオオオオオオオオオオオオオッッ!!

「……。なんだ?」
「い、今の……? 気のせい、じゃないですよね?」
「ああ、確かに聞こえた。遠くの方から……象の鳴き声? みたいな」

 金管楽器の音にも似た、ギルドハウスの壁を震わせるような彼方からの声。
 アレンたちは会話を中断し、顔を見合わせる。

「嫌な予感がする。外を確認しよう」
「は、はいっ」

 いそいそと外へ出ると、その威容は朝焼けを背負いながら、東の方角で吠えていた。

「パオオオオオオオオオオォォォォォ!!」
「っ、なんて声だ。ここまで響いてくるぞ」
「あ、あれ……モンスター、ですよね」
転移者プレイヤーに見えるか? きっとあれがボスだ。まだイベントは終わっちゃいなかった……!」

 町の向こう。遠景の山と見紛うほどの巨体。
 昇りつつある陽の光を背に受け、危険にきらめく黒の毛並み。もはやそれだけで建物一つを超える全長の、鋭くもカールした一対の牙。そしてそれに挟まれた、振り回せば嵐さえ起こしかねないと思えるほど長大な鼻。
 ボスモンスター。そしてモデルは明らかに、太古の時代を闊歩する——

「マンモス……なんて。ど、どうしましょうアレンさん。そうだ、平野の人たちが心配です……! すぐに助けに行かないとっ」
「待て! 今から平野に向かっても間に合わない。デカすぎて距離感が掴みづらいが、あれはもう町のそばまで侵攻してる」
「じゃあどうすれば……っ」
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