異世界の落としもの、返却いたします

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プロローグ『邂逅』

一話

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平原を埋め尽くすほどの人間が、荒れ狂う波のようにこちらへと向かってくる。
   
  中性的な美貌を持つ青年は、質のいい軍服に身を包み、鮮麗な赤髪を風に靡かせながら、眼窩に広がる戦場をぼんやりと眺めていた。彼の首には煌びやかな軍服に似合わない無骨な首輪が嵌められ、そこから伸びた鎖が青年と似た顔立ちの男に握られている。
  鎖を握る男は、この場が戦場であるにも関わらず悠々と用意された椅子に座り、至極楽しげに戦場を眺めて目を細めた。
  前線で迎え撃つ歩兵たちに人波がぶつかり、剣と剣が交じり合う。あちこちで響く金属音と共に、一面を覆うのは怒号と悲鳴。地面を濡らすのは雨ではなく真っ赤な鮮血で、あぁ血腥いと思わず口にすると、男が青年の首に繋がる鎖を乱暴に引き、その拍子に首がギリリと絞まった。

 「さぁ、貴様も無駄口を叩いていないで、その力を存分に見せつけよ」

 「ごほっ……しかし、これでは自国の兵も巻き込んでしまいます」

 「かまわん。どうせあ奴等はただの捨て駒。変わりは幾らでもいるのだ。せめて戦場で散ってこそ花というものよ」

 「それは、あまりに……」

 「……家畜の分際で、分も弁えずこの私に意見するか」

  この国の王だという男は、青年の言葉に忌々しそうに顔を歪めると、躊躇うことなく青年の首に付けられた隷属の首輪を発動させた。途端に全身を雷が貫いたような激痛が走り、青年は耐え切れず呻きながらその場に蹲る。男はその様子を見て満足そうに笑い、丸まった背中を踏み躙りながら再度命令を口にした。

 「さぁ、すべてを焼き払え」

  そう言った男の目は汚泥のように濁り、まるでこの世界すべてを憎み、呪い、消し去ろうとしているかのようで、青年は男の悍ましさに背筋を粟立て、地面を抉るように深く爪を立てた。

  ―――――狂っている。

  この首輪さえなければ、この身体がひと時でも自由に動けるのならば、その喉笛を即座に噛み千切ってやるのに。青年は苦々しく思いながらも、首輪から下された罰に顔を顰め、痛みに息を荒げる。

  かつて魔王を打ち滅ぼし、英雄とまで呼ばれていた王をここまで狂気に駆り立てるものがいったい何なのか。何故ここまで世界を憎むようになってしまったのか。それを知る者たちは既にこの世にはいない。王を止めようとした者も、諌めた家臣らも、すべて王自らの手によって葬られてしまったからだ。
  そしてこの男の血を継ぐ青年自身もまた、何も知らされることなく幼い頃から王の駒として首輪に縛られ隷属させられている。
  美しく豊かであった国を絶対的な恐怖で満たし、慈悲の欠片もくれてやるつもりはないのだと肉親を蔑み、膨大な魔力を宿す自身の子供に無理やり首輪を嵌めて、戦闘奴隷のように戦場へと駆り出す。

  本当に、どこまでも狂っている。いっそ清々しいほどだ。男に見えないように青年は自嘲気味に笑いながら瞼を伏せる。
  人の死を数えきれぬほど見て、怨嗟と悲鳴を散々聞いて、それでも数多の屍を越えて生き続けている。王の命令に背くこともできず、操られた人形のように自身の意思とは関係なく戦わされながら、それでもまだこの心は壊れることなく存在している。まるで誰かに抗えとでも言われているように。

  激痛に片膝をついていた身体は、王の命令によって自分の意思とは関係なくゆっくりと起き上がる。そしてそのまま数歩前に出ると片手を前に出し、その場で一気に腕を薙いだ。
  その刹那、戦場はたちまち業火に包まれ、敵も味方も屍も関係なく灰になる。武器も鎧も、それに身を包んだ者たちも、次々と蒸発するように炎の渦に溶けて見えなくなっていく。この中でいったいどれほどの者が自分の死を認識できたのだろう。

  あぁ、誰でもいい。神でも悪魔でもそれ以外でもいい。どうか哀れと思うのなら、傀儡のようなこの身を滅ぼしてほしい。嗤笑に喘ぐ腐れた王を悔しがらせるくらい残忍でいい。自分の意思で泣くこともできなくなってしまった哀れな男を、どうか。

  眼前に広がる火の海を琥珀の瞳に焼き付けながら、青年は表情一つ変えることなく、唯々戦場を蹂躙し続けた。







  ***異世界の落としもの、返却いたします***








  「お先に失礼しまーす」

   帰り支度を始めていた同僚たちの話し声を背に、鑑継葵みつぎあおいは一足先にタイムカードを切ると足早に更衣室へと向かう。
   見慣れた制服からシンプルな私服に着替えて会社を出ると、途端に身を切るような寒さが全身を襲い、思わずマフラーに隠れるように首を窄めた。
   既に高層ビルの隙間から見える空は藍色に染まり、クリスマスの装飾に彩られた町並みは、家路を急ぐ人々で溢れていた。
   華やかな町の雰囲気とは対照的に、疲労に肩を落とした大人たちがやけに目立つ。年末に近づくにつれ、仕事納めという名の過重労働がどの会社でも大なり小なりあるのだろうなと思いつつ、そんな同志たちがミチミチに詰まった電車に揺られて、ようやく家路に着いた。

   家の中に入ると、持っていた鞄を適当に放ってソファーに身を投げ、これでもかというくらい脱力する。

   「あ゛ぁぁぁぁー……もうだめぇ……」

   獣が唸るようなため息と同時に出てしまう弱音。広すぎる家の中で、寂しく響いたそれを拾い上げる者はもちろんおらず、葵はなんともいえない寂寥感に苛まれながら、うつ伏せだった身体を仰向けにして目を瞑る。

   事務仕事というのは単調でありながらも、その量は有名企業だけあってこれでもかというくらい膨大だ。ただそれを扱う人間もその量に合わせて用意されている為、本来ならここまで切羽詰ることはないはずだった。
   けれども仕事を仕事と思わない人間も残念ながらいて、葵はそんなお気楽な思考を持つ人から何かにつけて仕事を押し付けられることがままあった。
   見目も重要な秘書課でもあるまいし、枯れたおじさまたちに囲まれた総務課で何を小奇麗にする必要があるのかと、髪をひっつめて肌色を調整する程度の化粧に留めていた葵はさぞかし大人しく見えたことだろう。有無を言わせず流れるような動作でノルマの書類を置いていくその手腕を、是非仕事に使ってくれと何度思ったことか。
   そうやって仕事を他人に横流しするような狡賢い人をよく思わない人ももちろんいるわけで、その内葵が不満を訴え出るよりも先に問題が公になるのではないかと思っているので、葵自身はほとんど放置しているのが現状だ。どっちにしろあと数日で退職する予定の葵には、仕事中に婚活しているような同僚が今後どうなろうと知ったこっちゃないのだが。

  それはともかくとして、葵が今の会社を退職することになってしまったのは、両親が残した一通の手紙の所為だった。
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