ペンと羅針盤

ナムラケイ

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01:異国のバスで目覚めたら

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 意識の遠くで、ギターの音色が聴こえる。
 深く艶めく声が歌うのは、ある男の人生。
 オーストラリアの荒野で愛と自由のために戦った誇り高き男の物語だ。

 身体に伝わる振動が心地よい。
 頬と腕に触れる人肌はあたたかくて。
 ずっとこのまま微睡んでいたいのに、時間と共に眠りは浅くなってゆく。
 伴奏のピアノの最後の音が余韻を残して消えると、不意に静寂が訪れた。

「この曲、なんだっけ」

 航平は瞼をこすりながら、夢と現実の狭間で呟いた。

「エルトン・ジョンのドローバーズ・バラッドだよ。「オーストラリア」っていう映画で使われてた」

 眠りを妨げないようにか、囁くような声が耳元で答えてくれる。

「そっか。あの映画、ダーウィンが舞台だったもんな…」

 薄く目を開けて車窓を眺めれば、乾いた赤茶色の大地が水平線まで続いている。
 そうだ。ここはオーストラリア北部の都市、ダーウィンで、ツアーバスの中だ。
 現実が戻ってきて、航平ははたと止まる。

 あれ、今、日本語で会話してたよな。
 いや、その前に俺に連れなんていない。なのに、人肌があたたかいって。

 隣の乗客に無遠慮にもたれかかっている自分の体勢に気づき、航平はがばりと身を起こした。
 一瞬で眠気が吹っ飛ぶ。
 薄暗いバスの中、隣に座る若い男は突然飛び起きた航平を面白そうに見ている。
 とにかく謝罪だ。
 航平は両手を合わせて、頭を下げた。

「すみませんでした!」
「いや、気にしなくていいよ」

 すぐに帰ってきた声音は思いのほか柔らかく、航平はほっとする。
 おそるおそる顔を上げると、同い年くらいの、端正な顔立ちの男だった。

「俺、もしかしてずっともたれてました?」
「僕が乗ってきた時にはもう寝ていたけれど、もたれていたのは20分くらいかな」

 男はわざとらしく腕時計を見る仕草をしたが、その口元はおかしそうに緩んでいる。
 良かった。怒ってはいないようだ。
 しかし、見知らぬ男の肩に20分。不覚だ。

「本当にすみませんでした。次は容赦なく起こしてください」

 真面目に謝罪しているのに、男は「まだ寝る気?」とまぜっかえしてくる。

「いや、そういう意味じゃなく。あ、でも、帰りに寝ない自信もないな」

 しどろもどろになる航平に、男はなんだか楽しそうだ。

「君、面白いね。肩ぐらいいつでも貸すので、帰りも良かったらどうぞ」
「いえ、もう結構です」 

 丁重に固辞すると、今度は大袈裟に肩を落としている。

「僕の肩、そんなに寝心地悪かった?」
「そんなことは! すごく気持ちよかったです」
「すごい台詞を言うね」

 男は口元に手をやって笑いを噛み殺している。これはもしかして。

「あの、俺、からかわれてます?」
「ごめん。君があんまり可愛くて」

 可愛いって。30過ぎの男に使う形容詞ではない。いや、これもからかわれているのか。
 己の失態に苦虫を噛み潰しているうちに、バスは目的地に到着した。


 バスを降りたツアー客一行は、広がる景色に一斉に息をのんだ。
 果てしなく続く緑の森林地帯に、夕焼け色の巨大な岩肌が連なっている。
 その断面に刻まれた地層が、数万年の年月を物語っている。
 まだ午前中だが、強い日差しと乾燥した空気に肌がひりつく。
 あまりに眩しいので、航平はサングラスをかけた。
 見ると、隣席の男もキャップとサングラスを身に着けている。
 姿勢の良い長身にアルマーニのサングラスが嫌味なく似合っていて、同じ男として羨ましい。

「これから遊歩道を散策しますが、その前に点呼を取ります」

 ツアーガイドがでっぷりとした腹を揺らしながら、一行全員に聞こえるように声を張り上げた。
 航平達が参加しているのは、カカドゥ国立公園日帰りツアー。
 ユネスコの世界遺産にも指定されている公園で、ダイナミックな自然景観とアボリジニの壁画が見どころだ。
 ゴールデンウィークと夏休みの間の6月最終週の平日。現地発着ツアーの参加者は、ほとんどがオーストラリア人とニュージーランド人だ。

 日本人はどうやら二人のみで、ガイドは航平たちを見ると、「And, Kohei and Ari. OK, everyone is here.」と親指を立てた。
 航平は隣席の男とサングラス越しに目を合わせる。

「俺、十波となみ航平って言います。アリさんっていうお名前なんですか?」

 自己紹介してから尋ねると、男は肩を竦めた。

「僕は有馬って言うんだけど、オージーには発音がしづらいんだろうね。あのガイドさん、申し込みの時からアリって呼んでくるんだ。中東の名前みたいで若干複雑なんだけど」
「俺も、覚えにくい名前だねって外国人によく言われます。じゃあ、有馬さん。日本人は俺らだけだし、セット扱いされてるみたいなんで、今日はよろしくお願いします」

 航平が右手を差し出すと、有馬は握手に応じて言った。

「航平は何歳?」
「31です」
「同じだ。じゃあ、有馬って呼んでよ。敬語もなしで」
「はい。あ、ええと、おう」

 言い直す航平の背をぽんと叩くと、有馬はガイドに続いて遊歩道に向かって歩き出した。
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