地球温暖ガールと絶滅フレンズ

Halo

文字の大きさ
上 下
23 / 37
第四章

20℃

しおりを挟む
 ドアの向こう側は子供部屋だった。室内の奥にはベッド、その横には勉強机が置かれている。壁紙もカーペットもピンク色で統一され、まさに女の子の居室だった。

「ここは私が子供の頃使っていた『始まりの部屋』。アメリカで、日本人夫婦に引き取られた時に与えられた部屋よ。よく一人で本を読んでいた。十歳の頃、コンピューターを買ってもらってプログラミングを始めたわ」

 古ぼけた机の上には、旧式のWINDOWSコンピューターが置かれていた。室内は家具からベッドリネンまで、一切がキュートでラブリー。無骨なパソコンだけが場違いだ。

「ここで『デスティニー1・0』がスタートしたのよ」

 壁には一枚のクレヨン画が貼られていた。

「これ、君が描いたの?」

 ピン留めされた画用紙にスケッチされた、一羽の奇妙な鳥。デスティニーは絵を壁からはずし、ひらひらと波打つように上下させた。すると、

「堂堂!」

 クレヨン画から、でっぷりとした生き物がこぼれ落ちた。




「何なのこれ? どこかで見た気がする」

「ドードーよ」

 ドードーは中型の犬ほどの大きさで、鷲のように大きな嘴を持つ鳥だ。顔には体毛が生えておらず、地肌が露出している。髪は縮れてパンチパーマのよう。鳥類なのに羽が小さく、空は飛べない。走鳥類、ダチョウやエミューの仲間だ。

「ひょっとして、この鳥も既に生存していないの?」

「そう、悔恨の絶滅フレンド。今から三百年前にいなくなった。人間による乱獲が原因」

「このドードーは君のバーチャル・ペット?」

「ここは私の精神空間。すべてはイマジネーション。仮想動物、癒しのマスコット、パートナー・モンスター、なんでもいいわ。この子は私にとって大事な存在。人間も、動物も、かけがえのない存在は、この世を去っても、心の中で生きている」

 デスティニーは現物を見たことはないはずだ。現存する本や資料から絶滅種を再構成したのだ。

「ゾウガメ、エミューに続いてドードーか、絶滅動物好きなんて、君は本当にユニークだね」

「この子のつぶらな瞳を見て。はかなさを思うと愛しさもひとしおよ」

 デスティニーは、動物園でゾウガメやエミューに対する深い愛着を示した。ゾウガメの一種、ピンタゾウガメは既に絶滅し、エミューは絶滅寸前だ。いくら惜しんでも、時計の針は戻らない。デスティニーはドードーをぎゅっ、と抱きしめた後、部屋中をくまなく調べたが、ついに探し物は出てこなかった。

 ダイゴも子供の頃、犬や猫を飼っていた。手前勝手かもしれないが、動物好きに悪人はいない、と信じている。

「ここじゃないみたいだわ」

「デス、一体何を探しているの? 色や形を教えてもらえれば、僕も協力できるよ」

「嬉しいわ。でも私自身、それが『何か』を思い出せないの。見ればわかると思うのだけれど」

「わかった。僕にできることがあれば遠慮なく言ってね」

「もちろん、そのために来てもらったんだから」

 棚にも、机の上にも、引き出しの中にも、ベッドの下にも、「青い鳥」はいなかった。

「ドードーが青ければよかったのに」

「先に進んでみましょう」

 「始まりの部屋」にはWYSの出入口以外に、もう一枚扉が取り付けられていた。デスティニーはドアノブを回し、ゆっくりと手前に引き寄せた。

「ここはフォト・ギャラリーみたいだね。部屋中に写真が飾られている」

 幅、奥行きともに四メートルほどの直方体空間。縦に何層ものプリーツが入った灰色のカーテンに、人物スナップや記念写真が掛けられている。部屋には窓がなく、閉鎖空間特有の圧迫感がある。後ろを振り返ると、デスの絶滅フレンド、癒しのドードーがトコトコと歩き回っている。

「デス、この鳥、付いてきちゃったよ」

「いいじゃない。見て、よちよち歩きがかわいいわ。名前を付けてあげようよ。ドードーだから『ドド』はどう?」

「暑苦しくない? よっちーはどう?」

「ダイゴったら、ほんとセンスない」

 不格好な鳥は、物珍しそうにダイゴを検分している。デスはかわいいと目を細めるが、敢えて言うなら「ブサカワ」か。ブルドッグや猫のヒマラヤンみたいなものだ。

 人間が珍しいのか、頭のてっぺんから足のつま先までじろじろと眺めまわしている。見るだけでは足りず、脛をつついて反応をうかがっている。

「デス、この部屋は君の記憶のアルバムなんだね」

 様々なサイズの額が四方の壁に掲げられている。幼い時から大人になるまでの成長の記録だ。

 最初の写真は、古民家で楽しそうに語らう家族のスナップ・ショット。幼い頃のデスティニー、妹の知念マリア、両親、祖父母、飼い犬の幸せなひととき。

 その次は台風で被災した家を写したものだ。洪水で半壊した家の前に少女が二人、呆然と佇んでいる。デスティニーと妹の知念マリアだ。

 三番目の写真には黒い幕が掛けられている。

 四番目は遊園地での記念写真。初老の夫婦とデスティニーが、仲睦まじく体を寄せる。夫婦はデスティニーの養父母だろう。デスティニーは両手でVサインを作り、はち切れそうな笑みを浮かべている。

「おとうさん、おかあさん……」

 やがて、あたりは何とも言えない寂寥感に包まれた。デスティニーの目は潤み、ふつふつとわきあがる感情を抑えている。

「君の育ての親は今どうしているの?」

 蒼ざめた唇からは悲しげな嗚咽が漏れ、前かがみの肩が小刻みに揺れている。

「半年前に交通事故で二人とも亡くなった。開発で煮詰まっていた私に旅行に行こう、と声をかけてくれた。私はその時一人暮らしをしていた。マンションの前で迎えの車を待っていたけど、いつまで待っても来なかった」

 ダイゴはそっとハンカチを差し出した。

「スマホに電話をかけたら看護師さんが出たの」

 ハンカチはダイゴの指先からだらりとぶら下がったまま。

「大急ぎで病院に駆けつけた。でも……。間に合わなかった」

 デスティニーはフォト・フレームを覆うように抱きかかえた。

「デス……」

 デスティニーはダイゴの呼びかけに気づかない。

 五番目は自室で熱心に勉強するデスティニーの後ろ姿。

 六番目は6th Extinctionのジュラのライブフォト。

 七番目は大学の卒業式。大学の正門前で写されたものだ。清楚なスーツ姿で花束と卒業証書を抱えている。両脇で優しそうにほほ笑むシルバーヘアーの養父母。

 写真は全部で七枚。二十七年間生きてきて、記憶に残る思い出はたったの七つ。友人や仲間と撮影した写真は一枚もない。彼女のライフステージに足跡を残したのは家族、養父母、ジュラだけだ。

「この三番目の写真は?」

 額の黒幕に手をかけた瞬間、デスティニーはダイゴを力の限り突き飛ばした。

「やめて! 触らないで!」

 ダイゴは押された勢いでバランスを失い、どすん、と床に尻餅をついた。

「いきなり何するんだよ!」

 ダイゴは上半身を起こし、低い位置からデスを見上げた。腰に鈍い痛みがある。仮想空間といえど、ラボの床は本物だ。

 抑えきれない強い衝動が、デスティニーの自己防衛本能を突き動かした。

「この三番目の写真は悪魔の記憶。死んでも思い出したくない。ましてや、他人に見られるなんて、絶対にイヤ!」
 顔面蒼白、瞳孔は開き、緊張で顔がこわばっている。

「わかった。約束する。見ないから安心しろ!」

 デスティニーは不安で押しつぶされそうだ。ダイゴはデスティニーを抱き締めようと手を伸ばした。

「いやあああああああ」

「落ち着け! デス!」

 デスティニーは両手で頭を抱え、狂ったように髪を振り乱した。

 同時に、灰色のカーテンのひだから黒い影が現れた。一、二、三、四、全部で四人、ゾンビのようにゆらゆらとふらつきながら、一歩、一歩、近づいてくる。

「Go away! Just leave me alone!」

「GGo aaway! JJust lleave mme aalone!」

 叫び声が二重に聞こえる。床の上にはデスティニーの他にもう一人、身を固くして縮こまる少女の姿があった。

「ちゃま……」

 デスティニーと別人格のちゃまは、お互いに抱き合って、ぶるぶると震えている。

 距離が近づくにつれ、影の容姿や表情を見てとれるようになった。バットをぶんぶん振り回しながら近づく少年、首のない人形を持つ少女、鋭いフォークを持つ大柄な女、影たちは髪を逆立て、白目を剝いてひたひたと迫ってくる。

 三人の背後にはもう一人、凶器を持った白人の大男が舌なめずりをしながら歩いてくる。大型のキッチンバサミを閉じ開き、ピンク色のスカートを切り刻む。

 デスティニーの理性は一瞬でフリーズし、そのおぞましさに声を失った。下顎をがくがくさせ、口から泡を吹いている。

「お前ら、デスを虐待した一家だな」

 ダイゴは拳を握り、デスやちゃまと虐待家族の間に割り込んだ。

 その時、一陣のつむじ風が吹いた。

「運命の騎士、権堂! 見参!」

 専属ボディーガードの登場だ。ラッキィによれば、権堂は人を二、三人殺した前科があるという。真偽のほどは明らかではないが、仮に事実だとしても、もちろん、精神世界での話だ。

 そこに、ナカモトも駆けつけた。本人曰く、カンフーの達人だ。

「権堂さん! ナカモトさん!」

「ダイゴ、助っ人に来たぜ。こいつら手ごわいぞ。ちょっと気を抜くとすぐ出てきやがる」

「人の皮をかぶった悪霊め。容赦はしないぞ」

 権堂も、ナカモトも、殺陣役者よろしく、必殺のポーズで身構えている。

「今日は三人だ。今度こそケリをつけるぜ」

「わかった!」

 ダイゴは意を決し、一気に踊りかかったが、相手の体をすっと通り抜けた。

「あ、れ?」

「しっかりしろ! 幻だから実体がないんだ」

 権堂とナカモトもゾンビ家族に飛びかかるが、結果は同じだ。幻にもアバターにも肉体はない。

 デスティニーが気がかりで後ろを振り返ると、当人は両手を頭に添えて上下に動かしている。恐怖に耐え切れず、見えないVRヘッドギアを取り外そうとしているのだ。

「まずい、待機状態を飛ばして現実に戻ると、脳神経へ衝撃が起きる」

 ダイゴはヘルメットが外れないよう、慌ててデスティニーの上半身を両腕ごと抱え込んだ。

「権堂さん、ナカモトさん、なんとかして」

 権堂もナカモトも、一心不乱でゾンビ家族に体当たりを繰り返している。ゾンビ家族の面々は横に広がり、デスティニーを取り囲むように迫ってきた。

「くそ、これでもくらえ!」

 ダイゴは壁から写真フレームをもぎ取り、手裏剣のように投げつけた。フレームは鋭く回転して前方へと飛んだが、空しくまぼろしの体を通過した。

「来るな!」

 ダイゴは灰色のカーテンを思い切り引っ張り、デスティニーを隠した。

 ぴんと張られたカーテンをバット、フォーク、キッチンバサミが、ぶすぶすと突き破る。ついに最後のディフェンスラインが突破された。

「神様っ」

 もうこれまでか、ふと足元を見ると、デスティニーが食い入るように見ていた写真が落ちている。四番目の思い出、養父母と撮影した遊園地のスナップだ。

「デスティニー、これを」

 ダイゴはフレームを拾い上げ、デスティニーの目の前に差し出した。デスティニーは写真を手に取り、ひとときも目を離さない。

「おとうさん、おかあさん……」

 穏やかな日々、幸せな時間。優しい養父母の思い出が、デスティニーの戦慄を少しずつ、少しずつ、ほぐしていく。

「もう安心していいんだよ」

 デスティニーの両脇には、心から愛する養父母が現れた。

「私たちはいつもあなたと一緒よ」

 老夫婦がデスティニーの体を優しく抱いた。暖かい涙が流れる。胸に固くこびりついたトラウマが溶けだし、赤黒い血流となって流れてゆく。

 知念マリア、生みの親、祖父母、飼い犬も、床に落ちた写真から抜け出して、デスティニーを暖かく見守る。

 どこまでも絶望が支配する空間に、光と音が帰ってきた。

 悪鬼のような虐待家族は濁流に飲み込まれ、遥か遠くへと運ばれていった。

 ついに、デスティニーの心の闇は、ゾンビ家族とともに消えたのだ。

「カタルシスが働いている。過去のつらい記憶を排出して、心の浄化をしているんだ」

 濁流はさらさらとした清流に変わった。権堂は得意げにガッツポーズを決めている。ナカモトが灰色のカーテンを引くと、部屋の外に明るい街並みが現れた。晴れわたった大空には、色鮮やかな虹がかかっている。

「清々しい朝だ」

「この風景、どこかで見たことがある」

「ダイゴ、もう忘れたの。虹の彼方の魔法の国」

 トラウマを克服し、すっきりとしたデスティニーの表情。虹の彼方には青い鳥が飛ぶという。

「嵐が去った幕張の海、そう、君のラッキーナンバーは七だったよね」

 ダイゴの脳裏には二人で迎えたあの朝の景色が甦った。

 屋外には奇想天外な不思議ワンダー世界ランドが広がっていた。ママレード色の空、片側が浮き上がった虹、空には自らの尾を噛む蛇ウロボロス、黄色いレンガの道。

「ここは?」

海街うみまち。わたしの精神世界」
しおりを挟む
1 / 3

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

底辺社畜の錬金術

エッセイ・ノンフィクション / 連載中 24h.ポイント:0pt お気に入り:1

依存

ミステリー / 連載中 24h.ポイント:0pt お気に入り:0

本の精霊

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:0pt お気に入り:0

処理中です...