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49:有馬の記事
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「ねえねえ、花ちゃん。あの人、泣いてない?」
「え、マジ? うわ、ホントだ。スマホ見ながら泣くとか、ドラマかよ」
「ちょっとあんたら、やめなって。最近は物騒なんだから。変な人だったら、何されるか分からないよ」
乗客の少ない地方鉄道の車両で、女子高校生の声は小さくもよく響いた。
大の男が公共の場でみっともない。分かってはいるが、目頭が熱くなるのが止められない。
航平は目頭を強く押さえた。
くそ、電車で読むんじゃなかった。
北村から送られたURLの先、帝都テレビのニュースサイトの特集コーナーには、有馬の渾身の記事が掲載されていた。
記事の前半では事件の経緯が正確な言葉遣いでつまびらかに語られ、後半は社説のように記者自身の考えが綴られていた。曰く。
機密情報漏洩事件といえば、2000年代のロシアによるボガチョンコフ事件がまず挙がるだろう。本事件と同様、海上自衛隊の佐官がロシアの外交官に弱みを握られ、機密文書を手渡していた事件である。また、2007年には、海上自衛官がイージス艦の図面を、妻であった中国人女性に漏洩して逮捕された事件も記憶に新しい。
他国の諜報活動による機密漏洩は自衛隊だけの問題ではない。同じく2000年代、在上海日本総領事館の外交官が、交際相手の中国人女性に情報を漏洩し、自ら命を絶つという痛ましい事件も起こった。
これらの事件を受け、政府は数々のカウンターインテリジェンス(外部からの諜報活動に対する情報漏洩防止措置)に取り組み、職員への教育も強化しているが、今回、また同様の事件が起こってしまった。
本事件で送検された3等海佐の罪状は裁判を待つばかりであるが、今、我々がするべきことは、彼を糾弾することではない。
機密情報の漏洩は国家と国民を危険にさらす行為であり到底許されるものではないが、その根底にあるのが、他国による個人の弱みや家族を盾とした卑劣な諜報活動であることを忘れてはならない。
人には誰でも弱さがある。想像してほしい。家族や金銭や恋愛感情に付け込まれ、あるいは脅迫された際に、あなたは毅然と首を横に振れるだろうか?
外交官による諜報活動は国際条約に抵触するものであり、日本政府は相手国政府に対して断固たる抗議を取るべきである。
外国政府による、日本の安全保障を脅かす行為は諜報活動に留まらない。
基地やエネルギー施設周辺等、戦略的価値が高い土地が外国政府によって買収されている。精密機械等のメーカーが有する技術の中には、例えばカメラのレンズ等の市販品に使われているものでも、殺傷能力を持つ軍事兵器に転用可能な技術も多い。
外交や防衛の公務にあたっている者だけではなく、民間企業の社員も諜報の対象となる可能性があるのだ。
政府は、国民の生命と財産を守るため、カウンターインテリジェンスの重要性を再認識し、しかるべき予算を投入し、対策を強化しなければならない。この事件をただの不祥事で終わらせるのではなく、情報保全体制の更なる検討のトリガーとなることを願ってやまない。
「どうぞ」
一通り読み終えて顔を上げた航平の鼻先に、ポケットティッシュが差し出された。
街中で受け取ったのだろう。パッケージには、大手カラオケ店の名前と地図がでかでかと描かれている。
向かいに座っている、高校生くらいの男の子だった。金髪で、首に大きなヘッドホンをかけている。
「あ、ありがとう」
「いえ」
少年は短く答えると、ヘッドホンをつけて瞼を閉じた。
有難い。航平は遠慮なく、ティッシュで目元と鼻を拭った。
茅ヶ崎駅から乗ってきたJR湘南新宿ラインを横須賀線に乗り換えると、母の家がある鎌倉まではすぐだった。
駅を降りるなり、ホームでスマホの電話帳を呼び出した。
有馬静加。
何度も消そうと思って、けれど結局消すことができなかった名前と電話番号。
脈打つ鼓動を抑えて電話をかけるが、応答はない。
10回の呼び出し音を死にそうな思いでやり過ごしてから、スマホをオフにした。
仕事中なのかもしれない。
航平からの連絡には、もう出てくれないのかもしれない。
有馬の家に行けば、もしくは有馬の職場まで行けば、会うことができるだろうか。
自分から切った相手のテリトリーに入っていく等、格好悪いことこの上ないに、下手をすればストーカーだ。
それでも。
航平はホームの時刻表を見る。
東京に戻って有馬の家に行ってみよう。母さんには申し訳ないけど。
このまま、何事もなかったように母と二人のクリスマスなんて過ごせそうにない。
ちょうどホームに滑り込んできた折り返し列車に乗ろうと踵を返した時、スマホが震えた。
有馬かと思って慌てて画面を見ると、母からだ。
「航平?」
「うん」
「声が変よ。もしかして、泣いてる?」
母は息子のことに敏感だ。
「まさか。それより、どうかした?」
「あなた、今、どこ?」
「えっと。まだ途中だけど」
「何それ。要領を得ないわね。まあいいけど。来る途中で、野坂酒店に寄ってシャンパンを受け取ってきてちょうだい。冷えたモエを注文してあるから」
「あの、母さん。悪いんだけど、今日は…」
「あらやだ、シチューのお鍋が噴きそうだわ。じゃあ、よろしくね。気を付けて来るのよ!」
航平に喋る暇を与えず、母は言いたいことだけ言って慌ただしく電話を切ってしまう。
いつもは航平の話をしっかり聞いてくれるのに、余程準備に奔走しているのか。
今更、今日は行かれないとは言えなくなってしまった。
有馬には、後でもう一度電話をしてみよう。
そう決めて、改札をくぐった。
「え、マジ? うわ、ホントだ。スマホ見ながら泣くとか、ドラマかよ」
「ちょっとあんたら、やめなって。最近は物騒なんだから。変な人だったら、何されるか分からないよ」
乗客の少ない地方鉄道の車両で、女子高校生の声は小さくもよく響いた。
大の男が公共の場でみっともない。分かってはいるが、目頭が熱くなるのが止められない。
航平は目頭を強く押さえた。
くそ、電車で読むんじゃなかった。
北村から送られたURLの先、帝都テレビのニュースサイトの特集コーナーには、有馬の渾身の記事が掲載されていた。
記事の前半では事件の経緯が正確な言葉遣いでつまびらかに語られ、後半は社説のように記者自身の考えが綴られていた。曰く。
機密情報漏洩事件といえば、2000年代のロシアによるボガチョンコフ事件がまず挙がるだろう。本事件と同様、海上自衛隊の佐官がロシアの外交官に弱みを握られ、機密文書を手渡していた事件である。また、2007年には、海上自衛官がイージス艦の図面を、妻であった中国人女性に漏洩して逮捕された事件も記憶に新しい。
他国の諜報活動による機密漏洩は自衛隊だけの問題ではない。同じく2000年代、在上海日本総領事館の外交官が、交際相手の中国人女性に情報を漏洩し、自ら命を絶つという痛ましい事件も起こった。
これらの事件を受け、政府は数々のカウンターインテリジェンス(外部からの諜報活動に対する情報漏洩防止措置)に取り組み、職員への教育も強化しているが、今回、また同様の事件が起こってしまった。
本事件で送検された3等海佐の罪状は裁判を待つばかりであるが、今、我々がするべきことは、彼を糾弾することではない。
機密情報の漏洩は国家と国民を危険にさらす行為であり到底許されるものではないが、その根底にあるのが、他国による個人の弱みや家族を盾とした卑劣な諜報活動であることを忘れてはならない。
人には誰でも弱さがある。想像してほしい。家族や金銭や恋愛感情に付け込まれ、あるいは脅迫された際に、あなたは毅然と首を横に振れるだろうか?
外交官による諜報活動は国際条約に抵触するものであり、日本政府は相手国政府に対して断固たる抗議を取るべきである。
外国政府による、日本の安全保障を脅かす行為は諜報活動に留まらない。
基地やエネルギー施設周辺等、戦略的価値が高い土地が外国政府によって買収されている。精密機械等のメーカーが有する技術の中には、例えばカメラのレンズ等の市販品に使われているものでも、殺傷能力を持つ軍事兵器に転用可能な技術も多い。
外交や防衛の公務にあたっている者だけではなく、民間企業の社員も諜報の対象となる可能性があるのだ。
政府は、国民の生命と財産を守るため、カウンターインテリジェンスの重要性を再認識し、しかるべき予算を投入し、対策を強化しなければならない。この事件をただの不祥事で終わらせるのではなく、情報保全体制の更なる検討のトリガーとなることを願ってやまない。
「どうぞ」
一通り読み終えて顔を上げた航平の鼻先に、ポケットティッシュが差し出された。
街中で受け取ったのだろう。パッケージには、大手カラオケ店の名前と地図がでかでかと描かれている。
向かいに座っている、高校生くらいの男の子だった。金髪で、首に大きなヘッドホンをかけている。
「あ、ありがとう」
「いえ」
少年は短く答えると、ヘッドホンをつけて瞼を閉じた。
有難い。航平は遠慮なく、ティッシュで目元と鼻を拭った。
茅ヶ崎駅から乗ってきたJR湘南新宿ラインを横須賀線に乗り換えると、母の家がある鎌倉まではすぐだった。
駅を降りるなり、ホームでスマホの電話帳を呼び出した。
有馬静加。
何度も消そうと思って、けれど結局消すことができなかった名前と電話番号。
脈打つ鼓動を抑えて電話をかけるが、応答はない。
10回の呼び出し音を死にそうな思いでやり過ごしてから、スマホをオフにした。
仕事中なのかもしれない。
航平からの連絡には、もう出てくれないのかもしれない。
有馬の家に行けば、もしくは有馬の職場まで行けば、会うことができるだろうか。
自分から切った相手のテリトリーに入っていく等、格好悪いことこの上ないに、下手をすればストーカーだ。
それでも。
航平はホームの時刻表を見る。
東京に戻って有馬の家に行ってみよう。母さんには申し訳ないけど。
このまま、何事もなかったように母と二人のクリスマスなんて過ごせそうにない。
ちょうどホームに滑り込んできた折り返し列車に乗ろうと踵を返した時、スマホが震えた。
有馬かと思って慌てて画面を見ると、母からだ。
「航平?」
「うん」
「声が変よ。もしかして、泣いてる?」
母は息子のことに敏感だ。
「まさか。それより、どうかした?」
「あなた、今、どこ?」
「えっと。まだ途中だけど」
「何それ。要領を得ないわね。まあいいけど。来る途中で、野坂酒店に寄ってシャンパンを受け取ってきてちょうだい。冷えたモエを注文してあるから」
「あの、母さん。悪いんだけど、今日は…」
「あらやだ、シチューのお鍋が噴きそうだわ。じゃあ、よろしくね。気を付けて来るのよ!」
航平に喋る暇を与えず、母は言いたいことだけ言って慌ただしく電話を切ってしまう。
いつもは航平の話をしっかり聞いてくれるのに、余程準備に奔走しているのか。
今更、今日は行かれないとは言えなくなってしまった。
有馬には、後でもう一度電話をしてみよう。
そう決めて、改札をくぐった。
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