高坂くんは不幸だらけ

甘露煮ざらめ

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「これからばっちりお守りしますので大船に乗ったつもりでいてください。それに、ご安心を。三日後を過ぎれば、溜まっていた幸運の波が押し寄せてきますからね」
「あ、ありがとうございます。ありがとうございますっ」

 その聖母のような笑顔が、体をゆっくり温めてくれるようだった。
 なぜだろう。たったこれだけなのに、恐怖心が消え去っている。

「その……。世界のことも含めて、俺のために色々とすみません」
「いえいえ。お礼なんて結構ですよぅ。それにですね、さっきの二つは建前でして、私が来たのは自分のためでもあるのですよっ」
「え? それって……?」
「実はですねー。本当は私の同僚の担当だったのですが、無理言って代わってもらいました」
「代わった? ど、どうしてですか?」

 俺の質問すると、サヤさんの頬が僅かに朱に染まった。

「順平さんのお顔を写真で拝見した時に、一目ぼれしちゃったんですよね~。その不幸っぷりとか、すべてが格好良くって私のタイプでしたっ。あわわ、言っちゃいましたよぅ」

 彼女は頬を両手で押さえ、はにかんでいる。
 それを見て、聞いて、俺の顔も妙に熱くなってしまった。不幸っぷりは置いといて、タイプって言われて照れないはずがないじゃないか!

「そ、そんなっ。俺、全然格好良くないですよ」
「いえ。とっても格好いいのですよー。御謙遜なさらずに」
「ぇ……。ぁ……。ま、まあ、それはいいとして……。さて置いて……」

 これ以上続くと発熱がヤバイので話を切り、俺は頭を下げる。
 事情はどうであれ、助けるために来てくれてるんだ。その感謝はちゃんと伝えないといけないよね。

「サヤさん。改めて、よろしくお願いします」
「はいっ。こちらこそよろしくお願いしますねっ」

 顔を上げると満面の笑みがあって、そのあと彼女はホッと息を吐いた。

「いやいや~。無事に信じてもらえてよかったですよー」
「すみません。最初は信じれなくって」

 随分手間取らせちゃったし、失礼なことしちゃったよな。ホント、申し訳ありません。

「いや~、いやいや~。もしものためにと、不幸をギリギリまで排除しなくて正解でしたー」
「はい?」

 不幸を、排除、しなかった?

「こちらに来る前に、下で八頭さんと遭遇してたのですが、あえて黙っておきました。ああもちろん、信じて頂いた場合にはインターフォンに出る前にお教えするつもりでした。でもですねー、今回はああして――あれれ? 順平さんの瞼がピクピクしてますよ?」
「あーいえ。怒ってなんかないですよ?」

 先に言ってくれたらドキドキしなくて済んだのに、鉢は無事だったのに――いかんいかん。命の恩人に対して怒りを見せるなんて、言語道断だ。
 大丈夫さ。サヤさんが言うように、俺の不幸はなくなるんだ。
 今もほら。体から不幸を追い出すぞと言わんばかりに、朝の爽やかな風が背中を押してくれて――ん……?

 リビングに、風が吹いている……?

 おかしいぞ。俺は窓を開けていない。
 なので訝しみ、振り返り窓を確認してみると――

「お、おあっ!?」

 窓に、円型の穴が開いている!! しかもちょっとどころではなく、1メートル近いやつ! 窓からガラスの大半が消失していて、床にはその穴にすっぽり入るサイズのガラスが落ちていた!!!!!!!!!

「あ~。あれは、私が部屋に入るときに開けたものですよー。鍵がなかったのでついやってしまい、すっかり忘れてましたー」
「…………。………………」
「あ、あれ? 順平さん? どうなされ――あわわっ!」
「こ、この! お前っ! 何やってくれてんだよ! あのガラスどうすんだよっっ!」

 サヤさん――サヤの両肩を掴んで揺さぶる。もう俺は本能のままに揺さぶる。
 数秒前までの感謝の念なんぞ見事に消え失せた。

「これはもう窓じゃなくて穴がメインになってるじゃないか! 泥棒でもなんでも大歓迎ムードが醸し出されてるじゃないかよ!」
「い、いつの間にか『お前』呼びに……っ。距離が縮まりましたっ!」
「うるさい黙れ! 百歩譲って鍵を開けるために手を突っ込める程度の穴なら許せもしたが、これは取り返しつかないだろよ!! てかこんなガラスどうやって交換したらいいんだよ! しかも交換する時なんて言えばいいんだよ! こんなことありえねーだろっ! どうやってガラス切ったんだよ! お前、シガミじゃなくコソドロじゃないのかっ!?」
「お、おおおおおお気をたしかに。そ、そんなことをしている場合ではないですよー」
「何?」

 荒いだ息を整えつつ、手を放す。

「あちらをご覧ください」

 あちら――サヤの華奢な指の先には、時計。八時十分を伝えてくれている、時計さんがあった。

「うあっ! 遅刻する時間じゃないか!」

 今日は、一時間目に数学の小テストがあるんだ。これを受けないと成績に響いてしまうため、常に中の下を突き進む俺は何に代えても間に合わせねばならない。

「……朝食抜きにしても、ギリギリの時間……。問い詰める時間はないか!」

 仕方がない。俺は追及を止め、急いで部屋へと向かう。

「あのー。私はどうすれば?」
「テーブルの上にガムテープがあるから補強してなさい!」

 ダッシュしながら指示を出し、ドアを閉めて制服に着替える。

「あーもー!」

 俺はパジャマを脱ぎながら、唸り声を上げた。
 どうしてこの数時間でここまでいろんなことが起きるんだよ。
 理由は単純明快。あれもこれも、すべては不幸のせい。
 不幸さえいなければ、平穏でいられたのに。
 それを考えただけで、怒りの感情がふつふつと湧き上がり、胸の中だけでは収まりきらなくなる。
 そして――


「こんな不幸、絶対に決別してやる!!」


 服を着替え終えた俺は、窓から見える世界に向かってそう宣言した。

 不幸なんかに負けるもんかよ……!

 もう一度。自らを鼓舞するよう静かに気合を入れ、部屋を後にする。

 こうして、幸福を掴むための三日間が幕を開けたのだった。

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