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第4話 尾行は得意じゃないんだぞ

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 尾行があまり得意ではない前川は渋い顔で喫茶店の中にいた。いくら相沢が知っているとはいえ、こっそりとしていなければならないのは変わらない。そうしなければ暗殺対象にバレてしまう。
 少し離れたテーブルで、相沢と制服姿の女子高生が楽しげに話している。店内に流れる音楽と客がそこそこいる状況が重なり、前川の耳に二人の会話は途切れ途切れにしか聴こえてこない。
 アイスコーヒーを飲みながら、前川はぼんやりと二人を眺めた。女子高生は言うまでもなく佐々木某の娘だ。名前は美咲。事情を知らない者が見れば、二人はカップルといったところか。美咲は愛くるしい笑顔を相沢に向けている。まさしく美男美女のカップルだ。
 それにしても、相沢は何故いきなり美咲と接触することにしたのだろうか。前川にはそれが不可解だった。相手が高校生とはいえ、暗殺対象に接触することがいいことだとは思えない。こそっと近づくことが出来なくなるではないか。
 そもそも、今回の件に関して相沢の行動は初めからおかしかった。依頼を受けてすぐに物置だった部屋に帰ると、普段は持ち歩かないスマートフォンをデスクから取り出し、
「出掛けますよ」
 と相沢はいつもの涼しげ声で言ったのだ。いきなり出掛けると言われて面食らったが、何より普段は歩いている場所がばれるから嫌だと持ち歩かないスマホを持ち出したことにもびっくりだった。
「お、おいっ」
 呼び止めるが、説明は一切ない。さっさと出て行ってしまう。前川はただ追い掛けるだけだ。
 そして数十分後、相沢は先ほどぶらぶらしていた界隈に戻り、例のクレープ屋で待ち伏せて美咲をナンパしたのである。それも見事な手際で。
 どうやってナンパしたのか、尾行している前川には知る由もない。あまりに突然だったので、無線なんて持っていないのだ。ただ、あっさりと二人は打ち解けていたのだ。
「前川さんは尾行していてくださいね」
 ただ、相沢からはそんな指示だけがあった。こうしてクレープ屋まではただ追い掛けるだけだった前川は、こうしてこそこそ若いカップルを覗き見る羽目に陥った。それが今の状況というわけである。
 その相沢と美咲はお互いのケーキを食べ比べしていて、とても楽しそうだ。どこをどう見てもカップルで、暗殺対象と接しているようには見えない。美咲もまた、先ほど知り合ったばかりの相沢にあまりに無警戒だ。これはどういうことなのか。イケメンは特だということか。
「あいつ、甘いものは苦手だとか言ってなかったか」
 ついつい愚痴が口を突いて出る。せめて何をどうするつもりなのか。そのくらいの説明があってもいいのではないか。監視対象と刑事という関係だが、すでに三か月も一緒に行動しているというのに、この扱いは酷いと思う。
 ふと美咲が席を立った。前川は行き先がトイレであることを目で確認し、相沢に視線を戻した。相沢はコーヒーを勢いよく飲むと、店員に二杯目を注文していた。
 化粧を直したかっただけなのか、すぐに美咲は戻って来た。
「やっぱり無理はよくないよ」
 相沢の声が前川の耳に届く。
「いいの。ケン君って心配性なのね」
 美咲は笑いながら返した。ケンというのは、相沢が適当に名乗った偽名だろう。それにしても、無理とは何か。まったく解らない。
「あっ、しまった。もうこんな時間か」
 店内の掛け時計に目をやり、相沢が苦笑いをした。時計は午後六時を指している。
「ホントだ。バイト、頑張ってね」
「うん」
 どうやら六時には切り上げることにしていたらしい。相沢が伝票を持って立ち上がると、美咲は相沢の腕を掴んだ。その顔はとても悲しそうで、ついさっきナンパで知り合ったとは思えない顔だった。これに前川はおやっとなる。
「また会える?」
「もちろん」
「じゃあ」
 相沢が笑顔で承諾すると、美咲の表情がぱっと明るくなり、鞄からスマホを取り出した。
「オッケー」
 軽い口ぶりで相沢は答えると、普段使いもしないスマホをポケットから取り出す。連絡先を交換するつもりのようだ。しばらくお互いの画面を見ながらやり取りした後、相沢が前川の横を歩いて行った。先にあるのはレジだ。
 テーブルの上に置いてあった携帯電話が振動する。画面には相沢の名前が表示されていた。メールではなく電話をしてくるあたりが、殺し屋の男らしい。
「はい」
「角のコンビニで落ち合いましょう」
「解った」
 前川がレジの方へと目を向けると、相沢が会計を終えて出ていくところだった。伝票を手にして前川も立ち上がる。
 ふと美咲を見ると、嬉しそうにスマホを見ていた。至って普通の女の子だ。そこに店員がコーヒーを持ってきたが、もう出るからと丁寧に対応していた。
 一体何がどうなっているんだ?前川は美咲の笑顔を見ていると息苦しくなり、そそくさと店を後にした。
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