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41:決意の中継
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「航平。仕事中に悪いんだけど、今すぐ、1階のロビーで会えないかな」
金曜日の夕方、有馬から突然電話があった。
互いに社会人なので、余程のことが無ければ平日の日中に電話をかけることはない。
有馬の声が固く他人行儀なものだったので、航平は業務を放り出してエレベーターへ走った。8階から1階の数十秒間が気の遠くなるほど長かった。
ロビーでは、職員や出入り業者が行き交い、受付の案内員や警備員が忙しそうに立ち働いている。
有馬は、入り口付近の柱の陰に緊張した面持ちで立っていた。
「有馬。どうした?」
努めて明るい声を出したつもりだったが、声がかすれた。それくらい、有馬の表情は険しかった。
暗い灰色のスーツを乱れなく着こみ、ネクタイのノットには一分の乱れもない。髪をきっちり固め、右腕には帝都テレビの社名が入った腕章を巻いている。
有馬から少し離れたところには、ムービーカメラとマイクを抱えたスタッフが控えている。
これからテレビに出るのだ。
「航平。ごめん、仕事中に」
「いや、いいって。なんか大事な話か?」
「このあと、5時のニュースで、正門前から中継するんだ」
「おう、頑張れよ。テレビで見ててやる」
努めて気軽に応援すると、有馬は神妙に頷き、航平を見据えた。
「テレビで見ていてほしい。それを見て、まだ僕と話してくれるなら、電話をくれないか」
声は固く、少し震えている。
「なんだよそれ。有馬、変だぞ」
「ごめん。今は、これしか言えなくて」
いつも自信に満ちて飄々としている有馬が、顔をこわばらせている。
その両肩を、航平はばしりと叩いた。
「何があったか知んねえけど、しゃんとしろ! 中継で声が震えてたら、お茶の間に笑われんぞ」
声を張って元気づけると、有馬はようやく少し笑った。
「ありがとう。航平、大好きだよ」
「おう。ほら、カメラマンさん待ってるぞ、行ってこい」
無理に笑顔を作って送り出したが、嫌な予感しかしなかった。
余程大きな政策発表や不祥事でもない限り、省庁の前から中継が入ることなどない。
ここ数か月、有馬が取材していたスクープは、防衛省関連だったということか。
家の中でも有馬の保秘は完璧だったので、なんのスクープなのか想像もつかない。
5時まであと数分。気ばかりが焦る。なかなか来ないエレベーターがもどかしくて、8階まで階段を駆け上がった。
防衛課に飛び込むと、6台のテレビが一斉に5時を告げるところだった。
「十波3佐、汗だくでどうしたんですか?」
声をかけてくる堀内1尉には答えず、帝都テレビの音量を上げる。
派手なタイトル画面が踊り、すぐにスタジオに切り替わった。
「TTVイヴニングニュース、5時に注目! 本日はこちらのラインナップでお伝えします」
アナウンサーの葉梨カレンがアップになる。華やかな服装が多い彼女だが、今日は濃紺のセットアップだ。
「十波、音うるせえぞ! 音量下げろ…え?」
防衛課長の苦情は途中で絶句に代わる。
ずらりと並んだニュース見出しの一番上。本日のトップニュース。
『海上自衛官、中国スパイに秘密漏洩』
どくりと心臓が跳ねた。課内がざわつく。
は? なんだよ、これ。
葉梨カレンが、深刻な表情で滔々と原稿を読み始めた。
「最初のニュースは帝都テレビの独占取材です。防衛省の海上幕僚監部に所属する3等海佐が、在京中国大使館の職員とみられる中国人女性に秘密情報を漏洩した疑いがあることが分かりました」
海上幕僚監部の3佐。まさにこの建物で働いている誰かということだ。
「帝都テレビの取材によりますと、この3等海佐は交際関係にあった中国人女性に対して、海上自衛隊の内部情報を口頭にて伝達したほか、部外秘の資料を提供していたとのことです。それでは、防衛記者クラブの有馬記者から中継です。有馬さん?」
画面が切り替わり、毎朝通り抜ける防衛省の正門前の映像が映る。
先ほど会ったばかりの有馬が、イヤホンを確認するように耳に手を当てている。
「はい。こちら、防衛省正門前から有馬がお伝えします」
「有馬記者。今回、海上幕僚監部の3等海佐による秘密情報漏洩ということですが、この3佐はどのような情報を知りえる立場にあったのでしょうか」
「はい。海上幕僚監部は、海上自衛隊を指揮するいわば海自の最高司令部といえる機関です。この3佐は、装備計画部の艦船武器課という部署に所属しており、海上自衛隊の護衛艦の性能や今後の調達計画といった機微な情報を取り扱うことができた人物です」
有馬は感情の読めない表情でよどみなく話している。先ほどの震えの欠片もない、よく通り深みのある声だ。
「有馬記者は今回の事件を取材されていましたが、その3佐と中国人女性の関係について詳しくお願いします」
「はい。この中国人女性は、タイからの留学生と身分を詐称し、3佐と交際をしていました」
「タイ人のフリをしていた」
葉梨の復唱に有馬は頷く。2人の会話がテロップとして次々に表示されていく。
3佐の個人名に言及がないのは、まだ容疑が確定していないからだろうか。
「はい。親日国であり、日本の友好国であるタイ人であれば、日本人の警戒が少ないと考えたのでしょう。中国側の巧妙な作戦といえます」
「そして、この中国人女性は、中国大使館の職員だったのですね」
「中国大使館の正規の職員かは確認できていませんが、我々の取材の中で、この女性が中国大使館に出入りするのを複数回確認しました」
「具体的には、どのような情報が流出していたのでしょうか」
「この中国人女性は、東京都のK大学で安全保障を勉強していると語り、3佐から様々な情報を入手していました。具体的にどのような情報が中国に渡ったかは今後の捜査となるでしょうが、おそらく最初は当たり障りのない知識から始め、段階的に情報の要求レベルを上げていったと考えられます」
「それではここで、帝都テレビ特別取材班が入手した写真をご覧ください。こちらの写真は、都内の飲食店で3佐が女性と食事をしている様子を撮影したものですが、3佐がファイルと冊子のようなものを手渡していることが確認できます」
テレビ画面いっぱいに写真が映し出される。盗撮とは思えないクリアな写真だった。
写真に映る2人は顔に加工がされているが、知り合いならばすぐに分かる鮮明さだった。
「これ、北村じゃないか?」
誰かが呟いた。
金曜日の夕方、有馬から突然電話があった。
互いに社会人なので、余程のことが無ければ平日の日中に電話をかけることはない。
有馬の声が固く他人行儀なものだったので、航平は業務を放り出してエレベーターへ走った。8階から1階の数十秒間が気の遠くなるほど長かった。
ロビーでは、職員や出入り業者が行き交い、受付の案内員や警備員が忙しそうに立ち働いている。
有馬は、入り口付近の柱の陰に緊張した面持ちで立っていた。
「有馬。どうした?」
努めて明るい声を出したつもりだったが、声がかすれた。それくらい、有馬の表情は険しかった。
暗い灰色のスーツを乱れなく着こみ、ネクタイのノットには一分の乱れもない。髪をきっちり固め、右腕には帝都テレビの社名が入った腕章を巻いている。
有馬から少し離れたところには、ムービーカメラとマイクを抱えたスタッフが控えている。
これからテレビに出るのだ。
「航平。ごめん、仕事中に」
「いや、いいって。なんか大事な話か?」
「このあと、5時のニュースで、正門前から中継するんだ」
「おう、頑張れよ。テレビで見ててやる」
努めて気軽に応援すると、有馬は神妙に頷き、航平を見据えた。
「テレビで見ていてほしい。それを見て、まだ僕と話してくれるなら、電話をくれないか」
声は固く、少し震えている。
「なんだよそれ。有馬、変だぞ」
「ごめん。今は、これしか言えなくて」
いつも自信に満ちて飄々としている有馬が、顔をこわばらせている。
その両肩を、航平はばしりと叩いた。
「何があったか知んねえけど、しゃんとしろ! 中継で声が震えてたら、お茶の間に笑われんぞ」
声を張って元気づけると、有馬はようやく少し笑った。
「ありがとう。航平、大好きだよ」
「おう。ほら、カメラマンさん待ってるぞ、行ってこい」
無理に笑顔を作って送り出したが、嫌な予感しかしなかった。
余程大きな政策発表や不祥事でもない限り、省庁の前から中継が入ることなどない。
ここ数か月、有馬が取材していたスクープは、防衛省関連だったということか。
家の中でも有馬の保秘は完璧だったので、なんのスクープなのか想像もつかない。
5時まであと数分。気ばかりが焦る。なかなか来ないエレベーターがもどかしくて、8階まで階段を駆け上がった。
防衛課に飛び込むと、6台のテレビが一斉に5時を告げるところだった。
「十波3佐、汗だくでどうしたんですか?」
声をかけてくる堀内1尉には答えず、帝都テレビの音量を上げる。
派手なタイトル画面が踊り、すぐにスタジオに切り替わった。
「TTVイヴニングニュース、5時に注目! 本日はこちらのラインナップでお伝えします」
アナウンサーの葉梨カレンがアップになる。華やかな服装が多い彼女だが、今日は濃紺のセットアップだ。
「十波、音うるせえぞ! 音量下げろ…え?」
防衛課長の苦情は途中で絶句に代わる。
ずらりと並んだニュース見出しの一番上。本日のトップニュース。
『海上自衛官、中国スパイに秘密漏洩』
どくりと心臓が跳ねた。課内がざわつく。
は? なんだよ、これ。
葉梨カレンが、深刻な表情で滔々と原稿を読み始めた。
「最初のニュースは帝都テレビの独占取材です。防衛省の海上幕僚監部に所属する3等海佐が、在京中国大使館の職員とみられる中国人女性に秘密情報を漏洩した疑いがあることが分かりました」
海上幕僚監部の3佐。まさにこの建物で働いている誰かということだ。
「帝都テレビの取材によりますと、この3等海佐は交際関係にあった中国人女性に対して、海上自衛隊の内部情報を口頭にて伝達したほか、部外秘の資料を提供していたとのことです。それでは、防衛記者クラブの有馬記者から中継です。有馬さん?」
画面が切り替わり、毎朝通り抜ける防衛省の正門前の映像が映る。
先ほど会ったばかりの有馬が、イヤホンを確認するように耳に手を当てている。
「はい。こちら、防衛省正門前から有馬がお伝えします」
「有馬記者。今回、海上幕僚監部の3等海佐による秘密情報漏洩ということですが、この3佐はどのような情報を知りえる立場にあったのでしょうか」
「はい。海上幕僚監部は、海上自衛隊を指揮するいわば海自の最高司令部といえる機関です。この3佐は、装備計画部の艦船武器課という部署に所属しており、海上自衛隊の護衛艦の性能や今後の調達計画といった機微な情報を取り扱うことができた人物です」
有馬は感情の読めない表情でよどみなく話している。先ほどの震えの欠片もない、よく通り深みのある声だ。
「有馬記者は今回の事件を取材されていましたが、その3佐と中国人女性の関係について詳しくお願いします」
「はい。この中国人女性は、タイからの留学生と身分を詐称し、3佐と交際をしていました」
「タイ人のフリをしていた」
葉梨の復唱に有馬は頷く。2人の会話がテロップとして次々に表示されていく。
3佐の個人名に言及がないのは、まだ容疑が確定していないからだろうか。
「はい。親日国であり、日本の友好国であるタイ人であれば、日本人の警戒が少ないと考えたのでしょう。中国側の巧妙な作戦といえます」
「そして、この中国人女性は、中国大使館の職員だったのですね」
「中国大使館の正規の職員かは確認できていませんが、我々の取材の中で、この女性が中国大使館に出入りするのを複数回確認しました」
「具体的には、どのような情報が流出していたのでしょうか」
「この中国人女性は、東京都のK大学で安全保障を勉強していると語り、3佐から様々な情報を入手していました。具体的にどのような情報が中国に渡ったかは今後の捜査となるでしょうが、おそらく最初は当たり障りのない知識から始め、段階的に情報の要求レベルを上げていったと考えられます」
「それではここで、帝都テレビ特別取材班が入手した写真をご覧ください。こちらの写真は、都内の飲食店で3佐が女性と食事をしている様子を撮影したものですが、3佐がファイルと冊子のようなものを手渡していることが確認できます」
テレビ画面いっぱいに写真が映し出される。盗撮とは思えないクリアな写真だった。
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