料理男子、恋をする

遠野まさみ

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恋をしよう

異変(1)

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翌週末。薫子の部屋で調理を始めようとしたら、冷蔵庫に卵の残りが少なかった。あれ? この前新しいパックを買ってきたばっかりだと思ったけど、覚え違いかな。時々、自分の家の冷蔵庫のものと薫子の家の冷蔵庫の中身とがごっちゃになるから、多分買ったのは自分の家のものだったんだろう。今日卵を使うから、今度卵を買っておかないとな。そう覚えておいた。

「今日は、ごぼうとニンジンのハンバーグと、豆腐としめじと豚肉の卵とじです」

ごぼうとニンジンとひき肉、それに豆腐としめじは今買ってきたものだ。相変わらず薫子がバッグを持って運んでくる。佳亮はキッチンの脇に置かれたバッグから材料を取り出すと、調理に入った。

まず、ごぼうをささがきに、ニンジンをみじん切りにする。それをひき肉と合わせてこねる。以前買った片栗粉を使ってつなぎにし、ハンバーグの形に成形してラップを引いた皿に並べていく。

ハンバーグはごま油で焼く。ごぼうが香ばしくカリッとして美味しく出来上がるのだ。

次にしめじをざく切りにして炒める。次に豚肉を炒めて豆腐を崩しながら加え、最後に卵とじにする。

あっという間にふた品作り終えた佳亮は、薫子が待つテーブルに料理を配膳した。取り皿を二人分取って、食事になる。

「今日も頂きま~す!」

元気よくぱん、と手を合わせた薫子に、ん? と思った。

「薫子さん、その手の絆創膏、どないしはりました?」

薫子の長い指は絆創膏まみれだった。

「あ~、これ。会社で要らない書類を分別してた時に切っちゃったのよ。紙ってよく切れるよね~」

あははと笑う薫子に、構わない人だなあと思う。

「ああ、紙はスパッと行きますからね。気を付けてください。折角きれいな指やのに」

「えっ」

「え?」

食卓に奇妙な沈黙が落ちる。焦ったように薫子が、また、あははと笑った。

「私にきれいなんて言葉、似合わないよ、佳亮くん」

「え、何でですか? 薫子さん、顔、めっちゃきれいですよ? 僕最初にコンビニ一緒に行った時にめちゃくちゃきれいな顔の人やって思うたって言うたでしょ? 自覚ありません?」

佳亮の問いに、薫子は眉間に皴を寄せて難しい顔をした。凄く…、凄く考え込んでいる顔だ。

「自覚、ないんですか?」

「いや、私、周りから女扱いされないし。そういう形容詞もあんまり聞かないし」

だから、そんな風に言われることに馴染みがない。

薫子はそう言った。

「女扱いされないのは周りがどうかと思いますけど、…僕もどうかと思いますけど、薫子さんは本当にきれいな顔をしてますからね? 遠目にイケメンに見えますけど」

「うん。良く男と間違われる」

自覚はあるようだった。

「でも、きれいな指なんですから、大事にしてくださいね」

佳亮が言うと、ありがとう、と笑って返事を返した。

そして、改めて食事を始める。ごま油で炒めたハンバーグは風味が抜群だしごぼうのパリパリ感が良い。豆腐と肉の卵とじも、お腹を満たしてくれて、言うことなかった。

二人してあっという間にペロっと平らげ、薫子はいつも通りゲームに向き合う。佳亮は使った皿をテーブルから引き、全てを洗ってしまうと、最後に生ごみをまとめて、ごみ箱に捨てようとした。

「あれ?」

生ごみ箱に、炭になった黄色い塊が沢山。なんだろうこれは、と思っていたら、それに気づいた薫子が、急に慌てだした。

「わ、わーわー! 見ちゃ駄目! 見ないで!」

小さい部屋を佳亮のところに飛んでくる。そして、ごみ箱の蓋を閉めた。ごみ箱に覆いかぶさるようにして、佳亮からごみ箱を隠している。…こがねに近い茶色の髪から覗く耳先が朱(あか)い。

「か、かおるこさん……?」

ごみ箱を隠すように体全体で覆って、佳亮に背を向けている。薫子が何を思ってごみ箱を隠しているのか分からない。もう一度薫子の名を呼ぶと、ふるふると首を振った。なにか、見られたくないものがあったのだろうか? ごみ箱に?

「どないしたはったんですか、薫子さん。ごみが捨てられません」

佳亮が言うと、薫子が手を伸ばしてごみを受け取るという。そんなに見ちゃいけないものだったのだろうか。あの黒焦げの黄色い塊…。

薫子が佳亮から受け取ったごみを生ごみ箱に捨てると、立ち上がり、空笑いをした。

「いやあ、柄にないことをしたわ。やっぱり料理は佳亮くんに作ってもらった方が良いね!」

…ということは、さっき見た黄色い塊は薫子が作ったのだろうか? 急にまたなんで…。あ、黄色い塊は卵の塊なのか? だから冷蔵庫の卵がなくなっていたのか?

ぽかんとして薫子を見る佳亮を前に、薫子がだんだん情けない顔になっていく。眉を寄せ、顔を手で覆う。何時もの自信満々な薫子は何処にも居なかった。

「…薫子さん、どうしちゃったんですか、一体…」

壊れ物に触れるように、佳亮は薫子の肩に触れた。びくりと肩が跳ね、薫子が動揺していることが分かった。

「……女なら、やっぱり料理のひとつでも出来ないと駄目なのかな、って、ちょっと思ったのよ。でも、私には向かないわ。やっぱり佳亮くんに作ってもらう」

やっぱりもなにも、最初からそう言う約束を取り付けてきたのは薫子の方じゃないか。今更なんだっていうんだろう。

「そうですよ。そういう約束じゃないですか」

恩返しの時期は過ぎたかもしれないけれど、薫子には本当に感謝しているし、佳亮の楽しみを共有してもらえる人が居るのは嬉しいのだ。

「うん、そうだったね。これからもよろしく!」

もう先刻の薫子は何処にも居ない。何時もの明るい薫子がそこに居た。

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