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第5話 穗乃花お嬢様

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「あれ、暁良は?」
 二日後。一向に姿を見せない暁良を探していた路人は、研究室でパソコンに向かう翔摩と瑛真に訊く。
「今日は午後から山名先生と出掛けると言ってましたよ」
 詳しい事情を知らない瑛真はそう淡々と教える。
「え?山名と?何だか嫌な予感がするなあ」
 それに対する路人の答えに、翔摩は危うく正解と言いそうになった。なんせ今日は例の見合い相手と会いに行く日だ。作戦を成功させたい紀章は一先ず暁良と面会させ、その後どうやって話を進めるか決めると勝手に決定している。
「まあいいか。新しいロボットの案が浮かんだから、真っ先に教えてあげようと思ったのになあ」
 路人はそれ以上追及することなく、自らが書いた製図を広げてむすっとする。久々に面白いものが出来たのにと、自慢できなくて不満なのだ。
「はあ。たしかに結婚は無理だろうな」
 詳しい事情を知る翔摩はこそっと溜め息を吐いていた。





「でかっ」
 その頃。紀章とともに見合い相手の家へとやって来た暁良は、その外観に圧倒されていた。さすがは代々政治家の家。以前に科学成金の家に行ったことがあるが、その倍はありそうだ。
「失礼のないようにな。お前が失敗したら、俺はどうすればいいのか解らない」
 あまりに率直な感想を大声で漏らす暁良に、頼むからしっかりしてくれよと紀章は胃の辺りを押さえて言う。この百戦錬磨のおっさんでもこの調子なのかと、暁良は緊張してしまった。
 とはいえ、紀章はまだ四十代だ。23歳で路人と礼詞の面倒を見ていたというだけで、おじいさんというわけではない。しかもずっと科学の世界で生きているのだ。政治家の相手は慣れていなくて当然である。
 「はあ、嫌だな」
 そして単なる大学生である暁良からすれば超縁遠い相手だ。一体どのくらいの年の人なのか。紀章と同い年くらいだろうと思うものの憂鬱だった。
 インターフォンを押すと、すぐにお手伝いさんが現れた。この頃普及しているロボットではなく人間だ。財力があるとはこのことだなと、何でもロボットに置き換えないところに暁良は感心してしまう。
 広い玄関に通され、そこで執事だという男性が迎えてくれる。何だか漫画の世界に飛び込んでしまったかのようだ。おかげで暁良の緊張は一気に高まった。そして紀章の緊張の理由もはっきりと理解する。
 相手は単なる政治家という括りに収まらないタイプだ。しかも科学技術省の立ち上げで世話になったというから、相当な権力を持っている。たしかに縁談を断れる雰囲気はない。
「ご主人様と穂乃花お嬢さまは応接室でお待ちです」
 家の中を案内する七十代と思われる執事の物腰は柔らかだが、ご主人様という言葉がより緊張を煽る。ああ、帰りたい。暁良も思わず胃の辺りを押さえていた。
「こちらです」
 執事が扉を開け、応接室へと通される。その応接室は趣味のいい高そうな家具に囲まれた、本当にお屋敷という感じの部屋だった。
「これは山名先生。わざわざお越しいただき、ありがとうございます」
 中のソファに座っていたスーツ姿の男性が立ち上がって、紀章に握手を求める。その恰好は様になっていて、握手も欧米人のようにスマートだ。
「いえいえ。何と言っても吉岡先生の大事なお嬢様のことです。何度でも足を運ばせてもらいますよ」
 紀章は普段は見せない笑顔で、暁良からすれば狂暴以外に見えないが、を浮かべてにこやかに握手を返す。
何度も足を運ぶってのは嫌なんだけど事実だよなと、そんな四十代の二人が握手を交わすところを見ながら暁良は遠くに視線を向ける。目に入ったのはこれまた高そうなシャンデリアだ。まったく、肩が凝る。
「それで先生、こちらは?」
 握手を終えた吉岡尚春は、ぼんやりとシャンデリアを見つめる暁良に目を向けた。紀章がこっそり背中を叩く。
「あっ」
「これは一色の一番弟子の陣内暁良です。挨拶を」
 なんだよと睨む暁良に、紀章はそんな紹介をして無理やり頭を下げさせる。
「ほう。一色先生のお弟子さんですか。それは頼もしい」
 絶対に何だこいつと思っていただろと、暁良は無理やり頭を下げられた状態で思う。しかも一番弟子って何だよ。
 頭を上げると、今度は座ったままの穂乃花と目が合った。その目はじいっと暁良を見つめている。おそらく路人の関係者と解って俄然興味が出たというところか。写真のとおり、可愛らしい美人だ。
「一色先生はお忙しいのですか? すぐにでも会って頂きたいのですが」
 紀章と暁良がソファに座るなり、尚春はそう言い出す。早速の難題だ。こちらとしては路人から手を引いてほしいというのにどうするつもりか。暁良は紀章を見る。
「それが、あいつは頭の中に研究しかない奴でして、お嬢様には申し訳ないのですが、なかなか興味を示してくれず」
 紀章にしては普通かつ気の利かない言い訳が出る。先制攻撃に困惑しているのがよく解った。
「そうですか。しかし穂乃花はいたく一色先生を気に入ってましてね。私の会議についてきた時に見ただけだというのに、この方がいいと言うんですよ。まあ、娘が惚れるのも無理はない、美男子でいらっしゃいますからね」
 手放しの賞賛に、暁良は危うく吹くところだった。
 美男子? あれが? というのが正直なところだ。
 たしかに丸眼鏡を外した顔は整っている。が、クマのぬいぐるみに執着するお子様だ。日頃はだらしのない顔しかしていない。
「はあ、そうですか」
 紀章はそこで穂乃花に目を向ける。
「私、あの方が運命の人だと考えています。会議での話しぶりも非常に理路整然とされていて、そこも素敵だと思います」
 穂乃花は凛とした声でそう言った。ただ見てくれだけに惚れたのではないと、しっかり主張してくる。かなり芯の強いタイプだ。
「難しいよ、これ」
 暁良は思わず紀章に耳打ちする。どう考えても不利だ。というか、路人から礼詞に乗り換えるとは思えない。
「うっ。その、穂乃花お嬢様は他の男性から縁談が持ち込まれることも多いのでは?」
 紀章は何とか話題を路人から逸らしたいと必死だ。
「そうですね。そろそろ結婚を考えてもおかしくない年頃ですから。しかし、この子は好き嫌いがはっきりしていましてね。なかなか頷いてくれません。その中で一色先生がいいと言い出したものですから、よもや結婚しないつもりではと気を揉んでいた私としては大喜びですよ」
 ああ、ダメだ。完全に路人はロックオンされている。暁良はあの男が結婚かともう諦めモードだ。
 そして紀章の推理したように、すぐに破綻するところまで想像できてしまう。
 あの我儘ぶりに、そしてマザコンかつクマのぬいぐるみの愛好ぶりに愛想を尽かすのが関の山だ。
「先生。先生の愛弟子とあって色々とご不満があることでしょう。しかし」
「い、いえ。不満なんて」
 煮え切らない態度を紀章が反対しているのではと考えた尚春がそう言い出すので、紀章はぶんぶん首を振る。
「では」
 向こうから振ってくれた最大のチャンスだ。どうするつもりかと暁良は固唾を飲む。
「その。路人は結婚というものをどう考えているのか解らず心配なんですよ。同じ弟子の赤松はそうでもないんですけどね」
 ははっと力なく笑って終了。何とか礼詞の名前を出すことには成功しているが、諦めさせるには程遠い。
「根っからの研究者ですか。ますます好きになりそうです」
 そして穂乃花からはそんな言葉が漏れる。清純派お嬢様は恋した相手に一直線だ。
 どんな欠点も美点に見える。まさに恋は盲目という状況だ。
「悪化しただけだな」
 どうするつもりだろうと、暁良はまた高そうなシャンデリアを見つめることになるのだった。
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