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第八章 江東の小覇王と終焉の刻

第百三話 嵐の未央宮

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青い天蓋てんがいに同じく鮮やかな青いすだれを下げ、董仲穎とうちゅうえいの乗った豪華なしゃが宮殿の門へと近付いて来る。

次第に雨脚あまあしが強さを増す中、車が門前までやって来ると、李元静りげんせいが進み出て自らが引き連れて来た衛士らに車を取り囲ませた。
門を開くと、そのまま車を先導して宮殿の中へと入って行く。
奉先も彼らに続いて門を潜り、兵士たちが全員中へ入ると門は静かに閉じられた。

未央宮みおきゅうへと続く街道を進む車は、既に周りを敵に囲まれ四面楚歌しめんそかと化している。
だがそうとは知らず、仲穎は悠然ゆうぜんと車に揺られながら進んでいた。
やがて未央宮の門を目前にして車が停止すると、仲穎が不審な様子で声を掛けて来た。

「何故止まる?早く進まぬか!」

彼の怒鳴り声を聞くと、元静は車に近付きながら剣を抜き、

「董仲穎!大人しく車から降りろ…!」

そう大声たいせいを放って簾を一刀に切り捨てた。
だが次の瞬間、車の中を見た元静は息をみ言葉を失う。

「こ、これは…!?」

「…?!」
その様子を背後から見守っていた奉先は異変に気付き、飛焔の背から素早く舞い降りると、仲穎の車に近付こうとした。
その時、片手に剣を握りよろいを身に着けた仲穎がゆっくりと車から姿を現す。

彼は太々ふてぶてしい態度で濡れた地面に降り立つと、片腕を伸ばして車の中から何かを引きり出した。

「愚か者共め…!わしをめる積りであろうが、そうは行かぬぞ!」

仲穎は剣先を前へ突き出し、取り囲む兵たちを睥睨へいげいしながらいかずちの如き怒鳴り声を上げる。
それには取り囲んだ兵たちも肝を冷やし、蛇に睨まれたかえるの様に縮み上がった。
彼の足元に転がりうごめいているのは、全身を縄で拘束こうそくされ苦しげにうめき声を上げるひとである。
それを見た奉先は一気に青褪あおざめ、足を止めてその場に立ち尽くした。

「こいつは、貴様らの仲間であろう…!」
そう言うと、仲穎は足元にうずくまる人物の腹を思い切り蹴り上げる。

「ぐっ…!」
血反吐ちへどを吐きながら地面を転がり、仰向けに倒れたのは、全身に傷を負い着物を血で赤く染めた無残な曹孟徳そうもうとくの姿であった。
奉先は思わず目をそばめ、強くつむった。

血塗ちまみれで倒れたままうめく孟徳は、既に意識を失い掛け、自力で立ち上がる事も出来ない。
彼に歩み寄った仲穎は、乱れた頭髪を鷲掴わしづかみにし、ぐいと強く引っ張り頭を上げさせた。

「今すぐに、首謀者を此処へ引きり出せ!もなくば、この小僧を斬り捨てる…!」

孟徳の首筋にやいばを押し付け、仲穎が狼狽うろたえる元静らを威嚇いかくすると、途端に伏せられていた仲穎の兵たちが門をじ開け、宮殿へ雪崩なだれ込んで来た。
元静らの兵と仲穎の兵たちは、一触即発いっしょくそくはつの状態で互いに激しく睨み合う。

「待て!!」

その時、彼らの間をさえぎる様に進み出た人物が大声を放つと、全員が彼に注目した。

「これは、皇帝からの勅命ちょくめいである…!逆賊董仲穎を誅殺ちゅうさつせよとのおおせだ…!」

そう言って、皇帝の勅書ちょくしょを懐から取り出し、仲穎に対峙たいじして睨み付けたのは奉先であった。

「…貴様、あれ程わしが目を掛けてやったと言うのに…!恩をあだで返す積りか!」
忌々いまいましげに彼を睨み返し、うなる様に言うと、

「皇帝の勅命だと?!まだ十歳の子供に何が解る?!皇帝の庇護ひご者はこのわしだ!わしを排除のぞけば、この腐った王朝を誰が支配出来ると言うのだ?!北の袁本初えんほんしょも、南の袁公路えんこうろも、わしの力には遥かに及ばぬ!奴らは周りを巻き込み、更に大きな災いをもたらす事になるであろう…!」

仲穎は更に声を荒らげ、取り囲む兵たちに向かってえる。
その瞬間、辺りにまぶしい閃光せんこうが走り、すさまじい雷鳴がとどろいた。

すると突然、元静の背後に控えていた兵士が剣を振り上げ、彼の背後から斬り掛かる。
元静は襲い来る刃を咄嗟とっさかわしたが、右肩を斬られ鮮血が飛び散った。
それを皮切りに、たちまち兵士たちの間で戦闘が始まる。

敵味方が入り乱れて乱戦となる中、気付くと車の前に立っていた筈の仲穎の姿は無く、そこに倒れていた孟徳の姿も消え失せていた。
襲い来る敵兵を斬り伏せながら奉先が振り返って見ると、車につながれた馬を切り離し、ぐったりとした孟徳を抱え上げて、仲穎が馬の背にまたがり走り去って行くのが目に入った。

「逃さぬ…!」
奉先はさえぎる敵を打ち倒し、飛焔の背に飛び乗ると仲穎の後を追った。

奉先は走りながら、倒れた兵士の体に刺さった槍を抜き取り、前方を走る仲穎の馬の足元を狙う。
未央宮へ向かう街道を駆け抜けた先に、仲穎の馬が神殿へと続く階段を駆け上がって行くのが見える。
雨で視界が悪い中、奉先が放った槍は雨粒を切り裂きながら真っ直ぐに飛び、うなりを上げて見事に馬の足元へと突き刺さった。

「!?」
馬がいななきを上げて棹立さおだちになると、仲穎は振り返って、追って来る奉先を忌々いまいましげに睨む。
素早く馬を降りると孟徳を馬から引き摺り下ろし、彼を強引に歩かせて神殿の中へと姿を消して行った。

気付けば辺りはすっかり闇に包まれ、時折ほとばしる雷光は巨大な石像を不気味に照らし出している。
神殿へ続く階段を飛焔で一気に駆け上がり、素早くその背から飛び降りると、奉先は方天戟を手に神殿へと入って行った。

広々とした神殿の中には小さな燭台の灯りだけがともり、かすかに揺らめいている。
足を忍ばせ慎重に神殿の中を進んで行くと、不意に前方に現れた人影に方天戟を構えた。
見ると、仲穎が孟徳の首に剣を押し付け、そこに立っている。

「…奉先、貴様が“漢の血胤けついん”の者を知っているのであろう?!そいつをたおし、わしが漢王朝の息の根を止めてやる…!」

「漢の血胤…?何の事だ?!」

奉先がいぶかしげに問うと、仲穎はふんっと鼻を鳴らした。

とぼけるな!お前はそれを知っている筈だ!」
声を荒げて怒鳴ると、彼の腕に掴まれた孟徳が小さく笑い声を漏らす。

「ふっ、ふふ…奉先は、何も知らない。真実を知っているのは…俺だけだ…!」

「何だと…?!」
仲穎は目をいからせ、苦しげにあえぐ孟徳を睨み付けた。

『先帝の桓帝かんていには、男児が居なかった…だが、隠され生きながらえた遺児が、今も生存しているのだ…!』

郿塢びうで孟徳が語った言葉が脳裏によぎる。
捕らえた彼を痛めつけ問い詰めると、
『鍵を握る人物がいる…』
と答えたのである。
やがて、仲穎は鋭い目を立ち尽くす奉先に向けた。

「…成程なるほど、そういう事か…!面白い…お前の言葉通りか、そこで見ておれ…!」

孟徳の耳元でそうつぶやき、今度は喉の奥をくっくっと鳴らして含み笑いを浮かべると、掴んでいた孟徳の体を床へと突き放す。
それから祭壇の脇にずらりと並べられていた武器の中から、見事な一本のやりを手に取り、切っ先を奉先に向けて大声たいせいを放った。

「この槍は『覇王槍はおうそう』と呼ばれ、“覇王項羽こうう”が愛用したとされる槍だ…貴様とは、いずれ決着を付けねば成らぬ運命であった…!今此処で雌雄しゆうを決しようではないか…!」

「………!!」

仲穎を睨み返す奉先は、方天戟を大きく旋回させて彼に対峙する。
雷鳴のとどろきが響くと、建物の柱や床に反響して唸るような振動しんどうが伝わった。

「そうだ、すっかり忘れておったが…貴様に渡す物があった…!」
仲穎は口をゆがめてニヤリと笑い、懐に手を差し入れて何かを取り出した。
それは小さな箱の様な物である。

不審な表情で見詰める奉先に向かって、その箱を投げ付けると、小さな木箱は音を立てて彼の足元へ転がり、ふたが外れて中身が外へ飛び出した。

「…?!」

見れば、その箱には血が付着している。
飛び出した中身を目で追うと、そこには赤い血をまとった小さな二つのかたまりが転がっていた。
それが何であるかを理解した瞬間、奉先の心臓の鼓動は大きく脈打ち息が止まった。

「くっくっくっ…あの小娘が、わしに牙をきおったのでな…少し仕置きをしてやったのよ…!」

神殿の中に青白い雷光がひらめき、不気味な笑い声を上げる仲穎の姿を照らし出す。

思わず手で両目を覆うと、奉先はその場に膝から崩れ落ちた。
濡れた床にひざまずいたまま深く項垂うなだれ、小さく肩を震わせる。
その姿を、床に倒れた孟徳は痛ましい眼差しで見詰め、強く唇を噛み締めて瞳をうるませた。

強く目をつむると、奉先のまぶたの裏に郿塢へ向かう車へと乗り込む、美しい貂蝉の姿が鮮やかによみがえる。
その瞬間、彼の目から熱いなみだこぼれ、冷たい頬を伝い落ちた。

貂蝉………っ!!

やがて、奉先はゆっくりと顔を上げ、赤く充血した目を鋭く仲穎に向けた。
その瞳には、怒りの炎が赤々と燃えて揺らめいている。

ゆるさぬ…っ!貴様は、俺がたおす…!」

怒りに震える手で方天戟を強く握り締めた奉先は、途端とたんに床を蹴り、仲穎に打ち掛かった。
仲穎は素早く身をひるがえし、方天戟の攻撃範囲から逃れて間合いを取る。
そして、覇王槍を一瞬ひらめかせたかと思うと、奉先の首筋を狙った鋭い槍撃そうげきを放った。

その一撃を素早く躱し、げきの柄で弾き返したが、槍は次々に急所を狙って放たれる。
たくみに身を翻し、急所への攻撃をすんでに回避するものの、槍の切っ先は彼の腕や足を斬り付け、着物は忽ち赤く染まっていった。

仲穎の剛腕から繰り出される槍の破壊力は凄まじく、神殿の柱や石の床板をものともせず貫き、破壊して行く。

翻った外套がいとうが槍につらぬかれ、鋭く斬り裂かれたが、奉先は動じる事なく、破れた外套を引き千切ちぎって床へ投げ捨てた。
その様子を見ながら、仲穎は少し息を整え薄ら笑いを浮かべる。
建物の屋根を打つ雨音は一層激しさを増し、ひらめく雷光が睨み合う二人の影を浮き上がらせていた。

「ふっふっ…そろそろ遊びは終わりだ、覚悟しろ…!!」

仲穎は再び槍を構え、眼光を鋭く光らせながら攻撃を仕掛ける。
その鋭い突きを躱し、旋回する槍の柄を戟でね返したが、今度は長い柄で素早く足をすくい上げられ、奉先は思わず体勢を崩して床に片手を突いた。

そこへ間髪かんぱつ入れず、彼の体をつらぬかんと鋭い切っ先が勢い良く振り下ろされる。
だが槍は虚しく空を裂き、堅い床板を深くえぐって突き刺さった。

「ちっ…!」
仲穎が小さく舌打ちをしながら槍を床板から引き抜くと、今度は奉先の戟がうなりを上げて襲い来る。
素早く槍で方天戟の重い攻撃を受け止めたが、激しい衝撃に仲穎の体は後方へ弾かれ、思わず片膝を床に突いた。

「くっ…!」
強く歯噛みをして顔を上げると、戟の巨大な刃が目前にまで迫って来る。
仲穎は咄嗟とっさに体を横へ回転させながら躱し、同時に方天戟の柄を素早く片手で掴み取ると、強く引き寄せて奉先の額に激しい頭突きを食らわせた。

「うっ…っ!!」

衝撃で瞼の上が切れ、途端に視界が赤く染まる。
一瞬ひるんだと見るや、鋭い槍撃を彼の胸元へ放ち、胸の防具を切り裂き破壊した。
更に追い撃ちを掛ける様に彼の腹部へ蹴りを入れる。

奉先の体は神殿の扉を突き破って、土砂降りの雨の中へと放り出された。
土砂の上に肩から激しく落下し、鈍い音と共に激痛が走った。
奉先は素早く立ち上がったが、左腕が上がらない。

壊れた扉を蹴破りながら、仲穎も彼の後を追って土砂降りの中へと足を踏み出す。
奉先は片腕で方天戟を構え、仲穎を睨み据えた。

「…はっ…!」
暫し床に倒れて意識を失っていた孟徳は、突然意識を取り戻し、かっと瞼を開いた。

重い頭を持ち上げ辺りを見回したが、二人の姿は何処にも見当たらない。
体を引きる様にして床をって、倒れていた槍の刃で体を拘束こうそくする縄を断ち切ると、孟徳は覚束おぼつかない足取りで立ち上がり、壁伝いになんとか前へ進んだ。
壊れた扉から外を覗くと、激しい豪雨の中、睨み合っている二人の姿が目に入る。

「…奉先…っ!」
しぼり出す様な声で彼に呼び掛けたが、その声は激しい暴雨にさえぎられ、彼の耳には届かなかった。

奉先は、方天戟の柄を右脇にはさみ込み、槍頭そうとう根元ねもとを掴んで出来るだけ短く構えている。
彼のその構えを、険しい表情で頭から足先までめ付けると、仲穎はやがて片頬を上げてニヤリと笑った。
彼が左肩を負傷し、動かせないのは明白である。

「ふんっ、貴様もその程度か…詰まらぬ!さっさと息の根を止めてやる…!」

太々ふてぶてしく言い放ち、仲穎は強烈な雷光が閃くと同時に、鋭い覇王槍を奉先の心臓目掛けて突き出した。

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