料理男子、恋をする

遠野まさみ

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恋をしよう

見たものは

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何時の頃からか、薫子の料理の話は食卓に上らなくなった。そしてその頃からか、薫子の視線が佳亮のことを窺うようになり、表情が冴えないことに気付いた。

あれほど楽しく話していた食卓は次第に言葉少なになっていき、「いただきます」と「ご馳走さま」以外言わない日もあった。

今日だって、佳亮が調理をしているのを置いておいて薫子はテレビに向かってゲームをしている。…と見せかけて、佳亮の方を時々窺っているのを、佳亮は調味料棚の塩を取る振りをして確認していた。

(…なんか、言いたいことでもあんのかな…)

そう思ってもう随分経つ。それでも、薫子が何かを言い出すことはなく、今日も料理が出来上がる。

「今日は、豆腐ステーキのきのこソース掛けとタコのバター炒めです」

そう言って料理をテーブルに運ぶ。薫子は何時も通り出来上がった料理に目を輝かせて、でもその次に佳亮の顔を見ると何か言いたそうにして、でも何も言わずに席に着いた。

「じゃあ」

「いただきます」

薫子は行儀よく手を合わせてから料理を食べる。これは最初から変わらない、薫子の料理に対する姿勢だ。好ましいそれを確認して、佳亮も薫子の前でタコをつまむ。うん、塩味とバターの香りが良い風味になっている。そして豆腐に箸をつけるふりをして薫子を窺い見る。すると、佳亮がしていたのと同じように、佳亮を窺っていた薫子と視線が合い、…薫子は顔を伏せてしまった。

食事の時間に沈鬱な空気が広がる。それは佳亮も気付いていた。しかし、心の中のもやもやを抱えたまま、薫子の奮闘話ににこやかに応じられない。

佳亮は、この部屋で会っている時間以外はプライベートだからと思って、詮索することをしていない。また薫子も、佳亮に自分と会っていないときにどうしてるのかとは聞かなかった。

無言の食事の時間が過ぎ、食事が終わると佳亮が皿を洗い、そして置いておいた鞄を手に取る。

「じゃあ、おやすみなさい。戸締り、気を付けて」

「うん。今日もありがとう」

元気のない顔でそう言われても…。そう思ったが言わない。理由があるのだとは分かっている。そこに自分が関係していて欲しいような、関係していて欲しくないような気がした。






家に帰った佳亮は、窓から薫子の部屋の明かりを眺めて考えた。これは、本格的に薫子との関係を清算したほうが良いかもしれない。佳亮にとって薫子は恩人だったが、薫子にとっての恩人は、今はシェフの平田だし、佳亮が薫子に依存しすぎるのは良くない。何より、薫子の自由を、佳亮の『恩人』という独りよがりによって奪ってはならない。

そのことを、何時言い出そうかと考えていたある日に佳亮が見たのは、薫子のマンションに横付けされた、白のランボルギーニから降りてくる薫子だった。何時もの薫子のフェラーリじゃない。そして薫子は助手席から降りてきていた。車から降りた薫子は運転席に回って、ドライバーと親しげに話していた。そして、ドライバーから頬にキスを受けると…、薫子もキスを返していた、そして薫子はマンションに入り、車はマンションを去っていった。

それを部屋の窓から見ていた佳亮は、思わぬ動悸に後ろ手でカーテンを勢いよく閉めた。

「………っ!」

どくんどくんと鼓膜の奥で心臓がうるさい。心なしか、頭に血が上ってない気がする。目の前が暗くなり、佳亮はその場にへたり込んだ。胃の中がぐるぐると気持ち悪い。

(……恋人が、居ったんや……)

今見た光景が脳裏を何度も横切る。あんなに一緒に居たけど、薫子は佳亮に恋人の存在をほのめかしたりしなかった。何故言ってくれなかったのだろう。言ってくれれば、誤解を招くような、二人っきりで食卓を囲むようなことは止めていたのに。

(止めれた、やろか。…ホンマに…?)

ふと自問自答すると、答えはNOと直ぐに出てくる。薫子が恋人のことを(おそらく)大事に思うように、佳亮も薫子と囲む食事の時間が大事だった。今までの恋人たちに否定され否定され続けた佳亮の料理を美味しいと言って食べてくれる薫子の存在が、なくてはならないものになっていた。

(大事やねん……。薫子さんも、ご飯の時間も……)

でも、今、それだけじゃない気持ちが胸の中に渦巻いている。

佳亮が知らない、薫子のプライベートの時間に会っているあの男の人に昏い感情を持った。そして、薫子が料理の奮闘話をした時に感じていたもやもやは、薫子をプライベートまで独り占めしたいという気持ちの表れだったのだと、はっきりわかったのだ。

一体何時から? 自分の存在を救ってくれた『恩人』に対して、なんていうことだろう。佳亮は自分の感情を恥じた。

幸か不幸か、明日は出張料理の日だった。薫子に会ったら、謝罪して、これきり会わないと約束しよう。薫子の幸せな恋路を邪魔するつもりはないし、自分の気持ちがみじめに散るのを薫子に見せるわけにはいかない。それが、『恩人』に対して、最低限の礼儀のような気がした。

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