降りしきる雪をすべて玻璃に~大正乙女あやかし譚~

遠野まさみ

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雪女の郷で

雪女の郷で-2

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雪で覆われた郷の気候は、人間の華乃子には少し寒いが、半分が雪女だからなのか、思ったほど堪えていない。むしろ荷物に紛れて一緒に来た太助と白飛がぶるぶると震えていた。

『さ……っむい! 身体が凍る!』
『足が冷たい!』
「煩いなあ、雪女の郷だって言っておいたじゃない。それを勝手についてきたのはあなたたちよ?」

用意してもらった部屋に通されて二人が荷物から顔を出すと、華乃子はあきれたように言った。

『現世からはるか離れるんだから、俺らが見守ってなくてどうするんだよ!』
『華乃子は危機意識が薄いから困りもんだな』

などとぶつぶつ言う。見守るも何も、雪月の郷なのだし、雪月が一緒だったら心配要らないというのに、この言いよう。どうしても華乃子にまとわりつきたいらしい二人を、はいはい、とあしらって、華乃子は部屋に迎えに来た雪月と部屋を出た。……叶うなら、会いたい人が居る。
雪月にそれを頼むと少し渋られたが、結局はその人のところへ案内してくれた。雪月に連れてきてもらった場所は、屋敷の離れにある牢だった。中に居る雪女は後ろ手に手を縛られ、うずくまって顔を俯けている。

「……お母さま……」

華乃子は格子越しに彼女を呼んだ。ぴくりと雪女の肩が動き、ゆうるりとその顔が持ち上がる。ぼんやりとした目に華乃子が映ると、みるみる彼女――千雪(ちゆき)――は顔に生気を宿らせた。

「華乃子……。愛しい子……」

か弱い声が、華乃子を呼んだ。この声を、どんなに切望しただろう。現世では得られなかったこの声。華乃子を受け入れ、愛してくれるこの声の主に、どうしても問いたいことがあった。

「お母さま……。……どうして私を生んで、逃げるように現世を去ったのですか……? 貴女が一緒に居てさえくれれば、私は何処に居ても独りぼっちじゃなかったのに……」

此処への道すがら、雪月に千雪が幼い華乃子を独り残し、幽世に戻ったことを教えられていた。自らの意思ではなかったと聞いたが、だったらせめて華乃子を連れて戻れなかったのだろうか。絞りだすような華乃子の声に、千雪も悲しそうに涙を流した。

「愛しい子……。悲しい思いをさせてしまって、ごめんなさい……。あの時私は、光雪(みつゆき)様に請われて彼の許に嫁ぎました……、それでも現世への……、雲の狭間から見た一夜様への憧れが忘れられないで居た……。貴方を現世で生み落としてそのまま郷に引き戻された私は、光雪さまを裏切った罰としてこうして牢に繋がれていますが、一夜様への想いは今も胸の中にあります。華乃子、どうか一夜様も光雪さまも恨まないで……。恨むなら身勝手な母を恨んで……」

ほろほろと泣きながら訴える本当の母親から聞かされた彼女の事情を、華乃子は静かに聞いた。

「……お母さま……。貴女とお父さまは愛し合って貴女の心にはお父さまが居たかもしれませんが、私の心の中には誰も居なかった……。疎まれ続けて十年以上生きてきた……。私が貴女を恨んでも仕方ないですよね……?」

華乃子の言葉に、千雪は悲しそうに頷いた。

「……でも、私を生み落としてくださったご恩は忘れません……。私を現世に生み落とし、鷹村の家で少しの間でも育てさせてくれたご恩、それは忘れません……」

だって、雪女の血が流れていなかったら、あの場所で雪月を見つけることは出来なかった。雪月に会えなかったら、雪月に愛してもらうことも、今こうして千雪と会話をすることも叶わなかった。千雪と話すことが出来なければ、彼女が華乃子を愛していてくれたことも知ることも永遠に出来なかったのだ。

「だから恨みません。……私を貴女の娘として生み落としてくださって、ありがとうございました」

彼女の娘として生まれたからこそ、雪月の傍に居られると改めて分かった。それ以上に、今、求めることはない。
華乃子は千雪に深々と頭を下げて、牢の前から辞した。



「先生」

母屋に差し掛かる渡り廊下の隅で、華乃子は雪月に問いかけた。

「……母は、此処へ来てからずっとあの牢に……?」

寂しそうに牢の方を振り返る華乃子に、雪月は痛ましい視線を向けた。

「郷長の光雪を裏切って現世に降りたので、光雪が郷長の間は牢を出ることは出来ないでしょう……。しかし、人との間に力を超えて惹かれ合う愛情があるのだと、私は知っています。ですから、私が長を継いだら、お母さまは解放しようと思っています」

雪月の気持ちを聞いて、華乃子はいくらか安堵した。自分と言う命を授けてくれた母親が命ついえるまで咎の責めを受けて居なければならないのだとしたら、華乃子はまさに、罪の子だ。自分の存在をまたしても救ってくれた雪月の言葉に、華乃子は信頼を置いた。

母屋に戻ると宛がわれた部屋の戸のところに子供が立っていた。子供は華乃子を見つけるとぱっと笑顔になり、たたたっと寄って来た。そして、「かーしゃ」と言って華乃子の足にしがみついた。その呼び方には覚えがある。

「えっ? もしかして、軽井沢で会った子かな?」
「軽井沢で?」

雪月が問うのに華乃子は答えた。

「夏に先生が別荘でご執筆されているときに庭に現れた子なんです。その時は雪女だって私は分からなくて、白飛が山に帰してくると言って連れて行ったんですけど、まさかこの郷まで?」

華乃子の疑問に雪月が答えた。

「きっと、赤城山まで運んだんじゃないでしょうか。霊峰として祀られているので、幽世との接点があります。あそこからならこの郷に帰るのも容易い」

成程。とすると、現世の人間が祀っている幾多の場所にはそれぞれ幽世との入り口がありそうだ。

「そうですね、その通りです。華乃子さんのお母さまもそんな接点から一夜さんのことを見つけのでしょう。どの世にも、別世界に惹かれる個体は居ます。今居る雪女の中にだって、現世に憧れている娘が全くいない、と断じることは出来ませんね」

そう言うものなのか。古くから現世でも別世界への興味は尽きなかったようだし、お互いさまと言うところか。

「それにしても、お母さまと和解できて良かったです。華乃子さんがお心の広い方で、僕もほっとしました」

一族の次代を担う雪月は、きっと華乃子の両親に対して心を砕いてくれたんだろう。

「私、少し自信持てました。私にも、愛してくれた人が居たんだな、って」

それは最初から与えられるものではなかったけど、でもこうやって、今、華乃子の心をあたためてくれる。華乃子がそう微笑むと、雪月もやわらかく微笑んだ。

「その『愛してくれた人』の中に、僕のことも加えてもらえると、嬉しいですね」

やさしい物言いにどきっとしてしまう。あの時の言葉が嘘じゃなかったと思い出して、動悸が走る。そんなのもうとっくに居るというのに、雪月には伝わっていないんだろうか。

「そりゃ……」

居ないわけないでしょ。そう言おうとしたら、子供が「かーしゃ!」と叫んで、手を引っ張った。玄関を指差して、どうやら何処かへ行きたいらしい。雪月は子供の意図を理解したうえで、華乃子が兎を伴っているかを確認した。

「この子もまだ雪は操れませんから、その兎とは絶対に離れないでください。簡易なものですが、私の代わりになりますので」

廊下の奥から呼ばれた雪月は、久しぶりの帰郷できっと忙しいのだろう。華乃子は雪月から預かった兎を肩に載せて、子供に手を引かれて屋敷を出た。

「すぐ戻りますので!」

屋敷の奥から迎えに来た雪女と廊下を奥に行こうとしていた雪月の背中に声をかけると、雪月は振り返って微笑んでくれた。雪月の微笑みに異世界の地でも勇気が湧いてくる。華乃子は子供と散策を楽しむことにした。

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