龍の檻と青年

はる

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桐谷の言葉が、耳に残ったまま、離れなかった。

そのはずなのに、胸の奥で、別の声が何度も何度も繰り返す。

――嘘だ。
――何もできないなら、いないのと同じだ。

奏多は、壁に背中を預けたまま、視線を床に落とす。
部屋の中は静かで、時計の音だけがやけに大きく聞こえた。

役に立っていない。
足を引っ張っている。
ここにいることで、迷惑をかけている。

考えれば考えるほど、頭の中に、黒い霧みたいなものが広がっていく。

桐谷が動く気配がすると、体が勝手に強張る。
また何かしなきゃ。
また、怒られる前に、先に動かなきゃ。

でも、さっきの「やめろ」が、胸の奥で突き刺さったままだった。

動いたら、だめ。
動かなくても、だめ。

どっちに転んでも、怖い。

奏多は、膝を抱えて、小さく息を吐く。
肺の中の空気が、全部冷たくなったみたいだった。

――ここにいていいのか。
――ここにいちゃ、いけないんじゃないか。

視界の端が、じわっと滲む。
涙が出そうになるのを、必死にこらえる。

泣いたら、また、迷惑になる気がしたから。

「……ごめんなさい」

誰に向けたのかも分からないまま、言葉だけが、ぽつりとこぼれる。

胸の中で、恐怖と不安と自己嫌悪が、絡まって、ほどけなくなる。
まるで、暗い水の中に、少しずつ沈んでいくみたいに。

それでも、奏多は、顔を上げられなかった。
桐谷の方を見るのが、怖かった。

見られたら、きっと、
“役に立たない自分”が、そのまま映ってしまう気がしたから。


****



「もう遅い。寝よう」

桐谷の声が、やさしく落ちてくる。
奏多は、ソファの端に座ったまま、小さく肩をすくめた。

「……もう少しここにいたいので、先に寝ててください。」

喉の奥で言葉が引っかかって、うまく音にならない。
目を逸らして、テーブルの上の何でもない場所を見つめる。

桐谷が近づいてくる気配がして、奏多の指先がぎゅっとクッションを掴んだ。

「ここで寝たら、体きついだろ」

「大丈夫です。ちょっと、考え事してるだけで……」

考え事なんて、もう何時間も前に終わっている。
ただ、立ち上がる理由が、見つからないだけだった。

桐谷は何か言いかけて、でもそれ以上は踏み込まなかった。
代わりに、ブランケットをそっと奏多の肩にかける。

「無理するなよ」

その一言が、胸の奥に、静かに落ちる。

奏多は、小さく頷いたつもりだった。
でも、体はソファから動かなかった。

天井の明かりが消えて、部屋が暗くなる。
時計の針の音だけが、やけに大きく響く。

目を閉じても、眠りは来なかった。
時間だけが、静かに、無情に流れていく。

――気づいたときには、窓の外が、うっすらと白んでいた。

朝の光がカーテンの隙間から差し込んで、奏多の目を刺す。
瞬きをして、ようやく、夜が終わったことを知る。

足音がして、桐谷がリビングに入ってくる。

「……奏多?」

その声に、奏多は反射的に顔を上げる。

桐谷は、ほんの一瞬、言葉を失ったように立ち止まった。
奏多の目の下にくっきりと浮かんだ隈を見て、眉をひそめる。

「……一睡も、してないのか」

奏多は、うまく答えられずに、視線を落とした。

桐谷は、深く息を吐いて、近くの椅子に腰を下ろす。
しばらくの沈黙のあと、低い声で言った。

「……やっぱり、病院に行こう」

責めるような口調じゃなかった。
むしろ、どこか、困ったような、心配するような声音だった。

奏多の胸が、きゅっと縮む。

「無理させてるつもりはない。でも……このまま放っておくわけにはいかない」

桐谷は、奏多の方をまっすぐ見る。

「一人で抱える必要はないんだ。ちゃんと、誰かに頼っていい」

その言葉が、奏多の中で、静かに揺れた。

頼る、という意味が、まだよく分からないまま。
それでも、朝の光の中で、桐谷の声だけが、やけに現実的に聞こえた。
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