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第74話 教育現場の現実

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(これまでのあらすじ……)

 住民と郡役所との狭間で村のための活動をする中で峰一郎は様々なことを学びます。その後、その活動は官吏の知る所となり、峰一郎の身を守るために大人らは峰一郎を学校教師とします。多くの人々の愛情に支えられ、峰一郎は新たな生活に向かい始めます。教員補助として新たな一歩を記した峰一郎を、従兄の貞造が先輩教師として迎え、また、歳の近いお兄さん先生として児童たちも大喜びでした。一方の郡役所でも、この動向は一定の成果と捉えられ好意的に受け止められたようです。

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 山野辺学校は、賑やかな子供たちの声が満ち溢れて、とても楽しそうです。

「せんせえ~、書ぎました~!おらのば見でけろっす!」

 子供たちの呼ぶ声に誘われるごとく、新任の安達峰一郎先生が子供たちの間を縫うように歩きます。

「どれどれ、お~、佐吉!良ぐ書げだなぁ、上手いべ!」

 先生からの賞賛を受けたその子供は、とても嬉しそうに喜びます。

「へへへっ。」

 負けじと他の子供たちも、我先にと、峰一郎先生に向けて手を挙げてアピールをします。

「せんせえ!おらのも見でけろ!」

「なんだぁ!俺が先だべ!せんせえ!」

「清吉はさっきも見でもらたばりで、ずるいべ!今度はおらだ!」

 あまりの人気ぶりに峰一郎は頭をかいて苦笑してしまいます。

「分がった、分がった。順番でみんなのば、ちゃんと見でけっからな。」

 峰一郎はこの学校での子供たちとの関わりの中に、自分の本当の居場所を見つけたような気持ちになっていました。子供たちはいつも元気いっぱいで、峰一郎もそんな子供たちとの交わりを続けていく中で、その子供たちを教えることに生き甲斐を見つけたのです。

 毎日が楽しく、しかも新鮮な驚きの連続でした。峰一郎の祖父も私塾を主宰していましたし、父もまた創業の学校創設当初から務めている根っからの教育一家ですので、峰一郎の身体にはやはり教育者としての血が流れているのかもしれません。

 しかし、山野辺学校での仕事を続ける中で、峰一郎には、どうしても気になることがあるのでした。いつも、児童たちに笑顔を向ける峰一郎でしたが、時折、寂しそうな瞳をすることがありました。その瞳の意味を、まだ、誰も知りませんでした。

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 峰一郎が学校に勤務するようになって数日を経たある日、峰一郎は、本家の親しい安達貞造先生と一緒に、境内の鐘撞堂で落ち葉掃き掃除をしながら、貞造に尋ねました。

「貞造兄ちゃん、聞ぐだい事があるんだげんとも、良いべが。」

「おう、なんでもいいぞ。遠慮なく聞いでけろ。」

 峰一郎は、学校生活の中で気づいたこと、……というよりは、学校教育制度の根幹にかかわるどうしようもない問題についての疑問があるのでした。それだけに、聞いてもなんともしようのない問題である自覚もありましたから、どこか聞くのをためらわれたのです。

「なんだい、遠慮すんなよ、峰一郎。お前はよぐやってるべ。子供だもお前さよくなづいっだべす、峰一郎はきっといい先生さなっべ。」

 貞造は峰一郎が教師として立派に努めていることを評価していることを伝えます。しかし、峰一郎にはどうしても分からないことがあり、ようやくその重い口を開きました。

「だども兄ちゃん、こさ来った子供だは百人もいねべした。毎日、百人もいだら、うがぐ感じっし、教えんのも大変だげんと、山野辺や高楯の村さは、ほんとは、もっとうがぐ子供ざいっべした。んだのに、何でみんな勉強さ来ねんだべ?」
(うがぐ=多く)

 峰一郎が不思議に思ったのはその通りでした。当時の山野辺村や高楯村の学齢児童数はおよそ五百人を超えていました。その大半がまだ学校に来てもいないというのが、地方社会の教育現場での実情でした。

 実際に学校に来ている児童は百人前後ですが、登校している児童も安定的に勉強が出来ているとは言えません。子供とはいえ当時の農家では重要な労働力ですから、登校時間も下校時間もまちまちで、全員が講堂に勢ぞろいすることは、ほとんどありません。それでも比較的広いとされる寺の講堂であっても、50人も子供たちがいれば、そこそこびっしりした密度で勉強をしている状況なのです。

「峰一郎の言うだい事は分かる。でも、学校もタダじゃねえ。金もかがっし、家の懐具合もあっべ。ほれさ農作業や子守どが、子供の手伝いが要るのもよく分がっべ。来ねんでなぐ、来らんねんだな。」

「ほれも分がっげんど……。」

「ほいづさ、おなごさ勉強なんかいらねて言う大人がうがいのも現実だべ。俺も村の娘ださ勉強ばさせっだいげんど、ほればすぐにどうにがすっべど思てもな……。」

 貞造もまた、峰一郎が思うことは前々から気付いていました。しかし、それはどうすることも出来ないのです。

 労働力確保の面と学費負担の両面から、子供の就学機会が阻害されているという家庭の経済的事情も大きな問題でありました。更に一方で、もうひとつ社会的に教育の意義がまだまだ浸透していないことを示す、大きな問題がありました。それは女子教育への理解不足でした。

 子供の半分は女の子ですが、女性に教育は不要という前近代的価値観に支配された考えから、女子就学適齢児童の9割以上が学校に来ていないことが、就学率の低い最大の要因でした。峰一郎の家のように教育に理解のある家庭の方が、当時は圧倒的に珍しいのが実情でした。

 今の山野辺学校にも、僅かですが女子児童が登校してきます。しかし、それは戸長や地主などの一部の内福な家庭の子女でした。

「峰一郎だは、俺の親爺のために頑張って手伝いばしてけっだっけ。本当だば、俺がさんなねっけのさ、われがったど思う。んだがらて、俺は峰一郎さは何でも力貸すさげ、なんでも相談してけろな。」

「ほだな、貞造兄ちゃんは学校の先生しったなさ、さしぇらんねべ。おらだ、何もすっごどないなさ、久右衛門おじさんから、ただの使いば頼まっだだげだ。」

 貞造は、父・久右衛門の手伝いで峰一郎たちが働いているのを知っていました。本当であれば自分がその役目を代わりにしたいとも思いましたが、教育に対して信念に近いものを持っている久右衛門は、たとえ我が子でも教師の仕事を投げうつことを許しませんでした。

 だからこそ、貞造は自分に代わって峰一郎が父のために尽力してくれたことに素直に感謝もしていましたし、学校でも何くれとなく峰一郎に教員としての手解きもしてくれていました。

 しかし、峰一郎は、教育現場での就学児童数の問題とともに、前に伊之吉の娘の梅から聞いた話しをも思い出していたのでした。

(……たまに、急にその友だちがいねぐなるの。村さ、いねぐなて、あどは絶対に会わんねの……。)

 あの静かな夏の夜、その時に聞いた梅の言葉は、美しい夜空の星々に浮かんだ可憐な少女の姿とともに、峰一郎の胸に焼き付いているのでした。

 そして、その後、伊之吉の使いをしながら、多くの大人たちからの様々な話しを吸収していた峰一郎は、いつしか、梅の友達が急にいなくなるのは、どうしようもない貧しさのために、どこか遠くに奉公に出されたらしいということが、薄々ながら分かってくるようになりました。

 だからこそ、実際に学校に来ている女子児童の姿が極端に少ないことも、峰一郎には気になっていたのでした。そこには現実社会の貧困が見え隠れしており、政府の唱える四民平等の社会と現実との乖離が、まざまざと見せつけられているのです。

 数少ない女子児童を見つめる峰一郎の瞳の先には、あの夏の夜に、一筋の涙を流した可憐な少女の面影がだぶって見えるのでした。

「んだげんと……おらだは、村の子供ださ何もしてやらんねんだべが……。」

 峰一郎は何も出来ぬ自分の不甲斐なさを呪いました。伊之吉の手助けもできない、梅を守ることもできない、そして今、目の前の子供たちにもっともっと勉強をさせてやりたいのに、それも自分にはどうしようもできない、……そんな自分の無力さが辛くて仕方なかったのです。

 同じ思いをずっとしてきた貞造もまた、峰一郎の気持ちは手に取るようによく分かるのでした。

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(史実解説)

 明治6年、山野辺学校創立の頃、周辺13ヶ村での入学年齢に達した者は1219人いましたが、入学者は僅かに十数人に過ぎませんでした。年度末には名簿上86名の在籍数となりましたが、それでも全体の1割にも届きません。更に毎日の平均出席者数は55人で約半分近くが毎日欠席しており、入学しても家事手伝いに追われて登校できない現状が示されています。山野辺地区山間部にある大蕨村・北山村の『大蕨・北山学校沿革誌』には「その翁媼父母、頑固にして就学する者甚だ少なし」と、祖父母両親の家族全員の反対で就学が進まない様子が記されています。また、同じく山野辺地区山間部の畑谷村の畑谷学校では、住民の反感の声により学校維持そのものが困難になるケースもありました。

 明治9年、このような状況を憂えた山形県は「就学督促法」を制定し、学校関係者はもちろん、学区取締や巡査にも就学督促の服務規定を設け、住民総動員での就学督促体制を整備しました。村ぐるみでの就学督促で就学者は緩やかに漸増しましたが、在籍するだけで出席率は依然として低い状態が続くことになります。

 また、一方の女子就学率は男子児童に比べて更に遅々として進まず、高楯村の北隣にある大寺村の大寺学校では、明治7年から9年までの統計で、学齢児童数260~270人に対して、就学男子児童50~60名、就学女子児童3~7名と、圧倒的に女子児童の就学率の低さが示されています。

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(おわりに)

 学校で子供たちに教育を施す仕事に生き甲斐を感じ始める峰一郎でしたが、一方でどうしても教育現場の実情には、まだまだ納得のいかないものを感じていました。家庭の事情で学校に来られない子供たち、女子教育に理解のない大人たちによって教育の必要性すら与えられない女の子たち、様々な問題と障害が目の前に横たわっている現実に、戸惑いを隠せない峰一郎でした。
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