ヘリオポリスー九柱の神々ー

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第十七話

𓅓𓇌𓇋𓄿𓈖〜明暗〜

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 まずはセム神官が匿っていたというその人物を探し出さなければ。セトが直接出向くくらいだ。彼女が敵であれ味方であれ、重要な何かを握っている事は間違いない。もしかすると、メリモセがこの付近に神官を誘導した理由も分かるかもしれないとホルスは思った。

 これ以上無様な姿は見せられない。セトよりも早く彼女を見つけ出すにはどうすればいいか、答えはすでにその手のひらに収まっていた。自身の羽から生まれたそれは小さなハヤブサ。
 
 だがその姿にホルスは思わず目を丸くする。ずんぐりとしていて猛禽類というよりは、もはや彼らの獲物に近かった。おまけに鳴き声まで小鳥のようで、ホルスは思わずため息をついた。霊力不足。この一言に尽きる。

「……まあいいや。ちょっと偵察してきてくれ」
 地上と空中、双方から探索できればそれなりに効率は上がるだろう。ホルスは空へ舞い上がるハヤブサもどきを見送ると、周りを注意深く観察しながらさらに奥へと進んだ。

「……何だ?」
 淡々と歩き続けるホルスの耳を掠めたのは獣の唸り声だった。それに混じり、微かに人の声も聞こえる。ひどく怯えたその声にホルスは思わず駆け出した。

「あれは……!」
 その先でホルスが目にしたのは一人の女を囲うように群がる山犬だった。全部で五匹。牙を剥き、今にも飛びかかろうとする彼らにホルスは足元に転がっていた石を拾って投げつける。

 運良くそれは群れの中で一際大きな一匹の頭に命中し、そいつは面食らったようにキャンと鳴いて岩の間に消えていった。それに続くように他の山犬達も次々とどこかへ走り去る。注意を引き付けて彼女だけを逃がすつもりだったが、その必要はなかったようだ。ホルスはほっと胸を撫で下ろした。

「あの、ありがとうございました。えっと……」
「ホルスだ」

 女性は深々と頭を下げ、ホルスの名を呼んだ。だが脅威が去ったにも関わらずその表情は硬く、未だ落ち着かない様子だ。

「まだ何かあるのか?」
 ホルスの問いかけに女はおずおずと答える。

「私は豊穣と音楽の神バステト様に仕える神官テティと申します。助けて頂いた後に加えて申し上げるのは気が引けるのですが、主を探しては頂けないでしょうか?」
「その主ってのは——」
「バステト様の事です」

 神官が消えるのも大概ではあるが、神が行方知らずとなるとそれは下界にも影響を及ぼす一大事である。

「神が消えた? 何か用があったんじゃないのか?」
「いえ、私達には何も告げず、消息を経ってからもう四日経ちます」

 まさか神が失踪したとでもいうのか?
 一体何故?

「何でこんな場所に? 探す場所なら他にいくらでもあるだろ」
「この数日、神官達と共にエジプト中を探し回りました。ですが一向に見当たらず……。最後に辿り着いたのがこの採石場なのです」
 
 その時ホルスはふと思った。普段誰も足を踏み入れないこの場所で人探しなどそうそうあるものではない。目的は皆同じなのではないか、と。

「そのバステトってのは女神なのか?」
「え? ……ええ。人からも神からも愛されるとても愛情深いお方です」
「だったら俺が探してるのもそいつかもしれねえ。急がねえとそいつを狙ってる奴がもう一人いるんだ」

 その時こつん、とホルスの頭に何かが当たる。例のハヤブサもどきだ。

「何か見つかったのか?」
 彼はついて来いと言わんばかりにピイと鳴いて岩の隙間を縫って飛び始めた。二人は顔を見合わせそれに続く。

「あれは何でしょう?」
 辿り着いた先で二人は不思議なものを目にする。テティが指差す先には巨大な岩が横たわっていた。一見ただの石柱のように見えるが、その先端はピラミッドのように尖っている。

「オベリスクだ」
 それは記念碑として主に神殿や葬祭殿の入り口に建てられ、その影を利用しておおよその時間を知る時計としても使われる。だがそれは横たわったまま、文字すらも彫られていない。いわば未完成のまま放置されていた。
 
「バステト様!」
 呆気に取られるホルスの横でテティが声を上げた。オベリスクの影から誰かがこちらに向かって歩いてくる。テティは彼女に駆け寄るとその体を支えた。

「——ッ」
 彼女に近づいた瞬間、ホルスは全ての感覚が遮断され、まるで時が止まったような感覚に陥る。次いで激しい頭痛に襲われ、思わず足を止めた。脳内に再びおぞましい記憶が蘇る。視界一面を埋め尽くす死体の山。逃げ惑う人々の断末魔。

 だが程なくして症状は治まり、ホルスの意識は再び現実へと引き戻される。

「お怪我を。一体何があったのです?」
 テティが問いただすとバステトは消え入りそうな声で答える。

「分からない。気がついたらここに……」
 言葉通り、彼女自身もかなり混乱しているようだ。まるで狐に摘まれたような、そんな顔をしていた。彼女が指差したのは大人がちょうど二人入れる程の小さな穴だった。

「大丈夫か?」
 ホルスが声を掛けるとバステトは虚な目でこちらを見た。

「どこかであったかしら……」
「いや、俺はホルス。あんたとは初対面だ。……多分」

 自分の記憶はあてにならないが、もしかしたら朦朧として誰かと混同しているのかもしれない。

「私が目を覚ました時、目の前にいた神官に言われたわ。外は危険だからここに居ろと。知らない顔だったけど私はそれに従った。外には確かに不穏な空気が渦巻いていたから」

「そいつのペクトラムを見たか?」
 行方をくらました神官かもしれない。僅かにもたげた希望にホルスは身を乗り出した。

「ごめんなさい。覚えていないわ。……でも豹の毛皮を着ていたのは確かよ」

 あのセム神官だ。僅かな希望を打ち砕かれ、何より彼の末路を語らならばならない事がホルスには堪らなく重荷だった。

「あいつは死んだ。——いや、殺されたんだ。セトに」
 王の名を出した途端二人の顔が険しくなる。

「セトですって?」
「多分あんたはあいつに狙われてる。理由は分からねえけど、明らかに誰かを探してた」

「帰りましょう。ここは危険です」
 テティは主の手を取り自らの肩に回した。

「ホルス。覚えておくわ。貴方とても不思議な目をしてる」
 彼女と目が合うと、何故だか心の底まで覗かれているような、妙な心地がした。それから逃れるようにホルスはそっと目を逸らす。

「このお礼は後日必ず」
 テティは一礼し、バステトと共に目の前から去っていく。

 その時、ホルスは見てしまった。バステトの手首に残った痣を。

「待っ——」
 しかし呼び止めるその手の先に二人の姿はすでになかった。
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