春の洗礼を受けて僕は

さつま

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春の洗礼を受けて僕は

5話 木曜日1

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 ネクタイを洗濯機の上に置く。
 シャツとインナーは脱いで洗濯機に入れる。
 頭の中は堂々巡りというかまだパニックの中にあり、答えは出ない。
 まだ顔も名前も覚えていない同級生が、担任が、好色を浮かべて自分にまとわりつくのを思い出して、鳥肌が立つ。
 スラックスから足を抜き、逡巡ののち洗濯機に放り込んだ。
 一度力を籠めたら緩め方がわからなくて、靴下を握りしめて投げ込んだ。
「う…」
 力のまま手を洗濯槽の縁にぶつけてしまった。鈍い音が響く。
 しおしおと気持ちがしぼんで、下着をゆっくり脱いで、汚れ物の上にぽすんと置いた。
 あれは何だったのか。
 そして、大勢からおかしな扱いを受けたことに、困惑と共に、怒りを覚えた。
 鏡の前の自分は、複雑な表情を浮かべるほかには、中背の男以外の表現を持たない。
 自分で思うのもなんだけど、そこいらにいるただの高校生だ。
 香月みたいなタイプでは…と思ったところで、いや、そこで香月に八つ当たりをするのもおかしいなと思考を断った。
 とにかく、シャワーは香月が起きるまではと我慢していたので、いまは体を洗い流したくて仕方ない。
 浴室に入る。ヘッドシャワーから勢いよく熱湯を浴びせられて、魂がやっと現実に戻ってきた。
 しばらく、湯が流れるまま身を任せる。
 ボディタオルに液体ソープを出して揉もうとしたら、左手の甲にしみた。
 したたかに打った箇所が、垂れる泡を赤く染める。
 意識するとどんどん痛みが増してきたようで、全身を流すにとどめて早々に入浴をやめた。
 体を拭くのもそこそこに、怪我に触れないように慎重に袖を通し、右手一本で下着を穿き、クロップドパンツを引き上げる。
 顔を上げると、あいまいな顔つきでみすぼらしく濡れそぼった男が映っていた。
 打ち消すように、脱衣場のドアを閉めた。


香月に絆創膏を貼ってもらおうと思ったけれど、立ったまま読書に夢中になっていたので、怪我したのを見られないように自室に入り、貼って出た。
出た途端に香月のスマホが鳴る。
「ああ、そうだった」
今日は約束があるんだった、この服を借りて行っていいか、と言われ、どうぞどうぞと返す。
でも服の丈が…と言うと、一度家に帰るからと笑って言われた。
乾燥が終わった制服を袋に入れて渡す。
「急にバタバタして悪いな。あ、あと」
連絡先を交換しよう、と、メッセージアプリのQRコードを見せられる。
お互いに登録すると、すぐに香月がスマホをすいすいと操作する。
“よろしく”
睦月も読んでいる漫画のスタンプが流れてくる。
“ありがとう”
同じ漫画のスタンプを送ると、香月がふふっと爽やかに笑う。
香月を見送って、ソファに深く腰掛けると、途端に眠気が襲ってきた。
底なし沼に背中から取り込まれていくようだ。
抗えずに、今日のところは体を任せることにした。
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