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第8話 お前、千春のお母さんかよ

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「はあ、安西青龍。誰だ? それ」
「それでも刑事か。一般常識だろ」
 研究室に呼び出された千春の友人、宮路将平は知らない名前に顔を顰めていた。おかげで状況を楽しむ英士にそうツッコミを入れられることとなる。
 将平は警視庁に勤める刑事だが、どこかがざつなところがあると千春と英士から評されている。それが知識面でも発揮されているのだ。
「有名な画家ですよ。院展とか有名なコンテストの常連の人です」
「ふうん。で、そんな凄い先生が、あのポンコツを呼び出したってか。しかも内々のパーティーに。ボケてんじゃないのか」
 目の前のテーブルに広げられた安西青龍の資料とパーティーの招待状、それに招待客一覧を見て、将平はそんなことを言う。ついで刑事らしく短く刈った髪を乱暴に掻き毟った。
「ボケているんだったら問題ないんだけどね。その場合、千春には何ら問題のない相手だ。でも、そういう感じではないだろ」
「まあな。招待客はどいつもこいつも立派な奴だ。千春を除いて」
「そう。弁護士に小説家に建築家だからね」
「だがな。そうなると、事件でも何でもないだろ。嫌がらせとも思えないし」
「まあね。それ単体ならば、誰も疑わないよ。でも一連の嫌がらせがあったんだ。こういう唐突な招待ってのは怪しくないか。接点がないんだぞ。まあ、安西が噂を面白がって呼んだというなら、説明がつくのかもしれないけど」
「ううん。老人がネットニュースを賑わすような男に興味を持つかな」
 さすがに将平も、単純には考えられないかと悩む。が、それだけでは何も言えない。
「でも、安西は先生のことを人工知能の研究者と解っているようですから、全く興味がないってわけでもなさそうです。どういう内容かも、ここに簡単に書かれていますしね」
「ほう。たしかに招待状に書いてあるな。心を持った人工知能の研究者って」
 ということは、世間で言われている変な研究者だという認識を持っていたということか。将平は首を傾げる。
「となると、悪戯目的で呼び出した可能性も出てくるってわけだ。安西は金を持っているわけだから、手紙なんていう子供っぽい悪戯をする必要はない。直接呼び出して、その場で研究を止めるように説得するつもりなのかもよ」
「うっ」
 そういう想像もできるのかと、英士の説明に将平は唸った。しかし、今のところ想像の話だ。警察がこれを取り合うとは思えない。今までの悪戯にしてもそう。どれもこれも実質的な被害はないに等しい。
「まあ、警察がこの段階で動けないのは知っているよ。ただ、今までの嫌がらせがあるからな。お前には話を通しておいた方がいいってことになったんだよ。ただでさえ、今回は子守役に近いこいつが同伴していないからな」
 英士はそう言って翔馬を指差す。
 誰が子守役だと言い返したい翔馬だが、全否定できないだけに黙って頷くのみだ。招待状を床に投げてしまうように、千春にはどうしようもない子どもの部分がある。知り合いがいると全面的にその駄目な部分が出てしまう。それを何とかリカバーするのが翔馬の役目だ。
「確かにな。何かあればすぐに事件性を疑える。呼ばれた場所の住所は、これか。また随分と山奥なんだな」
「山奥なんですか。住所は東京ですけど」
 すぐ近くだから行っても問題ないなと、千春は出かける前に行っていた。この大学があるのも東京都内。だからその言葉を信じたのだが、どうやら近くないらしい。
「お前な。東京って意外と広いんだよ。二十三区だけじゃねえんだ。三宅島だって小笠原諸島だって東京都だぞ。解ってんのか」
「うっ。そうでした」
 たしかに東京都と呼ばれる範囲は広い。都内というとすぐに中心の二十三区だけを思い浮かべてしまうが、ちょっと外れると閑静な住宅地だったり田園風景が広がっていたりする。
 しかし、どうして島ばかりを例示するのか。そこが不明だ。青梅市とか八王子とか、もっといい例があるだろうに。
「ま、地続きだからな。よっぽどのことがない限り孤立しない場所だ。その点では、何かあればすぐに駆け付けられる。だからまあ、普通のパーティーであると信じておこうや」
「そうですねえ。凄く唐突かつ奇妙ですけど、まあ、変人が変人に興味を持っただけとも考えられますし。ううん」
 そう簡単に納得していいのだろうかと、翔馬は心配だった。ただでさえ一般常識が足りないというのに、他業種の人ばかりのところで大丈夫か。そんな心配もあるというのに、悪戯ではないと考えていいのだろうか。翔馬の中で不安はどんどんと膨らんでいく。
「お前、千春のお母さんかよ」
 色々と心配事を並べ立てる翔馬に、だから子守役って言われるんだよと将平は呆れ返ってしまうのだった。
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