近間家の人々

ナムラケイ

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「戦闘機乗りの劣情」番外編

Eternal Love 1

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 2030年10月。

 MRTブギス駅近くのスターバックス。夕日が差し込むガラス張りの店内で、その人は姿勢よく座っていた。
 爽やかな空色のポロシャツに白のジーンズ。長めの髪はゆるくウェーブを描いている。
 彼は脚を組んだり顎肘をついたりしない。すっと背筋を伸ばして、外を眺めている。
 誰もが見惚れるような美貌は変わらずクールで、けれどその表情は笑った途端に柔らかくなることを知っている。
 見慣れているはずなのに、いつ見てもはっとさせられ、視線を外すことができない。
 愛しい人。

 オーダーの列にも並ばず、入り口で見惚れていると、気づいた彼が片手を上げた。
 花が開くような笑顔に胸がときめく。花に吸い寄せられる虫のように、彼の席に向かった。

「近間さん」
「直樹、お疲れ。…どうした?」

 テーブルの横で突っ立ったまま動けない直樹に、近間が首をかしげる。

「久々の再会に感極まってました」

 感動を口にすると、近間が噴き出す。

「久々って、俺がシンガポール航空の訓練センターを卒業してから、まだ3か月しか経ってないぞ」
「3か月も近間さんに会えないとか、俺にとっては地獄です」
「公共の場であんまり恥ずかしいこと言うなよな。シンガポールだって、日本語できる人それなりにいるんだから」
「俺はここが日本でも同じこと言いますよ」
「あー、分かった分かった。ほら、店に迷惑だから出るぞ」


 常夏のシンガポールは夕暮れでも気温が高いが、時折吹き抜ける風が汗ばむ肌に心地よい。
 直樹はジャケットを脱いで、ワイシャツの袖をまくり上げた。

「タクシーかメトロ乗りますか?」
「いや、少し歩きたい。おまえのアパートまで、40分くらいだろ」
 かつて3年間過ごしたシンガポールだ。10年の時を経ても土地勘は衰えていない。
「ですね。じゃあ、ぶらぶら歩きますか」
「おう。しかし、オーチャード通りのアパートなんてリッチだよな。流石、財閥系総合商社の副支店長」
「やめてくださいよ。海外支社の副支店長なんてぺーぺーですし、肩書で呼ばれると急におっさんになった気がします」
「40代は正真正銘のおっさんだろ」

 そう朗らかに笑う近間は、10年前とほとんど変わっていない。肌も髪も変わらず綺麗だ。
 笑うと目尻に薄く皺ができるようになったが、それが逆に色気を増している。

「近間さんは全然変わりません。老いの神様に見放されたんですね」
「どこの神様だよ。本当、直樹は相変わらずだな」

 日本に帰国してちょうど10年。直樹は、五和商事シンガポール支店の副支店長として、シンガポールに戻ってきた。
 航空自衛隊の戦闘機パイロットだった近間は、40歳になると同時に航空自衛隊を退職した。6年前のことだ。
 戦闘機パイロットが最前線で勤務する時間は短い。30代後半になる頃には、近間は管理職となり、空を飛んでいる時間よりも事務仕事の時間が長くなっていた。
 当時の勤務先であった北海道の千歳基地から、東京の航空幕僚幹部への異動が決まった時、近間は退職を決意した。

「どんな形でもいいから、空を飛んでいたいです」

 辞職願を提出する時、近間は上司にそう言ったそうだ。
 とても、近間らしい言葉だと思う。

 この10年、同居が出来たのは数年間だった。
 近間は、沖縄、東京、千歳と基地がある場所を転々と異動し、退職後は日系の航空会社勤務を経て、シンガポール航空に転職。直樹は基本は東京勤務だったが、うち2年間はバンコク支社に赴任していた。
 巡り巡って、二人ともがシンガポールに勤務できると確定した時は、二人で万歳したものだ。


「今日、空港まで迎えに行けずにすみませんでした」
「いいって。仕事、忙しいんだろ。荷物は全部おまえん家に送っておいたし」
「相変わらず少ない荷物でしたね」
「転勤族だからなあ」
「まさかまた近間さんとシンガポールに住めるなんて、夢みたいです。奇跡ですね」
「夢でも奇跡でもなくて、根回しの賜物だろ。主に、おまえの先輩のな」

 「先輩」とは、かつてのシンガポール支社の同僚で、大学時代の先輩でもある金子文隆のことだ。
 今は人事課長となり出世街道まっしぐらの金子は、直樹をシンガポール支社に赴任させるために相当の尽力をしてくれた。


 今またこうして、懐かしいシンガポールの街を二人で並んで歩いている。
 一緒にいて、おしゃべりしながら歩く。それだけのことが、すごく、楽しくて、嬉しくて、幸せだ。
 
「懐かしいな」

 そう呟いて近間が見上げたのは、昔二人で住んでいたアパート、デュオ・レジデンスだ。

「また、ここに一緒に住みますか?」
「いや。昔をなぞるのもいいけどさ、前に進もうぜ。違う場所で、新しい生活を始めよう」
「近間さんのそういういとこ、すげえ好きです」
「おまえ、不惑の男がすげえとか言うなよ」
「手厳しいなあ」

 なんでもない会話のひとつひとつが楽しい。この人が大好きだ。
 大通りを外れると人通りが途絶えたので、夕闇に紛れて、そっと近間の指先に触れる。

 近間は何も言わずに、おしゃべりを続けながら指先を絡ませてくる。
 爪の形をなぞり、関節を撫で、節をたどると、近間が不意に黙った。
 調子に乗って、触れるか触れないかの手つきで手首を撫でる。

「直樹」
「はい」
「それ、声出そう」

 隣を見ると近間はうつむいて瞳を伏せている。その睫毛の長さと薄く上気した頬に、思わず唾を飲み込んだ。

「近間さん。こんなとこでフェロモン出さないでください」
「っ、誰のせいだ」

 睨んでくる眼差しの奥に灯った色香に、また喉が鳴った。あと20分も悠長に歩いていられるわけがない。
 直樹は車道に出ると、大きく手を挙げてタクシーを停めた。
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