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第2章:鳥の羽ばたく、海の彼方へ
Perfume, the Moon, and Jellyfish
「中弥。俺は帰るが、誰が来ても絶対に扉は開けるなよ」
「うん。お疲れ様」
水田の事件の後、叔父は柑露茶館の全ての鍵を最新式の二重錠に付け替えた。新しい事業に夢中でカフェー経営からは遠のいていたのに、最近は毎日店に顔を出し、店員が一人になる時間を作らないようにしている。中弥は叔父の亡き妹の忘れ形見なので、叔父なりに責任を感じているのだと思う。
叔父が帰宅して半時が経った頃、茶館の扉がノックされた。事前に来訪を知らせる文を受け取っていたので、覗き窓を確認してから扉を開けた。
「セイジ。いらっしゃい」
「押領司先生。こんばんは」
先週、家庭教師としての最後の授業を終え、セイジの帰国まで1週間を切った。帽子をラックにかけるセイジを見ながら、あと何回、この店に来てくれるだろうかと考える。お茶を淹れてから二階の自室に案内すると、セイジは鞄から小さな包みを取り出した。
「夜分にすみません。これを先生にお渡ししたくて」
絹布を開くと手のひらサイズのクリスタルの瓶だった。底と上部が繊細な銀細工で覆われていて、琥珀色の液体が入っている。
「これは?」
「プレゼントです。蓋を開けてみてください」
鎖のついた小さな栓を抜くと、瑞々しい柑橘の香りが広がった。
「これ。セイジの」
「俺がいつも使っている香水です。自意識過剰かもしれないですが、先生、この香りを気に入ってくれているようだったので」
「うん、とても好きな香りだ。ありがとう。大切にする」
中弥は飾り棚の置物を動かして、一番良い場所に香水瓶を置いた。この棚には朝日が差し込む。陽の光を浴びるガラス瓶はきっと綺麗だろう。
「俺、この部屋がすごく好きなんですよね」
「ここが? 物が多くてごちゃごちゃしてるだろ」
本棚には本をぎっしり詰め込み、壁には絵や地図を飾り、棚や机は置物だらけだ。どれも子供の頃から時間をかけて集めた気に入りの物たちだ。掃除はしているが、お世辞にも整理整頓がされているとは言い難い。
「先生の好きなものが詰まっていて、先生の中にいる気がします」
「すごい言い回しをするね」
「俺も先生の頭の中に混ぜて欲しくて、何か形に残るものを贈りたいと思ったんです。香水瓶、俺が戻るまで置いておいてくださいね」
「うん。見る度に君を思い出すよ」
「俺もあの風車を見て、毎日先生を思っていますよ」
「それは、価格差が申し訳ないな」
香水や装飾品には疎いが、細工からしておそらく相当高価な品物だ。
セイジは中弥の頬に手を寄せると、そっとキスをした。
「先生がくれたものは全部、ダイヤモンドより価値があります」
中弥はセイジの胸元に額を寄せると、ずっと考えていたことを口にした。
「セイジ。今夜、泊まっていかないか」
セイジが息を呑んだのが振動で伝わってくる。
「先生。それ、どういう意味で仰っていますか」
「そういう意味で言っているんだよ」
丁度昨日、最後まで残っていた首筋のガーゼを外すことができた。もう何の跡も残っていない。
危険な目に遭って思い知った。人生はいつどんなことが起こるか分からない。セイジだって、今後どんな出会いがあるとも限らない。彼が去る前に彼のものになっておきたかった。
「どうして急にそんなことを」
「俺は誰ともそういうことをしたことがないから、最初は絶対に君がいい。それを誰かに奪われてしまうかもしれないし、君が本当に戻って来られるかだって分からない。だから、その前に」
思いの丈は喋り出したら支離滅裂になってしまった。セイジは困ったように中弥を見下ろしていたが、すがっていた両手首をそっと掴んだ。
「先生。落ち着いてください。まず、座りましょう」
セイジは中弥をベッドに座らせると、両手を握ったままその場に跪いた。こちらを見上げる顔は最初に会った時よりずっと大人びている。
「先生。先生の気持ちは死ぬほど嬉しいです。本当です。俺も男なので、先生のことを抱きたいと思っているし、数えきれないくらい想像もしました。でも、先生、セックスはとても大事なことですよね。こんなふうに何かを怖がって、それを埋めるためにするのは、違います」
それを聞いて、憑き物が落ちたように心が軽くなった。床に誘ってもセイジは簡単に応じたりしないだろうと心のどこかで分かっていた。君はそういう人だ。
「先生。神に誓って約束します。立派な男になって、必ず戻ってきます。先生に会うために。アメリカと日本の両方の国のためになるような事業をするために。ですから、俺が先生に相応しい男になった時に、先生の全部を俺にください。辛いのは待つ方なのに、勝手を言ってすみません」
言葉の力は偉大だ。誠意を尽くした言葉はこんなにも心を打つ。不意に涙が溢れそうになって、中弥は瞬いた。
「いいよ。待ちくたびれたら、俺がそっちに行くから」
「それもいいですね。それから先生。キス以上のことはしませんが、お泊まりはしてもいいですよね」
一人用のベッドは狭くて、ぴたりと身体を合わせて床についた。セイジの腕の中にすっぽり収まるとその温もりに心が休まる。
「セイジ。その、あたってるんだけど」
「すみません。どうしようもないので、気にしないでください。そのうち静まりますから」
気にするなと言われても、昂った下半身から熱が伝わってきて、性行為の経験はないのに腹の奥が疼く。切ないけれど、でもこのままずっと抱きしめあっていよう。
互いの熱を感じながら、ベッドの中でたくさんの話をした。
出会って一年以上経つのに、話は尽きなくてこのまま時間が止まればいいのにと切に願った。
「セイジは、輪廻転生を知っているか?」
「リインカーネーション。生まれ変わりの思想ですよね。俺はクリスチャンなので信じていませんが、思想としては理解しているつもりです」
「もし、仮に前世があるとしたら、自分が何だったかを知りたいか?」
「どうかな・・。知りたくはないかもしれません」
「どうして」
「生まれ変わりがあったとしても、今の自分は今の自分でしかないですよね。業を引きずって生きたくはありません」
「そうか。そうだよな」
「でも、先生の前世が何だったかはちょっと知りたいです」
「さあな。そのへんで泳いでる海月とかじゃないか」
窓から覗く満月があんまりに綺麗でそう連想すると、セイジはふわりと笑った。
「いいですね。じゃあ俺は、先生の隣で泳いでいる海月だったってことにしましょう」
目元に落ちた前髪をセイジの指先がはらってくれる。この指先の優しさをずっと覚えていよう。
月光は冴え冴えと美しく、室内を青く揺らめかせる。海に漂うふたつの海月。武士と絵師よりとても素敵だ。遠くで船の汽笛が聞こえる。それ以外には音のない、とても静かな夜だった。
「うん。お疲れ様」
水田の事件の後、叔父は柑露茶館の全ての鍵を最新式の二重錠に付け替えた。新しい事業に夢中でカフェー経営からは遠のいていたのに、最近は毎日店に顔を出し、店員が一人になる時間を作らないようにしている。中弥は叔父の亡き妹の忘れ形見なので、叔父なりに責任を感じているのだと思う。
叔父が帰宅して半時が経った頃、茶館の扉がノックされた。事前に来訪を知らせる文を受け取っていたので、覗き窓を確認してから扉を開けた。
「セイジ。いらっしゃい」
「押領司先生。こんばんは」
先週、家庭教師としての最後の授業を終え、セイジの帰国まで1週間を切った。帽子をラックにかけるセイジを見ながら、あと何回、この店に来てくれるだろうかと考える。お茶を淹れてから二階の自室に案内すると、セイジは鞄から小さな包みを取り出した。
「夜分にすみません。これを先生にお渡ししたくて」
絹布を開くと手のひらサイズのクリスタルの瓶だった。底と上部が繊細な銀細工で覆われていて、琥珀色の液体が入っている。
「これは?」
「プレゼントです。蓋を開けてみてください」
鎖のついた小さな栓を抜くと、瑞々しい柑橘の香りが広がった。
「これ。セイジの」
「俺がいつも使っている香水です。自意識過剰かもしれないですが、先生、この香りを気に入ってくれているようだったので」
「うん、とても好きな香りだ。ありがとう。大切にする」
中弥は飾り棚の置物を動かして、一番良い場所に香水瓶を置いた。この棚には朝日が差し込む。陽の光を浴びるガラス瓶はきっと綺麗だろう。
「俺、この部屋がすごく好きなんですよね」
「ここが? 物が多くてごちゃごちゃしてるだろ」
本棚には本をぎっしり詰め込み、壁には絵や地図を飾り、棚や机は置物だらけだ。どれも子供の頃から時間をかけて集めた気に入りの物たちだ。掃除はしているが、お世辞にも整理整頓がされているとは言い難い。
「先生の好きなものが詰まっていて、先生の中にいる気がします」
「すごい言い回しをするね」
「俺も先生の頭の中に混ぜて欲しくて、何か形に残るものを贈りたいと思ったんです。香水瓶、俺が戻るまで置いておいてくださいね」
「うん。見る度に君を思い出すよ」
「俺もあの風車を見て、毎日先生を思っていますよ」
「それは、価格差が申し訳ないな」
香水や装飾品には疎いが、細工からしておそらく相当高価な品物だ。
セイジは中弥の頬に手を寄せると、そっとキスをした。
「先生がくれたものは全部、ダイヤモンドより価値があります」
中弥はセイジの胸元に額を寄せると、ずっと考えていたことを口にした。
「セイジ。今夜、泊まっていかないか」
セイジが息を呑んだのが振動で伝わってくる。
「先生。それ、どういう意味で仰っていますか」
「そういう意味で言っているんだよ」
丁度昨日、最後まで残っていた首筋のガーゼを外すことができた。もう何の跡も残っていない。
危険な目に遭って思い知った。人生はいつどんなことが起こるか分からない。セイジだって、今後どんな出会いがあるとも限らない。彼が去る前に彼のものになっておきたかった。
「どうして急にそんなことを」
「俺は誰ともそういうことをしたことがないから、最初は絶対に君がいい。それを誰かに奪われてしまうかもしれないし、君が本当に戻って来られるかだって分からない。だから、その前に」
思いの丈は喋り出したら支離滅裂になってしまった。セイジは困ったように中弥を見下ろしていたが、すがっていた両手首をそっと掴んだ。
「先生。落ち着いてください。まず、座りましょう」
セイジは中弥をベッドに座らせると、両手を握ったままその場に跪いた。こちらを見上げる顔は最初に会った時よりずっと大人びている。
「先生。先生の気持ちは死ぬほど嬉しいです。本当です。俺も男なので、先生のことを抱きたいと思っているし、数えきれないくらい想像もしました。でも、先生、セックスはとても大事なことですよね。こんなふうに何かを怖がって、それを埋めるためにするのは、違います」
それを聞いて、憑き物が落ちたように心が軽くなった。床に誘ってもセイジは簡単に応じたりしないだろうと心のどこかで分かっていた。君はそういう人だ。
「先生。神に誓って約束します。立派な男になって、必ず戻ってきます。先生に会うために。アメリカと日本の両方の国のためになるような事業をするために。ですから、俺が先生に相応しい男になった時に、先生の全部を俺にください。辛いのは待つ方なのに、勝手を言ってすみません」
言葉の力は偉大だ。誠意を尽くした言葉はこんなにも心を打つ。不意に涙が溢れそうになって、中弥は瞬いた。
「いいよ。待ちくたびれたら、俺がそっちに行くから」
「それもいいですね。それから先生。キス以上のことはしませんが、お泊まりはしてもいいですよね」
一人用のベッドは狭くて、ぴたりと身体を合わせて床についた。セイジの腕の中にすっぽり収まるとその温もりに心が休まる。
「セイジ。その、あたってるんだけど」
「すみません。どうしようもないので、気にしないでください。そのうち静まりますから」
気にするなと言われても、昂った下半身から熱が伝わってきて、性行為の経験はないのに腹の奥が疼く。切ないけれど、でもこのままずっと抱きしめあっていよう。
互いの熱を感じながら、ベッドの中でたくさんの話をした。
出会って一年以上経つのに、話は尽きなくてこのまま時間が止まればいいのにと切に願った。
「セイジは、輪廻転生を知っているか?」
「リインカーネーション。生まれ変わりの思想ですよね。俺はクリスチャンなので信じていませんが、思想としては理解しているつもりです」
「もし、仮に前世があるとしたら、自分が何だったかを知りたいか?」
「どうかな・・。知りたくはないかもしれません」
「どうして」
「生まれ変わりがあったとしても、今の自分は今の自分でしかないですよね。業を引きずって生きたくはありません」
「そうか。そうだよな」
「でも、先生の前世が何だったかはちょっと知りたいです」
「さあな。そのへんで泳いでる海月とかじゃないか」
窓から覗く満月があんまりに綺麗でそう連想すると、セイジはふわりと笑った。
「いいですね。じゃあ俺は、先生の隣で泳いでいる海月だったってことにしましょう」
目元に落ちた前髪をセイジの指先がはらってくれる。この指先の優しさをずっと覚えていよう。
月光は冴え冴えと美しく、室内を青く揺らめかせる。海に漂うふたつの海月。武士と絵師よりとても素敵だ。遠くで船の汽笛が聞こえる。それ以外には音のない、とても静かな夜だった。
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