上 下
11 / 16

第十話 おもてなし

しおりを挟む
 しばらくして、前方の扉が開いた。もう少しかかっていたら、マリアがもと来た方の入口を破壊して帰っていたかもしれない。
 というよりは今すぐにでもそうして帰った方がいい気がするのだが、座っているうちに気が変わったのか、マリアが立ち上がって行こうとする。

「マリア、行くんですか? 絶対良いことないですよ……」
「うーん、でも、もう遅かったみたいだもの」

 そう言って困り顔でもと来た方を見るので、わたしも振り向くと、扉が消えていた。

「と、扉が……」
「慌てるな。ダンジョンの最奥には必ず脱出用の魔法陣が置いてある。……突破できればの話ではあるが」
「まぁ、即死しなければ私はなんとかなるわ。前に四肢が吹き飛んだときは、痛いなんてものじゃなかったけど」

 四肢が吹き飛んで即死しないのは、ちょっと違うと思ったが、今更だし口にはしなかった。マリアには手足を治す方法があるようだし、実際マリアが先頭を歩いてくれて助かっている。
 扉の先へ向かうと、壁に明かりの付いた大理石の廊下が続いていた。これまで石畳だったダンジョンとは思えない豪華さだ。
 そう思っていると、壁の向こう側からするりと人影が現れ、身構える。

「大変おまたせしました。レイティナのお部屋へ案内します」

 人間。しかし半透明の、生気のない顔のメイドが、足音もないまま廊下を歩いていく。他にも何人も行き交い、廊下を掃除している者までいる。

「ゆ、幽霊ですか?」
「本体は別にある。人の身で生きられぬ年月を、ああして生きるのだ」
「あらよかった。殺したら興味ないもの。殺された恨みで幽霊まで出てこられたら、頭を抱えるところだったわ」

 幽霊そのものを怖がるわたしと違って、マリアは別のことを懸念していた。
 少し歩いたところにある部屋の前でメイドの幽霊が立ち止まり、扉に触れると勝手に開いた。

「どうぞお入りくださいませ」

 開いた扉の向こう側は、イメージしていたものとまったく違っていた。廊下とは打って変わってまた石畳の、牢獄のような寒々しさを感じさせる部屋だった。薬瓶やなにかのサンプルが入った棚が立ち並び、研究室を想起させる。
 一方で、部屋から受ける印象とは裏腹に、中央の椅子には、どこかのお嬢様のような衣服をまとい、暗い蒼の髪を揺らしこちらをにこりと見やる女性がいた。

「これはこれは! ご足労おかけいたしました、魔王様。わたくし、休眠しておりまして。レイスたちに起こされたばかりで、今しばらく動けないのです。座ったままで失礼致します」

 また魔王と呼ばれることになったマリアだが、興味深そうに部屋を見渡すばかりで、最初からあまり話を聞いていなそうだった。

「チャンピオンオーク! 随分な姿ですこと。やはり千と三百もの年月は残酷ですわね」
「なんだと! それほど経っていたのか……。レイティナ。お前はどうして生きている? 逃げたのか?」
「あぁ、それは魔王様にも分かりやすくお伝えしますわ。こういうことですの」

 レイティナと呼ばれる女性が、すっと箱から大きな目玉を二つ取り出した。人間のものではない大きなその赤い目玉は、生きているように脈動していて気持ちが悪い。
 それを見て、ゴブリンだけが驚くような素振りを見せた。レイティナが、誇るようにマリアに付き出しているが、マリアは訝しげに見るだけだ。

「魔王様の邪眼ではないか!」
「わたくし、劣勢を悟った魔王様から密命を受けていたのです。人間に紛れ込み、自身から離れた肉体を取り戻すように、と!」
「なんだと……! だとすれば、今の魔王様がかように弱き姿で、記憶もないのは器がやはり弱かったせいか!」
「そうでしょうね! さぁ、魔王様。お取り込みください。そしてこのレイティナに寵愛を……」

 とてつもなく盛り上がっている二人を、マリアは金色の目を細めて見ていた。そして、レイティナの差し出す手を、鉤爪でそっと押し戻す。

「私は魔王じゃないし、目玉を渡されても、えぇ、困るわ」

 色々言いたいことはあるけど面倒という感情を一切隠していない、鬱陶しそうな「困る」だった。

「わ、わたくしほとんど霧散してしまった魔王様の僅かな肉体を、取り戻したのです」

 どれほどの苦労があったかは分からないが、レイティナが泣き出しそうに震えながら報告する。

「魔王様……それではレイティナがあまりにも……」
「魔王じゃないって言ったはずなのだけど? まぁいいわ。じゃぁ不要だけど貰ってあげる」

 すっと目玉を取ると、影へ放り込んでしまった。それで何が起きるというわけでもなく、居た堪れない静寂が部屋を包む

「レイティナ……魔王様はこのようになってしまってはいるが、順調に人間の数を減らしている。ただ、派手にやっているので助力が必要だ」

 ゴブリンがそう言うと、レイティナがはっとしてピンクの瞳を輝かせた。

「わたくし、気が急いておりましたわ! えぇ、あまりにも永い月日が経ってしまったのですもの。すぐにという訳にはいきませんわね。分かりましたわ! 全力で魔王様のためにサポート致します!」

 鼻息荒く、マリアに少しでも近づこうと必死に身を乗り出す。

「そう。頑張って欲しいわ」

 かなり投げやりにマリアがそう言い、鉤爪でわたしとゴブリンを握った。突然のことに驚いていると、部屋の隅にある魔法陣へ向かってさっさと歩き、気がついたときにはダンジョンの表層だった。
 体をもとに戻し、自分の髪を整えながらマリアがため息をついた。

「はぁ。魔王魔王と呼ばれても嬉しくないわ。妙な目玉があっても強くなるわけでもないし」
「しかし、レイティナは役立ちます。マリア様が人間に目を付けられてしまうのを当分防げるかと」

 そこまで聞いて、はじめてマリアが微笑んでみせた。

「そう。本当ならとてもありがたいわ。魔法使いだの英雄だの、勇者の何やらだの、どうもいっぱい集まってくるのだもの」
「げ、限度はありますので……。出来ればマリア様にはふらふらと出歩かず、魔物の増産をしていただきたい」

 ゴブリンの提案に、マリアが即座に否定する。

「無理よ。そこまでの力がないもの。それに、自分で人間を殺せば殺すほど力が強くなっている気がするわ。だから、魔物任せなんてもっと無理ね」

 自分の右腕を見ながら、マリアがそう言う。何らかの確信があるらしかった。そして、笑顔で言う。

「喧嘩を売りすぎない程度に虎視眈々と人を殺すわ。それでいいでしょう?」
「む、難しくないですか……?」
「戦場とかないのかしら。あぁ、でも人外バトルな気がするわ。行きたくないわね。人を殺すのって本当に大変」

 困ったように頬に手を当て、しばらく考え込む。

「ソンヌの裏社会の人間のように、消えてもそう騒がれない人間がいればいいのだけど」
「あれもルークさんが降伏しただけですし……。消えていい人間はいないと思います」

 そう言いながらも、自分は消えてもいいとされる人間だったなと思い、悲しくなった。

「テレサ。そう悲しい顔をしないで?」

 言葉だけを聞くと思いやりに溢れているが、また悪いことを思いついたときの顔をしていた。

「奴隷はいるのかしら? 買ってしまえば後腐れのないやつ」
「……います」
「お金なら結構あるのよね。ソンヌでは見かけなかったけど、奴隷を売っているような街はどこ?」
「南へ大分歩きますけど、港町ならそういう取引が盛んだったはずです」

 殺すために奴隷を買いに行くと言い始めたマリアが、うきうきと南へ向かって歩みはじめた。
しおりを挟む

処理中です...