龍の檻と青年

はる

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記憶

車を降りたものの、力が入らず歩けなかった奏多は翠に抱き抱えられる。

そして、車を降りた瞬間、奏多は違和感を覚えた。
見覚えのある空気――重く、閉じた匂い。

建物の外観を見上げたとき、胸の奥がひくりと痛んだ。

(……ここ)

 中に入ると、確信に変わる。
 廊下の幅、壁の色、足音の響き方。

 陵が何事もないように歩きながら言った。

「ここ、うちの組が所有してる建物や。人目は気にせんでええ」

 奏多は何も答えられなかった。
 心臓が早鐘を打ち、過去の記憶が、無遠慮に輪郭を持ちはじめる。

 そして――
 案内された部屋の前で、完全に思い出してしまった。

 扉が開く。

 薄暗い室内。
 同じ位置にある机、同じベッド、同じ壁。

(……ここ、だ)

 かつて、朔弥に連れてこられた部屋。
 逃げ場がなく、恐怖だけがあった場所。

 奏多の足が、無意識に止まる。

「奏多さん」

 翠がすぐに気づき、静かに声をかける。

「大丈夫です。今は一人ではありません」

 その言葉に背中を押されるように、翠と奏多は部屋に入った。

 次の瞬間――

 ガチャリ。

 はっきりとした、金属音。

 振り返った視線の先で、扉が閉まり、鍵が回される。

「……え」

 音が、やけに大きく耳に残る。

 陵は扉の向こう側で、いつもの調子のまま言った。

「悪いな。とりあえず、や」

 その“とりあえず”が、ひどく曖昧で、不安を煽る。

「準備してくるだけや。すぐ戻る」

 足音が、廊下の奥へ遠ざかっていく。

 残されたのは、沈黙と、閉じ込められた空間。

 奏多の呼吸が、浅くなる。

「……出られ、ない……」

 翠がドアに近づき、ノブに手をかける。
 回らない。

 力を入れても、びくともしない。

 胸の奥から、冷たいものが込み上げてくる。
 過去の記憶と今が、重なっていく。

「大丈夫です」

 翠がすぐに奏多の肩に手を置いた。

「俺も一緒にいます。…大丈夫です。」

 その言葉どおり、翠は奏多をベッドに寝かせて探るようにあたりを見回す。
 まるで、盾になるように。

 それでも、不安は消えない。

(“とりあえず”って、なに……?)

 陵の笑顔が、脳裏に浮かぶ。
 優しそうで、掴みどころのない、あの表情。

 奏多は、ぎゅっと自分の服を握りしめた。

 ここは安全なのか。
 それとも――また、同じことが繰り返されるのか。

 答えは、まだ返ってこない。

 ただ、鍵の音だけが、頭の中で何度も反響していた。


****


部屋の空気に、微かな違和感が混じっていた。
 
埃と、古い木材の匂い。湿ったような、逃げ場のない匂い。

 奏多は、無意識のうちに視線を動かして――
 部屋の奥にある、それを見つけてしまった。

 古びた木の扉。

壁と同じ色に沈み、目立たない場所にあるのに、なぜかそこだけが浮き上がって見える。
 
取っ手は傷だらけで、塗装は剥げ、長い間使われていないようだった。

「……っ」

 喉が、きゅっと鳴る。

 胸の奥で、何かが軋んだ。
 
ただ、見てはいけないものを見てしまった感覚だけが、はっきりとある。

(怖い…やだ…やめて……)

 視線を逸らそうとしても、うまくいかない。
 扉の向こうに、音がある気がした。
 人の気配。足音。低い声。

 ――違う。
 今は、何もない。

 分かっているのに、体が言うことを聞かない。

 呼吸が浅くなり、耳鳴りがする。
 過去の記憶が、輪郭を持たずに押し寄せてくる。

(また、閉じ込められる……?)

 手のひらが冷たくなり、指先が震えだす。

「……奏多さん?」

 翠の声が、すぐ近くで聞こえた。

 奏多は答えようとして、言葉が出ない。
 代わりに、視線だけが扉に釘づけになっている。

 翠は一瞬で察し、奏多の前に立つように位置を変えた。
 その身体が、扉を視界から遮る。

「見なくて大丈夫です」

 静かで、確かな声。

「ここには、何も起きません。今は、安全です」

 “安全”という言葉が、すぐには染み込まない。
 それでも、翠の存在が現実を引き戻してくれる。

 奏多は、ぎゅっと目を閉じた。

「……ごめん……」

 掠れた声が、ようやく出る。

「急に……頭、変になって……」

「謝らなくていいです」

 翠は距離を保ったまま、落ち着いた口調で続ける。

「フラッシュバックの前兆だと思います。呼吸を一緒に整えましょう」

 奏多は、言われるままに、ゆっくり息を吸う。
 吐く。
 もう一度。

 心臓の音が、少しずつ現実の速さに戻っていく。

 それでも、胸の奥に残る不安は消えなかった。

 鍵をかけられたこと。
 この部屋であること。
 そして――あの扉が、まだそこにあること。

 奏多は、無意識に翠の袖を掴んでいた。

「……ひとりに、ならないよね」

 確認するような声。

 翠は、迷いなく答えた。

「俺が、ここにいます」

 扉の向こうで、何かが動く気配はない。
 それなのに、奏多の不安だけが、静かに、確実に膨らんでいった。



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