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第四話 出立
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体を誰かに揺さぶられ、重い瞼を開くと、目の前にゴブリンがいた。
「いやっ――」
驚いて、右腕を全力で振り抜くと、ゴブリンの頭に直撃し、よろめいて数歩下がった。
呻きながら、ゴブリンが非難の声をあげる。
「くっ。何をするっ。小娘!」
ゴブリンにしては流暢に喋るその姿を見て、寝ぼけていた頭が覚醒する。
「あ……! ご、ごめんなさい! ゴブリンに起こされるなんて思わなくて……」
「ぬぅ。まぁいい。魔王様から、お前を世話するよう言われている」
そう言いながら、ゴブリンがわたしの足元に色とりどりの果物や、どこから持ってきたのか、水の入った木のコップを置いてくれる。
「こ、これは?」
「ありあわせの朝食だ。まったく小器用な体になったものだ。我は武器の作成に戻る。食べ終えたら言え」
よくよく見ると、ゴブリンは木で作られた小さな鎧を装着していた。局所だけだが、複数の木の板を、根っこを撚り合わせた糸で繋いでいた。確かに器用だ。
「テレサ。起きたのね」
「あ、おはようございます。眠りすぎましたかね」
「地べたでよく長時間眠れるわね?」
「お家でも似たような環境だったので……」
マリアも赤い果物を手にして川の方からやってきた。
硬い床で寝るのとはまた違うけど、睡魔にはあらがい難い。ついたくさん寝てしまう。
「魔王様! 武器が出来ました。どうぞお納めください」
ゴブリンが鋭い石を先端につけた、石槍を持って跪いてマリアに差し出した。
「いらないわ。自分で使ったら?」
「そんな。しかし、魔王様の今の姿では、武器は必要なのでは――」
ゴブリンがはっと顔を上げる。マリアの腕が、黒に染まっていた。やがて、元の腕よりも長い腕が生え、先端は巨大な鉤爪へと変貌を遂げる。
わたしが倒れる前に見た、黒い影の正体だった。
「お、おぉ……なんという凶悪な鉤爪。無礼をお許しください、魔王様」
「魔王ではないのだけど。あなたのいう魔王って何なのかしら」
「魔王様は、我らを闇からすくい上げ、器を与えていただける存在」
ゴブリンが魔王についてそう語る。たしかに、いま、マリアがやっていることは魔王だ。
「かつての魔王様は、チャンピオンオークである我の体躯を超える肉体を持ち、ドラゴンの鱗を有していた。そして雄大なツノと、額には魔眼が複数あり、両の手は燃え盛る炎に包まれ、背中には形容しがたい赤き翼が生えていた」
ゴブリンの語る魔王像を必死に頭の中で思い浮かべる。なんと恐ろしそうな見た目だろう。でも、マリアとは造形が違いすぎる。
マリアも微妙な顔をしながら、苦笑した。
「そんなのと一緒にしないでくれる?」
「ぐ。我らは魂はおおよそ一緒で、闇に沈んでいるほど劣化する。魔王様が記憶を失ってしまうほどの歳月が経ったというのか……」
悲観するように項垂れてしまったゴブリンを放って、マリアがこちらを向いた。
「さて。私、観光がてらに適当な町へ行きたいわ。まだまだ知りたいこともあるの。のんびりしてたら我慢できないし、テレサ、あなたのその脚、治してあげるわ」
「えっ」
わたしの左脚を、その鉤爪で指さしてマリアがそう言った。
足を、治す? 面食らうが、たしかに出会ったときのマリアには両腕も両足もなかったが、いつの間にか生え揃っていた。
もしかして、同じようにわたしの左脚も治してくれるのだろうか。
期待に顔が赤くなるのを感じたが、すぐに真顔になった。
マリアが、とてつもなく邪悪な笑みを、浮かべていたから。
この短期間で、死にたいと思ったのは何度目だろう。どこか冷静な自分が、そう考える。
「痛い痛い痛いいいっ!」
ジュクジュクとした痛みが、突然突き刺さるような痛みへと不規則に変わり、痛みに体が跳ねそうになるが、マリアに抑えつけられてしまっている。
「もしかして死んでしまうかも。贔屓するとは言ったけど、それはそれでごめんなさいね」
脂汗が止め処なく溢れ、目に入る。口からは悲鳴と涎が溢れ、周囲に散る。
「ぐぅっ、助けて! いいい痛いっ!」
トラバサミを踏んでしまったとき。化膿した足の痛み。切り落としたときの痛み。切り落としたあとの痛み。
それらすべてを上回る痛みが、マリアによって黒い液体を口に流し込まれてから、左脚どころか全身で続く。呼吸もマトモにできなくなり、もう漏れる悲鳴も声にならない。
「ふふ、かわいい」
マリアのその恍惚とした声を聴きながら、意識が途絶えた。
すごく怖い夢を、見ていた。
濃霧の中、周囲を幾重の影が通り過ぎていく。時折、その影がわたしの身にまとわりつく。それを振り払ってあてもなく進んでいく。
いつまでもその繰り返し。やがて、振り払うことができなくなり、影にどんどん飲み込まれていく。完全に真っ黒な闇に飲まれたとき、夢が終わった。
「う……」
ぼんやりと杖を手に取り、立ち上がろうとする。でも、すぐに異変に気がついた。
「あ、足が……ある?」
黒い、少し頼りなさげな、足と言えなくもないものが、わたしの左脚の代わりに生えていた。
先端へ行くほどほそくなり、指のない義足を思わせるそれは、意識すれば曲げることもでき、確かにわたしの足だ。
杖から手を離し、産まれたての小鹿のようの震えながら、左脚を地面に突き刺すようにして立ち上がる。
「立てた……!」
両足で立つなんて、いつ以来だろう。浮き足立ち、数歩歩いてみる。ゴブリンが、わたしがそうしているのを見ていたので、今度はゴブリンのところまで駆け足で向かう。
「魔王様から力を頂いたのか、人間の、ただの小娘が……」
「えへへ、羨ましいですか?」
「ちょ、調子に乗るなよ小娘っ! ふん、さっきの醜態はいい見物だったぞ」
そう吐き捨てるように言われ、いろんな液体を撒き散らして叫んでいたあの状況を鮮明に思い出し、顔が熱くなるのを感じた。
誤魔化すようにして、そこら中を歩き回っていると、マリアがやってきた。
「良かったわ、うまくいって」
「あ、ありがとうございます!」
何故か少し残念そうな顔をしているのは気になるけど、マリアに誠心誠意感謝する。
「またこうして歩けるようになって、すごく嬉しいです!」
「そう。じゃぁ、予定通り森を抜けましょう。町はどっちかわかるかしら?」
「はい! 川を下っていくと平原に出て、すぐベーンという町が見えるはずです」
そこで、ふと思い出したようにマリアがゴブリンを見やった。
「あれは町へ連れて行っていいのかしら?」
「え……ど、どうでしょう」
自分の話だと気づいたゴブリンが、さっと顔を上げた。ゴブリンの表情はよく分からないが、すごく怯えているとはわかる。
「一回死んでもらって、また今度必要なときに出せるのよね?」
「ま、魔王様。我の魂も劣化しているので、次死んでしまえば、いよいよ、有象無象のゴブリンになってしまいます」
「あっ。い、いい顔はされないでしょうけど、魔物を従えて連れ歩く人もいます。喋らないで大人しくしていれば、平気なんじゃないかと……」
「へぇ。なら、いいわ」
ゴブリンを咄嗟に庇うようにそういうと、マリアはそれで納得したようだった。
「小娘……助かった」
小声でゴブリンに感謝され、ついでに小さな木の盾を渡される。いらないと思ったが、つき返すのも躊躇われたので、右腰に結び付けた。少し重たい……。
「ちょっと警戒していたことがあったのだけど、問題なさそうだし行きましょう」
「はい!」
そうして、ベーンへ向けて出立した。
「いやっ――」
驚いて、右腕を全力で振り抜くと、ゴブリンの頭に直撃し、よろめいて数歩下がった。
呻きながら、ゴブリンが非難の声をあげる。
「くっ。何をするっ。小娘!」
ゴブリンにしては流暢に喋るその姿を見て、寝ぼけていた頭が覚醒する。
「あ……! ご、ごめんなさい! ゴブリンに起こされるなんて思わなくて……」
「ぬぅ。まぁいい。魔王様から、お前を世話するよう言われている」
そう言いながら、ゴブリンがわたしの足元に色とりどりの果物や、どこから持ってきたのか、水の入った木のコップを置いてくれる。
「こ、これは?」
「ありあわせの朝食だ。まったく小器用な体になったものだ。我は武器の作成に戻る。食べ終えたら言え」
よくよく見ると、ゴブリンは木で作られた小さな鎧を装着していた。局所だけだが、複数の木の板を、根っこを撚り合わせた糸で繋いでいた。確かに器用だ。
「テレサ。起きたのね」
「あ、おはようございます。眠りすぎましたかね」
「地べたでよく長時間眠れるわね?」
「お家でも似たような環境だったので……」
マリアも赤い果物を手にして川の方からやってきた。
硬い床で寝るのとはまた違うけど、睡魔にはあらがい難い。ついたくさん寝てしまう。
「魔王様! 武器が出来ました。どうぞお納めください」
ゴブリンが鋭い石を先端につけた、石槍を持って跪いてマリアに差し出した。
「いらないわ。自分で使ったら?」
「そんな。しかし、魔王様の今の姿では、武器は必要なのでは――」
ゴブリンがはっと顔を上げる。マリアの腕が、黒に染まっていた。やがて、元の腕よりも長い腕が生え、先端は巨大な鉤爪へと変貌を遂げる。
わたしが倒れる前に見た、黒い影の正体だった。
「お、おぉ……なんという凶悪な鉤爪。無礼をお許しください、魔王様」
「魔王ではないのだけど。あなたのいう魔王って何なのかしら」
「魔王様は、我らを闇からすくい上げ、器を与えていただける存在」
ゴブリンが魔王についてそう語る。たしかに、いま、マリアがやっていることは魔王だ。
「かつての魔王様は、チャンピオンオークである我の体躯を超える肉体を持ち、ドラゴンの鱗を有していた。そして雄大なツノと、額には魔眼が複数あり、両の手は燃え盛る炎に包まれ、背中には形容しがたい赤き翼が生えていた」
ゴブリンの語る魔王像を必死に頭の中で思い浮かべる。なんと恐ろしそうな見た目だろう。でも、マリアとは造形が違いすぎる。
マリアも微妙な顔をしながら、苦笑した。
「そんなのと一緒にしないでくれる?」
「ぐ。我らは魂はおおよそ一緒で、闇に沈んでいるほど劣化する。魔王様が記憶を失ってしまうほどの歳月が経ったというのか……」
悲観するように項垂れてしまったゴブリンを放って、マリアがこちらを向いた。
「さて。私、観光がてらに適当な町へ行きたいわ。まだまだ知りたいこともあるの。のんびりしてたら我慢できないし、テレサ、あなたのその脚、治してあげるわ」
「えっ」
わたしの左脚を、その鉤爪で指さしてマリアがそう言った。
足を、治す? 面食らうが、たしかに出会ったときのマリアには両腕も両足もなかったが、いつの間にか生え揃っていた。
もしかして、同じようにわたしの左脚も治してくれるのだろうか。
期待に顔が赤くなるのを感じたが、すぐに真顔になった。
マリアが、とてつもなく邪悪な笑みを、浮かべていたから。
この短期間で、死にたいと思ったのは何度目だろう。どこか冷静な自分が、そう考える。
「痛い痛い痛いいいっ!」
ジュクジュクとした痛みが、突然突き刺さるような痛みへと不規則に変わり、痛みに体が跳ねそうになるが、マリアに抑えつけられてしまっている。
「もしかして死んでしまうかも。贔屓するとは言ったけど、それはそれでごめんなさいね」
脂汗が止め処なく溢れ、目に入る。口からは悲鳴と涎が溢れ、周囲に散る。
「ぐぅっ、助けて! いいい痛いっ!」
トラバサミを踏んでしまったとき。化膿した足の痛み。切り落としたときの痛み。切り落としたあとの痛み。
それらすべてを上回る痛みが、マリアによって黒い液体を口に流し込まれてから、左脚どころか全身で続く。呼吸もマトモにできなくなり、もう漏れる悲鳴も声にならない。
「ふふ、かわいい」
マリアのその恍惚とした声を聴きながら、意識が途絶えた。
すごく怖い夢を、見ていた。
濃霧の中、周囲を幾重の影が通り過ぎていく。時折、その影がわたしの身にまとわりつく。それを振り払ってあてもなく進んでいく。
いつまでもその繰り返し。やがて、振り払うことができなくなり、影にどんどん飲み込まれていく。完全に真っ黒な闇に飲まれたとき、夢が終わった。
「う……」
ぼんやりと杖を手に取り、立ち上がろうとする。でも、すぐに異変に気がついた。
「あ、足が……ある?」
黒い、少し頼りなさげな、足と言えなくもないものが、わたしの左脚の代わりに生えていた。
先端へ行くほどほそくなり、指のない義足を思わせるそれは、意識すれば曲げることもでき、確かにわたしの足だ。
杖から手を離し、産まれたての小鹿のようの震えながら、左脚を地面に突き刺すようにして立ち上がる。
「立てた……!」
両足で立つなんて、いつ以来だろう。浮き足立ち、数歩歩いてみる。ゴブリンが、わたしがそうしているのを見ていたので、今度はゴブリンのところまで駆け足で向かう。
「魔王様から力を頂いたのか、人間の、ただの小娘が……」
「えへへ、羨ましいですか?」
「ちょ、調子に乗るなよ小娘っ! ふん、さっきの醜態はいい見物だったぞ」
そう吐き捨てるように言われ、いろんな液体を撒き散らして叫んでいたあの状況を鮮明に思い出し、顔が熱くなるのを感じた。
誤魔化すようにして、そこら中を歩き回っていると、マリアがやってきた。
「良かったわ、うまくいって」
「あ、ありがとうございます!」
何故か少し残念そうな顔をしているのは気になるけど、マリアに誠心誠意感謝する。
「またこうして歩けるようになって、すごく嬉しいです!」
「そう。じゃぁ、予定通り森を抜けましょう。町はどっちかわかるかしら?」
「はい! 川を下っていくと平原に出て、すぐベーンという町が見えるはずです」
そこで、ふと思い出したようにマリアがゴブリンを見やった。
「あれは町へ連れて行っていいのかしら?」
「え……ど、どうでしょう」
自分の話だと気づいたゴブリンが、さっと顔を上げた。ゴブリンの表情はよく分からないが、すごく怯えているとはわかる。
「一回死んでもらって、また今度必要なときに出せるのよね?」
「ま、魔王様。我の魂も劣化しているので、次死んでしまえば、いよいよ、有象無象のゴブリンになってしまいます」
「あっ。い、いい顔はされないでしょうけど、魔物を従えて連れ歩く人もいます。喋らないで大人しくしていれば、平気なんじゃないかと……」
「へぇ。なら、いいわ」
ゴブリンを咄嗟に庇うようにそういうと、マリアはそれで納得したようだった。
「小娘……助かった」
小声でゴブリンに感謝され、ついでに小さな木の盾を渡される。いらないと思ったが、つき返すのも躊躇われたので、右腰に結び付けた。少し重たい……。
「ちょっと警戒していたことがあったのだけど、問題なさそうだし行きましょう」
「はい!」
そうして、ベーンへ向けて出立した。
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