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第16話 美青年の正体

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「ぬう。まさか俺の知らないうちにそんなことが起きていたとは……」
「ごめんなさい先生。一時的でも憑依されて、しかも先生のこと襲おうとしてたのが悔しくて……今まで黙ってました」
 先生は俺の話を聞いても大きく表情を変えることはなかった。幽霊と接触したことも、しかもそれが全裸の美青年であったことも、先生にとってはこれ以上ないほどの経験なのに。
「構わねえさ。いくら美青年の幽霊だろうと、お前以外の奴なんて願い下げだ」
「先生……!」

 何だかんだ言っても、先生は俺を一番に想ってくれている。素直に嬉しかったが、今回に限ってはそれが最大のキーポイントだ。
 俺と先生の気持ちが一致してないと、アイツには勝てない。先生がもし美青年に靡いてしまうようだったら、あっという間に持って行かれてしまう。

「奴の狙いは先生とのセックスです。多分それが叶えば一時は満足するんでしょうけど、味をしめて何度も来かねませんからね」
「……しかし、何故そんなに性欲旺盛なんだろうな?」
「多分、性欲というよりは男の精──『生命エネルギー』が欲しいんでしょうね。もしかしたら幽霊とかの域を超えた、妖怪の類になってるのかも……」

 古くは雪女などに代表される「男の精を奪う妖怪」。
 男の精子は生命そのものだ。取り込む度に力を付ける者もいれば、妖怪や霊の中には精子を嫌う者もいる。それだけ精子には特別なエネルギーが込められていて、欲しい者からすれば喉から手が出るほどの逸品なのだ。

「だけど俺にこだわる必要はなんだ? 何なら霊感の強い黎人の精の方が奴らは喜びそうなものだが」
「単純な好みか、先生の精液が濃厚で美味そうだと思ったからか、ですかね?」
「ゴムに溜めたモノじゃ駄目なのか」
「……うーん。セックスしたいみたいですから、駄目なんじゃないですかね……」

 とにかく夜だ。奴は今夜現れる。

 俺の意識がない時、つまりは寝ている間に少しずつ入ってきていたらしいが、一体今どれくらい入り込まれてしまったのだろう。
 リミットが分からない分モタモタしていられない。今夜中にケリを付けるつもりで挑まないと──。


 *


「眠りません。エナドリ飲んだし、超絶ひんやりクール目薬も用意したし、コーヒーもガムもありますから絶対寝ません」
「だ、大丈夫か黎人……。目がギンギンだぞ」
「先生、俺のことは気にせず眠くなったら寝ていいですからね! 俺が乗っ取られさえしなけりゃ、先生に被害は及びませんから」
 ベッドの上であぐらをかき、腕組みをして「うし」気合いを入れる俺。先生はそんな俺を不安げな顔で見ていた。

「……思ったんだが、前にも一度お前の体を乗っ取られたんだろ。その時は簡単に憑依したのに、なぜ今回はそんな面倒な手段を取ってるんだ?」
「それは多分……」

 ──完全に黎人の体を奪うためだよ、先生。

「……来たな」

 ──一時的な憑依で先生の精を受け取っても、リミットが来たら手放さなきゃならないからね。完全に黎人の体になれば、好きな時
に好きなだけ生身の男と交われる。

「そんなことさせない。俺の体は俺の物だ」

 ──そうかな?

 ふっと、首に冷たい息が触れる。
「っ、やめ……!」
 腹と胸にもぞもぞとした感触を受け、俺は思わず身をよじった。……美青年が俺の体に触れているのだ。
「や、やめろ触るなっ……」
「黎人? どうした?」
「うあっ」
 押された体をベッドについた両手で支えたその時、シャツが捲られて肌が露出した。

「れ、黎人っ! ひとりでに乳が見えてるぞ!」
「ひっ、ん──!」
 姿は見えない。見えないけど今、美青年が俺の乳首を吸っているのが分かる。冷たい唇に挟まれ、冷たい舌で転がされているのが……モロに伝わってくる。

「吸うな、馬鹿野郎っ……、あ、うぅ……!」
「クソ……美青年と黎人の絡み……見えねえのがムカつく!」

 ──あは。俺は霊感のある黎人にしか触れられないからね。先生が霊感ゼロで良かったね、黎人。

「うる、せえ……! 離れろ……あっ!」
「お、おぉ……見えねえけど、黎人の乳首が引っ張られて吸われてるのは見える……何だこのエロい光景は……!」
「せ、先生! 助けて下さいっ……」

 俺の叫びにハッとした先生が、慌てて俺の前にいるであろうソレを手で払いのける。当然先生には触れることができないので、幾ら空中を払っても何にもならないのだけれど。
「クソ、どうすればいい……!」
「あっ、あ……ちょっと待て、ふざけんなっ。それは……それは駄目っ……!」
 ベッドに転がされ、ジーンズが脱がされて行く。ずらされた下着から飛び出た俺のそれが美青年に掴まれ、上下にぶるぶると揺らされ……
「や、やだあぁッ……!」
「黎人っ!」
 先生が俺の上に覆い被さり、そのままうずくまるようにして俺を抱きしめる。
「黎人に触んなっ! どっか行けコラ!」

 先生の熱い体温が俺の全身を包み込み、漂っていた冷気がふっと離れて行った気がした。

 ──うーん。愛されてて腹立つけど、羨ましいな。俺だって生きてたら今頃……。

「なあ、聞いてくれ。お前がどういうつもりで俺達に近付いたか知らねえが……こいつだけは勘弁してくれ。俺の大事な男なんだ」
 俺を強く抱きしめたまま、先生が見えない霊に向けて話しかける。
「変人で人嫌いで世間との関りもねえ、そんな亡霊みてえな俺にとって、黎人は唯一の世界との繋がりなんだ。俺にはこいつしかいねえ。頼む。俺から黎人を奪わないでくれ……!」
「……先生……!」
 先生の悲痛な訴えに、美青年が黙り込む。

 俺はぎゅっと目を閉じて先生の体にしがみついた。この人と離れたくない。一生この人の傍にいたい──そんな想いが涙となって、訳も分からず頬を伝って行く。

 数秒の沈黙の後、美青年が酷く言いにくそうに喋り始めた。

 ──俺だって黎人に負けないくらい大事にしてくれてる人がいた。……でも会えないんだ。探してもどこにもいないんだ。

「恋人か? 死別したってこと? その相手はまだ生きてるのか?」

 ──ううん。理由は分からないけど一緒に死んじゃったんだよ。二百年以上探してるのに、全然見つからない。

「に、にひゃくねんっ!」
「いでぇっ!」
 思わず飛び起き、反動で先生の顎に頭突きしてしまった。
「あ、すみません先生。……ていうかお前、そんな昔の霊だったのか。だけど恋人を探してる霊がどうして、色情霊なんかに……」

 ──失礼だな。俺は手当たり次第、誰でもいいって訳じゃないんだってば。交わりたいのは波長の合う男だけ。……あの人の匂いに似てる男だけ。

 どうやら恋人への想いが強過ぎて、逆にあちこちから引っ張られてしまっているタイプらしい。こいつが近付いてきた訳じゃなく、先生の中の「似た匂い」がこいつを引き寄せてしまったということだ。

 どうにかしてこいつの恋人を見つけることができれば、きっと無事に成仏してくれるだろう。
 だけど二百年前となると……。

「恋人の名前は? ていうか、お前の名前は? どこの出身だ、死んだ場所は……」

 ──分かんない……自分の名前すら思い出せないんだ。覚えてるのはあの人の匂いとセックスだけで、他のことは全然……。

「……腹上死したのか。それとも心中するつもりで、薬かなんかを飲んでから……」

 ──会いたいよ。会いたいんだ、黎人。

 涙声になった美青年に、俺は思わず俯いてしまった。好いた男に二百年も会えないなんて、気が狂ってしまいそうだ。

「おい、黎人。俺には奴の話が聞こえねえんだ、訳してくれ」
「ちょ、ちょっと待ってくださいね先生。──おい、その人の『匂い』って、具体的にどんなのなんだ?」

 ──えっと、覚えてるのは……葉巻と、墨の匂い……。濡れた紫陽花と、それから真新しい原稿用紙の匂い……。

「二百年前……。葉巻、墨、紫陽花の花、原稿用紙……」
 俺の呟きを聞いた先生が、顎に手をあてながら宙を見つめて言った。
「それ、俺の祖先かもな。江戸の頃にウチは紫陽花の生産と販売やってたし、何代前かの爺さんも物書きやってたし」
「はぁ、でも……エエェッ──!?」

 ──はあぁぁッ!?

 俺と美青年の声がぴたりと一致し、室内のあちこちで美青年の動揺による怒涛のラップ音が発生した。


 つづく!
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