ランジェリーフェチの純情少年と純愛青春

清十郎

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中村朋美の章

第35話 遠き日の思い出

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(どうしよう…楽譜を家に忘れてきちゃった。今から家に取りに戻ったら練習には絶対に間に合わなくなっちゃう。間違いなくカバンに入れたと思ったのに…、ほんとにどうしよう…。)

 白い半袖の体操着に 濃紺のハーフパンツという体操服姿で、まだ幼い中学1年生の少女が教室の片隅で足を抱えた状態でうずくまっています。

 少女はパートリーダーの上級生の先輩の顔を思い浮かべました。

(だめ、先輩にはとても言えない。…じゃぁ、どうする?…もう、帰っちゃおうかな。…でも、今、帰っても、後で必ず怒られる…ほんとにどうしたら良いの…。)

 音程の取り方がとても上手で、声にも全くブレがなく、とても美しいアルトボイスをしている先輩で、教え方もとても上手な素敵な先輩でした。でも、その指導はやっぱり熱血的で厳しく、前にも楽譜を間違えて持ってきて、とても怒られた記憶があります。

(しっかり準備したつもりなのに、どうして私って、こんなにおっちょこちょいなんだろう。)

 十代の少年少女にとっての半年や一年での成長は著しく、中学1年生にとっては、たった2歳しか違わなくても、3年生の先輩は、お父さんやお母さんに近い年齢の学校の先生より、ずっと恐ろしい印象があります。

 少女は先輩から叱られることを想像して、いつのまにか、目に溢れるものがたまってきました。そして、何もできないまま、気づかないうちにボロボロと大粒の涙を流し、ヒクヒクとえずいていました。

 そんな時です。

「どうしたの?」

 少女の頭の上から優しい声が聞こえてきました。少女が声の聞こえる方向に恐る恐る顔を向けて見上げると、そこには先月から合唱団の助っ人に来てくれた3年生の上級生男子が、少女と同じ体操着姿で、腰をかがめるようにして少女を覗き込んでいました。

「泣いてちゃわかんないよ。どこか怪我したわけでもなさそうだし、…訳がありそうだけど、どうしたのか教えて。出来ることなら僕が力になるよ。」

 その先輩は優しく微笑んで少女に語りかけます。

 でも少女は、恥ずかしくて何も答えることができません。当たり前です。今までそんなに話したこともない上級生の、しかも男子の先輩に、何を話せるというのでしょう。ついこの間まで小学生だった13歳にもならない女の子です。上級生男子にそんな気軽に話ができるはずもありません。

 しかし、その先輩は、少女の目の前にあった楽譜のホルダーを見ている内に何かに気づいたようで、ひとりで頷いて納得しています。

「…そっか、そういうことか。」

 すると、その上級生は、おもむろに自分のリュックから楽譜を取り出すと、少女のフォルダーにそれを移し替えます。

「これ、僕の楽譜だけど、君にあげるよ。男声パートにちょっと書き込みなんかしてるけど、気にしないで使ってくれていいよ。」

「…えっ、でも。先輩は…?」

 少女に楽譜を渡してくれたのは嬉しいのですが、その上級生も楽譜がなければ困るはずです。でも、その上級生はそんなことはなんとも思っていないように、少女を急き立てます。

「ぼくは暗譜してるから心配ないよ。…ほら、みんな来ちゃうよ。早く準備しないと。」

 そう言うとその上級生は、自分のリュックの中からハンカチを取り出して、涙と鼻水でぐしゃぐしゃになっていた少女の顔を優しく拭いてくれました。

 少女は、異性から顔を拭かれ、びっくりして顔を真っ赤にしてしまいました。でも、驚きで身体は硬直してしまい、何もできず、上級生のされるがままでした。その先輩男子の方はといえば、女の子に対してというよりは、まるで子供をあやしているような気分だったのでしょうか、全く無頓着に少女の涙をきれいに拭き取ってくれました。

「これでいい、きれいになったよ。」

 そういうとその上級生はにっこりと少女に笑顔を投げかけました。

「笑って、…そう、可愛い笑顔になったね。」

 上級生の言葉に、ちょっとぎこちないながらも、少女は何とか必至に笑顔を作ってみせました。

「…さあ、立ち上がって!」

 上級生は自身も立ち上がって、大声で少女に命令しました。驚いた少女は、異性に顔を吹かれてドキドキしてしまったことも忘れ、反射的にスクッと立ち上がりました。

「よし、気合い入れて行くぞ!走れ!」

 その上級生は明るく言うと、少女の背中をパンとはたいて、一緒に駆け出しました。

「は、…はい!」

 もう各パートは練習が始まりそうな時間です。その上級生も男声パートのパート練習している教室に向けて走り出していました。少女もまた、その勢いに誘われるように、自分のアルトグループがパート練習している教室に向けて走っていきました。

(先輩、…ありがとうございます。)

 少女は、なんだか心の中があたたかいもので満たされたように心地よい気分になって、仲間の部員の所に駆け込んでいったのでした。

*****

「あれ?足立、何してんだ?…お前、楽譜はどうした?」

 全体練習の指導にやってきた音楽教師が、隣の男子の楽譜を覗き込みながら練習をしている少年に向かって声をかけました。

「すいません、先生!楽譜、忘れました!」

 その少年はよく通る大声で、勢いよく、そして明るく返事をしました。教師は呆れたようにその少年を叱責しました。

「まったく、肝心の楽譜も持たないで、ここへ何をしに来たんだ!…しょうがないな、…よし、今日、足立が音を外したらグランド10周だ。みんな、足立が音を外してないか、ちゃんと聞いてろよ。」

 教師は、若干のいじりか嫌みとも取れる言い方で少年に注意をしました。回りの男子もニヤニヤしながらその少年を肘で小突きます。その少年は苦笑しながらも、姿勢を崩さずに教師の注意を受け止めます。

「はい!ありがとうございます!」

 少年は元気な声で先生に返事をしました。

 その時、アルトパートの後ろの列に並んでいた一人の1年生女子が、心配そうにその男子生徒の方を見つめていました。その視線にふと気付いた少年は、他のみんなにわからないよう、その少女に向けてにこっと微笑みました。

**********

 全体練習が終わって、生徒達が皆、帰宅の途につく中、楽譜を忘れた3年の男子が音楽教師から呼び止められました。

「おい、足立。…ちょっと来い、」

 その教師は表情を崩さず、無表情のまま少年を迎えます。

「…お前、本当に楽譜は家に忘れたんか?」

「あ、…は、はい。」

 その返事に音楽教師はじっと少年の顔を見つめます。

「そうか…ま、なくしたんじゃないだろうが、これを持って行け。」

「え…あ、はい。」

 それは、今、音楽部で練習している課題曲と自由曲の新しい楽譜でした。家に忘れただけなら、家には楽譜があるはずですが、実際は1年生の女子にあげたのですから、彼には楽譜がありません。でも、どうやらその教師はすべてを察しているようでした。

「ん、…女子だけの部活動だから、俺には分からん難しいところもあるからなぁ。…これからも、後輩たちの面倒、よろしくな。」

「は、はい!」

 それで終わりと思ったところでしたが、教師の話しはまだ終わりませんでした。先生はイタズラな目配せをして話しを続けます。

「あ~、あと、それと、カッコつけるなら暗譜くらいしてこいよ。お前、二箇所ほど音を外したの、しっかり聞こえたぞ。50%オフでグランド10周にサービスしてやる。明日の練習前に終わしとけよ。」

 その生徒は苦笑してしまいました。それはそれ、これはこれで見逃してくれる気はないようです。

**********

 少年が音楽教室のドアを開けて出てくると、隣にある教室の中から少年を呼び掛ける声が聞こえてきます。

「先輩…。」

 あの時の1年生女子が、上級生の身を心配して、待っていてくれたようです。

「先輩…あの…今日は、本当にごめんなさい。そして…ありがとうございました。」

 その少女は、目にうっすらと光るものを浮かべながら、頭をぺこりと下げました。

「なんでもないよ。…君こそ、部活、これからも頑張ってね。」

 上級生は柔らかい自然な微笑みを浮かべて、少女に優しく声を掛けました。

「でも、…私のせいで、先輩が先生から怒られてしまいましたし…。」

 少女は消え入りそうな小さな声で必至に話します。でも、話している内に、自分が原因で上級生に迷惑を掛けたことが切なくつらくなって、それを思うと、少女はまた目頭が熱くなってくるのを感じるのでした。

「ほらまた泣く…泣いちゃだめだよ。」

 上級生は吹き出しそうにおかしい笑顔を見せます。

「だって…。」

 先輩はその少女の身長に合わせて体をかがめ、顔を同じ高さに持っていきました。

「きみ、歌うのは好きなんだろう?合唱が好きで、音楽部に入ったんだよね。」

 少女は素直にこくりと頷きました。

「でも、部活は、ちょっと辛い時もあるのかな?」

 少女は、何と答えてよいかわからないまま、うつむいています。楽しいこともたくさんあるのでしょうが、やっぱりまだまだ練習は厳しいように感じて、きっと辛い時もあるのでしょう。

「そっか、じゃあ、…そうだなぁ、辛い時の特効薬を君にあげるよ。」

「え?」

 すると、その少年は両手で少女のほっぺたをつまむと上に引き上げました。

「!!……痛い!痛い痛い!!」

 先輩は「ごめん、ごめん」と笑いながら手を放しました。

「お医者さんの薬を何十錠飲むよりも、アンプルを何本も飲むよりも、むりやりでも、心から笑った方が辛い時には効き目があるよ。」

 そういった上級生は、またニコッと微笑みながら、少女の頭をなでなでしました。完全に子供扱いです。

 それは別に少年の独創でもなんでもありませんでした。国語の教科書に載っていた『アンネの日記』の受け売りです。それは、第二次世界大戦の最中、ドイツ軍の占領下で、ゲシュタポの足音に脅えながら、ひっそりと屋根裏部屋に隠れて生活をしていたアンネ・フランクというユダヤ人少女の日記に書かれていた一節です。

 でも、その優しい上級生から頭をなでられて、少女はとてもあたたかい気持になることができました。引っ張られて痛かったほっぺたを自分の手で撫でながら、先輩を見上げて返事をしました。

「あ、…ありがとうございます。」

 というのが精一杯でしたが、少女は勇気を振り絞って、ひとつだけ先輩に尋ねました。

「…せ、先輩は、…どうして、そんなに優しくしてくれるんですか?」

 少年はちょっと驚いたようにきょとんとしていましたが、しばらく考えると、少女に自分なりの答えを探し出して丁寧に答えてくれました。

「多分、ぼくも泣き虫だったからかな…。ぼくも昔、君くらいの歳の時に、とっても悲しい思い出があってね、今では良い思い出なんだけど、…でも、その時、一生分の涙を流しちゃったのかな。それくらい、その時はとても悲しくてね。…だから、さっききみが泣いていたのを見た時、…なんだか、どうしても我慢できなくなっちゃってね。」

 少年はゆっくりと、視線を宙に投げかけて、まるで昔を懐かしみ、かみしめるかのように、その少女に答えました。少女は、先輩のその悲しい思いというのが何なのかは分かりませんでしたが、先輩の一言一言が少女の胸の中にじんわりと染み渡っていくのが感じられました。

「だから、…何かつらいことがあった時は、つらい時ほど、頑張ってみんなの前では笑顔を見せてやれば、きっと、元気はその後からついてくると思うんだ。だから、きみも頑張ってね。」

「はい!…ありがとうございました!」

 少女はまた心の中があたたかいもので一杯に満たされる幸せな気持ちを感じていました。

「じゃあね、また明日も練習、頑張ろうね!」

 そう言って先輩は少女に手を振ると、そのまま一目散に廊下を駆け出していきました。少女はいつまでもその先輩の後ろ姿を見つめているのでした。廊下の先の校舎の端にある階段でその少年の後姿が見えなくなるまで。

******

 少女は自分の部屋のドレッサーの前で制服の襟とブレザーの裾を確かめ、プリーツスカートの裾を整えます。そして、鏡台の上に置いていた小箱を持ち上げました。それには綺麗なリボンが掛けられています。

(…先輩、やっぱりわたしは先輩のことが忘れられません。久美子たちの気持ちもよくわかります。わたしのことを心の底から心配して、本当にわたしのことを考えてくれて…。久美子たちの友情はとても嬉しい。…でも、今でもわたしはやっぱり先輩を信じています。)

 少女はその小箱を大事に胸に押し戴き、何かを想起するかのように瞳を閉じます。

(わたしが先輩を知った中学1年生のあの夏、先輩の心の中には、もう理恵子さんがいたと思います。理恵子さんを愛している先輩のことを、わたしは大好きになりました。だから、理恵子さんへの先輩の思いも含めて、わたしは先輩のことが大好きなんです。)

 少女は大きく目を見開き鏡の中の自分を見つめます。そして、自分で自分に決意を合図するかのように、大きくゆっくりと頷きます。

(先輩の愛情は全て理恵子さんのものです。そして、先輩の理恵子さんに対する愛情が真実であることをわたしは知っています。だからこそ、わたしは先輩に元気をあげたい。あの夏の日々、わたしが先輩からいつも元気をもらっていたように…。)

 そう強い決意を秘めた少女は部屋を後にしたのでした。
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