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三章 サキュバスが帰ると言い出して。
第29話 さようならご主人様。③
しおりを挟むよろめきながら数歩だけ前へ出て止まる。
振り返りたかった、本当は。
告白なんて、正直に言って考えられもしない。もう心も頭もいっぱいいっぱいだ。
だが、彼女がゲームからやって来た意味をなくさないためにも、貰った勇気を無駄にしないためにも、僕は前へ進まなければならない。
「じゃあね、結愛。本当今までありがとう」
「はい。さようなら、ご主人様。好きでしたよ、大好きでした。あなたは正真正銘に私のナイト様です」
結愛の泣きすするような声が背中からする。
沸き起こった感情を必死で堪えて、押さえつけて、僕は駆け出した。
顔をパンと一つ叩く、よしと大きな声を上げる。自分を奮い立たせて、澄鈴と吉田くんの前へ出ていった。
「澄鈴を離せよ」
本当にちょっと小突いただけで、吉田くんは倒れた。僕はその隙に澄鈴の手を引いて、離れたところへ連れていく。
インスタントにヒーローになれた。こんなに結愛の魔法がうまくハマったのは、最後にして初めてだった。結愛の魔力アップのためにしてきた課金は無駄ではなかったようだ。
「ありがとうな、光男。めっちゃ格好よかったよ」
「……そうかな」
「うん。男らしいところもあるやん、見直した。格好よすぎたくらい、王子様に見えた」
さぁ、あとは告白だけだ。
場所も雰囲気も完璧だった。
クラスメイトたちとは相応に離れていて、彼らの声は微かに聞こえるのみ。街灯はほの暗くて、近くには立派な花をつけたハナミズキ。状況は、できすぎているくらいだ。
「なぁ澄鈴。僕は君を誰かに奪われたくないよ」
すんなりと、ここまでは言えた。
「……光男?」
「僕は澄鈴のことが──」
しかし、またしても、ここで詰まってしまった。
好き。その二文字を口にしてしまえば、全てが終わる。死ぬという悪魔の契約は消え、僕の二年以上の片思いは、晴れて報われるのだろう。いいことづくめだ。
ただ、結愛にはもう会えない。
そう思うと途端に思い出たちが蘇ってきて、決定的な言葉を堰き止めた。
さっき結愛が丁寧に回想したせいだろう。脳裏に映像が浮かぶ。
「私はなんでもしてあげますよ」と艶かしく笑む結愛、「もうご主人様!」こう膨れっ面になる結愛、「……ダメ?」と嘘っぽい涙を浮かべる結愛、「今幸せです、私」純真な少女のように可愛く笑った結愛。
思い出の中のいろんな彼女が僕の頭を乗っ取ったみたいになって、
「ウチのことがどないしたん? ……って光男、泣いてるやん」
「え、嘘。なんで、あはは、なんでだろ」
僕は泣いてしまっていたらしい。
言われて、顔に袖を当てがって拭う。けれど、次々にぽろぽろと溢れて止まらない。
もうべったりと結愛が貼り付いてしまった。彼女がいたら僕が死ぬ。どうしようもないことなんだと言い聞かせるのだけれど、、引っ掻いても剥がれない。
「なんでって知らんよ。なんかあったん?」
澄鈴が心配そうに僕の肩を抱える。
理由は言えない。そして涙を流してしまった以上、あとたった二文字をもう、また伝えることはできなかった。
「ごめん、澄鈴! 僕、どうしてもやらなきゃいけないことがあったんだ!」
僕は澄鈴の前から、走って立ち去った。
涙を拭き上げて公園に戻るけれど、もう結愛の姿はない。ならば帰ったのだろうか。
僕はナルトの缶バッジを確かめてから鞄をひっつかむと家路を急ぐ。彼女の涙で濡れた制服の胸元をその間中、握りしめていた。
リビングに飛び込む。しかし、電気は消えていて、すっかり彼女の居場所となったソファの定位置にもサキュバスの姿はない。
告白しなかったのだから、消えてはいないはずだ。だがもしかしたら、という焦りが僕を掻き立てて、早足にさせる。一階は風呂場から和室から全て回ったが、どこも消灯されていた。
僕は二階への階段を段飛ばしで駆け上がる。躊躇いなく結愛の部屋を開けると、
「…………ご主人様、なんで」
もう会えないはずだった少女は、そこにいた。
紫色のボブベア、綺麗に透き通った琥珀色の目、小さな顔、恐ろしいくらい完璧なスタイル。なにも全て、結愛だった。
僕は危うく感涙しそうになって、彼女が女の子座りをするベッドに覚束ない足取りでとてとて近づく。こちらへと促されて、僕はベッドの上に乗った。
「……告白、しなかったんですか」
結愛は咎めるように目を三角に尖らせていた。僕はやりにくいながら、こくりと首を振る。
「なんでですかっっ!! あそこまでやったのにっ!!!」
甲高く声が荒がった。
「そう言われたって」
「あんな状況だったら誰でも告白できますよ! どれだけ意気地無しなんですか!」
「違う! そうじゃないんだ!」
「じゃあなんですか、なにがあったらあそこまでお膳立てされて告白できないんですか!」
結愛は腕をベッドに大きく突いて、僕を問い詰める。
「というか澄鈴さんは? 澄鈴さんはどうしたんですか」
「えっと、その、置いてきたというか」
「えぇ、なにやってるんですかっ!! 馬鹿なんですか、サイテーの行為ですよ! なんでそんなことを!?」
結愛は火がついたように怒っていた。
「結愛がいなくなるのが、嫌だったんだ。それでなにも言えなかったんだ!」
僕は僕で感情的になってしまって、思いの丈をそのまま吐く。少しは収まるかと思ったのだが、
「なんでそんなことで! どうせ私がいられるのは長くてあと三日ですよ? どうしてそんなことのために!!」
火に油になった。まず枕が投げつけられ、次に飾ってあった人形、そしてブラジャーと次々に放られた。僕の身体の前、雑多なものの小山が積み上がってていく。
「大体、告白できないと死ぬって分かってるんですか! 夜にほっぽってきちゃうなんてしたら、好感度だだ下がりですよ!? フラれても死ぬんですよ!」
「でも」
「でもじゃないです! ご主人様の馬鹿! 少しは考えて動いてください!!!」
そりゃあ結愛の言うことはもっともだ。僕が言うのは、論理的じゃないかもしれない。
けれど、譲ることはできなかった。僕は枕を乱暴に掴んで投げ返す。人形も、たとえブラジャーだろうが、この際気にならなかった。
「それでも僕はどうしても結愛にいなくなって欲しくなかったんだ!!」
「甘っちょろいこと言ってないでください!」
これまで小さな言い争いはいくつもしてきたけれど、ここまで表立って喧嘩になるのは初めてだった。
顔を突き合わせて、僕らはただ互いの言い分と物をぶつける。
「僕は別に死にたいわけじゃない!」
「そうじゃなくても、そう言ってるようなもんなんです! ご主人様がなんにも知らないから言えるんだ。死ぬっていうのは、本当に全部記憶ごと消えて──」
話が堂々巡りになり始めたとき、結愛の姿が故障したディスプレイみたくブレた。僕の投げた枕は彼女の身体を透過して、床にぱさりと落ちる。
どういう現象かと呆気にとられていたら、
「…………え」
彼女は忽然と部屋から姿を消した。
抜けた紫の髪が一本、ゆらりと空気を舞って、音もなく落ちた。
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