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第17話 少年たちの聖戦(改)

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(これまでのあらすじ……)

 関山新道計画は着々と進められ、東村山郡住民の頼みの綱である別段建議書も密かに闇に葬られました。県庁では、三島通庸県令の両輪たる高木秀明課長と鬼塚綱正警部のもとにいよいよ事業が始動します。一方、高楯村の住人でもある郡書記渡辺吉雄は、郡長布告の通告に山野辺地区へやってきました。大人たちも安達久右衛門宅で郡書記の到着を待っていましたが、峰一郎を始めとする少年たちも、郡役人を迎え撃つ準備を整えて、小鶴沢川で待ち構えています。

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 東村山郡郡書記の渡辺吉雄(わたなべ・よしかつ)が、今回の村山四郡内数町村連合会で住民代表が共同採択した内容を、東村山郡内の高楯(たかだて)村へ通知すべく、巡査の先導のもと、従者を従えて、村に続く細道を歩いていました。

 渡辺は、毎朝の役所への通勤には、長崎(ながさき)村に通じる「たち道」と呼ばれる原野の一本道を通って、小鶴沢(こづるざわ)川の下流を渡って天童(てんどう)に向かいます。

 この日、渡辺は、常に通勤に使う道ではなく、大寺(おおてら)村から高楯に通じる道を通り、小鶴沢川の上流を渡ろうとしています。まさか、その前日に少年たちが集まってそこで何かをしていたなんて、想像もしていません。

 そして、その渡辺たち一行の目の前に、高楯村と大寺村の境い目を流れる小鶴沢川が見えて来ました。

「おお、やっと高楯村さ来たなぁ」

 渡辺は地元を目の前にして嬉しそうです。普段ならば、ちょっと苦手な戸長の安達久右衛門(あだち・きゅうえもん)に対して、上座から郡長のお達しを口上するのを思い描いて、なかなか嬉しそうです。

(あんたが早起きしてスタスタ歩いてくれたら、高楯村の御用もとうに終わて、今頃、山野辺の戸長のところに着いていますよ)

 喜ぶ渡辺に対して、まったく見事な偶然で、周りの4人はまったく同じ憤りを、まったく同時に心の中で叫んでいました。

「おお、橋が見えっだ。良がったな、濡んねで渡るい」

 裾を濡らさずに渡れそうなことを喜ぶ渡辺でしたが、なぜか従者たちもほっとしているようでした。なぜなら、一帳羅の洋服を濡らしたくない渡辺のことですから、自分を担げと言い出しかねません。

 江戸時代の大井川の渡しではあるまいに、誰が好き好んで20貫目以上は優にありそうな脂ぎった親爺を担ぎたいと思うでしょう。
(20貫目=約80㎏強)

 夏場の乾期なら五間にも満たない川幅で、深くとも膝が濡れる程のことはなく、ところどころに小さな中洲のような茂みもある小さな河川でした。
(1間=約1・8m)

 梅雨時でも、申し訳程度の土手を越えるような事態は、村の古老にも覚えがないくらい、穏やかな川です。子供たちなら橋など渡らずに、そのまま水面を渡るような浅さでした。

 この日はまだ梅雨の晴れ間でした。梅雨時で増水すれば水没して通行できない簡単な杭打ちの細い橋ですが、この日の川面は穏やかで1尺幅の足板を二枚並べただけの簡易な橋板が水面より表に出ています。
(1尺=約30㎝)

**********

 渡辺吉雄たちの一行が川にさしかかり、先導の巡査が橋を渡り渡りはじめました。杭を打っただけのところに板を通しただけの粗末な簡易橋ですので、縦に一列、それもたいした強度もないので間隔を開けて渡らなければなりません。

 川の中州の草むらの中、身体の半分を水に浸からせて隠れながら、三浦定之助(みうら・さだのすけ)は洋服男の足の運びだけを凝視しています。

(ほら、こい……、もうちょっと……、よし……、そのまま、そのまま……)

(とくん、……とくん、……とくん、……とくん)

 自分の心臓の鼓動が身体の内側から耳朶に響いてきます。しかし、落ち着いて見定めている定之助の心音は、思ったほどには早くなく、結構、冷静な自分に自身で感心しています。

 定之助たちが握りしめている縄は、川床の水の中を通り、簡易橋の杭に繋がっています。この時の一瞬のために、定之助たちはずぶ濡れになりながら、昨日、何度も実験をして、引き加減に結び位置、杭の刺さり具合を微調整したのです。

(ようし、うまく行くぞ、あの場所に来たら、……もう少し、……あと三歩、……二歩、……一歩)

「いまだ、引げ~~~~~~! 」「おら~~~! 」「うあ~~~! 」

 定之助の叫び声が一閃!草むらに隠れていた定之助を加えた三人の少年が、一斉に綱を思い切り引きます。

 時ならぬ掛け声に驚いた巡査と従者の4人が振り返ります。……と、同時に、吉雄の絶叫がコダマしました。

「うわあぁ~~~~~~~~! 」

(ばしゃ~~~~ん! )

 大きな水しぶきと共に、吉雄が仰向けにひっくりかえります。更に、杭を抜かれて、吉雄の重みに反り返った橋板が、吉雄の脳天をしたたかに直撃しました。

「ぐわっ! 」

 踏んだり蹴ったりとはこのこと、体中がずぶ濡れになって川床に横たわった吉雄は、水もしたたかに飲んで、クジラの水吹きよろしく、しぶきをまき散らします。

(ぶしゃあぁぁぁ~~~! )

「吉雄さ~~! 」「で、でぇじょうぶですか! 」「書記~! 」

 ジタバタする吉雄の水しぶきを浴びながら、巡査と従者が慌てて吉雄に駆け寄ります。

 従者が引き揚げようとして手を持った時、今度は吉雄と従者二人分の重みに耐えかねた橋板が、ミシミシッとしなります。

(めりめり……)

「うわぁ! ばがばが! 来んな来んな! 」

(ばりばり……)

「よ、よせ、どけろ! ほっちゃ行げ! 」

(バリバリバリッ! )

 バリバリッ! という木のしなり折れる音とともに、今度は3人そろって、先ほどよりも更に盛大な水しぶきを上げて、川床へと放り出されてしまいました。

「うわぁ~~~~~! 」「ひぇ~~~~! 」

(ばしゃ~~~~ん! )(ばしゃばしゃばしゃ! )

 予想外の効果と大成功に、定之助を入れた3人の綱引き役は両手を挙げて、飛び跳ねて歓声をあげています。

「やった~~! 」「やった! やった! 」「ざまぁみろ~! 」

 それを見てしばらく呆気にとられた巡査が気を取り直し、「こら~~~~! 」と叫ぶより早いか、怒り心頭に発した吉雄が、怒りの形相で子供たちを睨みつけました。

「こんの、クソガキべらが~~~~~~! 」

 吉雄には、もはや濡れたかどうかも関係ありません。既に、ふんどしの中までびしょ濡れの吉雄にはどうでもいいことなのです。

 この悪ガキどもをしこたまぶん殴り、親どもに思う存分の仕置きをしてやる、その仕返しの情念だけで、大人げなくも子供に向かい川面を走りだします。

「うおぉ~~~~~! このクソガキ~~~~! 」

「わ~~! 来た来た~! 逃げろ~~~! 」

 定之助たち3人は、手を打ち笑いながら川面を走って逃げます。……そこへ。

「いまだ! 」「引け~! 」

 今度は川岸の別の草むらに隠れていた少年3人が、掛け声一閃!思い切り綱を引っ張ります。

「ぐあ~~~~! 」

(ばしゃ~~~~ん! )

 今度は、水の中に張った縄に足を取られた吉雄が、顔面から川に落ちて行きます。

「ぐあぁ~~~~~~~! いっで~~~! クッソガキどもがぁ! 許さね! も~~~、許さねがらな~~! 」

 目を血走らせた吉雄を川に置いて、少年たち6人が手を叩いて吉雄をはやし立てます。

「こっちさ来てみろ~~! 」「へへ~~ん! 河童だ、河童~~! 」「間抜けなツラぁさらし~! 」「わぁはっはっはっ! 」

 吉雄は洋髪で七・三に分けた髪が、ずぶ濡れで落ち武者か河童のような散切り姿となっていました。少年たちはその無様な姿をはやし立てながら川を渡り高楯側の岸から下流の方向へと駆けていきます。

「こら~~! おめぇだ! なんてごどしてけだ~! 」

「ばがも~~ん! 待で、待で~~! 」

 巡査が定之助たちを追いかけていく中、怒りのおさまらぬ吉雄は、従者に八つ当たりをします。

「お前だ! 何しった! お前だもあのガギば引っつかまえで、俺んどさ、ちぇでこい! はやぐ行げ~! 」
(ちぇでこい=連れてこい)

「は、はい! 」

 吉雄の叱咤で、自からもずぶ濡れの従者たちでしたが、濡れた風呂敷を岸に置いて、巡査のあとを追い駆けていきます。

「こんクソガギどもべらが! 高楯村の戸長さ、ギダギダ言ってけらんなね! こんの、クソガギ! クソガギ! クソガギ! クソガギ! クソガキ! 」

 怒りのおさめようのない吉雄は地面を蹴飛ばしながら、憤懣やるかたなさそうに罵詈雑言を並べ立てていました。

 その時でした……。

**********

「わ~はははは! ずぶ濡れのバガがいっぞ~! 」

「おっちゃん、アホ面さげで、何しったのや~! 」

「さっさど、天童さ帰ったらいいんねが~! 」

「んだあ! 来んな! 来んな! 」

「帰れ、帰れ~! 二度ど来んな~! 」

 高楯側のそれほど高くない土手の上に、今度は石川確治(いしかわ・かくじ)以下の数人の少年があらわれ、吉雄を挑発するかのように、雑言を並べたてます。彼らもまた、顔に泥を塗りたくっていました。

 彼らは、言葉だけではなく、まず確治が着物をはしょり、ふんどし姿の可愛い尻を吉雄に向けてケツをピタピタとたたきます。

「帰れ、帰れ~~~~! 」

(ピシャ! ピシャ! ピシャ! )

 すると……、

(……プゥゥ~~~~~)

 お尻への刺激が過ぎたのか、確治が間の抜けたような音でおならを長く流します。

「わあぁっはっはっはっ! 」「いいぞ! おらだも、やっべ! 」

 少年たちがみんなふんどし姿の可愛いプリプリしたお尻を並べ(ぷぅぅぅぅぅ……)と吉雄に向けておならを鳴らしました。

「屁ぇでも、くらえ~~~~! 」

 ここまでコケにされバカにされた吉雄は、またまた怒髪天を衝くばかりになり、死んだ魚のような大きな目玉に毛細血管の赤い筋をこれでもかと走らせます。

「こんのクソガギどもべら~! も~許さねがらな~! 」

 目を血走らせた吉雄が、雄たけびを挙げて、イノシシのように少年たちへ吶喊していきます。

 少年たちの戦いはまだまだ、始まったばかりです。

**********

(おわりに)

 小鶴沢川に差し掛かった渡辺吉雄郡書記の一行に、少年たちがしつらえた罠が次々に展開されます。まずは三浦定之助が先陣を切って橋桁外しの罠を発動し、郡書記は川の中に放り込まれ、ずぶ濡れになってしまいます。そして、定之助は予定通りに巡査たちを引き付ける囮の役目に成功します。次に、ずぶぬれになった郡書記に対して、土手の上に姿を現した石川確治たちが挑発を仕掛けます。この挑発に怒り心頭の郡書記はうまうまと引っかかり、確治に向けて吶喊していきます。
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