ヘリオポリスー九柱の神々ー

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第五十七話

𓎡𓄿𓇋𓏏𓇌𓇋〜開廷〜

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 裁判に潜り込んだキオネは混乱していた。これは太陽神ラーを裁く為の裁判だった筈。だが被告人席には別の男が座っていた。

「セト神。相変わらず余裕だな。あれが今から裁きを受ける者の顔か?」
「当たり前でしょ? 今までだって何度も罪を逃れてきたんだし、有罪になった所でせいぜい数日拘束されるくらいで終わりよ」
「久しぶりに見たけど本当綺麗な顔してるよな。あいつは本当に男か?」
「お前女神に相手にされないからって男はやめとけ」
「ば……っ! そういう意味じゃねぇよ! 何だよ相手にされないって!」
「でも分かるわ。女の影がまるでないのが不思議よね」
「馬鹿ね。ああいうのが一番ダメよ。それに噂ではネフティスと——」

「皆、静粛に」
 下世話な会話を続ける神々を制するが如く、法廷に力強い声が響き渡る。

 国中の神が見守る中、真理の神マアトが法廷に姿を現すと、廷内は水を打ったように静まり返った。その壇上から全てを見下ろす様はまさに厳格な法を統べる女神そのものだった。

「これより、被告セト神の裁判を始める」
 厳粛な雰囲気の中、マアトが高らかに宣言する。

 キオネはふと、傍聴席の最上階を見上げる。そこには本来この裁判の被告であるラーが我が物顔で座っていた。まるで自分こそがこの法廷の支配者であるかのようにその様子を見守っている。

 何かがおかしい。だがこの違和感だらけの裁判を誰一人として指摘するものはいない。キオネは淡々と進んでいくこの裁判をただ見守ることしかできなかった。

 裁判はマアトが一柱で取り仕切っているが、有罪か無罪か、それを決めるのは彼女ではない。その判例の殆どが国中から集まった神々の多数決で決められる。だがそれは表面上のルールで、実際は数というよりも誰がどちら側に付くかというのが重要だ。

 その筆頭が最高神ラーであり、この裁判は長年彼の支配下にあると言っても過言ではない。邪神と言われるセトが何年にも渡ってこの世を統治出来ている事実。最も公平であらねばならぬこの裁判までもが弱肉強食の世界である事を証明してしまっている。

「では今一度今回の起訴内容について改めて被告に確認を行う。被告は前へ」

 神々の好奇の目に晒されながらセトは壇上に登った。一切の焦りを感じさせないその顔はむしろ周りを嘲笑しているようにも見える。

 被告、そして参考人、それぞれの証言台の前に天秤が置かれ、右側には羽、そして左側には心臓が乗せられていた。

「被告セト神、参考人セクメト神、両者共に嘘偽りない真実を述べよ。さもなくばこの天秤に乗ったお前達の心臓は即座に冥界ドゥアトの番人アメミットの餌となる」
 
 神の世界において裁判の場で嘘偽りを述べる事は万死に値する。ここに立つ者はそれを厳守しなければならない。

「今回罪に問われているのはかつてこの国を治め、神を統べる王だったオシリスの息子、ホルスをその手に掛けた事についてだがセト神よ。この事実に異論はあるか?」

 マアトの問いにセトはフンと鼻を鳴らした。僅かに動いた唇から彼が何か言ったのだろう事は理解したが、キオネには上手く聞き取れなかった。すると彼の言葉を唯一理解したマアトの眉が僅かに上がる。

「茶番とは、この裁判の事を言っているのか?」
 
 マアトの問いに対しセトは周りを見回し、大衆に向かって言い放つ。

「ああそうだ。ホルスを殺った事も事実。だがこんな事をして一体何になる? お前らも内心分かってるんじゃないのか? 俺を裁判にかけても大した罪に問えない事を」

 セトの言葉に案の定傍聴席はざわついた。

「静粛に! セト神、罪に問えないとはどういう事だ。私は法の番人として——」
「それが茶番だと言ってるだろう。お前が今ここでどれだけ御託を並べようと、無罪か軽罪である事は明白だ。時間の無駄なんだよ。……まぁ俺は自分が今までやってきた事を罪だと思った事はないがな」

 その横暴な発言に当然周りからはヤジが飛ぶ。

「何てこと……!」
「そんな奴さっさと牢にぶち込め!」

 数々の怒号が飛び交う中、セトは火に油を注ぐが如く言動で更に彼らを怒らせた。席から身を乗り出し、今にも飛び掛かろうとするものまで現れ、流石のマアトも裁判を中断せざるを得ない状況にまで発展した。

 一時休廷となり、バステトは胸がざわつくのを感じた。いくら余裕があるとはいえ、周りの者をあそこまで煽る必要があるだろうか。

 そう思った時、目の前をマアトの神官が走り去っていくのを見た。かなり慌てた様子だったのでキオネは思わずその後を追った。
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