飛翔英雄伝《三國志異聞奇譚》〜蒼天に誓う絆〜

銀星 慧

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第八章 江東の小覇王と終焉の刻

第八十八話 断金の友

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配下の孫文台そんぶんだいが『伝国璽でんこくじ(通称 玉璽)』を持って雒陽らくようを離れた事といい、荊州けいしゅう劉表りゅうひょう、字を景升けいしょうと言う人物と袁本初えんほんしょが同盟を結ぶと、今度は本初と敵対する北平ほくへい公孫瓚こうそんさん伯圭はくけいと同盟を結ぶなど、彼の異母弟おとうとである袁公路えんこうろの行動は、白地あからさまな挑発行為と見える。

そんな最中さなか、公路が文台を豫州刺史よしゅうししに任命した所へ、本初が別の人物を豫州刺史として派遣した事で争いが起こり、公孫伯圭の従弟いとこ公孫越こうそんえつが戦死すると、それにいかった伯圭は、自ら兵を率いて磐河ばんがまで出撃し本初をおびやかした。

一方その頃、公路はこの機に乗じて本初の力を削ぐ事を目論もくろみ、本初と同盟を結んだ荊州の劉景升を攻撃目標に定め、孫文台を使って荊州南郡に位置する襄陽じょうようを攻めさせる事にした。

景升は、若い頃から崇高な儒者じゅしゃとして知られており、政治能力にけ、義侠心ぎきょうしんも厚かった為、高い声望を集めていた。

既に老齢に差し掛かっていた景升は、領土拡大などに従事する事はせず、ひたすらに自領を守り抜く事に心血を注いでおり、荊州には戦火を逃れて移住して来る民も多く、有能な人材が数多あまた集まる地でもあった。

公路の命を受けた文台が、襄陽を目指して進軍を開始すると、景升は江南太守の黄祖こうそに命じて、その撃退へと向かわせた。

しかし、歴戦の猛者もさである孫文台にとって、殆どと言って良いほどいくさ経験が無い黄祖など相手にならず、戦う前から既に勝敗は見えている。

彼にとって、今回の襄陽攻めはごく簡単な任務となる筈であった…


南方からの温かい風が吹き抜け、花々はなばなが咲き誇る庭から甘い香りを運んで来る。
その広い庭を通り抜けた一人の少年が、屋敷の奥へと続く廊下を足早に進み、部屋を仕切るすだれを開いて中へと入って行った。

公瑾こうきん、居るか?!」

息を切らせ、顔を紅潮させながら現れたのは孫家そんけの長男、伯符はくふである。
伯符は室内を見回したが、そこに公瑾の姿は見当たらない。

「ああ、全く…」
彼は小さな溜め息をくと、足元に落ちた竹簡ちくかんや、散らばった書物を拾い上げた。

室内は足の踏み場もない程散らかっており、嵐でも通り過ぎた後の様である。
彼がいそいそと室内を片付けていると、

「おい、伯符。余計な事をしないでくれないか?!これでも何処に何が有るかは、きちんと把握しているのだ!」

背後からわずらわしげな声が聞こえ、不満の表情で入って来るのは公瑾であった。
伯符は呆れた様に振り返り、険しい表情で彼を睨んだ。

「何が把握しているだ?!いつも、直ぐに物を無くすお前が…良くもそんな事が言えたな!」

しかし公瑾は意に介さず、自分の頭をきながら伯符の手にある書やふみを奪い取ると、再び床にき散らし始める。

嗚呼ああ折角せっかく良いうたを思い付いて、書き留めておいたのに…!あのうたは何処だ…?!」

床に這いつくばって書をあさるその様子を見下ろしながら、伯符は両腕を胸の前に組んで苦笑を浮かべた。

「…ったく、お前と言う奴は…美周郎びしゅうろうが聞いて呆れる!俺が付いていてやらねば、仕様しょうがない奴だ!」

『美周郎』とは、民衆の間で付けられた周公瑾しゅうこうきん名である。
彼は眉目びもく秀麗しゅうれいな、実に色白で紅顔こうがんの美少年であった。

伯符は、父、文台の言付けに従って一度寿春じゅしゅんへ戻ったが、義兄弟である周公瑾の招きに応じ、母と弟たちを連れて、長江の南岸に位置する、この廬江郡ろこうぐん舒県じょけんへと移り住んだ。

この時、公瑾は彼らの為に広い屋敷を用意し、そこへ伯符ら家族を住まわせると言うふところの広さを見せた。
そう言う意味では、公瑾は実に気風きっぷが良く大胆な男ではあるが、同時に大雑把おおざっぱな性格の持ち主でもあった。

それに引き換え、伯符は武勇に優れ勝ち気な所があるが、几帳面きちょめんで誠実な男であり、いつも公瑾が散らかした部屋を片付けるのは、今や彼にとっての日常であった。

「それはそうと、公瑾。お前にとっては朗報だぞ!」
伯符はそう言って、思い出した様に手を打ち、

「お前に、ぴったりの娘が居るんだ!」

と、白い歯を見せて笑った。

「…娘?何の話しか、さっぱりだな…」
公瑾は顔を上げていぶかしげに伯符を見たが、余り興味をかれた様子ではない。

「実はな、橋氏きょうしに二人の姉妹が居るのだが、どちらもまだ若く『絶世の美女』だと言う噂だ!」

「“橋氏”とは…あの、橋公租きょうこうそ殿の事か?」
ようやく関心を示した公瑾は、少し瞳の奥を輝かせた。

橋公租は、まだ霊帝の時代、曹孟徳そうもうとく雒陽らくように居た頃、三公の一つ『太尉たいい』の地位に就いていた、あの人物である。
彼は、まだ無名の孟徳の才を見抜いた唯一無二ゆいいつむにの存在であり、孟徳は彼に対し、深い敬意と尊敬の念を抱いていた。

だが、公租は何時しか不治ふじの病にかかり、彼の愛する妻と娘たちを信頼できる人物に託して、やがて行方をくらましてしまった。
のこされた彼の美しい妻と娘たちは江南こうなんへと移り住み、つつましやかな生活を送っていたのである。

「ああ、そうだ。上の娘は『大橋だいきょう』と、下の娘は『小橋しょうきょう』とそれぞれ民衆の間で呼ばれているそうだ。」
「それで…?その娘たちが、どうしたと言うのだ?」

「その娘たちを、それぞれ嫁に貰うに決まっているではないか!」

伯符が声を大にして語るのを、公瑾はぼんやりと間の抜けた様な表情で見ている。

「…何を言い出すかと思えば…馬鹿々ばかばかしい…」
一気に興が冷めたといった様子で呟くと、公瑾は書物や竹簡の散らばった床の上に、ごろりと寝転んだ。

「おい、公瑾!これは“人助け”でも有るのだぞ!ちゃんと話しを聞け!」
伯符は彼の肩を掴んで、激しく揺さぶる。

伯符の話しはこうである。
大橋、小橋が暮らしている地元の領主の元を訪れた袁公路の配下が、彼女たちの噂を聞き付け、公路に報告した。
貪欲な公路は、早速、彼女たちを自分のしょうにしようと考え、大橋、小橋の捕縛命令を下し、領主に恩のある二人の母、橋夫人きょうふじんは、二人を袁公路に差し出す決断を下したと言うのである。

「橋夫人は、泣く泣く娘たちを手放すのだぞ。あの欲深い袁公路の元へ行かされるなど、可哀想だとは思わぬか?!」

「確かに、それはそうだが…袁公路は、父殿ちちどのの上司ではないか。余計な事をすれば、父殿の立場が悪くなるであろう?」
「形の上では、公路の足下そっかられるとはいえ、父上は彼の強欲さを良く知っているし、狭量きょうりょうな性格である事も既に見抜いておられる。彼女たちを救えば、きっと喜んで下さるに違いないさ!」
屈託くったく無い笑顔でそう語る伯符の顔を、上半身を起こした公瑾は、振り返ってじっと見詰めた。

「彼女たちが公路の元へ送られるのは、明日の朝だそうだ。今から行けば、十分に間に合うであろう!」

「………」

「わかった、嫌なら構わぬ。俺一人で行って来る!」
伯符は小さく溜め息を吐き、立ち上がると簾を開いて部屋から出て行こうとする。

「ああ…どうせ俺が嫌だと言っても、聞かぬのであろう…?」

そう小さく呟きながら公瑾は苦笑し、顔に掛かった長い髪をき上げ、頭を掻いた。


『断金の友』
とは、古代から伝わる「五経」の一つ、「易」による。

『 二人同心,其利斷金。 』

「二人心を同じくすれば、其のきこと、金を断つ」

それは、強く固い絆で結ばれた『友情』を意味する言葉である。
伯符と公瑾の仲を、周囲の者たちは皆そう呼んでいた。

実は、伯符と公瑾との付き合いは、出会ってからまだそう長い時をてはいないが、互いにこれ程気が合い、信頼し合える相手に出会った事は無かった。
元はと言えば、伯符の名声を耳にした公瑾が、興味本位で彼に面会を望んだ事が始まりであった。

廬江ろこう郡の周家は名家であり、その名家出身の公瑾が、わざわざ寿春までおもむき、伯符に面会を求めたのであるから、伯符は多少の驚きを以て彼を迎えたのであった。
面会後、直ぐに意気投合した二人は、それから互いに親交を深め、義兄弟の契を結んだ。

今になって思い起こせば、何故あの時あれ程、孫伯符に会ってみたいと思ったのであろうか?
公瑾は長江を下る楼船ろうせんの上で、風に吹かれる伯符の横顔を眺めながら、ぼんやりと考えた。

「お前が何を考えているか、当ててやろうか?」
ふと、伯符が振り返り、そう言って微笑する。

「大橋と小橋、どちらの方が美人か、気になっているのであろう?!」
「…ふっ、よく分かったな。そこは一番大事な所だからな…」
公瑾は相好そうごうを崩し、そう答えて自分の頭を掻いた。

やがて、西の空が茜色あかねいろに染まり始めた頃、橋姉妹の住むまちが遥か遠方に見えて来る。
二人は接岸せつがんした船から降りると、早速邑内ゆうないを探索して情報を集めた。

その結果、何と二人は既にそこを離れ、公路の元へと向かっていた事が分かった。

「一足遅かったか…!」
伯符は強く歯噛みをして悔しがった。

「どうする?諦めて帰るか?」
「何?今、“諦める”と言ったのか?」
公瑾の問い掛けに、彼を振り返った伯符は眉をひそめる。

「だったら、早く馬でも用意して、直ぐにでも追い掛けようではないか!」
公瑾は白い歯を見せて笑うと、握った拳で伯符の胸を力強く叩いた。

袁公路は配下の者を送り込み、大橋と小橋を迎えに来たしゃに乗せると、さっさと彼女たちを連れて予定より早く発ってしまったと言う。
伯符たちが到着する半日程前の事であるから、馬を飛ばせば追い付く筈である。
彼らは手に入れた馬で、彼女たちの車と配下たちの行方を追った。

辺りがすっかり暗くなった頃、袁公路の配下たちと思われる集団が、車を停め山間部で野営をしているのを発見した。
馬を隠した伯符と公瑾は、夜闇にまぎれ二人でこっそりと茂みからその様子を伺い見る。

「どうだ?大橋と小橋の姿は見えるか?」
伯符は茂みから立ち並ぶ幕舎の方へ首を伸ばし、公瑾に問い掛けた。
「いや…見えないな。彼女たちが何処に隠れているのか…」

と、その時、伯符が肘で公瑾の肩をつつき、あれを見ろと指をす。
そちらを振り返って見ると、小川からおけんだ水を運んでいる、二人の少女の姿が目に入った。

「あの娘たちは、きっと大橋たちの侍女じじょに違いない!」
根拠こんきょは無いが、伯符は自信有りげに公瑾の肩を叩き、茂みから出て行った。

侍女らしき二人の少女たちは、辺りを警戒しながら幕舎の一つに近付き、素早く幕を開いて中へと入って行く。
幕舎の中の小さな灯りが、幔幕まんまくに写る彼女たちの影を揺らしていた。

少女たちのあとを付けて来た伯符と公瑾は、素早く幕舎に近付くと、互いの顔を見合わせ大きくうなずいた後、幕を開いて中へ突入した。

そこには、驚きの表情で彼らを見上げる四人の女たちの姿がある。
かさず侍女の一人が立ち上がり、彼らの前に立ち塞がった。

「無礼者!此処は大橋様と小橋様の幕舎です!お前たちは何者ですか!?」

歳は十三、四くらいであろうか、りんとしたその少女の気迫に思わず二人はたじろいだが、伯符は大きく咳払いをし、

「俺たちは、大橋殿と小橋殿をお助けに参った!」
と、胸を張って答えた。

「…大橋様と小橋様を、助けに…?」
少女は訝しげな眼差しで二人を見上げる。

水蘭すいらん退がっていらっしゃい。」
その時、背後から優しい声で語り掛けながら進み出たのは、美しくも立派に成人した女性であった。

「坊やたちが…わたくしたちを助けに?」

女性は着物の袖を口元に当てて、くすくすと笑う。
その隣には妹であろう女性が、此方を見て同じ様に笑っていた。

「“若くて美人”だと聞いていたが…俺たちより、ずっと年上の様だな…?」
公瑾が小声で伯符に耳打ちする。

「あ、ああ…きっと、俺たちが若過ぎたんだ…だが、噂通りの美女には違いない。」
伯符は多少困惑を現したが、気を取り直して彼女たちに向き合った。

「俺は、“江東の虎”孫文台の息子、孫伯符と申す。」
「俺は、伯符の義兄弟で、周公瑾だ。」

二人がそう名乗った時、

「敵襲だーーーっ!」

公路の配下たちの叫び声が聞こえ、伯符と公瑾は慌てて大橋たちの幕舎から走り出た。
すると、暗闇から飛んできた矢が次々と護衛の兵たちを倒して行く。
流れ矢が彼らの足元にも突き立った。

「まずい!逃げよう!」
二人は再び幕舎へ飛び込むと、それぞれ大橋と小橋の手を取って強引に外へと連れ出す。
伯符は腰にいた剣を抜き放ち、飛んで来る矢を払い落としながら走った。
隠しておいた馬を引き出し、大橋と小橋を無理やりその背にまたがらせると、

水蘭すいらん風蘭ふうらんを…!」
必死の形相で大橋が叫び、伯符の腕にすがり付く。

「あの子たちが一緒でなければ、わたくしたちは行きません…っ!」
伯符は小さく舌打ちをしたが、
「わかった…!連れて来る!」

そう言うと、振り返って再び幕舎の方へ向かって走り出した。

やがて、暗闇の中から山賊たちのときの声が上がり、武器を手にした山賊たちが辺りから次々に飛び出して来た。

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