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第十八話 ロイヤルアンバーの死神 1/2

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 竜の右目がぎろりと永一を射抜く。殺しやすい方から殺す判断か、それとも左目を潰したせいで警戒されているのか。どちらにせよ気を引けるのなら好都合だった。
 地鳴りめいた唸りで繰り出される前足。一応は回避を試みたものの、やはりコハクのようにはいかず、呆気なく永一は吹き飛ばされた。

(あれ……死なない? ってか、手足もついてる)

 内臓の方はいくらか傷ついたらしく、地面を転がってから、ごほっと血の多分に混じった咳をしつつも、永一は予想外の『軽傷』に驚いていた。
 てっきり手足は千切れ飛び、ほぼ即死くらいの心積もりをしていた。経験からしてそんなくらいだと思っていた。

 予想とのズレが片月の有無であることに、遅れて永一は気づく。脚にかけてもらった片月はとうに効力を失っている。シンジュも普段と違う局所的な片月であるから、長くは保たないと言っていた。
 つまりは今現在、永一の体にあの欠陥を逆手に取った強化魔術がかけられていないため、保力の低下がないぶん死にづらくなっているのだった。

「どうせならパパッと殺してくれる方がありがたいんだが……ごほッ」

 ともあれ生きているならしょうがない。痛みなど堪えればいい。
 立ち上がるべく顔を上げる。するとちょうど、竜は首をわずかに反らし、空気を大きく吸い込むように胸をぶくりと膨らませた。

「ん……ッ、また火を吐いてくるぞ!」
「——! 『血を巡るもの。色を持つもの。妨げるべく、黒き堅牢の壁となれ』っ!」
「ゴォォォォォォ————ッ」

 吐き出されるのは呼気ではなく、燃え盛る炎だ。専用の働きをする器官があるのか、それともこれも魔物が使うという魔法の力なのか、火炎放射器さながらに炎が渦を巻いてコハクもろとも周囲を燃やそうとする。
 だが予兆にいち早く永一が気づいたおかげで、シンジュの魔術による防壁が間に合った。
 驚いたのは永一だ。防壁はシンジュから離れた、コハクと竜の中間の位置で地面から現れている。
 離れた場所にまで出せるのか——
 うねる火炎は先の再現のように黒い壁にぶつかると、燃え移ることも溶かすこともできず、火の手を殺されて消えていく。

「……好機ッ!」

 そして、言葉がなくともシンジュが魔術で援護してくれることを想定していたのか。コハクはと言えば表情に一片の驚愕も浮かべず、助走をつけて壁へと跳んでいた。
 突然の行動に、永一は重ねて驚き困惑した。しかし位置関係を踏まえればその狙いは明白だった。

(——死角を使うつもりか!)

 大泛溢マッドポップより三年。失意から始まったその過酷な旅で彼女が培ってきた戦闘技術と判断力は、冒険者ギルドの腕利きにも劣らない。
 シンジュの魔術による防壁は、炎を防ぐため、竜とコハクの二者を分断する形で生み出された。よってこの瞬間、コハクは敵の視界から消失している。
 まさか壁を登り、その上から現れるとは思うまい。

「魔物は……わたしが! 殺す!!」

 登攀は一瞬。伸ばした細い腕がすぐに壁の上面へ手をかける。体を引き上げて登りきると、勢いをそのままに、有翼を相手に彼女は空中から躍りかかった。
 これでは立場が逆だ。突然の奇襲に竜は頭を上げる——その視界に敵は映らない。竜の左眼は潰されている。今もなお、突き刺さる刃物によって。
 コハクはそれを考慮して、向かって右側から飛び込んでいた。死角から死角へ、まさしく獲物を喰らう猛禽の敏捷さで。

「ガ————ァ——」

 竜に打つ手はなく。視界の闇を縫うように、襲撃者の脚が振り抜かれる。
 いくら片月を帯びていようとも、人の蹴りで竜は殺せない。
 だがそれも当たりどころと状況次第だ。ほとんど跳び蹴りの要領で繰り出された一撃は、卓越した戦闘センスによって的確に、左眼に突き刺さるナイフの柄をさらに奥へと押し込むように命中していた。

「ァァァアアァ————ッ!」
「苦しんで……死ね。醜い、化け物たちが……!」

 眼球のさらに奥、脳があるのだとすればそれが収まるであろう場所を破壊する。それで終わらない。琥珀色の眼に殺意の紫が躍る。
 呼吸も、死に損なった体の痛みも忘れるほど、永一にとってその殺戮は流麗だった。
 竜の顔から飛び降りると、着地と同時に姿勢を低くして頭部の下へと潜り込む。艶やかな死神はそこから舞うようなステップで片足を軸に回転し、豊かでしなやかな肢体を一切の無駄なく駆動させる。
 流れるように取り出され、逆手に握られたのは黒く細い、幼き日に姉から譲られた刃物だった。

「討ち取る……ッ!」

 軌跡一条、長子苦無の刃が回転の慣性を乗せ、皮膚の薄い頸を穿つ。
 まるで平野の再現だ。両断とは流石にいかないものの、魔物を構成する黒い塵が噴き出ていく。

「グギャアアアアァァァァァァ——————!!」

 眼と頸から生命を噴出させ、竜は断末魔の叫びを上げる。やがてそれが途切れると、巨大な体を傾け力なく地面へ倒れ込んだ。
 輪郭がほどけ、黒い塵へ還元されていく。
 巨躯の魔物が、ゆっくりとその質量を失くしていく。
 それを見て。少女は琥珀色の目を細め、どこか艶めかしく唇の端を吊り上げた。復讐の火を満たす、昏い満足感に浸っているかのように。

「倒した……はは、本当に三人ぽっちで倒しちまった。あの怪獣を」

 笑うと痛む体で、それでも永一は思わず引きつるような笑いを漏らす。
 永一のいた地球では、砲弾だの爆弾だの、ことによればミサイルといった現代兵器をしこたまぶちこんでやってようやく殺せる相手だ。
 もっとも怪獣災害の一番の難点は、その怪獣の規模というよりも、いつどこで現れるかまったく予測のつかない点なのだが——それでもあの巨大な怪物をあくまで人の手で討伐できたなどと宣えば、地球では立派にペテン扱いだろう。
 魔術という、永一にしてみればファンタジーそのものな超常現象が、場合によっては現代兵器に匹敵する効力を持つ証左だった。

「コハク……! 平気ですかっ!?」

 急いでシンジュが駆け寄ってきて、コハクは振り向く。その横顔から復讐の悦楽は去っていたが、片月の効力はまだしばらく続くので、瞳に紫がかった光だけは宿り続けていた。

「平気。姉さんと……エーイチ様のおかげで……無傷」
「ああっ、よかった。ですが危険すぎますっ、大型種ディソベイに突っ込むなんて! ちょっとでも攻撃を受ければ、片月のデメリットで簡単に死んでいてもおかしくなかったんですよ!?」
「……ごめんなさい。でも」

 そこでコハクは言葉を切る。しかしその先は、言わずともシンジュには理解できた。
 生まれた時からそばにいる。だから当然だった。

「それほどまでに、魔物が憎いのですか」
「憎い。……わたしは、すべての……魔物が憎い」

——姉さんは違うのか。
 見つめ返す瞳で躍る紫色が、暗にそう訊いていた。

「ワタシとて魔物は憎い。一族や里のみんなを鏖殺おうさつした化生、憎くないはずもありません。ですが……コハクの想いは強すぎます。その火はきっと身を焦がす」
「それでも……いい。魔物と、それを生む螺旋迷宮さえ……滅ぼすことができたのなら」
「死んでもいい、ですか? 許しませんよ、そんなコトは」

 硬い声色。それでいて、どこか縋るような響きがあった。
 常にいっしょにいるコハクでさえ聞き馴染みのない調子だったのか、わずかに目を見開く。

「コハク。あなたはいつもそうやって、ワタシを置いていこうとする。そんなの……させません。仮に復讐の果てに、魔物の爪に切り裂かれ、無惨に喰い殺されるのだとしても。その時ワタシは、あなたのそばにいる」

 シンジュは昨夜、コハクには生きてほしいと言った。魔物への報仇を望む心の火が、自身をも焦がし、焼き尽くしてしまうくらいであれば——いっそ復讐のことなど忘れ、幸せになってほしいと話した。
 けれど。それが無理な相談だと、彼女はとうに思い知っている。
 怒りも悲しみも、そう捨てられるものではない。特にコハクは、シンジュよりも強くそれを抱いている。今さらなにもかもなかったことにすることなど、到底できるはずがない。

 だったら、捨てられないのなら。
 せめて最後の瞬間まで、そばに居続ける。
 それが旅の中で出した、シンジュなりの結論だった。無謀とも言える旅路の結末を、心中として受け入れた。
 ただひとりの家族。誰より大切な、かけがえのない片割れ。
 ほかの誰と離ればなれになっても、最後の、血を分けた妹だけは、死の瞬間まで離れない。

「置いていくなんて……そんなこと。……わたしは、ただ、魔物たちを撲滅したいだけ」
「その願いがあまりに純粋すぎるのです。ワタシも魔物を討とうとする心は理解しますし、共感もします。けれど、もう少し自分の命を顧みてもいいはずです」

 今は——と、シンジュはここでちらりと、地面に座り込んだまま成り行きを見守る永一の方を見た。

「——エーイチ様がおられます。大恩ある不死の護りがある限り、ワタシたちは生きねばなりません」
「それでも……それでも。わたしは……」
「それほどに、魔物が厭わしいですか?」
「……わたしは、受け継いだ、から」
「——?」
「受け継いだ……譲ってもらった。……なのに、なにもできなかった」

 シンジュから目をそらし、己の手に視線を落とすコハク。そこには、闇に溶けるような黒色の、彼女を支えてきた誇りがあった。
 長子苦無。
 ともすれば、それは誇りであると同時に、ささやかな呪いでもあったのかもしれない。
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