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第19話 バタフライ効果

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「それに将平が向かっているんだろ。だったらあいつが連絡してくるよ。そっちの連絡を待つのが妥当だと思うね」
「そ、そうですね」
 そう思うと、急に腹が減って来る翔馬だ。今すぐにどうこう出来る問題ではない、と理解したためだろう。
「にしても、問題はこの天気か。急に雨が降って来たな」
「ああ。そうですね。何でも海水温が高いことが影響して、近くにあった低気圧が急速に発達してしまったらしいですよ。当初の予報では雨が降る程度だったんですが、昼ぐらいから荒れるって言ってましたね」
「それってさあ」
 そこで英士の箸が止まった。唐揚げを摘まんだまま、どうなんだろうと窓の外へと目を向ける。すでに木々は台風並みに揺れ、雨が叩きつけ始めていた。まさに今、昼頃だ。
「ひょっとして、あれですか。小説でよくある、警察が行けない、みたいな。土砂崩れとか洪水とかで」
「でも、本庁が応援に行くって決めているってことは、先発隊が行っているはずだよな。完全に孤立無援はないか」
「そ、そうですよ。孤立無援なわけないでしょ。それにまだ嵐になってませんよ。いくら謎の招待状を持って山奥に行ったからって、そんな小説のような展開ありませんって」
「だ、だよなあ。ああいうのは小説の中だけだよな」
 ははっと笑い合うが、不安が二人の中に再来したのは間違いない。急に黙り込んでしまう。すると、外を吹く風の音の大きさに気づいた。それがより不安を煽る。まるで台風が来ているみたいだ。
「どうして、このタイミングで嵐なんだよ。一昨日の天気予報では、ちょっと雨が降るってくらいだっただろ」
「だから海水温のせいで、急速に発達したんですよ。怒るべきは地球温暖化です。低気圧が一気に発達できるだけの海水温です。そのせいで予測が難しくなっているんですからね」
「ちっ。これだから天気予報は」
「いやいや。最終的に天気予報のせいですか。コンピュータ科学のプロがそれでいいんですか」
「いいに決まっているだろ。あれはどう頑張ってもコンピュータには解けないんだよ。バタフライ効果を知っているだろ」
「知ってますけどね」
 そんな恐ろしく不毛なやり取りをして、二人はようやく息を吐き出した。ここでバタフライ効果とか言っている場合ではない。あまりに不吉だ。
 ちなみにバタフライ効果とは数学のカオスを表す言葉だが、一般にはブラジルの一匹の蝶の羽ばたきがテキサスで竜巻を起こすのかという表現が有名だ。つまり、予想外のものが関係して結果を起こしているということを指し示す。
「予想外の効果」
「いやいや、現実には起きませんって。招待状がこの爆弾低気圧を生んだって言うんですか」
「ないよねえ」
 と言いながらも、二人の昼食タイムはどんよりとしたものに変化していた。



「えっ、鉄砲水による崖崩れですって!?」
 その頃、まさにバタフライ効果を実感しているのが千春だ。そんな馬鹿なと目を大きく見開く。それはもちろん、他のメンバーも同じだった。報告した田辺も、今にも崩れ落ちそうなほど顔色が悪い。さすがの執事も異常事態にまで冷静さを保ってはいられないようだ。
 雨が降り出したことで、全員がダイニングに戻っていた。しかし、桃花はまだ目を覚まさないため、千春たちが使っている部屋のベッドで休ませていた。その面倒はメイドたちが見てくれている。そこには女子だけで固まっていた方がいいだろうという配慮もあった。もちろん、それでは危険であるため、田辺と石田が交代で見張りをしている。
 あれから建物の中を隈なく探したが、美紅の姿は見つけることが出来なかった。トイレから浴室まで探し、さらには物置きも確認したが発見できなかった。それがより、固まっているべきという判断になっていた。美紅が犯人であろうと、もしくは犯人によって行方不明になっているのであっても、この建物は危険な状況に陥っていると判断すべきだからだ。下手にこちらから手出ししない方がいい。
「ええ、そうです。どうやらこの辺りはまだでしたが、山の裏側は降り始めが早かったようです。そこで予想以上の雨が降ったそうで、こちら側の崖が崩れたとか。通報した時点ではまだ大丈夫だったらしいですけど、落石が一本道を塞いでしまったようです」
「ああ。地下水の流れがこっち側だったんですね。しかしそれじゃあ」
「ええ。向かっていたパトカーがその崖崩れに気づいたそうです。さらに他からも、様々な通報が入っているとか」
 そんなことがあるのかと、その場にいるメンバーは顔を見合わせる。
「これだけ雨が降って来ても出て来ない遠藤先生は、どこに行ってしまったんでしょうか」
 ふと、大地が訊く。そうだ。桃花の状態もよく解らないが、アトリエ側の建物にいなかった美紅はどうなったのだろう。まさか、山に逃げたのだろうか。
「そうですね。心配です」
 田辺は困ったように周囲を見る。そうだ。家の主がいない今、頼りになるのは住んでいた桃花と美紅なのだ。それなのに、一人は意識不明、一人は行方不明の状態だった。
「ともかく、互いに離れないのが一番でしょうね」
 そこに、友也がそう提案した。それはもちろん、この中に犯人がいるかもしれないからだ。しかも昨日出会ったばかりで素性こそ知っているものの、その人となりを知らない。不安が一気に増大した。
「崖崩れの状況を、ネットで調べましょう」
 このままでは拙いと、敏感に察知した千春がそう提案すると、ほっとした溜め息が誰からともなく漏れた。そうだ。今は互いを疑うよりも警察が早く来られるかどうか。そちらが重要だ。
「そうですね。スマホは通じているみたいです」
 この大雨で電波が通じなくなっていることはないと、大地がまずスマホを取り出す。先ずはスマホというところが、若者らしい判断だ。
「良かった。じゃあ、手分けして情報を集めましょう。田辺さん、メモ用紙を貰えますか」
「は、はい。すぐに」
 田辺はすぐに台所の方向へと駆けて行った。そして千春が気象情報、友也が道路情報、大地が周辺自治体の情報、そして忠文が警察関係の情報を集めることになった。
「かなり広範囲に大雨洪水警報が出ていますね。特別警報に切り替わるのは時間の問題かもしれないですよ」
 千春は、気象庁の発表を見ながら言う。
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