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2章
24話 【side:王子】彼女の横
しおりを挟む自分がこんな選択をしようとは、まさか思っていなかった。
数ヶ月前、いや、彼女と出会う前の自分ならば、間違いなくこんな危ない轍は踏んでいない。
追ってくる臣下たちを振り切り一人の女性の元へ走るだなんて、掟破りもいいところだ。
けれど、いざその決断を迫られた時。エリゼオの心に迷いはなかった。
そもそも妙な出会い方をした。
セバスに待遇を変えるよう訴え、無惨にも棄却されていた場面を草陰から覗かれていたのだ。
「ただ、どうにか変える方法ならないこともありませんよ」
そのとき、彼女ーーアニータ・デムーロと初めて交わした会話はいまだ彼の脳裏から離れない。
口を聞いたこともない相手だった。
信じるに足るかどうかなんて、判断がつくわけもない。
だというに、なぜか彼女の醸し出すオーラはエリゼオの背中を押した。
それはほとんど直感のようなもの。自分とは正反対にはっきり物を言う彼女ならば、もしくはこの現状を変えてくれる。
そうあって欲しいと言う願望のようなものが多分に含まれていた。
そして実際、彼女はその願いを着実に叶えていく。
シナリオなる謎の台本に沿って偽の恋人の演技をすることで。
はじめは、彼女にすら疑念を抱いていた。彼女もまた自分を王子だからと特別扱いするものと踏んでいた。
だから作り物の笑顔で接していたのだが、なんとあっさり見抜かれた。
「そういうの必要ありませんよ」と。
正直、驚くほかなかった。これまで出会ってきた女性はほとんど、こうしていれば向こうも笑顔になったのに。
破られたことのなかったエリゼオの鉄壁の仮面。
それを、アニータ・デムーロはあっさりと壊してきたのだ。最初から彼女は、仮面の裏の臆病なエリゼオを見ていた。
そんな情けない側面を見た上でなお、彼女は自分を助けたいという。
ただ見ていられない、というそれだけの理由で。
面食らった、そりゃあもう言葉もなくなるくらい。
本当は警戒しなければいけない場面だったのかもしれない。なぜなら、そうして甘い言葉を囁き、取り入ろうとしてくる人間は五万と会ってきた。
けれど毎日のように会い続けていても、彼女の心に邪さは見つけられなかった。
ただシナリオを成功させようとしてくれたし、身分の差なんて気にしないかのように対等に接してくれた。
そうして彼女は、仮面の裏の暗い暗い世界からエリゼオを連れ出したのだ。
特別なことじゃない。ただ笑顔を向けられるとそれだけで、至極あっさり闇は晴れていった。
ずっとこのままの関係でいられればどれほどいいか。
何度も思ったが、しかし。
この関係はあくまでシナリオで決められた演技のための仮初である。
いつ終わるかだって、目に見えていた。
だから、少しでも引き伸ばしたくて、エリゼオはあえてシナリオ進行の足を引っ張ろうした。
シナリオが終わらなければ、このままでいられる。
どうせ終わるならば少しでも長く。
それがエリゼオの望みだったが、彼女はあくまでシナリオを完遂することを選んだ。
彼女の選択が客観的に見て正しい選択であることは知っていた。「ずっとこのまま」は誰が見たって幻想である。
だから悩みに悩んだ末、エリゼオはその日限りで関係を終わらせようと一度決めて、決意の証に白水晶の腕輪も買った。
もちろんアニータにプレゼントするためだ。なにものにもかえがたい感謝と、演技の域を超えた純なる思いを込めてーー。
最終演技は、とんだ大博打だった。
わざわざ王城の役人たちを引きつけ、街中を大脱走するなんて、正気じゃありえない。
難易度だって、かなりのものだろう。少し前までなら絶対にできなかったと思う。
けれど、彼女の恋人としての最後の演技と思えば失敗する気がしなかった。
実際、うまくやり遂げることもでき、白水晶も渡せた。
一応の思いは伝え、もうやりきったと思っていたのに、
「さようなら」
別れ際に自分で放ったセリフで、一気にやりきれなくなった。
たった一言で、やっと手にした大事なものを一挙になくした気がしたのだ。
そしてエリゼオは決めた。
ここまで用意してもらったシナリオを壊すことを。彼女に敷いてもらった道を、彼女のために壊すことに決めたのだ。
それはこれまで人生を投げ打つような判断だった。そう、自らでも思う。
けれど彼女の顔を再び見た時には、後悔の念は消え失せた。
選んだ道はこちらで間違いなかったと、今は胸を張って言える。
ここにいるエリゼオは、昔のエリゼオとはまるで別人になっていた。
だってもう、彼女がいなかった生活なんてものは考えられないのだ。
だから今日も、エリゼオはいそいそと城を抜け出し、彼女のいる屋敷まで足を運ぶ。
デムーロ家は、貴族の中ではもっとも格の低い男爵家。
敷地内だって部屋だって、王城から比べたら庶民の家のようだ。
けれど、今の自分はここが最も落ち着く。
「また来たんですか? お店の準備があるんですが…….」
「そういうことなら、一緒にやるよ。僕は君のパートナーだからね」
「それもう終わりましたってば!」
もう捨てるものは捨ててきた。こうなったらば意地でも彼女の横にいたい。
そう思うのだ。
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