龍の檻と青年

はる

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会いたくなかった人

どれくらい時間が経ったのか、分からなかった。

部屋には時計もなく、窓もないため時間の進みが分からない。
加えて、スマホも倉庫のところで取られてしまった。

奏多は翠のそばに座ったまま、奥の木の扉を見ないようにしていた。
 
それでも、視界の端に“ある”という事実だけで、胸の奥がざわつく。

 そのとき――

 カチャリ

 鍵の回る音がした。

 奏多の肩がびくりと跳ねる。

 扉が開き、入ってきたのは陵だった。
 手には、小さなケースを持っている。

「待たせてもうたな」

 相変わらず、貼りつけたような笑顔。
 

 翠がすぐに立ち上がる。

「それが、解毒剤ですか」

「せや。これで楽になる」

 陵はそう言いながら、奏多に視線を向ける。

「しんどかったな。よう耐えた」

 その言葉に、奏多は反射的に身を引きそうになる。
 けれど、もう逃げ場はない。

 翠がそっと、奏多の方を振り返った。

「奏多さん。俺がここにいます。大丈夫です」

 その一言に、奏多は小さくうなずいた。

「……うん」

 陵はケースを開き、必要なものだけを手に取る。
 動きは慣れていて、無駄がない。

「一瞬や。すぐ終わる」

 奏多は視線を床に落とし、ぎゅっと拳を握った。
 体の奥で、熱と不安が渦を巻く。

(終わったら……どうなるんだろう)

 考えようとした瞬間、
 腕に、冷たい感触が触れた。

 反射的に肩が強張る。

「……っ」

「力抜き。今は抵抗せん方がええ」

 陵の声は穏やかなままだ。

 翠の手が、奏多の反対側の腕にそっと触れる。

「呼吸、俺と合わせてください」

 その声に従い、ゆっくり息を吸う。

 次の瞬間、
 わずかな違和感が走り――それだけだった。

「……はい、終わり」

 陵があっさりと言う。

 奏多は拍子抜けしたように瞬きをした。
 痛みらしい痛みは、ほとんどなかった。

 しばらくして、体の奥でざわついていた熱が、少しずつ引いていくのが分かる。
 
頭を締めつけていた靄が、薄くなっていく感覚。

「……」

 言葉が出ない。
 ただ、息がしやすくなった。

「即効性やし、効いてきとるはずや」

 陵はケースを閉じ、立ち上がる。

「完全に落ち着くまで、もう少しかかる。せやけどもう大丈夫やと思うで。」

 翠が奏多の表情を確認し、静かに言った。

「…よかった…顔色が、さっきより良いです」

 奏多はゆっくりと目を閉じた。
 恐怖が消えたわけじゃない。
 けれど、今は――意識を保てている。

 陵はその様子を見て、満足そうに笑った。

「ほな、あとは…」


 綾がそう言いかけたとき、奏多の視界が、ゆっくりと滲んでいった。
 
陵の立っている姿も、翠の顔も、輪郭が曖昧になる。

(あ、だめだ……)

 安心した瞬間に、張り詰めていたものが一気に切れた。

 指先から力が抜け、上半身が前に傾く。

「奏多さん——!」

 翠の声が聞こえた。
 腕を支えられた感触も、確かにあった。

 けれど、もうそれ以上は掴めない。

 世界が、すっと暗くなる。

 怖い、という感情すら浮かばなかった。
 ただ、深い底に沈んでいくような、重たい眠気。

「……大丈夫や。気ぃ失っとるだけや」

 陵の声が、ひどく遠くで響いた気がした。

 最後に感じたのは、
 翠が奏多の体を抱きとめ、何かを必死に呼びかけている気配。

 その声も、やがて溶けていった。

 奏多の意識は、
 電源を落とされたみたいに、静かに途切れた。



****


ゆっくりと、まぶたが重さを取り戻していく。

 最初に感じたのは、布の感触だった。
 固い床でも、見慣れた布団でもない、少し湿った白い布団。

「……っ」


視界が揺れながら、天井の輪郭がはっきりしてくる。

「……奏多さん」

 すぐ近くで、抑えた声がした。

 顔を横に向けると、翠がいた。
 椅子に腰掛けたまま、少し前のめりになって、奏多の顔を覗き込んでいる。

 目が合った瞬間、翠の表情がはっきりと変わった。

「……よかった」

 肩から、ふっと力が抜けるのが分かった。
 今まで必死に張りつめていた糸が、ようやく緩んだみたいだった。

「目、覚めましたね。意識、はっきりしてますか」

「……うん……」

 声はかすれていたけれど、ちゃんと出た。
 それだけで、翠は小さく息を吐く。

「急に倒れられたので……本当に、心配しました」

 その言葉は、淡々としているのに、奥に強い安堵が滲んでいた。

 奏多が起き上がろうとすると、翠がすぐに手を伸ばす。

「無理しないでください。まだ、体に薬の影響が残っている可能性があります」

 ――薬。

 その言葉に、胸の奥がざわついた、その時。

 カチャリと、部屋の扉が開く音がした。

 反射的に、奏多の体が強張る。

「お、起きとるやん」

 軽い調子の声。
 場違いなくらい明るくて、なのに背中が冷たくなる。

 振り向いた先にいたのは、男が二人。

 一人は、あの貼り付けたような笑顔のままの男。
 もう一人は、少し後ろに立って、静かにこちらを見下ろしている綾に似た若い男。

 奏多の喉が、無意識に鳴った。

 翠は、すっと立ち上がり、奏多の前に半歩出る。

「……」

 男たちと翠の間に、言葉のない緊張が落ちる。

 笑顔の男――陵が、ゆっくりと視線を奏多に向けた。

「無事でよかったわ。ほんま」

 その言葉は優しいはずなのに、
 奏多の胸の奥に、嫌な予感だけを残した。

 そして、陵の隣にいる男が、初めて口を開く。

 低く、感情を抑えた声。

「……久しぶりだな」

 その瞬間、
 奏多の中で、何かがはっきりと繋がる気配がした。


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