天にかかる宿

Nori

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2話 

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 朝、綾乃が店前の掃除を終わらせて片付けていると。

男「今日はほんのご挨拶だけでも……ついでにこちら、ささやかな贈り物を」

男は、封筒を差し出してきた。

綾乃はいつもの笑顔で「まぁ~~……こない洒落た時計してはりますなぁぁ……」

※訳:
(なに時計なんぞチラつかせとんねん。時間見ろや。今、私お茶菓子の仕込みで忙しいんじゃ)



男「いえいえ、そんな。大したものでは……」

綾乃「せやけど、きっとご家庭でもお忙しゅうて……犬の世話もあるやろうから、早よ帰った方がよろしおすえ」

※訳:
(あんたが家で飼ってるのは犬やのうて“上司”やろ。
 はよ帰ってその上司にでも尻尾振って媚びてこいや)



男「いえ、犬は飼ってませんが……」

綾乃「まぁ、それはうちの早とちりどすな。ほな、また機会があればぜひ」

※訳:
(うちに来る機会は、二度とあらしまへんけどな)



男「……失礼しました」

綾乃「ぶぶ漬け、ようけ残ってまっさかい、次来はった時はお出しできるかもわかりまへんえ」

※訳:
(こっちはもうお前に興味もない。出すもんなんて一粒も残っとらへん)


数日後。
再び宿『風灯』に姿を現したスーツの男。
今日は一人ではない。背後には、若い部下らしき者たち、さらには地元議員の名刺まで用意している。

「女将さん、もう少し前向きにご検討いただければと思いまして。今後この地域の発展のためにも――」



綾乃は静かに、襖を閉めるように視線を下ろし、こう言った。

「ほぉ……今度はお役人の名を使わはるんどすか?

 “どうせ一介の宿屋は黙って従え”……そう聞こえまんなぁ」

男は目を細め、営業スマイルを浮かべた。

「いえいえ、そんなつもりは。ですが、地域の皆さまのためにも円満に……」



綾乃の声が少しだけ低くなる。

「地域?

 あんた、昨日うちの裏路地の水路を勝手に工事しはったん、知らん言わはる?
 この宿の風通しが変わってしもたわ。
 “風”いうのは、よう流れを見なあかんのに」

男の眉がぴくりと動く。

「……まぁ、些細な変更でして。法律的には問題ございません」



綾乃、ついに扇子をパンと閉じる音を響かせて。

「あらあらぁ……“法律”の話になってきはりましたなぁ。

 ほな、こちらも“先祖伝来の土地”として、文化財保護条例のほうでお話しさせてもらいまひょか。
 “ほんまにちょっとした風”が吹いただけで、あんたの会社、火の粉まみれになりまっせ」

男の顔がこわばる。
だが引くわけにもいかず、にこやかに部下に目配せ。

「では一旦、今日は引かせていただいて――また後日ご挨拶に」



綾乃の顔は、もう笑っていなかった。

「えぇ。お帰りの際には、ぶぶ漬けでも――と、言いたいところどすけど」

扇子をゆっくりと振りながら、ふっと息を吐いた。

「うち、あんたの喉に合う米、一粒も残してへんさかい」



その夜。
宿の前の街灯がなぜか一基、消えていた。
翌日には水道工事の名目で、宿の前の道路が一方通行にされていた。

あまりにあからさまな“圧”に、近所の者たちもざわつき始める。



けれど、綾乃は変わらない。
灯籠に油を足しながら、独り言のように呟いた。



「せやけど、ほんまやな……

 犬って、必死で吠える時ほど、しっぽ振ってるもんやわ」

男「……ですから、女将さん。こちらとしても上の者が――」

綾乃「まぁまぁ、お忙しいのによう足運んでいただいて……」

男「上の者が直接、丁寧にお話しさせていただければと――」

綾乃「えぇ、えぇ……。ほな、こないお伝えくださいな」

綾乃は、すっ……と立ち上がり、静かに男の横を通り過ぎる。
背を向けたまま、最後にこう言い放つ。



「上のもんに、伝えはって」

一拍、置く。

「**“ぎょうさん首輪繋げとるさかい、

 ええ気になりはるのは結構やけど、
 なんでも手に入ると思わんといておくれやす”**……と」



男の顔が一瞬、真っ青になる。

「……え、ええと、それは……?」

綾乃は振り返らない。
その背中は、まるで千年を見てきた仏像のように、冷ややかで動かない。



扇子の音だけが、カサリ、と響く。



「あんたら、“飼い主”の顔、よう見て動きはったほうがよろし。

 さもないと、首輪ごと火ぃつきまっせ」



……その日以降、男の上司が姿を現すことはなかった。
噂では、「地方転勤になった」とのこと。

そして――
風灯の玄関先に、ひときわ凛とした新しい灯籠が据えられていた。
その名は――

「首輪結灯(くびわむすびとう)」
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