龍の檻と青年

はる

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風呂での出来事①

奏多はいつものように医務室奥の簡易シャワーを使おうとしていた。

短時間で済ませる、習慣みたいなもの。

「またシャワー?」

背後から愛斗の声。

「……はい」

少し迷いのある返事。

愛斗は腕を組む。

「いつも急いでるよね」

奏多は目を伏せる。

もしもの時。

倒れたらどうしよう。

閉じ込められたら。

そういう不安が、まだ抜けない。

愛斗はやわらかく言う。

「誰かと一緒なら、もっと安心できると思うよ?」

奏多が顔を上げる。

「それにさ、ここちゃんと風呂あるんだよ。湯船。使っていい」

「……え」

医務室の奥のさらに奥。

組の建物内にある風呂。

ちゃんとした浴室。

今まで遠慮していた。

そのとき。

背後から低い声。

「入りたいなら入れ」

霧島。

いつからいたのかわからない。

奏多が少し緊張する。

愛斗がにやっとする。

「一緒に入るなら安心だろ?」

一瞬の沈黙。

霧島は数秒考えてから、自然に言う。

「……一緒に入るか」

まるで「散歩行くか」みたいなトーン。

奏多、固まる。

「え、え?」

顔がみるみる赤くなる。

霧島は淡々と続ける。

「もし倒れたら困る」

実用的理由。

でも声は柔らかい。

奏多は迷う。

でも。

少しだけ、頷く。

「……お願いします」

小さな声。

愛斗が満足そうに去っていった。


****

浴室。

湯気がふわっと立ちこめている。

広くて、静か。

奏多は少し落ち着かない様子で椅子に座る。

霧島は距離を保って隣に座る。

変に意識しないよう、自然に。

「滑るなよ」

「はい」

ぎこちない空気。

でも、嫌な緊張じゃない。

安心の延長みたいな。

霧島は先に体を流す。

必要以上に見ない。

奏多も、視線を合わせない。

ただ同じ空間にいるだけ。

それだけで、不思議と怖さが減る。

シャワーの音。

湯気。

お湯の匂い。

「……怖くないか」

霧島が静かに聞く。

奏多は少し考える。

「はい、全然」

本音。

霧島はうなずく。

湯船にお湯が張られている。

霧島が先に入る。

「熱くない」

それを確認してから。

「来い」

奏多はゆっくり入る。

お湯が体を包む。

思わず息が漏れる。

「……あったかい」

その声が、ほっとしている。

肩まで浸かる。

隣に霧島がいる。

でも距離は保っている。

触れていない。

ただ、同じ湯の中。


奏多がぽつり。

「きもちい…」

湯気の向こうで、霧島の目がやわらぐ。

「大丈夫か?」

「……大丈夫です」

小さく笑う。

「隣にいるから」

その言葉に、霧島の胸が少しだけ熱くなる。

「そうか」

短い返事。



「……奏多」

低く、やわらかい声。

奏多が視線を向ける。

霧島がほんの少し手を広げる。

「おいで」

短い一言。

強制じゃない。

選ばせるような声色。

奏多の喉が小さく鳴る。

一瞬迷う。

でも、ゆっくりと湯の中を歩いて霧島の前へ。

お湯が波紋をつくる。

霧島の前に立つと、距離が近い。

湯気越しでもわかる体温。

「……ここ、ですか」

かすれた声。

霧島はうなずく。

「倒れたら困る」

相変わらずの理由。

でも目は優しい。

奏多は小さく息を吸う。

そして――

そっと、体を預けた。

霧島の胸元に背中が触れる。

びくっと一瞬震えるが、逃げない。

霧島の腕が自然に支える。

強く抱きしめるわけじゃない。

ただ、倒れないように包むだけ。

奏多の呼吸が少しずつ整っていく。

「……あったかい」

小さな声。

お湯の温かさだけじゃない。

霧島の体温。

安心感。

奏多はゆっくりと頭を後ろへ傾ける。

そして。

霧島の胸元に、こてん、と預ける。

髪が少し濡れて、霧島の顎に触れる。

霧島の動きが止まる。

数秒。

鼓動が少し早くなる。

でも逃げない。

逃がさない。

「……重くないですか」

奏多が不安そうに聞く。

霧島は静かに答える。

「軽すぎるくらいだ」

それから、ほんの少しだけ声を落とす。

「もっと肉つけないと」

その言葉に、奏多の頬がじわっと赤くなる。

でも目は閉じる。

霧島の腕が、少しだけしっかりと支える。

抱きしめるのではなく、

“預かる”ように。

湯船の中で、時間がゆっくり流れる。

奏多の肩の力が抜けていく。

呼吸が深くなる。

「……怖くない」

ぽつり。

霧島は答えない。

代わりに、奏多の濡れた髪をそっと整える。

優しい指先。

それだけで十分。

奏多は安心しきった声で、

「……少し、このままでもいいですか」

霧島は迷わない。

「ああ」

短く。

確かに。

湯気の中、

奏多は体を預けたまま、静かに目を閉じる。

霧島はその重みを受け止めながら、

自分の胸の奥が満たされていくのを感じていた。

守るとか、

責任とか、

そんな言葉よりも。

ただ、

「ここにいてほしい」

それだけが、静かに芽生えていた。  


****



湯気がゆっくり揺れる。

奏多は霧島の胸元に頭を預けたまま、静かに目を閉じていた。

心臓の音が聞こえる。

それが、自分のなのか、霧島のなのか分からないくらい近い。

「……奏多」

小さく名前を呼ぶ。

「ん?」

奏多は少しだけ顔を上げる。

距離が近すぎて、視線が絡む。

さっきの言葉が、まだ胸に残っている。

——お前が笑ってるほうがいい。

霧島は一瞬だけ迷って、でももう逃げなかった。

「……俺も」

声が、いつもより柔らかい。

「好きだよ」

時間が止まる。

奏多の目が見開かれて、すぐにじわっと赤く染まる。

「……っ」

言葉が出ない。

顔が熱い。

湯気のせいじゃない。

「そんな顔するな」

霧島は苦笑しながら、奏多の唇に触れそうになって、ぎりぎりで止める。

代わりに、そっと額をこつんと合わせた。

近い。

呼吸が混ざる距離。

奏多は目を閉じる。

霧島の手が、背中を包む。

「……無理すんなよ」

低く、優しい声。

奏多は赤いまま、小さくうなずく。

湯の中で、静かに抱きしめ合う。

それだけで、十分だった。

霧島は奏多の髪を軽く撫でる。

奏多は、安心したようにその胸に顔を埋めた。

湯気の向こうで、ふたりの距離はもう揺らがなかった。


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