飛翔英雄伝《三國志異聞奇譚》〜蒼天に誓う絆〜

銀星 慧

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序章 龍神の呪いと永遠の友情

第三話 盗賊の襲撃

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翌朝、小鳥たちのさえずりが聞こえる、広い屋敷の廊下を、将軍と主人が談笑しながら歩いていた。

「実は将軍…今朝、お招きしたのは、縁談の話なのですが……」
主人は、躊躇ためらいがちにその話を切り出した。

だが、将軍はそれをさえぎるように、片手を胸の高さまで上げると、
「兵たちを、まだ少し休ませたいので…あと二日、ここへ留まらせて頂きたい。」
そう言って微笑する。
「返事は、二日後にお聞かせ願おう。」
将軍にそう言われ、主人は仕方なく引き下がった。

「所で、曹氏。この家に男児がおらぬのには、ある"呪い"が原因だと聞いたのだが…」

将軍の問い掛けに、主人は、戸惑った様子を見せる。

「噂を、ご存知でしたか…」
そう言うと、深い溜息ためいきいて、静かに語り始めた。

「私の妻が、初めて子を宿した時の事でございます…」


妻、青蘭が、主人の元へ嫁入したのは、十五歳の時だった。
慎ましく、可憐で、華美かびさの無い少女であったが、主人は一目で彼女を気に入った。
やがて、大望の第一子を身篭みごもり、出産まであとわずかとなった頃だった。

ある時青蘭は、突然重い病にかかり、寝込んでしまった。
何人もの医者に看せたが、全く良くならず、元々あまり丈夫な身体では無かった為、そのままでは、母子共に危険な状態であった。

主人は、信心深い質たちでは無かったが、妻の回復を願って、毎日廟堂びょうどうで祈りを捧げた。
そんなある夜、主人は不思議な夢を見た。

夢枕に龍神が現れ、こう告げた。

『お前の妻か、子供の命か、どちらかを救ってやろう…』

困惑した主人だが、やはり、妻の命を救って欲しいと願った。

『では、生まれて来る男児を、わしに捧げよ…』

そう言い残し、龍神は消えていった。

その後、妻の病は、驚くほど回復に向かい、無事に出産を迎える事が出来た。
だが、生まれて来た我が子を見た時、主人は戦慄せんりつした。

生まれて来たのは、龍神のお告げ通り、男児だったのだ。

夢の話を、妻にするべきか悩んだが、結局言い出せず、虚しく月日が過ぎ去った。
やがて、生まれて半年が経った頃、その赤子は突然の病で、この世を去ってしまった。

その後、再び妻は出産するが、生まれた子供は、半年も待たず、亡くなってしまう。
その子供もまた、男児だったのだ……

「不幸な出来事が、偶然重なり合った…ただ、それだけの事なのでしょうが…妻は、今でも苦しんでいるのです…」

主人は、再び深い溜息を吐き、肩を落として目を伏せた。

「成る程…それが"呪い"と言われる由縁であったか…」

将軍は、辛そうな主人の横顔を、痛ましい目付きで見つめ、感慨深そうに、自分の顎髭を撫でていた。


人々が行き交い、賑わうまちの市場では、行商人が盛んに住民たちに呼びかけ、様々な物を売っている。
もうすぐ昼を迎える為、飲食店は客で賑わい、店の主人や使用人たちが、忙しく走り回っていた。

客の注文を聞いている、主人の背後に、黒い大きな影が近づいて来る。
主人は気配に気付いて、はっと振り向いた。
次の瞬間、机の上に、どかっと刃物が突き立てられる。

主人は驚いて跳び退いたが、いきなり胸ぐらを捕まれ、体を持ち上げられた。
「おい!こいつらが、この邑に居るだろう?!」
「ひぃ…!なっ何の事だか…?!」
主人は怯えて、震え上がった。

主人に掴み掛かった男は、顔を包帯で、ぐるぐる巻きにしている。
男は主人に、突き立った刃物の方を見るよう、あごで促した。

机に突き立てられた短刀の下には、人相書きが記された一枚の布がある。
そこには、二人の少年の顔が描かれていた。

「隠すと、為にならねえぞ…!」

男は凄みを見せて、鋭い目付きで睨んだ。


「ほう…虎淵、お前本も読むのか?」
「はい、読書は大好きです!」
両手に書物を抱えた虎淵は、満面の笑みを浮かべ、嬉しそうに答えた。

奉先と虎淵の二人は、人々が行き交う、市場の通りを並んで歩いていた。
「そうか、大したものだな…」
「先生も、少しは書物を読んだ方が良いですよ!」
そう言われ、奉先は頭をいて、苦笑いをした。
「俺は、学問は全く…」

「おや…?何かあったのでしょうか?」
市場から少し離れた、邑の広場に、沢山の人だかりが出来ているのを、虎淵が発見した。

二人は、人垣に近づいて、後ろから広場の方を覗き見た。
広場の中心にいる、数人の男たちが、何やら大声で喚わめいていた。
その身なりから、彼らは盗賊団の一味のようだった。

盗賊団の中心に立っている人物は、手に白い布のような物を掲げている。

「いいか!夕方までに、この人相書に描かれているガキ共を、この広場まで連れて来い!連れて来ねぇと、この娘の首を刎はねる!」

男は、自分の前に引き据えられた少女の首に、大きな刀の刃をあてる。

少女の衣服は乱れ、縄で身体を縛られている。
乱れた髪の隙間から、涙で濡れた、青白い頬が覗いた。

「大華殿…!!」

奉先は青ざめ、人垣を掻き分けて、前へ進み出ようとした。
「先生…!どうするんです?!」
虎淵は、慌てて奉先の着物の裾を掴んだ。
振り返った奉先は、険しい表情で、

「お前は先に、屋敷へ戻っていろ!麗蘭殿を、ここへは絶対に来させてはならぬ!!」

そう言って、人波の中へ姿を消した。



「おい!!」

盗賊たちは、声の方を振り向いた。
そこには、集まって来た、野次馬たちを背に立ち塞がる少年がいる。

「そのを放せ!お前らの探している相手は、ここにいる!」

奉先は、盗賊たちを睨みつけ、よく通る大声たいせいを放った。
「貴様一人か?!もう一人のガキは何処だ?!」
「その娘を解放すれば、教えてやる…!」
「なんだと…?!ふん、俺達を騙そうったって、そうはいかんぞ!!」

大華を人質に取っている男は、鼻で笑うと、仲間に目で合図を送り、奉先の周りを、すぐさま取り囲ませた。

奉先は、身じろぎもせず、その様子を横目で見ていた。
それから、男の方へ視線を送ると、男を睨み据えた。

「その娘の代わりに、俺が人質となろう。嘘なら、俺を好きにすれば良い…!!」


屋敷から、庭へ走り出た麗蘭は、門の入り口に立つ、虎淵と鉢合わせた。

「虎淵…!奉先はどうした?!盗賊たちが、この邑に現れたと聞いた…!」
「先生は…まだ戻られません…」

俯きながら答える虎淵の肩を、麗蘭は激しく掴んだ。
虎淵は、やがて顔を上げ、麗蘭の瞳を見つめながら、強い口調で言った。

「外は危険です!麗蘭様は、ここでお待ち下さい…!」

「…!奉先は一人で行ったんだな…!俺をかせるなと、言われたか?」

麗蘭は、虎淵の肩を強く押し退け、門から出ようとする。
「麗蘭様…!お待ち下さい!」
虎淵は麗蘭の前に、立ちはだかる。

「決して、麗蘭様を行かせるなと…先生からのご命令です!」
「お前は、奉先を死なせるつもりか?!そこを退け!!」

「行ってはなりません!麗蘭……!」
その声に、麗蘭の身体は硬直した。

「母上…!」

麗蘭の後ろには、不安そうな面持ちで立ち尽くす、母、青蘭の姿があった。
「わかって頂戴…あなたを、危険な目には遭わせられない…」

「しかし…奉先は、私のせいで…!」

麗蘭が、母の前へ歩み寄ると、母は、麗蘭を見つめながら、優しく肩を抱いた。
「あなたを、失いたくないの…!」

麗蘭は黙って、目を伏せていたが、やがて眼差しを上げ、母の瞳を真っ直ぐに見つめ返した。

「やはり、見捨てる事は出来ません…!奉先を…友を助けたい!!」

母は、沈黙したまま、しばらく麗蘭を見つめていたが、やがて、艶のある唇を開いた。

「あなたは…本当に、勇敢な子…!私わたくしの誇りです…!」

母、青蘭の瞳には、涙の雫が光っていた。


晴れ渡っていた空は、いつの間にか、黒い雲に覆われていた。
冷たい風が、邑まちの広場を、吹き荒すさんでいる。
辺りを取り囲んだ人々は、固唾かたずんで見守っていた。

「はぁ…はぁ…全く、しぶとい奴だ…!」

男たちの拳や、手にした棍棒は、血に染まっている。
足元には、血塗《ちまみ》れになった奉先が、地面に転がっていた。
「兄貴…!こいつは口を割りそうに無ぇ…!いっそ殺しちまいましょう!」

盗賊たちの間から、鋭い目付きでゆっくりと現れた男は、顔を包帯で巻いている。
倒れた奉先の前に立ち、上から冷ややかに見下ろした。
「ちっ…手間ぁかけさせやがって…!もうちったぁ、楽に死ねたものを…」
そう言うと、
「やれっ…!!」
と仲間たちに、短く指図した。

地面に、俯うつぶせに倒れ込んでいた奉先は、「うう…っ」と小さく呻き声を上げていたが、その声は、やがて不気味な笑い声に変わっていった。

「ふ…ふふ、くっくっくっ……!」
「何だこいつ…?気が狂っちまったのか…?」

盗賊たちは、奉先を取り囲んだまま、気味悪そうに顔を見合わせた。

血反吐ちへどを吐きながら、おもむろに顔を上げる奉先の口元は歪み、更に笑い声は大きくなっていった。
「てめぇ、何がおかしい…?!」
包帯の男が前に進み出て、怒鳴る。
奉先は、鋭い眼差しを上げて、男を睨みつけた。

「俺を殺せば、お前の鼻を削いだ奴は、永久に見付からぬ…!」
そう言うと、奉先は体をのけ反らせて、笑声を放った。
「残念だったな…俺の勝ちだ…!」

「……!!この野郎…!」
その言葉を聞くと、男はみるみる顔を紅潮させた。
「たたき斬れ!!」
男が喚くと、仲間の一人が、手にした刀を振り上げた。

刀は、奉先の頭上に振り下ろされる。
しかし、次の瞬間、目にも留まらぬ速さで、奉先は腕を振り上げ、裏の拳で刀のやいばを横殴りにした。
その衝撃で、刀の刃は、粉々に砕け散る。
「…?!」
刀を手にした男は、蒼白となった。
更に、その男の顔面を奉先の拳が襲い、前歯と鼻をへし折られた男の体は、後方へ吹き飛ばされた。

盗賊たちは、その光景を、呆気に取られて見ていたが、やがて我に返ると、包帯の男が怒声を放った。

「こいつを、八つ裂きにしろ!」

仲間たちは、各々剣や刀を抜き放ち、一斉に奉先に襲い掛かった。


男たちの刃やいばが奉先に迫った時、風のように現れた一つの影が、それを剣で受け止め、一瞬にして払い除けた。
男たちは、突如現れた人影に、思わずひるんで、後ろへ退いた。

「…麗蘭、殿…?!」

自分の前に立ちはだかった、その影に、奉先は呼びかけた。
麗蘭は振り返り、肩越しに奉先を見やる。
「こんな雑魚共を相手に…情けないぞ…!」
今度は首を回して、取り囲んでいる盗賊たちを睨みつけた。

「だが…よくやった…!!」

麗蘭は、手にした剣を構え直し、包帯の男の方を向いた。

「よくも、俺の"友"を可愛がってくれたな…!覚悟しろ!」

豎子じゅしめ…!今度は、わしがお前の鼻を削ぎ落としてやるわ!」
男は、剣を鞘から抜くと、鞘を地面に投げつけた。

男が意気込んで、足を一歩踏み出すと、首にひやりとした感触が走り、男はぎくりとして、足を止めた。

「もう、その辺でやめておけ!!」

背後に、いつの間にか呂興将軍が立ち、男の首には剣があてがわれていた。

「わしには、城外に駐屯させた一万の兵がいる。そのうち、二千の精鋭たちに、密かにこの邑を包囲させた…!」

将軍は鋭い眼光で、背後から男に語りかけた。
男の首筋には、汗が滴っている。

「おとなしく立ち去り、この邑に二度と近づかぬなら、見逃してやる…!」

男は、悔しそうに歯軋はぎしりをしながら、後ろを振り返り、手にしていた武器を地面に投げ棄てた。

「くそぉ…!覚えていやがれ…!」
男と手下の盗賊たちは、集まった人垣を掻き分けながら、その場から逃げ去って行った。


「将軍…お助け頂き、感謝致します。」

麗蘭は、将軍の前に進み出て拱手きょうしゅした。

「…麗蘭殿、あなたでしたか…大蛇を倒した若者というのは…」
将軍は眉を寄せ、複雑な表情で麗蘭を見下ろしている。

「申し訳ございません…将軍を騙すつもりでは……」

麗蘭は慌てて顔を上げたが、その言葉を遮るように、将軍は片手で麗蘭を制した。
そして、後ろで控えている仲間の兵たちの方へ向き直り、
「行くぞ…」
と短く言うと、後ろを振り向く事もなく、立ち去ってしまった。

麗蘭は、将軍の後ろ姿を見送りながら、小さく溜息をついた。
「孟様…!」
人々の間から、大華が走り出て来る。
「ごめんなさい…私のせいで…」
大華は肩を震わせ、潤んだ瞳で麗蘭を見上げた。
その肩に優しく両手を添えて、麗蘭は笑顔を見せる。

「気にするな、悪いのは奴らだ…奉先はこんな事で死にはせぬ!」

「…麗蘭殿…」
二人の前に、虎淵に体を支えられながら、奉先が現れた。
奉先は険しい目付きで、麗蘭を見つめる。

「俺は、あなたを"友"だと思った事は一度も無い…!!」

麗蘭はただ押し黙って、奉先の顔を見つめ返す。
奉先は、虎淵を後ろに下がらせ、地面に肩膝を付いた。

両手を胸の前で合わせ、揖礼ゆうれいの形をとると、麗蘭を見上げた。

「あなたは、俺の真の主あるじです…!!」

「全く、水臭い奴だ…!早く戻って、手当を受けろ!」
そう言うと、麗蘭は破顔した。

麗蘭が、奉先の肩を軽く小突くと、奉先は少し顔を歪めて、微笑を返す。
奉先は、再び虎淵に体を支えられながら、広場を後にした。

夕暮れが迫る空の下を、人々に紛れて歩いて行く二人の姿を、麗蘭は物憂げな表情で見送っていた。
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