ヘリオポリスー九柱の神々ー

soltydog369

文字の大きさ
43 / 91
第四十一話

𓎡𓍯𓎡𓍯𓂋𓍯~心の行方~

しおりを挟む
「それしか方法はないのか?」
 アヌビスは思わずそう尋ねた。

「ないね。少なくとも僕はそれ以外の方法を知らない」
 ラーを陥れた者が誰であれ、その命を奪う事は本意ではない。その決定権が自分にある訳ではないが、王宮に戻る前に術者の正体を調べておく必要がある。

「……そうか。分かった」
 アヌビスが踵を返すのと同時に、背後から呻き声がした。

「ホルス……!」
 先程まで冥界ドゥアトを映していた筈の鏡から彼は姿を現した。闇の淵から生還したその顔は憔悴しきっており、ホルスはその場に倒れるように膝を付く。トトはその体を支えつつ顔を上げるも、すでにアヌビスの姿はなかった。

「大丈夫?」
 トトに支えられながら、ホルスは目の前の椅子に手を伸ばす。だが確実に伸ばした筈の右手は空を切り、バランスを崩したホルスは再び床に手をついた。

「無理しないで」
 再び手を差し伸べるトトに介抱されながらホルスは何とか椅子に収まった。見覚えのある景色にホルスは改めて元の世界に戻ってきた事を実感する。壮麗な天井画。壁一面を覆い尽くす本棚。ただ一つ、以前と変わっていたのは机の上にある不思議な形をした盤だ。

「それはメヘン。いわゆるボードゲームだけど、この盤面がそのまま異世界へと繋がってるんだ。君が今までいた場所はメヘンという大蛇の体内に作られた疑似的な世界。僕が作り出した冥界ドゥアトだよ。そしてこの駒の動きにのっとって君に試練が与えられていた。よって君の言動は全部僕に監視されていたという訳さ」

 それを聞いてホルスは安堵した。自分が体験したこの不可解な現象の全てを、彼ならば解き明かしてくれる。そう思ったのだ。

「……残念だけどそれについて今僕が言える事は、その力が従来の神の力とは全く異なる性質を持っているという事だけだ。それも恐ろしく悪意に満ちた……。そして君はアペプを打ち倒すその瞬間も、その場に座り込んだまま動かなかった。無数の閃光がその巨体を切り刻み、君はその体に手を触れずして敵を瞬殺してしまったんだよ」

 知恵の神すら知らない未知の力が自分の中で暴走を始めている。その事実にホルスは全身が粟立つのを感じた。だがそれについてホルスには一つだけ気になっている事があった。

「俺、見たんだ」
「見たって、何を?」
 怪訝な顔で問い掛けるトトにホルスは続ける。

「前に話しただろ? 俺の中に時々現れる記憶や感情の事。蛇が倒れた後、俺はそいつを心の中から追い出そうと必死だった。だけどその時に見えたんだ。そいつの心が」

 その心に触れた瞬間、ホルスはその人物が耐えがたい苦痛と憎悪の中にいる事を知る。絶望にも似たその感情は母に思いを打ち明けた時に感じた虚しさに似ていた。彼と意識を共有する事で、ホルスはその人物にある種惻隠の情を抱くようになっていた。この力や記憶が一体誰のもので、干渉する理由は何なのか。もしかしたら冥界ドゥアトの川で出会った青年とも何か関係があるかもしれない。

『そこにいるべきはお前ではない』
 彼が残した言葉の意味。そして自分を嫌っている理由も、もう一度彼に会う事で何か分かるかもしれない。

「……セトを倒す為にこの力は必要なんだ。それに俺の中にあるこの感情も記憶も、他人のものとは思えなくて……」
「だからもう一度あの川に戻りたいって訳? やめときなよ。あれは君に扱えるようなものじゃない。それに――」

 トトは急に言葉を区切ったかと思うとその右目をじっと見つめた。

「それ、いつからの?」
 射抜くような視線。その言葉にホルスはドキリとした。彼は薄々気づいていたのだ。右目の異変に。

 ホルスは視界が日々霞んでいく事に恐怖を感じていた。そしてその異変が特に顕著なのは、毎回力が顕現した後だ。

「橋を渡る時足を踏み外したのも、椅子に手が届かなかったのもそのせいだね。これは憶測だけど、仮にその力が君のものになったとして、その代償に君は視力を失う事になる。僕にそれを隠してたのも、止められると思ったからでしょ?」

 図星だ。だがホルスは焦っていた。このまま神上がる事すら出来なければセトを倒すことは愚かアヌビスを探し出すことすら出来ないと。

「他人の意識と体を奪って好き勝手する奴に話が通じるとは思えないけどね」

 確かに極限状態に身を置く事はその本能を呼び覚まし、神上がる為の覚醒に必要な要素の一つだ。だが命を落としてしまえば元も子もない。あれだけ苦しめられたにも関わらずその力を肯定し、利用しようとするホルスにトトは早くもその精神が乗っ取られつつあるのではないかと心配になった。

「……俺はアヌビスみたいに頭が良い訳でも母上みたいに魔術が使える訳でもねえ。それがどんなに危険で無謀でも、俺は足掻く事でしか前に進めねえんだ」

 彼の覚悟に気付いていなかった訳ではない。それはセトを打ち倒し、王座を取り戻すと聞いた時から分かっていた事だった。そして無茶な男である事も。

「それに、あの場所ならまだ俺自身の力が使えた筈だ。もし何が起きても、あの力には頼らねえ」
「自分でコントロールすら出来ない癖によく言うよ」

 トトは半ば諦めたように小さく息を吐き、懐から何かを取り出す。目の前に差し出されたそれは神秘的な光を放つ緋色の小石だった。

「それは二つの世界を行き来できる代物だ。それを握って念じれば、君は再び冥界ドゥアトに足を踏み入れる事が出来る。戻る時も同じだ」

 ホルスはトトから受け取ったそれをまじまじと見つめる。この何の変哲もない小石にそんな力が備わっているとは到底思えなかったが、その顔を見る限りふざけているようにも見えない。

「君が決めた事だ。僕に止める権利はない。だけど一つだけ約束して」

 その目に冷やかしの色はなく、ホルス同様覚悟を決めたトトは続けた。
 
「無茶はしない事。少しでも異変を感じたらすぐに離脱するんだ。体力も視力も奪われたその体で君が出来る事は限られてる。それに外部からの干渉が一切出来ない場所だ。君に何が起きようと助ける術はない。それを心に留めておいて」

「――ああ。分かった」
 ホルスは頷き、小さく息を吐くとそれを強く握り締めた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

セーラー服美人女子高生 ライバル同士の一騎討ち

ヒロワークス
ライト文芸
女子高の2年生まで校内一の美女でスポーツも万能だった立花美帆。しかし、3年生になってすぐ、同じ学年に、美帆と並ぶほどの美女でスポーツも万能な逢沢真凛が転校してきた。 クラスは、隣りだったが、春のスポーツ大会と夏の水泳大会でライバル関係が芽生える。 それに加えて、美帆と真凛は、隣りの男子校の俊介に恋をし、どちらが俊介と付き合えるかを競う恋敵でもあった。 そして、秋の体育祭では、美帆と真凛が走り高跳びや100メートル走、騎馬戦で対決! その結果、放課後の体育館で一騎討ちをすることに。

甲斐ノ副将、八幡原ニテ散……ラズ

朽縄咲良
歴史・時代
【第8回歴史時代小説大賞奨励賞受賞作品】  戦国の雄武田信玄の次弟にして、“稀代の副将”として、同時代の戦国武将たちはもちろん、後代の歴史家の間でも評価の高い武将、武田典厩信繁。  永禄四年、武田信玄と強敵上杉輝虎とが雌雄を決する“第四次川中島合戦”に於いて討ち死にするはずだった彼は、家臣の必死の奮闘により、その命を拾う。  信繁の生存によって、甲斐武田家と日本が辿るべき歴史の流れは徐々にずれてゆく――。  この作品は、武田信繁というひとりの武将の生存によって、史実とは異なっていく戦国時代を書いた、大河if戦記である。 *ノベルアッププラス・小説家になろうにも、同内容の作品を掲載しております(一部差異あり)。

裏切りの代償

中岡 始
キャラ文芸
かつて夫と共に立ち上げたベンチャー企業「ネクサスラボ」。奏は結婚を機に経営の第一線を退き、専業主婦として家庭を支えてきた。しかし、平穏だった生活は夫・尚紀の裏切りによって一変する。彼の部下であり不倫相手の優美が、会社を混乱に陥れつつあったのだ。 尚紀の冷たい態度と優美の挑発に苦しむ中、奏は再び経営者としての力を取り戻す決意をする。裏切りの証拠を集め、かつての仲間や信頼できる協力者たちと連携しながら、会社を立て直すための計画を進める奏。だが、それは尚紀と優美の野望を徹底的に打ち砕く覚悟でもあった。 取締役会での対決、揺れる社内外の信頼、そして壊れた夫婦の絆の果てに待つのは――。 自分の誇りと未来を取り戻すため、すべてを賭けて挑む奏の闘い。復讐の果てに見える新たな希望と、繊細な人間ドラマが交錯する物語がここに。

中1でEカップって巨乳だから熱く甘く生きたいと思う真理(マリー)と小説家を目指す男子、光(みつ)のラブな日常物語

jun( ̄▽ ̄)ノ
大衆娯楽
 中1でバスト92cmのブラはEカップというマリーと小説家を目指す男子、光の日常ラブ  ★作品はマリーの語り、一人称で進行します。

後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~

菱沼あゆ
キャラ文芸
 突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。  洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。  天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。  洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。  中華後宮ラブコメディ。

おじさん、女子高生になる

一宮 沙耶
大衆娯楽
だれからも振り向いてもらえないおじさん。 それが女子高生に向けて若返っていく。 そして政治闘争に巻き込まれていく。 その結末は?

せんせいとおばさん

悠生ゆう
恋愛
創作百合 樹梨は小学校の教師をしている。今年になりはじめてクラス担任を持つことになった。毎日張り詰めている中、クラスの児童の流里が怪我をした。母親に連絡をしたところ、引き取りに現れたのは流里の叔母のすみ枝だった。樹梨は、飄々としたすみ枝に惹かれていく。 ※学校の先生のお仕事の実情は知りませんので、間違っている部分がっあたらすみません。

処理中です...