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さよならは雨に溶けて
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バリの青空は突き抜けるように高く、遠浅の海はどこまでも砂浜が続くようにに透き通っている。
高い白波を操るサーファー達を背景に、鮮やかなサマードレスをまとったモデルが歩いてくる。
記事の構想をメモしながら撮影を見ていた加絵は、モデルの若菜を労った。
「お疲れ様。すごく綺麗だった」
30代女性向けファッション雑誌の人気モデルは、疲れも見せずに綺麗に微笑んだ。
「ありがとうございます。ね、鮎川さん、この後モデルの子たちとごはん行くんですけど、一緒にどうですか?」
「嬉しいけど、ごめんなさい。お土産買いに行ったりしたいから」
「婚約者さんにですか?」
若菜は指輪が嵌まった加絵の右手を指さし、ウィンクをした。若菜がすると、ウィンクもサマになる。
「ええ。ジェンガラの食器を買いたくて」
加絵はバリ島の陶器ブランドの名を挙げた。花をモチーフにしたコバルトグリーンの陶器は新婚家庭に彩を添えるだろう。
「素敵ですね」
「もう一日あるし、良かったら明日のごはんは一緒させて?」
「はい。是非! じゃあ、お疲れ様でした」
若菜は美しくお辞儀をして、ロケバスに乗り込んだ。
加絵は女性雑誌の編集者だ。人気の女子旅特集「Walk! Eat! Buy!」の撮影旅行で、バリ島に4日間滞在している。
買い物と発送手続きを済ませて、タクシーでホテルがあるウブド地区まで戻った。
ビーチリゾートが有名な分、中国人やオーストラリア人の観光客で溢れるクタやレギャンと異なり、ウブドは海はないが緑に溢れて静かだ。
生い茂る樹々は日本よりも緑が濃く、風は熱と湿度を孕んでいる。
ホテルでお気に入りのレモンイエローのワンピースに着替えてから、街歩きに出た。
バリ島の年間平均気温は30度以上。日が傾いても蒸し暑く、すぐに汗が噴き出てくる。
加絵はオレンジ色の屋根と石垣が風情ある通りをぶらつき、目についたカフェバーに入った。
カウンター席に座り、地元のビールとナシゴレンを注文する。
汗をかいた瓶ビールは炭酸が弱く少しぬるくて、南国にぴったりだ。
客はローカルと観光客が半々だ。
グラスを傾けながら店内を何気なく見まわすと、ひとりの男と目が合った。長身で、髪が長めで、浅黒い肌の男。
加絵は瞬く。
「うそ」
思わず声が漏れた。男の方も心底驚いた表情をしている。
「崇?」
「加絵?」
互いの名を呼び合う。
テラスでビールを飲んでいた崇は足早に近づいてくると、加絵をまじまじと見つめた。
「本当に、加絵だ。まいったな、なんのご褒美だよ」
崇はいっそ泣きそうと言ってもいいくらいの安堵の表情を見せるが、加絵は眉に力を込めた。
「どうして、こんなところにいるの」
尋問するような口調になった。当たり前だ。
その剣幕に、崇は「ごめん。悪かった」と神妙に詫びてから、加絵の隣のスツールに座った。
和島崇。マスコミ関係の交流会で知り合い、2年間付き合って、1年前、突然失踪した男。
「元気そうね」
精一杯の皮肉を込める。崇は1年前より日に灼けて健康そうだ。
「ストレスフリーの生活してるからな」
崇は肩をすくめ、店員からナシゴレンの皿を受け取り、加絵の前に置いてくれる。
炒めたごはんに揚げ鳥と目玉焼き、胡瓜とトマトが添えられたインドネシア風のチャーハンだ。
崇は現地の言葉で店員と何やらやりとりしてから、加絵にスプーンとフォークを差し出した。
「食えよ。ここの、美味いから」
「常連なの?」
「時々バイトしてる」
「バイト?」
崇は大手新聞社の記者で、バンコク支局やワシントン支局の特派員も務めたバリバリの国際派エリートだった。
それが、ある日突然、会社を辞めて行方をくらませた。電話もSNSも通じなくなった。加絵はご両親とは面識がなく、共通の知り合いもだれ一人彼の居場所を知らなかった。
半年経つ頃には、加絵は振られたという事実を受け止め、ちょうどその頃にタイミングで出会った今の婚約者と付き合い始めた。
それが、バリ島でバイトだと?
崇は、急に思うところがあって脱サラをして、バリ島にロングステイしているのだと語った
「朝起きて、釣りして、サーフィンして。昼間は読書して、気が向いたらバイトして。夕方はまたサーフィンして、メシくって。散歩して、星を見ながら酒飲んで、寝る。それだけ。社畜だったおかげで貯金はあるし、ここ、物価安いし」
それは、働かずに好きなことだけしていければ、ストレスフリーだろう。だが、将来どうするつもりなのか。
思うところはあったが、賢い崇が考え無しのわけはないだろうと、疑問は全部飲み込んだ。
代わりに、当たり障りのない言葉を選ぶ。
「バリ、素敵な所よね。時間の流れは緩やかだし、人は優しいし食事は美味しいし」
「まさにそのとおり。天国だよ」
崇はビールを飲み干すと、加絵の分も一緒にお代わりを注文した。
付き合っていたころ、よく一緒に飲み歩いた。二人の飲むスピードは同じで、お代わりを頼む時は何も聞かずに相手の分も注文していたのだ。
崇が今もその習慣を自然にやってのけたことが、加絵を居心地悪くさせる。
「でも、どういう心境の変化? 37にもなって、自分探しとか言わないでしょうね」
胸の内を誤魔化すように冗談まじりに訊くと、崇はふむと天井を仰いだ。
「あながち間違ってはないよ。探してはいないけど、自分を見つめなおしてる」
加絵は苦笑する。答えになっていない。人当たりが良いように見えて、しかしいつも他人との間に薄いベールを張っているかのような距離感が難しい男だった。
「別れるなら別れるで、きっぱり振ってほしかったわ」
酒の勢いで恨み言を言ってみる。
崇は、振るつもりはなかったんだよと誤魔化し、そしてわざとらしく話を変えた。
「結婚、するんだな」
ペンを忘れたように灼けた指先が、加絵の指輪を指さしている。
優雅な曲線を描くプラチナの婚約指輪をなんとなく手で覆った。
「誰かさんに捨てられたからね。自分を捨てた男に未練なんかないし、今の彼、とてもいい人なの」
「いい人、ね。好きな人じゃなくて」
意地悪な指摘に、加絵は言いなおした。
「好きな人よ、勿論。だから結婚するの」
「おめでとう」
「ありがとう。崇は、こっちで彼女いるの?」
「いないよ。俺はもう、誰とも付き合わないと決めているから」
「なに、それ」
「なんだろうね。あ、唐揚げ食おうよ。スパイス効いてて絶品だから」
崇はそれ以上確信には触れずに、あとはバリ島での暮らしや加絵の仕事の話をした。
楽しそうに話す崇の声を懐かしく感じながら、加絵は腹に力を込めた。
突然連絡が取れなくなった時の戸惑いと怒りと悲しみを無理矢理思い出す。昔の男だ。
店を出ると、暮れ始めた空の端に夕焼けの残滓が燃えるように輝いていた。
加絵のホテルの名前を聞くと、崇は「俺の家と同じ方角だから、送るよ」と言う。
「ありがとう。でも結構よ。スタッフに出くわしたら面倒だし」
「じゃあ、途中まで一緒に行こう」
車やバイクの往来が多いので、横に並んだり一列になったりを繰り返しながら歩く。
「その服、似合うな」
「ありがとう、気に入ってるの」
「バリは、海も空も青いし緑が濃いだろ。黄色やオレンジはよく映える」
「そうね」
言葉少なに並んで歩き、やがて崇は曲がり角で止まった。
「じゃあ、俺はこっちだから」
加絵は別れの挨拶を探す。
「色々思うところはあるけど、全体として、会えて良かった」
そう言うと、崇は笑った。
「加絵のそういう物言い、やっぱ好きだわ」
「相変わらず好きのツボが変わってるわね。じゃあ、また、縁があればどこかで」
歩き出す加絵を引き留めるように、崇が唐突に言った。
「最後に、抱きしめてもいいかな」
どくりと胸が鳴った。バイバイと挙げかけていた手が行き場を失くす。
崇は、真面目な顔で加絵を見下ろしている。
断ったら後悔すると、何故か思った。
「いいわよ」
答えは突然の突風にかき消された。
砂埃から目元を覆った途端に、今度は雨が降り出す。しとしとと降る日本の雨とは違う。
バケツをひっくり返したような大量の雨が一度に振ってきた。
「スコールだ」
短く言うと、崇は加絵の手を引いて、走り出した。
錆びた鉄門を抜けると、池のある庭があって、その奥に2階建ての建物が見えた。
オレンジの煉瓦屋根と白い壁の焦げ茶色の窓枠のコントラストが美しいが、今はすべてが雨にけぶっている。
崇は建物の2階に加絵を導くと、鍵を開けた。
「俺の家。2、3時間で止むから、雨宿りしてろよ」
玄関で立ちすくむ加絵にタオルを差し出した。
濡れたのは少しの時間だったが、全身ずぶぬれだった。服の上から身体を拭き、まとめ髪をほどいて髪に沁み込んだ雨水を吸い取る。
「服、どうする。って言っても、俺の普段着しかないけど」
見下ろすと、ワンピースはずぶぬれでキャミソールが透けているが、モトカレとはいえ男の家で服を着替えるのはどうだろうか。
「このままでいい」
「着替えろよ。目のやり場に困るし、風邪ひくぞ」
躊躇っていると、強引に脱衣所に押し込まれた。
濡れた服を吊るして一息つくと、崇がビールのボトルを手渡してくれた。
加絵は不躾にならない程度に部屋を眺めた。
南国らしい白い床と壁、備え付けらしい家具。天井では長い羽根のファンが回っている。
サーフボードやシュノーケリングセット。雑誌、本。調理道具。
部屋は生活のこまごましたものが溢れている。記者時代はモデルルームのように殺風景な部屋に住んでいたのに。
東京のオシャレでモダンな部屋より、異国情緒と生活感に溢れるこの部屋の方が、加絵には好ましかった。
小瓶をすぐに空にすると、崇は笑って2本目を差し出した。
「ははっ。おまえが酒好きなの思い出した」
「お互い様でしょ」
デートでは、競うように沢山の種類のお酒を味見したものだ。
Tシャツとハーフパンツは当然ぶかぶかで、知らない国の柔軟剤の香りと、懐かしい崇の匂いがする。居心地の悪さをまた感じて、加絵はビール片手にベランダに出た。
バケツをひっくり返したような雨とよく言うが、そんなレベルではない。プールをひっくり返したってこんなふうにはならないだろうと思うほどの豪雨だ。
水のカーテンに覆われているような感覚がエキサイティングで、加絵はそこにしばらくそうしていた。
「夕方前のスコールはよくあるけど、この時間にこんなに降るのは珍しいな」
いつの間にか崇が横に並んで、新しいビール瓶を渡してくれる。ちょうど、最後の一口を飲み干したところだった。
「ナイスタイミング」
「俺ら、飲むスピード大体一緒だろ」
同じことを考えていたとは言わず、加絵はただ頷いた。
「そうだったわね」
「加絵」
「なに」
振り向くと、間近に崇の顔があった。
キスの距離だ。
反応を伺うように見つめられる。逃げる猶予を与えるように、ゆっくりと。
更に近づいて、寸前で止まる。
加絵は動かなかった。
それを了承と取ったのか、崇はゆっくりと口づけた。柔らかく濡れた感触。
触れるだけのキスをしてから、崇は加絵を責めた。
「どうして逃げないんだよ」
応えずにいると、崇は加絵を室内に引き込んだ。ビール瓶が落ちて割れる。ふわりと身体が浮いて、運び込まれた先はベッドルームだった。
きちんと整えられたシーツの上にことのほか丁寧に降ろされた。サイズの合わない服はひどく心もとない。
崇は加絵の正面に座ると、最後通告を与えた。
「加絵。嫌なら突き飛ばしてくれ。きっと、めちゃくちゃにしてしまう」
「いいよ」
加絵はすぐに答えた。
求められたら、答えようと考えていた。
なんのご褒美だよ。
加絵を見つけて、そう言った崇の、泣きそうな嬉しそうな奇妙な表情。
2年付き合った男だ。忙しくて会えないことも多かったけど、私はこの男をよく知っている。
なんにもなくて、こんな風には笑わない男だ。
崇は一瞬だけ泣きそうな顔になり、それから加絵に口づけた。さっきとは違う、深く性感を呼び起こすキスだった。
加絵は唇を開き、崇の舌と唾液を受け入れる。
雨と風の音がうるさい。世界から私たちを切り取っていく。
「これ、今だけ、はずしてほしい」
キスの合間にそう言って、崇は加絵の指輪を抜き取った。
2年間、何度もキスをして身体を重ねたのに、そのどれとも違っていた。
口の中を探る舌や唾液の味は同じなのに、こんな熱さは知らない。
加絵は男の首に縋りつくように腕を絡め、夢中で口を開いた。
「ん…」
息継ぎの合間に漏れる声はどうしても甘くなる。
長く深いキスに、こわばっていた身体がほどけてゆく。熱くなる。
加絵の目がとろんと緩んだのを見計らって、崇は服を脱がせた。
「なんか、自分の服を脱がせるのって変な感じだな」
「自分としてるみたい?」
「まさか。俺はこんなに魅力的じゃない」
崇はそうふざけるが、ジャワ更紗のシャツとチノパンの下の身体は、前より逞しくなっている。腕や肩は厚みを増し、逆に頬は少し瘠せた。
洒落たスーツを身にまとって都心を闊歩していた頃は見る影もない。知らない男のようだけれど、伸し掛かってくる肌の質感や匂いは記憶と同じだった。
大きな手と唇が、加絵の存在を確かめるように、身体の輪郭をなぞっていく。
耳、頬、首筋、鎖骨、胸、腕、腰、腹、太もも、ふくらはぎ。
つま先にキスをされ、そのまま足の指をなぶられた。あたたかな舌で指のまたをしゃぶられ、ぞくりと電流が走る。
「や、ちょっと、そんなとこ舐めないで」
「爪、綺麗だね。海の色だ」
「話聞いてる?」
「聞いてない。全部舐めるから」
淡白そうに見えて、行為の最中には恥ずかしい言葉を平気で口にする男だった。
探るように身体をくまなく暴かれる。肌にキスをされる度に、小さく声が上がる。
中心はもうとっくに濡れそぼっていて、太ももを擦り合わせるだけで水音が漏れそうだ。
視線でねだると、崇は心得ているように右手を脚の付け根まで滑らせた。
指先が花びらを割り開く。ぬるりとした感触に怯んだ。
「んっ……」
「加絵、すごく濡れてる」
「言わなくていいからっ」
「濡れてるっていうか、どろどろに溶けそう」
親指で花芯をこすりながら、人差し指が中に入り込んでくる。
「あ、ん…やあっ」
指の存在を喜ぶかのように、膣がぎゅっと収縮したのが分かった。
「うわ、すご」
「何がっ……?」
「何がって、中、すごい」
指が増やされ、天井のざらざらがこすられる。
気持ちいい。こめかみがじんじんする。
でも、もっと気持ちいいものが欲しくて、腰が揺れてしまう。奥の良いところを押される度に絶頂が近づいてきて、シーツを掴んだ。
「やだ、も、わたし、いきそ」
力を入れすぎたつま先が痛い。崇は音を立てて濃厚なキスをしてから、意地悪に訊いた。
「どうしようか、一回、ひとりでいく?」
加絵はふるふると首を振る。
「じゃあ、どうしてほしい?」
答えずにいると、中でばらばらにされた指が出し入れされる。くちゅくちゅと淫らな音が立つ。
気持ちよくて、でも指でなんて、嫌だ。
「言わないなら、このまま指で中とクリ強くこすって、イかせるけど」
崇は一度指を全部抜いて、腫れた突起を人差し指で強めに撫でた。
「ああっ…!」
腰が浮いて、加絵は観念する。叫ぶようにねだった。
「やだ、もう、指はいいからっ」
「指はいいから、なに?」
本当に、意地悪だ。その意地悪な声にさえ感じてしまって、加絵は観念した。
「崇の、……いれて」
視界が滲む。小声で囁くと、崇は頬にキスを落とした。
「可愛い」
両脚が容赦なく限界まで開かれる。濡れた秘部が空気に触れ、ひやりとする。
崇は、大きく反り返った自身に手早くゴムをつけると、加絵に覆いかぶさった。
ペニスの先が、ぬるぬると加絵のクレバスをなぞる。待ちきれなくて、加絵は自分で腰を動かして、崇を迎え入れた。
かたく太いそれが入り込んでくる。圧迫感に加絵は喉を鳴らした。
「んっ…はあっ」
きつさと違和感を感じたのは一瞬で、中はすぐに崇の形に変わり、恍惚が訪れる。
空白を満たされる喜びで、熱い息が漏れた。
崇はすぐには動かなかった。挿入したまま、至近距離で加絵を見つめている。
黒い瞳の奥に映る加絵は、熱にうかされたような顔をしている。
もどかしい。早く、突いてほしいのに。
「崇」
「加絵」
名を呼ぶと、呼び返された。
「……っ、動かないの?」
ストレートに訊くと、崇は笑う。
「加絵を感じてる。でも、やっぱ我慢できないな」
崇は加絵の腰を掴むと、ぎりぎりまで引いて、ゆっくりと奥まで突き上げた。
「……あっ!」
衝撃に思わず高い声が漏れた。
崇は腰を動かしながら、二人の唇の間に人差し指を立てた。
「しー。ここ、壁薄いから」
崇は動きの全部で加絵に快感を与えるように、緩やかな抜き差しを繰り返している。
抜かれる時の感覚がたまらなくて、加絵は必死で声を噛み殺した。
「……っ、……んっ、……あ」
手で口を覆うとすると、崇が代わりに自分の手のひらを載せてくる。
加絵は唇を開き、その中指の付け根をぺろりと舐めた。汗の塩が舌を指す。
崇が驚いたように加絵を見ている。
もう一度舌を伸ばして今度は強めに指を舐めると、崇自身が質量を増したのが分かった。
膨らんだペニスに反応して、膣内がぎゅっとしまった。
「っ……すげ」
崇が奥歯を噛みしめるように唸る。
「加絵、エロいことすんなって」
「どっちがよ」
憎まれ口は、急に激しくなった腰の動きで封じられた。
「あ、や、やっ……!」
声を殺すなんてもう無理だ。絶え間なく力強く奥を犯され、加絵は突かれる度に喘いだ。
肌が鳴る。水音が聞こえる。声が涸れる。
気持ちいい。熱くて、濡れていて、溶けそうだ。
加絵は朦朧と呟く。
「あっ……ね、もう、もうやだ」
「なにが」
「だってもう、いきそ……」
「まだだめ」
「やだ、なんで」
「もう少しつきあって」
言うなり、崇は繋がったまま上体を起こし、加絵の上半身を引き寄せた。
「えっ…………ああっ!」
向かい合わせに座る形だ。自重で最奥をつかれて、悲鳴のような声が出た。
「ほら。声。しーって言っただろ」
「ごめ……だって」
加絵は崇の髪に指を差し入れた。見上げてくる瞳は優しくて、甘い。
こんなふうに見つめてくれるのに、どうしていなくなったりしたの。
背中を撫でる手のひらの熱に、加絵は涙を流した。
崇が身体を揺するたびに、ペニスの先が奥へ奥へと進み、子宮口をこじあけてくる。
知らない感覚に、加絵は怯む。怖い。こんな奥まで、知らない。
「やだ、これ、こわい」
「加絵」
こんな奥は、知らない。内臓まで抉られそうな圧だ。身体の中を作り変えられるような恐怖に、加絵は崇の肩に爪を立てた。
「や、こんな奥、入んないっ……んんっ」
「加絵。落ち着いて。息して」
崇が動きを止め、指先で涙をぬぐってくれる。加絵は大きく息を吸った。
「そう。大丈夫だから。俺が入ってるん、感じて」
崇が囁く。セックスの時にしか使わない、低くて甘い声が好きだった。
ゆっくり呼吸すると、中の形がよりまざまざと伝わってくる。自分の中の最奥の部分が、きゅうっと崇に吸い付いている。
「きもちい?」
あやすように訊く崇の額を汗が流れている。情欲に浮かされた男の眼は、色っぽくてくらくらする。
加絵はこくりと頷いた。
奥に当たるのが、気持ちいい。慣れてくると、今度は崇が動かないのがもどかしくて、自分でゆるやかに上下した。
「加絵、可愛い」
「馬鹿じゃないの」
「うん、加絵の前では馬鹿だよ。ずっと」
「ねえ、動いて」
自分の動きだけでは、イケない。
そうねだると、崇は繋がったまま器用に加絵の手足を動かすし、正常位に戻った。
顔が見たいからと、達するときはいつもこの体勢だった。
ぱんぱんと肌がぶつかる音が響く。抜かれる時に、カリの部分が擦れるのがたまらなく、腰が揺れる。ストロークが力強く、早くなる。
崇は切なげに眉根を寄せて、視線で犯すように加絵を見つめている。
「や、もう、いく、からっ……」
「うん、俺も」
言うなり、崇は何度か腰を激しく動かした。
「………ああああっ!」
自分でも驚くような高音が飛び出て、浮遊感に襲われる。視界は真っ白で、とんでもなく気持ちいい。
こめかみが熱く疼き、内臓が全部溶けるみたいな感覚。
膣がぎゅっと収縮して、崇のペニスがどくどくと震える。0.1ミリの壁越しに、精が吐き出される感触に意識が飛びそうになる。お腹が、じんわりとあたたかい。
結局、明け方まで離してもらえなかった。
目が覚めると、ちょうど夜が明けるところだった。
ベランダの窓を開けると、湿度の残った早朝の空気が情事の名残を洗い流していく。
加絵は手早くシャワーを借りると、すっかり乾いた下着とワンピースを身にまとった。
借りていた崇のTシャツとハーフパンツは丁寧に畳んで、ソファーの上に置いた。
頭はクリアだった。やってしまったとは思わなかった。後悔もない。
自分で、決めたことだ。でも、これが最後だ。
名刺か電話番号を置いていこうかと迷い、結局やめた。
「加絵?」
物音で目覚めたのか、崇がシーツの中で身じろぎした。
「起こしてごめんなさい。もう行かないと。今日も撮影なの」
朝の光の中で、加絵は今日の予定を口にする。
崇はベッドから出て衣服を身に着けると、唐突に言った。
「加絵。俺、死ぬんだ」
虚を突かれて、加絵は瞬く。
今、この男はなんと言った?
凍りつく加絵に、崇は繰り返した。
「俺は、もうすぐ死ぬ」
「なにそれ」
冗談ではない。冗談でこんなことを言う男ではない。
昨夜の甘さが嘘のように、お腹が冷たくなる。指先が、感覚を失う。
崇は淡々と続けた。
「病気なんだよ。治る見込みはない。だから、人生の残りは、好きなことをして過ごそうと思ったんだ。それが、失踪の理由」
「そんな、どうして言ってくれなかったの」
信じられない。混乱して恨み言を口にする加絵に、崇はとても病人に見えない快活な笑みを見せた。
「言ったら、泣いてただろ」
「当たり前じゃない」
当たり前だ。泣いて、でもきっと二人で前を向こうと思ったはずだ。
加絵の心中など知らぬように、崇は言った。
「加絵が婚約してて良かった。そうじゃなかったら、ここに閉じこめてたよ」
「ふざけてないで。ねえ、病名は?」
「内緒。教えたら、必死で治療法とか調べるだろ」
「当たり前じゃない」
同じ台詞を繰り返して、唇を噛んだ。泣きそうだ。
「無駄だよ。元記者の情報収集力でも無理だったんだ」
崇は肩をすくめる。
この男は、どれほどの思いで加絵から、日本から去ったのだろう。
笑顔の奥の諦観が、痛い。
「ほら、もう行けよ。遅刻するぞ」
「崇。また、会える?」
すがるような問いかけに、崇は静かに首を横に振った。
「加絵。会えて嬉しかった。神様からの最後の贈り物だな」
曇りなく笑って、崇は扉を開いた。街の喧騒が流れ込んでくる。
スリッパを脱ぎ、サンダルを履く。
何か言いたいのに、どの言葉も喉元で詰まってしまって、何も言えなかった。
だから、ただ微笑んだ。ちゃんと笑顔になっていたか分からないけど。
「ありがとう」
崇は優しい声でそう言うと、加絵の額に口づけた。今までで一番優しいキスだった。
それから、加絵の背中をぽんと押した。
背を押してくれた力を受けて、外に出る。庭を突っ切って、門を出る。振り向かずに、道を曲がる。
崇が最後まで見送ってくれているのが分かった。振り向きたかったけど、振り向けなかった。
せっかく笑顔で別れたのだ。こんなぼろぼろの泣き顔、見せられない。
涙をぬぐって、加絵はウブドの道をまっすぐに歩く。
サンダルはまだ湿っていて、歩く度に水音を立て、足音を残した。
高い白波を操るサーファー達を背景に、鮮やかなサマードレスをまとったモデルが歩いてくる。
記事の構想をメモしながら撮影を見ていた加絵は、モデルの若菜を労った。
「お疲れ様。すごく綺麗だった」
30代女性向けファッション雑誌の人気モデルは、疲れも見せずに綺麗に微笑んだ。
「ありがとうございます。ね、鮎川さん、この後モデルの子たちとごはん行くんですけど、一緒にどうですか?」
「嬉しいけど、ごめんなさい。お土産買いに行ったりしたいから」
「婚約者さんにですか?」
若菜は指輪が嵌まった加絵の右手を指さし、ウィンクをした。若菜がすると、ウィンクもサマになる。
「ええ。ジェンガラの食器を買いたくて」
加絵はバリ島の陶器ブランドの名を挙げた。花をモチーフにしたコバルトグリーンの陶器は新婚家庭に彩を添えるだろう。
「素敵ですね」
「もう一日あるし、良かったら明日のごはんは一緒させて?」
「はい。是非! じゃあ、お疲れ様でした」
若菜は美しくお辞儀をして、ロケバスに乗り込んだ。
加絵は女性雑誌の編集者だ。人気の女子旅特集「Walk! Eat! Buy!」の撮影旅行で、バリ島に4日間滞在している。
買い物と発送手続きを済ませて、タクシーでホテルがあるウブド地区まで戻った。
ビーチリゾートが有名な分、中国人やオーストラリア人の観光客で溢れるクタやレギャンと異なり、ウブドは海はないが緑に溢れて静かだ。
生い茂る樹々は日本よりも緑が濃く、風は熱と湿度を孕んでいる。
ホテルでお気に入りのレモンイエローのワンピースに着替えてから、街歩きに出た。
バリ島の年間平均気温は30度以上。日が傾いても蒸し暑く、すぐに汗が噴き出てくる。
加絵はオレンジ色の屋根と石垣が風情ある通りをぶらつき、目についたカフェバーに入った。
カウンター席に座り、地元のビールとナシゴレンを注文する。
汗をかいた瓶ビールは炭酸が弱く少しぬるくて、南国にぴったりだ。
客はローカルと観光客が半々だ。
グラスを傾けながら店内を何気なく見まわすと、ひとりの男と目が合った。長身で、髪が長めで、浅黒い肌の男。
加絵は瞬く。
「うそ」
思わず声が漏れた。男の方も心底驚いた表情をしている。
「崇?」
「加絵?」
互いの名を呼び合う。
テラスでビールを飲んでいた崇は足早に近づいてくると、加絵をまじまじと見つめた。
「本当に、加絵だ。まいったな、なんのご褒美だよ」
崇はいっそ泣きそうと言ってもいいくらいの安堵の表情を見せるが、加絵は眉に力を込めた。
「どうして、こんなところにいるの」
尋問するような口調になった。当たり前だ。
その剣幕に、崇は「ごめん。悪かった」と神妙に詫びてから、加絵の隣のスツールに座った。
和島崇。マスコミ関係の交流会で知り合い、2年間付き合って、1年前、突然失踪した男。
「元気そうね」
精一杯の皮肉を込める。崇は1年前より日に灼けて健康そうだ。
「ストレスフリーの生活してるからな」
崇は肩をすくめ、店員からナシゴレンの皿を受け取り、加絵の前に置いてくれる。
炒めたごはんに揚げ鳥と目玉焼き、胡瓜とトマトが添えられたインドネシア風のチャーハンだ。
崇は現地の言葉で店員と何やらやりとりしてから、加絵にスプーンとフォークを差し出した。
「食えよ。ここの、美味いから」
「常連なの?」
「時々バイトしてる」
「バイト?」
崇は大手新聞社の記者で、バンコク支局やワシントン支局の特派員も務めたバリバリの国際派エリートだった。
それが、ある日突然、会社を辞めて行方をくらませた。電話もSNSも通じなくなった。加絵はご両親とは面識がなく、共通の知り合いもだれ一人彼の居場所を知らなかった。
半年経つ頃には、加絵は振られたという事実を受け止め、ちょうどその頃にタイミングで出会った今の婚約者と付き合い始めた。
それが、バリ島でバイトだと?
崇は、急に思うところがあって脱サラをして、バリ島にロングステイしているのだと語った
「朝起きて、釣りして、サーフィンして。昼間は読書して、気が向いたらバイトして。夕方はまたサーフィンして、メシくって。散歩して、星を見ながら酒飲んで、寝る。それだけ。社畜だったおかげで貯金はあるし、ここ、物価安いし」
それは、働かずに好きなことだけしていければ、ストレスフリーだろう。だが、将来どうするつもりなのか。
思うところはあったが、賢い崇が考え無しのわけはないだろうと、疑問は全部飲み込んだ。
代わりに、当たり障りのない言葉を選ぶ。
「バリ、素敵な所よね。時間の流れは緩やかだし、人は優しいし食事は美味しいし」
「まさにそのとおり。天国だよ」
崇はビールを飲み干すと、加絵の分も一緒にお代わりを注文した。
付き合っていたころ、よく一緒に飲み歩いた。二人の飲むスピードは同じで、お代わりを頼む時は何も聞かずに相手の分も注文していたのだ。
崇が今もその習慣を自然にやってのけたことが、加絵を居心地悪くさせる。
「でも、どういう心境の変化? 37にもなって、自分探しとか言わないでしょうね」
胸の内を誤魔化すように冗談まじりに訊くと、崇はふむと天井を仰いだ。
「あながち間違ってはないよ。探してはいないけど、自分を見つめなおしてる」
加絵は苦笑する。答えになっていない。人当たりが良いように見えて、しかしいつも他人との間に薄いベールを張っているかのような距離感が難しい男だった。
「別れるなら別れるで、きっぱり振ってほしかったわ」
酒の勢いで恨み言を言ってみる。
崇は、振るつもりはなかったんだよと誤魔化し、そしてわざとらしく話を変えた。
「結婚、するんだな」
ペンを忘れたように灼けた指先が、加絵の指輪を指さしている。
優雅な曲線を描くプラチナの婚約指輪をなんとなく手で覆った。
「誰かさんに捨てられたからね。自分を捨てた男に未練なんかないし、今の彼、とてもいい人なの」
「いい人、ね。好きな人じゃなくて」
意地悪な指摘に、加絵は言いなおした。
「好きな人よ、勿論。だから結婚するの」
「おめでとう」
「ありがとう。崇は、こっちで彼女いるの?」
「いないよ。俺はもう、誰とも付き合わないと決めているから」
「なに、それ」
「なんだろうね。あ、唐揚げ食おうよ。スパイス効いてて絶品だから」
崇はそれ以上確信には触れずに、あとはバリ島での暮らしや加絵の仕事の話をした。
楽しそうに話す崇の声を懐かしく感じながら、加絵は腹に力を込めた。
突然連絡が取れなくなった時の戸惑いと怒りと悲しみを無理矢理思い出す。昔の男だ。
店を出ると、暮れ始めた空の端に夕焼けの残滓が燃えるように輝いていた。
加絵のホテルの名前を聞くと、崇は「俺の家と同じ方角だから、送るよ」と言う。
「ありがとう。でも結構よ。スタッフに出くわしたら面倒だし」
「じゃあ、途中まで一緒に行こう」
車やバイクの往来が多いので、横に並んだり一列になったりを繰り返しながら歩く。
「その服、似合うな」
「ありがとう、気に入ってるの」
「バリは、海も空も青いし緑が濃いだろ。黄色やオレンジはよく映える」
「そうね」
言葉少なに並んで歩き、やがて崇は曲がり角で止まった。
「じゃあ、俺はこっちだから」
加絵は別れの挨拶を探す。
「色々思うところはあるけど、全体として、会えて良かった」
そう言うと、崇は笑った。
「加絵のそういう物言い、やっぱ好きだわ」
「相変わらず好きのツボが変わってるわね。じゃあ、また、縁があればどこかで」
歩き出す加絵を引き留めるように、崇が唐突に言った。
「最後に、抱きしめてもいいかな」
どくりと胸が鳴った。バイバイと挙げかけていた手が行き場を失くす。
崇は、真面目な顔で加絵を見下ろしている。
断ったら後悔すると、何故か思った。
「いいわよ」
答えは突然の突風にかき消された。
砂埃から目元を覆った途端に、今度は雨が降り出す。しとしとと降る日本の雨とは違う。
バケツをひっくり返したような大量の雨が一度に振ってきた。
「スコールだ」
短く言うと、崇は加絵の手を引いて、走り出した。
錆びた鉄門を抜けると、池のある庭があって、その奥に2階建ての建物が見えた。
オレンジの煉瓦屋根と白い壁の焦げ茶色の窓枠のコントラストが美しいが、今はすべてが雨にけぶっている。
崇は建物の2階に加絵を導くと、鍵を開けた。
「俺の家。2、3時間で止むから、雨宿りしてろよ」
玄関で立ちすくむ加絵にタオルを差し出した。
濡れたのは少しの時間だったが、全身ずぶぬれだった。服の上から身体を拭き、まとめ髪をほどいて髪に沁み込んだ雨水を吸い取る。
「服、どうする。って言っても、俺の普段着しかないけど」
見下ろすと、ワンピースはずぶぬれでキャミソールが透けているが、モトカレとはいえ男の家で服を着替えるのはどうだろうか。
「このままでいい」
「着替えろよ。目のやり場に困るし、風邪ひくぞ」
躊躇っていると、強引に脱衣所に押し込まれた。
濡れた服を吊るして一息つくと、崇がビールのボトルを手渡してくれた。
加絵は不躾にならない程度に部屋を眺めた。
南国らしい白い床と壁、備え付けらしい家具。天井では長い羽根のファンが回っている。
サーフボードやシュノーケリングセット。雑誌、本。調理道具。
部屋は生活のこまごましたものが溢れている。記者時代はモデルルームのように殺風景な部屋に住んでいたのに。
東京のオシャレでモダンな部屋より、異国情緒と生活感に溢れるこの部屋の方が、加絵には好ましかった。
小瓶をすぐに空にすると、崇は笑って2本目を差し出した。
「ははっ。おまえが酒好きなの思い出した」
「お互い様でしょ」
デートでは、競うように沢山の種類のお酒を味見したものだ。
Tシャツとハーフパンツは当然ぶかぶかで、知らない国の柔軟剤の香りと、懐かしい崇の匂いがする。居心地の悪さをまた感じて、加絵はビール片手にベランダに出た。
バケツをひっくり返したような雨とよく言うが、そんなレベルではない。プールをひっくり返したってこんなふうにはならないだろうと思うほどの豪雨だ。
水のカーテンに覆われているような感覚がエキサイティングで、加絵はそこにしばらくそうしていた。
「夕方前のスコールはよくあるけど、この時間にこんなに降るのは珍しいな」
いつの間にか崇が横に並んで、新しいビール瓶を渡してくれる。ちょうど、最後の一口を飲み干したところだった。
「ナイスタイミング」
「俺ら、飲むスピード大体一緒だろ」
同じことを考えていたとは言わず、加絵はただ頷いた。
「そうだったわね」
「加絵」
「なに」
振り向くと、間近に崇の顔があった。
キスの距離だ。
反応を伺うように見つめられる。逃げる猶予を与えるように、ゆっくりと。
更に近づいて、寸前で止まる。
加絵は動かなかった。
それを了承と取ったのか、崇はゆっくりと口づけた。柔らかく濡れた感触。
触れるだけのキスをしてから、崇は加絵を責めた。
「どうして逃げないんだよ」
応えずにいると、崇は加絵を室内に引き込んだ。ビール瓶が落ちて割れる。ふわりと身体が浮いて、運び込まれた先はベッドルームだった。
きちんと整えられたシーツの上にことのほか丁寧に降ろされた。サイズの合わない服はひどく心もとない。
崇は加絵の正面に座ると、最後通告を与えた。
「加絵。嫌なら突き飛ばしてくれ。きっと、めちゃくちゃにしてしまう」
「いいよ」
加絵はすぐに答えた。
求められたら、答えようと考えていた。
なんのご褒美だよ。
加絵を見つけて、そう言った崇の、泣きそうな嬉しそうな奇妙な表情。
2年付き合った男だ。忙しくて会えないことも多かったけど、私はこの男をよく知っている。
なんにもなくて、こんな風には笑わない男だ。
崇は一瞬だけ泣きそうな顔になり、それから加絵に口づけた。さっきとは違う、深く性感を呼び起こすキスだった。
加絵は唇を開き、崇の舌と唾液を受け入れる。
雨と風の音がうるさい。世界から私たちを切り取っていく。
「これ、今だけ、はずしてほしい」
キスの合間にそう言って、崇は加絵の指輪を抜き取った。
2年間、何度もキスをして身体を重ねたのに、そのどれとも違っていた。
口の中を探る舌や唾液の味は同じなのに、こんな熱さは知らない。
加絵は男の首に縋りつくように腕を絡め、夢中で口を開いた。
「ん…」
息継ぎの合間に漏れる声はどうしても甘くなる。
長く深いキスに、こわばっていた身体がほどけてゆく。熱くなる。
加絵の目がとろんと緩んだのを見計らって、崇は服を脱がせた。
「なんか、自分の服を脱がせるのって変な感じだな」
「自分としてるみたい?」
「まさか。俺はこんなに魅力的じゃない」
崇はそうふざけるが、ジャワ更紗のシャツとチノパンの下の身体は、前より逞しくなっている。腕や肩は厚みを増し、逆に頬は少し瘠せた。
洒落たスーツを身にまとって都心を闊歩していた頃は見る影もない。知らない男のようだけれど、伸し掛かってくる肌の質感や匂いは記憶と同じだった。
大きな手と唇が、加絵の存在を確かめるように、身体の輪郭をなぞっていく。
耳、頬、首筋、鎖骨、胸、腕、腰、腹、太もも、ふくらはぎ。
つま先にキスをされ、そのまま足の指をなぶられた。あたたかな舌で指のまたをしゃぶられ、ぞくりと電流が走る。
「や、ちょっと、そんなとこ舐めないで」
「爪、綺麗だね。海の色だ」
「話聞いてる?」
「聞いてない。全部舐めるから」
淡白そうに見えて、行為の最中には恥ずかしい言葉を平気で口にする男だった。
探るように身体をくまなく暴かれる。肌にキスをされる度に、小さく声が上がる。
中心はもうとっくに濡れそぼっていて、太ももを擦り合わせるだけで水音が漏れそうだ。
視線でねだると、崇は心得ているように右手を脚の付け根まで滑らせた。
指先が花びらを割り開く。ぬるりとした感触に怯んだ。
「んっ……」
「加絵、すごく濡れてる」
「言わなくていいからっ」
「濡れてるっていうか、どろどろに溶けそう」
親指で花芯をこすりながら、人差し指が中に入り込んでくる。
「あ、ん…やあっ」
指の存在を喜ぶかのように、膣がぎゅっと収縮したのが分かった。
「うわ、すご」
「何がっ……?」
「何がって、中、すごい」
指が増やされ、天井のざらざらがこすられる。
気持ちいい。こめかみがじんじんする。
でも、もっと気持ちいいものが欲しくて、腰が揺れてしまう。奥の良いところを押される度に絶頂が近づいてきて、シーツを掴んだ。
「やだ、も、わたし、いきそ」
力を入れすぎたつま先が痛い。崇は音を立てて濃厚なキスをしてから、意地悪に訊いた。
「どうしようか、一回、ひとりでいく?」
加絵はふるふると首を振る。
「じゃあ、どうしてほしい?」
答えずにいると、中でばらばらにされた指が出し入れされる。くちゅくちゅと淫らな音が立つ。
気持ちよくて、でも指でなんて、嫌だ。
「言わないなら、このまま指で中とクリ強くこすって、イかせるけど」
崇は一度指を全部抜いて、腫れた突起を人差し指で強めに撫でた。
「ああっ…!」
腰が浮いて、加絵は観念する。叫ぶようにねだった。
「やだ、もう、指はいいからっ」
「指はいいから、なに?」
本当に、意地悪だ。その意地悪な声にさえ感じてしまって、加絵は観念した。
「崇の、……いれて」
視界が滲む。小声で囁くと、崇は頬にキスを落とした。
「可愛い」
両脚が容赦なく限界まで開かれる。濡れた秘部が空気に触れ、ひやりとする。
崇は、大きく反り返った自身に手早くゴムをつけると、加絵に覆いかぶさった。
ペニスの先が、ぬるぬると加絵のクレバスをなぞる。待ちきれなくて、加絵は自分で腰を動かして、崇を迎え入れた。
かたく太いそれが入り込んでくる。圧迫感に加絵は喉を鳴らした。
「んっ…はあっ」
きつさと違和感を感じたのは一瞬で、中はすぐに崇の形に変わり、恍惚が訪れる。
空白を満たされる喜びで、熱い息が漏れた。
崇はすぐには動かなかった。挿入したまま、至近距離で加絵を見つめている。
黒い瞳の奥に映る加絵は、熱にうかされたような顔をしている。
もどかしい。早く、突いてほしいのに。
「崇」
「加絵」
名を呼ぶと、呼び返された。
「……っ、動かないの?」
ストレートに訊くと、崇は笑う。
「加絵を感じてる。でも、やっぱ我慢できないな」
崇は加絵の腰を掴むと、ぎりぎりまで引いて、ゆっくりと奥まで突き上げた。
「……あっ!」
衝撃に思わず高い声が漏れた。
崇は腰を動かしながら、二人の唇の間に人差し指を立てた。
「しー。ここ、壁薄いから」
崇は動きの全部で加絵に快感を与えるように、緩やかな抜き差しを繰り返している。
抜かれる時の感覚がたまらなくて、加絵は必死で声を噛み殺した。
「……っ、……んっ、……あ」
手で口を覆うとすると、崇が代わりに自分の手のひらを載せてくる。
加絵は唇を開き、その中指の付け根をぺろりと舐めた。汗の塩が舌を指す。
崇が驚いたように加絵を見ている。
もう一度舌を伸ばして今度は強めに指を舐めると、崇自身が質量を増したのが分かった。
膨らんだペニスに反応して、膣内がぎゅっとしまった。
「っ……すげ」
崇が奥歯を噛みしめるように唸る。
「加絵、エロいことすんなって」
「どっちがよ」
憎まれ口は、急に激しくなった腰の動きで封じられた。
「あ、や、やっ……!」
声を殺すなんてもう無理だ。絶え間なく力強く奥を犯され、加絵は突かれる度に喘いだ。
肌が鳴る。水音が聞こえる。声が涸れる。
気持ちいい。熱くて、濡れていて、溶けそうだ。
加絵は朦朧と呟く。
「あっ……ね、もう、もうやだ」
「なにが」
「だってもう、いきそ……」
「まだだめ」
「やだ、なんで」
「もう少しつきあって」
言うなり、崇は繋がったまま上体を起こし、加絵の上半身を引き寄せた。
「えっ…………ああっ!」
向かい合わせに座る形だ。自重で最奥をつかれて、悲鳴のような声が出た。
「ほら。声。しーって言っただろ」
「ごめ……だって」
加絵は崇の髪に指を差し入れた。見上げてくる瞳は優しくて、甘い。
こんなふうに見つめてくれるのに、どうしていなくなったりしたの。
背中を撫でる手のひらの熱に、加絵は涙を流した。
崇が身体を揺するたびに、ペニスの先が奥へ奥へと進み、子宮口をこじあけてくる。
知らない感覚に、加絵は怯む。怖い。こんな奥まで、知らない。
「やだ、これ、こわい」
「加絵」
こんな奥は、知らない。内臓まで抉られそうな圧だ。身体の中を作り変えられるような恐怖に、加絵は崇の肩に爪を立てた。
「や、こんな奥、入んないっ……んんっ」
「加絵。落ち着いて。息して」
崇が動きを止め、指先で涙をぬぐってくれる。加絵は大きく息を吸った。
「そう。大丈夫だから。俺が入ってるん、感じて」
崇が囁く。セックスの時にしか使わない、低くて甘い声が好きだった。
ゆっくり呼吸すると、中の形がよりまざまざと伝わってくる。自分の中の最奥の部分が、きゅうっと崇に吸い付いている。
「きもちい?」
あやすように訊く崇の額を汗が流れている。情欲に浮かされた男の眼は、色っぽくてくらくらする。
加絵はこくりと頷いた。
奥に当たるのが、気持ちいい。慣れてくると、今度は崇が動かないのがもどかしくて、自分でゆるやかに上下した。
「加絵、可愛い」
「馬鹿じゃないの」
「うん、加絵の前では馬鹿だよ。ずっと」
「ねえ、動いて」
自分の動きだけでは、イケない。
そうねだると、崇は繋がったまま器用に加絵の手足を動かすし、正常位に戻った。
顔が見たいからと、達するときはいつもこの体勢だった。
ぱんぱんと肌がぶつかる音が響く。抜かれる時に、カリの部分が擦れるのがたまらなく、腰が揺れる。ストロークが力強く、早くなる。
崇は切なげに眉根を寄せて、視線で犯すように加絵を見つめている。
「や、もう、いく、からっ……」
「うん、俺も」
言うなり、崇は何度か腰を激しく動かした。
「………ああああっ!」
自分でも驚くような高音が飛び出て、浮遊感に襲われる。視界は真っ白で、とんでもなく気持ちいい。
こめかみが熱く疼き、内臓が全部溶けるみたいな感覚。
膣がぎゅっと収縮して、崇のペニスがどくどくと震える。0.1ミリの壁越しに、精が吐き出される感触に意識が飛びそうになる。お腹が、じんわりとあたたかい。
結局、明け方まで離してもらえなかった。
目が覚めると、ちょうど夜が明けるところだった。
ベランダの窓を開けると、湿度の残った早朝の空気が情事の名残を洗い流していく。
加絵は手早くシャワーを借りると、すっかり乾いた下着とワンピースを身にまとった。
借りていた崇のTシャツとハーフパンツは丁寧に畳んで、ソファーの上に置いた。
頭はクリアだった。やってしまったとは思わなかった。後悔もない。
自分で、決めたことだ。でも、これが最後だ。
名刺か電話番号を置いていこうかと迷い、結局やめた。
「加絵?」
物音で目覚めたのか、崇がシーツの中で身じろぎした。
「起こしてごめんなさい。もう行かないと。今日も撮影なの」
朝の光の中で、加絵は今日の予定を口にする。
崇はベッドから出て衣服を身に着けると、唐突に言った。
「加絵。俺、死ぬんだ」
虚を突かれて、加絵は瞬く。
今、この男はなんと言った?
凍りつく加絵に、崇は繰り返した。
「俺は、もうすぐ死ぬ」
「なにそれ」
冗談ではない。冗談でこんなことを言う男ではない。
昨夜の甘さが嘘のように、お腹が冷たくなる。指先が、感覚を失う。
崇は淡々と続けた。
「病気なんだよ。治る見込みはない。だから、人生の残りは、好きなことをして過ごそうと思ったんだ。それが、失踪の理由」
「そんな、どうして言ってくれなかったの」
信じられない。混乱して恨み言を口にする加絵に、崇はとても病人に見えない快活な笑みを見せた。
「言ったら、泣いてただろ」
「当たり前じゃない」
当たり前だ。泣いて、でもきっと二人で前を向こうと思ったはずだ。
加絵の心中など知らぬように、崇は言った。
「加絵が婚約してて良かった。そうじゃなかったら、ここに閉じこめてたよ」
「ふざけてないで。ねえ、病名は?」
「内緒。教えたら、必死で治療法とか調べるだろ」
「当たり前じゃない」
同じ台詞を繰り返して、唇を噛んだ。泣きそうだ。
「無駄だよ。元記者の情報収集力でも無理だったんだ」
崇は肩をすくめる。
この男は、どれほどの思いで加絵から、日本から去ったのだろう。
笑顔の奥の諦観が、痛い。
「ほら、もう行けよ。遅刻するぞ」
「崇。また、会える?」
すがるような問いかけに、崇は静かに首を横に振った。
「加絵。会えて嬉しかった。神様からの最後の贈り物だな」
曇りなく笑って、崇は扉を開いた。街の喧騒が流れ込んでくる。
スリッパを脱ぎ、サンダルを履く。
何か言いたいのに、どの言葉も喉元で詰まってしまって、何も言えなかった。
だから、ただ微笑んだ。ちゃんと笑顔になっていたか分からないけど。
「ありがとう」
崇は優しい声でそう言うと、加絵の額に口づけた。今までで一番優しいキスだった。
それから、加絵の背中をぽんと押した。
背を押してくれた力を受けて、外に出る。庭を突っ切って、門を出る。振り向かずに、道を曲がる。
崇が最後まで見送ってくれているのが分かった。振り向きたかったけど、振り向けなかった。
せっかく笑顔で別れたのだ。こんなぼろぼろの泣き顔、見せられない。
涙をぬぐって、加絵はウブドの道をまっすぐに歩く。
サンダルはまだ湿っていて、歩く度に水音を立て、足音を残した。
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