降りしきる雪をすべて玻璃に~大正乙女あやかし譚~

遠野まさみ

文字の大きさ
12 / 45
軽井沢にて

避暑地へ

しおりを挟む


梅雨が過ぎ、夏が来た。相変わらず雪月の原稿の進み具合を見ながらのまかない生活は続いている。こんなにまかないの仕事が続くのなら、やはりあの時雪月の好みを聞いておいてよかった。雪月の為に、今日も料理は粗熱が取れたところでちゃぶ台に並べる。

「先生、お食事が出来ました」

今日もおひつで粗熱を取ったご飯を盛り、雪月に差し出すと、雪月は嬉しそうにした。

「華乃子さんのお料理は本当に美味しいですね。僕、この味、すごく好きです」

華乃子もかまどの火と格闘しながら作っているのでそう言ってもらえるのは嬉しいが、夏になって雪月の食欲が落ちたのは目に見えている。一時期良くなった顔色もまた悪いし、虚弱体質なのではないかと思う。この家には一般家庭に普及し始めた扇風機もまだないし、そんな環境で雪月が体調を崩しても仕方ないことに思えた。

「美味しいと言っていただけるのは嬉しいですけど、ご無理なさらないでください」
「いえ、本当に美味しいんです。沢山食べられなくて、残念です」

玉子焼きをふたくち、そしてご飯を少し食べたところで雪月は箸を置き、申し訳なさそうに眉を寄せて言う。

「昔から夏の暑さが苦手でして……」
「夏は食欲が落ちても仕方ないです。私も夏は調子が悪くなりますし……。なるべく栄養は摂って頂きたいですけど……」

食事だけでなく、夏になってから執筆の進み具合も芳しくないし、暑さが苦手と言うのは本当だろうと思う。
華乃子は少し考えて、いい考えを思いついた。寛人に頼んで雪月を九頭宮の別荘に招いてもらったらどううだろう。九頭宮の別荘は軽井沢にあるということは聞いたことがある。軽井沢なら涼しいし、帝都のような喧騒もなく、静かに執筆が出来るのではないか。寛人からは協力は惜しまない、と言ってもらっているし、これは華乃子の為ではなく雪月の為だ。つまり会社の為なので、きっと話は通じると思って、翌日、編集長を経て寛人に話をしてみた。

「文芸部には常日頃から成果を出してもらっているからね。僕の方からも軽井沢に連絡を入れておこう」

寛人はそう言って快諾してくれた。別荘の管理人にも連絡を入れてもらって、華乃子と雪月は夏の暑い盛りに鉄道を乗り継いで軽井沢を訪れた。やはり帝都と違って随分と空気が涼しい。雪月も深呼吸をして解放感を味わっているようだった。
華乃子は鉄道の駅を降りると母の日傘を開いた。空気は涼しいが、日差しはある。女性は日傘を持ち歩くことが、また流行のファッションなのだった。

「いやあ、本当に涼しい。これは執筆も捗(はかど)りそうです」
「そうですか。それなら良かったです」

出迎えてくれた下女に案内されて、華乃子と雪月は屋敷へ入った。間取りを見て、華乃子が雪月の部屋を決める。

「先生は此方の東向きのお部屋をお使い頂くと良いかもしれませんね。私は隣の部屋に居りますので」

そう言って華乃子は雪月に涼しい東の一番いい部屋を宛がった。恐縮です、と頭を下げて、雪月は執筆に入った。隣の部屋に入って、華乃子も寛ぐ。……と、荷物に紛れて太助と白飛が現れた。

「……ついてきた、の……?」

華乃子が呆れて眉間に皴を寄せて渋い顔をしているというのに、あやかしたちは平気な顔だ。

『俺たちを置いて行こうなんて、ひどいぜ、華乃子』
『そうだぞ。華乃子の行くところに我らありってな』

本当に太助たちは華乃子にくっついて回って、正直に面倒なことこの上ない。くれぐれも雪月の邪魔をしないよう、あと他にいたずらをしないようにと言い含めた。

『そりゃあ、華乃子の為ならそうするけど、此処は帝都よりもあやかしが多いから、華乃子の方こそ気を付けろよ。どんな奴に目を付けられるか分からないからな』

えっ、それは誤算だった。田舎の人は、まだ言い伝えを信じているのか……。

「で、……でも、此処は帝都ほど人も多くないし……、あやかしに会ったって、私を見る人は少ないわ……。だから、大丈夫よ、きっと……」

そうは言って笑ってみるものの、実際にあやかしに話し掛けられてしまったら姿かたちがおかしくない限り返事をしてしまいそうだし、そこは自信がない。どうして自分はあやかしが視えてしまうのだろう……。
華乃子はそう思ったが、注意を促してくれた白飛に、ありがとう、とお礼を言った。こうやって白飛や太助に礼が言えるようになったのも、雪月が華乃子を受け入れてくれたからだった。おかげで華乃子が白飛たちを本気で邪魔に思うことが少なくなった。以前はつれなく接してしまったと、つくづく思う。それくらい、自分の境遇を嘆いてゆとりを持てなかったのだ。

暫く部屋の中で荷物を片付けたりした後、外の空気を吸いがてら庭に出ると、涼しい風が木立の間をすり抜けて華乃子の頬を撫でた。帝都の喧騒から逃れ、鷹村の力も届かない此処でのびのびと出来ることは良いことだ。管理人が手入れしてくれていた庭の花々を見ていると、ふと敷地入り口から此方を窺っている男の子の姿を見つけた。

「どうしたのかな? 何かご用?」

首を傾いで問うと、子供も首を傾げる。まだ他人の言葉が理解できないのかもしれない。親は何処に行ったんだろう。

「お母さんは、何処かな?」

入り口まで歩み寄って、膝に手を置き中腰で問う。すると子供は、華乃子の足にしがみつき、かーしゃ、と言った。

「えっ、えええ? 私、あなたのお母さんじゃないわよ!?」

突然のことで焦る華乃子に、子供は、かーしゃ、かーしゃ、と嬉しそうにしがみつく力を強くした。ますます困って、さっき顔を合わせた下女を呼ぶ。

「梅さん、うめさんー! この子をどうにかして頂けませんか!?」

呼ばれた下女が何事かと慌てて屋敷から出てくる。そして、玄関を出たところで、訝しげな顔をしてぴたりと足を止めた。

「……鷹村さま、『この子』とは、いったい……?」
「何仰ってますの? この子よ。足にしがみついて離れないの」
「足……、でございますか……?」

梅は眉間の皴を深くして、疑問を露わに華乃子を見る。……もしかして……。

「うめ……さん……。見えてない……?」
「なにが、……で、ございますか……?」

これは、完全に見えてない。『この子』はあやかしだったのだ。

(失敗した!)

華乃子はそう思ったが、もう遅い。梅にはごまかすように笑って見せた。

「あ……、あらやだ。草がつま先に絡みついて、動かなかっただけみたい……。叫んだりして、ごめんなさい、梅さん」

そう言って笑ってみたものの、梅の顔つきは常人の中に交じりこんだ奇人を見る眼付きのようだった。別荘に戻っていく梅の後姿を見つめながら、華乃子は足に子供をしがみつかせたままため息を吐く。……兎に角、この子をどうにかしなければならない。親を探しているのなら、尚更の事。親に見放されることほど、子供にとって辛いことはないのだと、華乃子は自身の経験で知っていた。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

『婚約破棄された悪役令嬢ですが、嫁ぎ先で“連れ子三人”の母になりました ~三人の「ママ」が聞けるまで、私は絶対に逃げません~』

放浪人
恋愛
「母はいりません」と拒絶された悪役令嬢が、最強の“ママ”になるまでの物語。 「君のような可愛げのない女は、王妃にふさわしくない」 身に覚えのない罪で婚約破棄され、“悪役令嬢”の汚名を着せられたクラリス。 彼女が新たに嫁いだのは、北方の辺境を守る「氷の公爵」ことレオンハルト・フォン・グレイフだった。 冷え切った屋敷で彼女を待っていたのは、無表情な夫と、心に傷を負った三人の連れ子たち。 「僕たちに、母はいりません」 初対面で突きつけられた三つの拒絶。しかし、クラリスは諦めなかった。 「称号はいりません。私が欲しいのは――あなたたち三人の『ママ』になれる日だけです」 得意の生活魔法『灯(ともしび)』で凍えた部屋を温め、『鎮(しずめ)』の歌で夜泣きを癒やし、家政手腕で荒れた食卓を立て直す。 クラリスの献身的な愛情は、頑なだった子供たちの心を解きほぐし、やがて不器用な夫の氷の心さえも熱く溶かしていく。 これは、不遇な悪役令嬢が「最強の母」となり、家族を脅かす元婚約者や魔獣たちを華麗に撃退し、最愛の家族から「ママ」と呼ばれるその日までを綴った物語。

完結 辺境伯様に嫁いで半年、完全に忘れられているようです   

ヴァンドール
恋愛
実家でも忘れられた存在で 嫁いだ辺境伯様にも離れに追いやられ、それすら 忘れ去られて早、半年が過ぎました。

祓い姫 ~祓い姫とさやけし君~

白亜凛
キャラ文芸
ときは平安。 ひっそりと佇む邸の奥深く、 祓い姫と呼ばれる不思議な力を持つ姫がいた。 ある雨の夜。 邸にひとりの公達が訪れた。 「折り入って頼みがある。このまま付いて来てほしい」 宮中では、ある事件が起きていた。

なぜか水に好かれてしまいました

にいるず
恋愛
 滝村敦子28歳。OLしてます。  今空を飛んでいたところをお隣さんに見られてしまいました。  お隣さんはうちの会社が入っているビルでも有名なイケメンさんです。  でもかなりやばいです。今インターホンが鳴っています。  きっと彼に違いありません。どうしましょう。  会社の帰りに気まぐれに買ったネイルをつけたら、空を飛べるようになって平凡じゃなくなったOLさんのお話。   

老聖女の政略結婚

那珂田かな
ファンタジー
エルダリス前国王の長女として生まれ、半世紀ものあいだ「聖女」として太陽神ソレイユに仕えてきたセラ。 六十歳となり、ついに若き姪へと聖女の座を譲り、静かな余生を送るはずだった。 しかし式典後、甥である皇太子から持ち込まれたのは――二十歳の隣国王との政略結婚の話。 相手は内乱終結直後のカルディア王、エドモンド。王家の威信回復と政権安定のため、彼には強力な後ろ盾が必要だという。 子も産めない年齢の自分がなぜ王妃に? 迷いと不安、そして少しの笑いを胸に、セラは決断する。 穏やかな余生か、嵐の老後か―― 四十歳差の政略婚から始まる、波乱の日々が幕を開ける。

同窓会に行ったら、知らない人がとなりに座っていました

菱沼あゆ
キャラ文芸
「同窓会っていうか、クラス会なのに、知らない人が隣にいる……」  クラス会に参加しためぐるは、隣に座ったイケメンにまったく覚えがなく、動揺していた。  だが、みんなは彼と楽しそうに話している。  いや、この人、誰なんですか――っ!?  スランプ中の天才棋士VS元天才パティシエール。 「へえー、同窓会で再会したのがはじまりなの?」 「いや、そこで、初めて出会ったんですよ」 「同窓会なのに……?」

炎華繚乱 ~偽妃は後宮に咲く~

悠井すみれ
キャラ文芸
昊耀国は、天より賜った《力》を持つ者たちが統べる国。後宮である天遊林では名家から選りすぐった姫たちが競い合い、皇子に選ばれるのを待っている。 強い《遠見》の力を持つ朱華は、とある家の姫の身代わりとして天遊林に入る。そしてめでたく第四皇子・炎俊の妃に選ばれるが、皇子は彼女が偽物だと見抜いていた。しかし炎俊は咎めることなく、自身の秘密を打ち明けてきた。「皇子」を名乗って帝位を狙う「彼」は、実は「女」なのだと。 お互いに秘密を握り合う仮初の「夫婦」は、次第に信頼を深めながら陰謀渦巻く後宮を生き抜いていく。 表紙は同人誌表紙メーカーで作成しました。 第6回キャラ文芸大賞応募作品です。

愛人を選んだ夫を捨てたら、元婚約者の公爵に捕まりました

由香
恋愛
伯爵夫人リュシエンヌは、夫が公然と愛人を囲う結婚生活を送っていた。 尽くしても感謝されず、妻としての役割だけを求められる日々。 けれど彼女は、泣きわめくことも縋ることもなく、静かに離婚を選ぶ。 そうして“捨てられた妻”になったはずの彼女の前に現れたのは、かつて婚約していた元婚約者――冷静沈着で有能な公爵セドリックだった。 再会とともに始まるのは、彼女の価値を正しく理解し、決して手放さない男による溺愛の日々。 一方、彼女を失った元夫は、妻が担っていたすべてを失い、社会的にも転落していく。 “尽くすだけの妻”から、“選ばれ、守られる女性”へ。 静かに離婚しただけなのに、 なぜか元婚約者の公爵に捕まりました。

処理中です...