ヘリオポリスー九柱の神々ー

soltydog369

文字の大きさ
36 / 91
第三十四話

𓅓𓇌𓉔𓇌𓈖〜メヘン〜

しおりを挟む
「いってえ……」
 ホルスは強打した腰をさすりながら呟いた。だが空中から落下した割にその衝撃は微々たるもの。不思議に思ったホルスが視線を落とすと、薄紅色の薄い膜が天幕のように全身を支えていた。命拾いしたとはいえ、謎の粘液で覆われたそれに嫌悪感を抱いたホルスはそこからすぐに脱出し、辺りを見回す。

 右側には壁、左側には一本道が続いている。まるで洞窟のようだ。ホルスはトトの研究室を思い出す。

 彼は今何をしているのだろうか。これが意図的なものだとしたらその思惑は一体何だ?
 砂漠での彼の言葉をそのまま受け取るならこれは神上がる為の修行という事になる。いずれにせよこの不気味な空間から抜け出す事が先決だ。

 ホルスは意を決し一本道を進んでいく。風の音一つしない静寂の中歩みを進めていくうち、ホルスはずっと感じていた違和感の正体に気付いた。ここには人間どころかあらゆる生物の気配がまるでない。唯一遭遇したあの青年にさえ生気を感じる事が出来なかった。
 
 あれはまるで――。

 拭い切れぬ違和感と不安に苛まれながらホルスはとにかく歩を進めた。すると目線の先に何かが見えてくる。

 賽子代わりに四本の棒を投げ、獅子の駒と円柱を交互に動かすトトはあっと声を上げた。

「さっそく一つ目の関門だね。ホルス、君は運がいいよ」

 二つの駒が隣り合い、トトは無邪気な笑みを浮かべる。運がいいと言ったのは、それらが対峙する為に間のマス数とぴったり同じ目を出さなければならないからだ。だが獅子の駒は試練を表す。吉か凶か。いずれにせよ神上がり、一刻も早く力を付けたいホルスにとってそれは打ち破るべき壁の一つだ。

 目の前のそれが扉だと分かるとホルスはさっそく取っ手に手を掛け、開けようと試みる。だがかんぬきでもかかっているのかびくともしない。

「不完全なる者よ。ここを通りたくば我の名、そして聖なる呪文を唱えよ」
 
 突然響いたその声にホルスはきょろきょろと辺りを見渡す。だが声の主はどこにも見当たらない。

「名前? 姿も見えねえのにどうやって答えろって言うんだ。それに呪文なんて知らねえ」
 ホルスはあっけらかんとした様子でそう答えた。

「答えられぬならお前はここで野垂れ死ぬだけだ。それでも私は一向に構わない」
「なあ、ここは一体どこなんだ? 俺にはそれすら分からねえんだよ」

 だがいくら待っても返答はない。こちらの質問には答える気がないようだ。

 ホルスは途方に暮れた。アヌビスならともかく、魔術等そういう類のものに一切触れて来なかったホルスには答えられる筈もない。
 
『サウト・セミィト(沙漠の墓地を守護するもの)よ。ラーのためにあなたの扉を開けよ。アケティ(地平線にあるもの)のためにあなたの扉を開けよ』

 呆然と立ち尽くすホルスの隣にいつの間にか見知らぬ女が立っている。まったく気配に気づかなかったホルスは声も出せず、その姿をまじまじと見つめた。

「さあ、呪文は唱えたわ。扉を開けなさい」
「……フン。まあいいだろう」

 少々不満げな声が響き、目の前の巨大な扉がゆっくりと開かれる。 

「行きなさい。貴方にはやるべき事が山程あるでしょう」
 女はそう言ってホルスを扉へと促した。

「助かった。俺は——」
「貴方の事は知ってるわ。ホルス。さあ早く行きなさい」
 女は背中を押し、閉じかけた扉にホルスの体を押し込める。
「待て、俺はあんたの名前を聞いてない」
「ウジャトよ」

 彼女が名乗った後扉はすぐに閉まり、それ以上話す事は叶わなかった。

 ウジャト。
 ホルスはその名前に聞き覚えがあった。あれは確か……。

 ホルスははっとした。川で会った父の最後の言葉だ。ウジャトの目。父はこの目の事を確かにそう言った。

 じゃあこれは彼女の目なのか?
 でも何故?
 
 事情を聞こうにも本人はすでに扉の外。名前を呼んでみたが返事はなかった。

 そして背後から聞こえてきた不気味な呼吸音がホルスの意識を現実へと引き戻す。まだ脅威は去っていなかった。そう気付いた時には敵はすでに牙を剥いていた。

 その右腕に黒蛇ブラックマンバの牙が食い込み、肉を引き裂いた時、ホルスは一瞬意識が遠のきそうになったが、そのままもう片方の腕で蛇の首を掴み引き剥がすと頭を足で思い切り踏みつけた。

「正体は蛇かよ」

 蛇を狩る場合、一切躊躇してはならない。
動きが素早い奴らは一瞬の隙をついて攻撃してくる。これはホルスが狩りで身をもって学習した事だ。だが何度も噛まれ、耐性がつく前からホルスは元々蛇の毒には強かった。蛇によってその毒性に違いはあれど、最低限の処置を行い数時間安静にしていれば命に関わるような事はなかったのである。

 ホルスは扉を背にして座り込み、腰布シェンティの端を破るとそれで傷口付近、心臓に近い方の位置で軽く縛った。深呼吸をし、脈拍を整える。全て体に毒を回さない為の知恵だ。

 この悪寒と冷や汗が収まるまで大人しくしていよう。もちろん、今度こそ警戒は怠らないように。

出典元 松本 弥 図説古代エジプト誌 神々と旅する冥界 来世へ 弥呂久 2021年 後編 p56.57
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

セーラー服美人女子高生 ライバル同士の一騎討ち

ヒロワークス
ライト文芸
女子高の2年生まで校内一の美女でスポーツも万能だった立花美帆。しかし、3年生になってすぐ、同じ学年に、美帆と並ぶほどの美女でスポーツも万能な逢沢真凛が転校してきた。 クラスは、隣りだったが、春のスポーツ大会と夏の水泳大会でライバル関係が芽生える。 それに加えて、美帆と真凛は、隣りの男子校の俊介に恋をし、どちらが俊介と付き合えるかを競う恋敵でもあった。 そして、秋の体育祭では、美帆と真凛が走り高跳びや100メートル走、騎馬戦で対決! その結果、放課後の体育館で一騎討ちをすることに。

甲斐ノ副将、八幡原ニテ散……ラズ

朽縄咲良
歴史・時代
【第8回歴史時代小説大賞奨励賞受賞作品】  戦国の雄武田信玄の次弟にして、“稀代の副将”として、同時代の戦国武将たちはもちろん、後代の歴史家の間でも評価の高い武将、武田典厩信繁。  永禄四年、武田信玄と強敵上杉輝虎とが雌雄を決する“第四次川中島合戦”に於いて討ち死にするはずだった彼は、家臣の必死の奮闘により、その命を拾う。  信繁の生存によって、甲斐武田家と日本が辿るべき歴史の流れは徐々にずれてゆく――。  この作品は、武田信繁というひとりの武将の生存によって、史実とは異なっていく戦国時代を書いた、大河if戦記である。 *ノベルアッププラス・小説家になろうにも、同内容の作品を掲載しております(一部差異あり)。

裏切りの代償

中岡 始
キャラ文芸
かつて夫と共に立ち上げたベンチャー企業「ネクサスラボ」。奏は結婚を機に経営の第一線を退き、専業主婦として家庭を支えてきた。しかし、平穏だった生活は夫・尚紀の裏切りによって一変する。彼の部下であり不倫相手の優美が、会社を混乱に陥れつつあったのだ。 尚紀の冷たい態度と優美の挑発に苦しむ中、奏は再び経営者としての力を取り戻す決意をする。裏切りの証拠を集め、かつての仲間や信頼できる協力者たちと連携しながら、会社を立て直すための計画を進める奏。だが、それは尚紀と優美の野望を徹底的に打ち砕く覚悟でもあった。 取締役会での対決、揺れる社内外の信頼、そして壊れた夫婦の絆の果てに待つのは――。 自分の誇りと未来を取り戻すため、すべてを賭けて挑む奏の闘い。復讐の果てに見える新たな希望と、繊細な人間ドラマが交錯する物語がここに。

中1でEカップって巨乳だから熱く甘く生きたいと思う真理(マリー)と小説家を目指す男子、光(みつ)のラブな日常物語

jun( ̄▽ ̄)ノ
大衆娯楽
 中1でバスト92cmのブラはEカップというマリーと小説家を目指す男子、光の日常ラブ  ★作品はマリーの語り、一人称で進行します。

後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~

菱沼あゆ
キャラ文芸
 突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。  洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。  天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。  洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。  中華後宮ラブコメディ。

おじさん、女子高生になる

一宮 沙耶
大衆娯楽
だれからも振り向いてもらえないおじさん。 それが女子高生に向けて若返っていく。 そして政治闘争に巻き込まれていく。 その結末は?

せんせいとおばさん

悠生ゆう
恋愛
創作百合 樹梨は小学校の教師をしている。今年になりはじめてクラス担任を持つことになった。毎日張り詰めている中、クラスの児童の流里が怪我をした。母親に連絡をしたところ、引き取りに現れたのは流里の叔母のすみ枝だった。樹梨は、飄々としたすみ枝に惹かれていく。 ※学校の先生のお仕事の実情は知りませんので、間違っている部分がっあたらすみません。

処理中です...