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第39話 顔に出やすい

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「まあ、仕方ないですよね。ただでさえ事件が起こっている上に、この雨」
「ええ」
 しっかりと応じる大地は、先ほどまで友也を疑っているとは感じさせない対応だ。その手の返しように、千春は呆れそうになった。人間の心とはやはり、一筋縄ではいかないものだ。
「じゃあ、順番に。今村さんからどうぞ」
「すみません。安心したら出そうです」
 にこっと笑って、大地が先にトイレに入った。そこまでの一連の様子を見て、大地は恐らく、周囲に合わせるのが上手いのだろうなと千春は思った。トランプをやるきっかけを作ったのも大地だったことからも、それは判断できる。
「また何か分析していますね」
「えっ」
「椎名さんって解りやすいですよね。すぐ顔や態度に出る」
「そ、そうですか」
 友也にそう言われて千春は思わず頬に手をやる。表情豊かだと言われたことは、かつてなかった。
「目ですよ。目は口程に物を言うって言うでしょ。それと同じです。椎名さんの目は何か考え事をしているとすぐに変化します」
「はあ」
 なるほどと、友也の観察眼に千春は驚かされる。それにしても、険しい目つきでもしていたのだろうか。今後は注意すべきだろう。
「そして素直ですよね」
「そ、そうですか」
 大地からも似たようなことを言われ、千春は困惑してしまう。これほど他人から素直だと思われたことがない。むしろ気難しい面倒な奴だと思われているはずだ。
「そうですか。たしかに気難しそうだなとは思いましたけど、喋っていると意外なほど面白いというか。ああこの人、色んな興味に対して素直なんだなって思わされますよ」
 羨ましいほどですと友也の目がそこで真剣になる。
「安達さん」
「魅力的ですね」
 真剣に見つめられてそんなことを言われると、友也ってひょっとしてと疑ってしまう。すると、くすくすと笑われた。
「大丈夫。ゲイじゃないです」
「うっ」
「本当にバレバレですよね、椎名さんって」
 そこが面白くて魅力的だという意味だと、友也が笑顔で言い直す。そこで大地が出てきたため会話はそこまでとなった。
「椎名さん、気を付けた方がいいですよ」
 しかし、最後の部分は大地にも聞こえていたらしく、トイレを交代する前にそんな忠告をされることになった。千春は苦笑しつつも、冗談にならないと背中に冷や汗を掻いていた。



 翔馬たちは夜食を食べながら、事件についてあれこれと議論をしていた。自分には直接関係ない話題ほど盛り上がりやすいものはない。それが千春たちとの最大の差で、こちらは誰が犯人なのかを議論している。
 机の上には様々なお菓子が広げられ、さながら修学旅行の夜中のような状態だ。それだけでも、刑事がいるというのにこちらは気楽な状態だと解ってしまう。
「二人に絞り込めたとして、どっちだと思いますか。やっぱりミステリー作家の方ですかね。日々トリックを考えているうちに実行してみたくなったとか」
「馬鹿な発想だな。それじゃあ世の中の事件のほとんどが、作家が犯人ってことになるだろう。それにな、現実の事件なんてトリックを使っている暇なんてないんだよ。刑事になってもう十年は経つが、未だに密室なんてお目に掛かったことがない」
 そこに現実的な意見を述べるのが将平だ。しっかり二人が買い溜めしたお菓子を頬張っている。今はポテトチップスを食べていた。
「そうですね。でもそうなると、この建築家一択ですけど」
「まあな。しかし、こいつにどんな動機があるんだ。個人的恨みだったら、よほど何か困った事実でもない限り報告が上がってきているはずだけどなあ」
 将平はポテトチップスの油でべたべたになった指をワイシャツで拭き、まだ何の連絡もないなとスマホを確認する。何か判明したら連絡をくれるよう本部には頼んであったが、まだ何の進展もないらしい。
「難しいみたいだな。容疑者は千春や使用人を含めても九人しかいないんだろ。その家に住む主要な人々は、殺されたり気を失っているわけでさ」
「ああ」
 プリンを黙々と食べていた英士がようやく疑問を口にした。プリンが好物の英士は、普段から食べている間はどんなことも無視する傾向にある。それはともかく、事件の容疑者があの家にいる九人しかいないのは事実だ。
「でも、広い交友関係もあって疑おうと思えば誰でも疑えるんだろ。有名人であり、金を持っていることは誰もが知っているんだし。そもそも、家の中にいないというだけで、犯人が山に潜んでいる可能性はゼロになったわけじゃない。考えてみると、思わぬ崖崩れのせいでその犯人は作戦を変更。遠藤の死体を後から発見させただけかもしれんだろ」
 将平はそう考えるのが間違いなのかもしれないと、ここに来てそんなことを言う。
「なるほどね。たしかにゼロではないな。現実的とは思えないけど」
「何だと」
「この大雨だぞ。どこに遺体を隠しておいて、さらにどうやって家の中に運ぶんだ。運んでいる最中に証拠が残ると思うけど」
「そ、それもそうか」
 千春たちはあれこれ細心の注意を払っているはずだ。ということは、不自然な足跡や汚れを見落とすことはないだろう。二件目の事件の被害者の衣服を剥ぎ取ったのが泥汚れのせいだとしても、どこかに痕跡が残るはずだ。将平はううんっと唸ることになる。
「でも、どこかに隠していないと変ですよね。まあ、死亡推定時刻さえ解らないですけど、遠藤さんを生かしたままだったのか。これって疑問じゃないですか。どちらにしろ、家の中にいなかったんですよね。だったら隠し場所が必要ですよ」
 翔馬がチョコを口に放り込みながら、これはどう考えるべきだと英士に問う。たしかにそれは大きな謎だ。どうして死体発見の時間が違うのか。同時に殺されたのか、そうではないのか。それだけでも複数の問題を内包している。
「たしかにね。どういう解釈が最も合理的か。それを考えないとね」
「当たり前だろう。トリックってだけでも現実的ではないのに、これ以上の非現実的要素は要らない」
 真面目臭って言う英士に、将平は不機嫌に付け足した。現在探偵ごっこを許している将平だが、どうやらトリックは頂けないらしい。
「トリックか。この場合、ドアに何らかの仕掛けがあるってのがポイントなのかな」
「ああ。時間で開かなくなるってやつか。どうなんだろうな。タイマーでも仕込んであるんじゃないのか」
「タイマーでドアを閉めるって妙だと思わないか。いつ行き来するかなんて、会社じゃないのに決まってないだろ」
 白けた目で英士が見ると、現実的ではないなと将平は渋々と認める。しかし、素直に妙だとは言えないのも事実だ。アトリエと生活スペースを分けていたのならば、時間によって閉めておくのも合理的といえる。
「だがよ。変なドアであることには変わりがねえぞ。連動しているらしいし。画家の趣味なのかな」
「忍者屋敷に憧れていてって感じですか」
「そうそう。隠し扉とかどんでん返しみたいなやつな」
 いい例えだと、将平は翔馬の言葉に頷いた。
「どっかに家の設計図みたいなのはないのかな。それに仕掛けも書き込んであると思うんだけど。それがあれば、死体が唐突に現れた理由も一発で解決するはずだ」
「ああ、なるほど。すぐに調べよう」
 英士の言葉を受け、将平はさっさと本部に連絡を入れる。本当に電話と行動だけは早い男だ。するとすでに本部でも屋敷の図面を手に入れていることが解った。そして奇妙だと話題になっているという。
「おう。済まないが一部、ファックスしてもらえるか」
「メールで添付がいいと思いますよ」
「間違った。メールに添付してくれ」
 ここにファックスはないと翔馬がすぐに注意したので、将平は言い直す。世の中、便利になっているのか不便になっているのか解らないなと、電話を切ってからぼやいた。
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