ひまわり ── 恋ひ初めの街(葉月)

春乃光

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終 章・花ことば

◇2

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 陽子は彼を母の実家に連れて来た。

 呼鈴を押し、玄関の扉が開いて、顔を覗かせた祖母に向かっていきなりアルバムを見せてくれるようせがんだ。祖母が陽子の隣に立つ彼に目をやり、「どちら様?」と微笑みながら訊いてきたので、通り一遍の紹介で済ませると、しなやかな物腰で中へ促された。二人は居間へと通され、ソファに座ると、アルバムを取りに一旦その場を離れた祖母を待つ。

 戻って来た祖母は向かい側に腰を下ろして、テーブルの上に三冊の白いアルバムを置いた。陽子はすかさず最上段のアルバムを開く。写真を確認しながら一ページずつゆっくりと捲った。母と叔母の歴史が流れていった。

 彼が一枚の写真の上に人差し指を軽く乗せた。小学校の入学式の写真である。校門の前で微笑む少女の姿が初々しい。陽子が彼のほうを向くと、彼は写真と陽子を交互に見比べている。

「君?」

「いいえ」

 陽子は軽く微笑んでからまたアルバムを捲った。捲る毎に姉妹は成長を遂げて行く。一冊目が終わり、二冊目も半分が過ぎた頃、彼はまた指差した。

「君だね」

 確信に満ちた口調で告げた。セーラー服姿の少女が学生かばんを両手で正面にげ、家の玄関前で白い歯を覗かせた一瞬が切り取られていた。快活に笑うさまが見る者をも幸福な気分にしてくれるような一枚である。

「私じゃないわ」

「そうなの? でも……よく似てる」

「そうねえ、あの子に生き写しだものね……陽子は」

 祖母がアルバムを覗きながら呟いて、陽子に微笑みかける。

「制服も全く同じだね……」

 彼は陽子に目配せする。

「制服……同じ?」

 陽子はアルバムから視線を外すと、首を傾げながら瞬きを繰り返した。

「あのベンチの後ろの銀杏いちょうの木陰で雨宿りした日さ。覚えてる?」

「ええ、翌日の再会の約束をしたわよね……」

「ああ。翌日、君はこれと同じセーラー服姿で待っててくれた。あの時、列車の時刻が迫ってて、慌ててたけど、君のセーラー服姿は強烈に目に焼きついているよ」

「ちょっと待って! 翌日、あなたは現れなかった。それに、私、制服じゃなくて私服だったのよ」

「君、勘違いしてない? あの時、連絡先を記したメモを渡したじゃないか。君からの連絡を首を長くして待ってたけど、何の音沙汰もなかった。僕、とても悲しい気分だったんだよ」

 彼は訴える眼差しを向けた。

 陽子は一旦目を伏せてしばらく経ってから彼を真っ直ぐ見た。

「セーラー服じゃないのよ。私の高校の制服はブレザー。紺のブレザーなの。セーラー服なんて一度も着たことないのよ」

 陽子は優しくさとすような口調で笑みを浮かべながら深く彼に頷いた。

「そんなはずは……」

 目を泳がせながら彼は何度も首を捻ると、腑に落ちぬ顔を陽子に向けた。

 彼からそっと目を逸らすと、さっきかけてくれたペンダントの鎖を摘まみ上げ、祖母に示してみせる。

「陽子、それ、どこで見つけたの? いくら探しても見つからなかったのよ」

 立ち上がりしなそう訊いた祖母に微笑みかける。と、祖母は居間を出て行った。

 陽子は注意深く目的の写真を探りながらまたアルバムを捲り出す。しかし、なかなかその一枚には出くわさなかった。三冊目を半分ほど捲り、更に目を凝らして一枚ずつ確認していったが、見当たらない。諦めかけてついに最後のページを捲った。

 若かりし母の写真が目に入った。母の写真の隣に目的の写真は並んでいた。水色のワンピース姿で明るい表情で映っている。このワンピースは、十七歳頃、陽子も着ていた。元は被写体の人物のお気に入りだった一品で、ぜひ陽子に着てほしいとの祖母たっての願いで託されたのだ。陽子は被写体の人物の胸元を凝視する。

 しばらくして祖母が戻って来て、何か箱のようなものをテーブルに置くと、フタを開けた。聞き覚えのあるメロディをオルゴールは演奏する。中を覗くと、丁寧に折り畳まれた白いハンカチの下から、イヤリングやネックレスなどの装飾類が輝きを覗かせていた。

「あの子、大切なものは全てこの中に入れていたのよ。そのペンダントもてっきりこれに入っているとばかり……」

「これって確か……お母さんの……」

「ええ。初めてのお給料で、記念にお揃いのを買ったのね」

「知ってる。お母さんも肌身離さずいつも身につけているもの。お母さんのは銀色だけど……」

 横で祖母とのやりとりを聞いていた彼が身を乗り出してアルバムを手に取ると、真剣な眼差しをその写真に向けている。

「これって……君……だよね?」
 写真と陽子を見比べながら言った。「このペンダント……誕生日に首にかけてほしいって君が言った……」

「私が?」

 眉根を寄せながら訊き返す。

「えっ! 忘れたの? ついこの間のことじゃないか」

 彼は訴えかける。

 陽子はそっと彼から視線を外すと、うつむいて黙りこくった。もちろんそんな約束を交わした覚えなどないし、被写体の人物は自分ではない。ただ二人はあまりにも似ている。他人から見れば、いや、身内と言えども見分けはつきかねるかもしれない。それほど瓜二つなのだ。

 陽子はこのペンダントを首にかけられた瞬間に見えた人生を振り返った。

 過去から現在への一筋の流れの狭間に抜け落ちた人生がもう一つ人生を補完しながら、記憶の欠片かけらを埋め尽くして確かな想い出を形成していった。

 今、二つの人生のつじつまが合う。ひとつは陽子自らが歩んで来た人生。もうひとつは、写真の人物の人生だ。

 陽子とて俄かには信じ難いが、己の直感はしきりにそう訴えかけるのだ。

        *

 叔母は母の二歳下の妹で、陽子が生まれる一年前の夏に病に倒れ他界している。母の結婚式を見届けた数ヵ月後、永遠の幸せが母に訪れるよう祈りつつ息を引き取った、と母から聞いていた。仲の良かった姉妹に別れが訪れた翌年に待望の第一子、つまり陽子は生まれた。陽子の名づけ親はこの叔母なのだ。

「来年の八月に女の子が生まれるの。『陽子』と名づけてほしいの。八月の陽にサンサンと照らされて祝福を受けるのよ。まるでヒマワリのように明るくてきっといい子に育つわ」

 病床に伏した叔母の予言どおり、八月の陽が生命をいつくしむ午後、母に女の子が授かり、『陽子』と命名したのだ。

 陽子には奇妙な想い出がある。

 ごく幼い頃、三歳時分だと思うが、この母の実家を法事で訪れた時のことだ。祖母が探し物をしていて、どうしても見つからない、と言う。陽子は祖母の手を引いて探し物のある場所へと迷うことなく導いたのだ。もの心ついて初めての訪問にもかかわらず、この家の間取りから物の所在と言った細かなことまでが、どういう訳か手に取るように分かっていた。その場にいた身内一同、呆気に取られた顔で口を揃えて神童とか、挙句には“超能力”少女、“霊感”少女などと形容詞が付随して呼ばれ始め、辟易へきえきするなか、

「だって、私、ここに住んでいたじゃない」

 と返して皆を驚かせたことがある。それを聞いた誰かが、

「裕里子の生まれ変わりかも」

 と目を丸くしていたのを覚えている。 

        *

 もう一度、叔母、裕里子の写真を見つめた。ヒマワリをかたどった金のペンダントが陽光を反射してきらめき、胸元を飾っている。

 陽子はペンダントを撫でた。

 彼は腕組みをして眉間に皺を一層深めながら、しきりに首を捻り続けている。

「確かに君だよ。紛れもない君だ。君から渡されたんだ」

 いかに解釈すべきか、陽子とて戸惑うばかりだが、この不可思議な現象を素直に認めて受け入れるとしても、口に出すことははばかられた。彼を混乱させるだけだろうから。

 彼は陽子と裕里子の二人に会っていたのだ。彼が裕里子の元へ現れたのか、それとも裕里子が彼を求めてあの時代からやって来たのか。そう考えるのが合理的に思える。二人が同一の魂だったら、つまり陽子が裕里子の生まれ変わりだとしたら……。

 人の切なる想いというのは時代を超えてまでも届けられるものかもしれない。果たしてそんなことが現実にあり得るのか。陽子にも証明しようがないし、誰もが否定するに決まっている。ただひとつだけ確信しているのは、陽子と彼は永遠の時の流れの中でつながっている。二人は永遠の伴侶なのだ、と直感し得ることだ。

 ──私は私を生きる!

 陽子は開いていたアルバムを全て閉じた。

 彼もようやくアルバムから目を背け、陽子のほうを向いた。陽子は穏やかな微笑で応える。と、彼は不意にオルゴールに視線を移し、ハンカチを手に取った。

「懐かしいよ。これ僕が落として行ったハンカチだ。僕のイニシャルが刺繍してある。母からのプレゼントだったんだ。七歳の誕生日に……君が持っていてくれたんだね。ありがとう」

 もちろん陽子の記憶にはなかった。陽子は彼の優しげな眼差しを受け、胸が張り裂けそうなほど苦しくて目頭が熱くなった。今、互いの心は溶け合う。

「さあ、行きましょう」
 陽子は一旦ハンカチを奪い取って自らの手で再び彼の手に握らせた。「二人からの想いを、永遠の伴侶へ……」

 彼は瞬きを繰り返しながら首を捻り笑っている。

 陽子は祖母に暇乞いとまごいをすると、彼と共に母の実家を後にした。 

        *

 二人は公園へ入り、再びベンチに座って池を望んだ。水面みなもを渡る微風そよかぜが草むらや木々の隙間を縫って通ると、微かな葉擦はずれの向こうで蝉の呼応は始まった。瞬く間に連鎖を繰り返し、時雨となった。

 正樹が微笑みかけると、陽子は無言で寄り添う。ふと木柵の向こう側の大輪のヒマワリに目が行った。正樹も陽子の視線の方向を見る。

「咲いたね。僕らのヒマワリ。種を撒いた日のこと、覚えてる?」

 懐かしそうな眼差しをヒマワリの花に向けている。

 無論、陽子自身の記憶ではない。が、確かにヒマワリは咲いている。二つの魂の狭間を辿って咲いているのだ。自ずと胸が熱くなる。

「今日、決めてたことがあるんだけど……」

 急に真剣な表情になり正樹は口ごもった。

「何かしら?」

「二人の関係を終わりにしない?」

 唐突に立ち上がると、躊躇ためらいがちに言い放つ。

 陽子もつられ立ち上がる。胸に冷たい風が吹き渡ってゆく。

 さっき陽子が握らせたハンカチの端を摘まむと、思い切り振り下ろして広げた。陽子にそれを突き出しながら表情は一層硬くなった。

 陽子は差し出されたハンカチを手に取って覗き込む。イニシャルの横に黄色いヒマワリと青い文字が刺繍してあった。

「これが君の仕業だってことは承知なんだ。これが君の返事なのかい?」

 目を吊り上げながらジャケットのポケットから何かを取り出すと、いきなり陽子は左手をつかまれた。

 陽子は成り行きをを静観するのが精一杯だった。ふと己が左手を見ると、金属片が指に巻きついていた。目はそれに釘づけになる。

「結婚……してほしい」

 正樹は照れてドギマギしながらやっとの思いで口を聞いたようだ。顔は幾分紅潮している。

 陽子の薬指には金色のリングが輝いていた。もう一度ハンカチに目をやる。この刺繍を施したのが陽子だと彼は疑っていない。

 ──だけど、これは裕里子というもう一人の魂なの!

 陽子は心の中で叫んだ。

「私は、あなただけを、見つめる」

 強い口調で陽子の両手を取りながら熱い視線を送ってくる。夕日に映えた彼の瞳には陽子の姿しか映ってはいない。

「私は、あなただけを、見つめる」

 陽子も青い糸でヒマワリの花言葉が刺繍されたハンカチをそっと手渡しながら返答すると、その胸に飛び込んだ。と、肩越しにそっと抱き締めてくれる。

 正樹の胸に顔を埋めた途端、温もりは全身を駆け巡り、陽子の胸を濡らした。自ずと熱い雫が頬を伝う。

 それぞれの魂が溶け合う時間の狭間で、ペンダントに手を添えた陽子は心の中で復唱し、誓うのだった。

 ──ワタシハ、アナタダケヲ、ミツメル……

 ──過去から未来へ……

 ──永遠に…… 



   〈了〉 
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