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第14話 なぜこの時だけなのか

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 夕方。いつものように弁天屋に入った二人だが、飛鳥の機嫌は悪いままだった。
「どうなってるんだ? あの男は」
 冷や酒をグビッと呷った飛鳥は、四人の幽霊に男の恋人って勘弁してくれよと顔を顰める。
「まあまあ、そう言わずに。あいつの女好きというか人好きは昔からでねえ。別にとびきり美形ってわけでもないのに、モテるんだよなあ。小さい頃から近所の奥方たちや女中たち、さらには屋敷仕えの武士たちに人気者だったよ」
 優介は空いた杯に酒を注いでやりながら、機嫌直してくれよと、そんな話を披露していた。
「昔からねえ。つまりは生粋の好色か」
「ま、まあ」
「で、その好色は拗れに拗れて、最終的に男とよりを戻そうとしたってか」
「みたいだねえ」
 どう頑張っても庇いきれないと、優介は眉尻を下げるしかなかった。まったく、自分で紹介しておいてなんだが、どうしてこんな事件に首を突っ込んでいるのだろう。
「っていうか、そんな好色男と朴念仁がなんで友達やってるんだ?」
 飛鳥は酒を呷りながら、変な話だなと優介を見る。
「朴念仁なのは自覚しているけど、そんなはっきり言わなくてもいいじゃないか。高橋殿と友人関係なのは、父親同士が仲がいいからだよ。で、兄上よりも俺と年が近かったから、そのままずるずる何かと喋る機会があるんだよ」
「へえ」
 そういう理由ねと、飛鳥は優介のぼんやりした顔を見る。大方、高橋はこいつには食指が動かないから、あれこれ喋れると思っているのだろう。何かと利用されやすいのが優介だ。
「あら、また変な事件ですか?」
 そこに菫が注文した切り干し大根と鰯の干物の炙りを持ってきて、難しい顔をする二人をからかう。今日はねぎまが早々に売り切れていた。
「変な事件といえば変な事件、ですかねえ。幽霊なんですよ」
 いつものように飛鳥は答えないから、優介がそう教えてやる。
「あら。まだ春先だって言うのに幽霊ですか」
 それに菫は気が早い幽霊ですねえと笑う。
 確かに今はまだ三月。幽霊が出るなんて話し合うには早すぎる。
「そう言えばそうだねえ。幽霊ってなんで夏なんだろう」
 優介は戯作者という自分の職業を忘れたかのようなことを言っている。この男は本当に戯作を作っているのだろうか。飛鳥は疑わしくなった。だが、これでも売れない本を書いていることは知っている。
「幽霊が夏なのは百物語や歌舞伎の演目のせいだろうよ。別に幽霊は出る季節を選り好みなんてしてねえさ」
 飛鳥は馬鹿な話が延々と続きそうだったので、それだけ言っておく。
「ああ、そうか」
「そうよねえ。肝を冷やして涼しくなりたいってやるものだもんねえ。今はまだ寒いからいらないわ」
 優介と菫がそれぞれ納得したところで、菫は奥の厨房に呼ばれた。注文を運べということだろう。
「確かに、なんで幽霊なんだろうな」
 菫がいなくなってから、飛鳥はぽつりと呟く。この想像の肝は高橋が好色ということではなく、幽霊を見たということだ。しかし、今も話していたように、怪談話をするには早すぎる。それなのに見たというのはどういうことだろうか。
「そりゃあ、女たちに恨まれているからだろう。証文まで書いているというのに他にも女を作り、最終的に兄弟の契りを交した男の元にいたら、そりゃあ腹が立つんじゃないか?」
 今更そこを確認するのかと、優介は鰯を囓りながら訊く。
「話の筋としては通っているようだが、女たちはどうして男のところにいるって知っていたんだ。っていうかその高橋、今までもあちこちで女遊びをしていたわけだろ。そこでは全く幽霊を見ていないっていうのに、男と関係を持とうとした時だけ幽霊が出るってのは、どういう了見なんだ」
「そ、そう言われれば・・・・・・男にだけは負けたくなかったとか」
 首を捻って優介が呟いた言葉に、一理あるなと飛鳥は頷く。しかし、なぜその時だけなのかという説明にはなっていない。というより、今日は男のところにいたと、女たちが察知できたのはどうしてなのか。
「まあ、ともかく八王子に行くしかねえか」
「お願いしますよ」
 何とか解決までやる気を継続してくれ。優介は必死でお酌することになるのだった。


「で、お前は何か依頼があると来るんだな」
 しかし、優介のご機嫌取りを無駄にするのが、裏長屋に戻ったら待ち構えていた雨月だ。飛鳥は今日はもう勘弁してくれよと大あくびをする。
「お前が妙なことにばかり首を突っ込むからだろう。鬼としての自覚が薄すぎる。人間の色恋沙汰なんてどうでもよかろう」
 そしてその雨月は、すでに事件のあらましを知っているらしい。一体どこの妖怪から聞いたのやら。江戸は怪談が流行するだけあって妖怪も沢山住み着いている。誰かが雨月の密偵を務めているとしても不思議ではない。
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